●人工臓器 ─最近の進歩 人工血管 大阪府立急性期・総合医療センター心臓血管外科 白川 幸俊 Yukitoshi SHIRAKAWA 1. と し て 採 用 し た の は,当 時 最 新 の 合 成 繊 維,polyester はじめに (Dacron)だった。それを彼は妻のミシンを使って,血管の 「人は血管とともに老いる」。19 世紀末の内科医の言葉 形に縫い上げた。子どもの頃に裁縫師だった母からミシン だそうだが,21 世紀に入った現在も血管病の脅威は衰えを の技術の手ほどきを受けており,腕は確かだったという。 知らない。 彼は,ヒトの腹部大動脈瘤を切除し,Dacron 生地を Y 字型 病的な状態になった血管を取り替えたり,血管同士をバ に縫った人工血管に置き換える手術に初めて成功した(図 イパスでつないだりと,血管病のなかで人工血管の果たす 1) 。この最初の患者は 13 年間生存したが,最期まで手術部 役割は非常に大きく,人工血管の進歩とともに,治療体系 位のトラブルはなかったという。 も変化してきた。 2. それ以降,Dacron を用いた人工血管の開発は進み,1970 年代半ばには polytetrafluoroethylene(PTFE)製の人工血管 人工血管の歴史 が登場した。理想的な人工血管に求められるものは,①生 人工血管の研究が具体性を持ち始めたのは 19 世紀末か 体適合性,②耐久性,③血液適合性,④強度,低拡張性,⑤ ら 20 世紀にかけてのことである。その素材として,マグネ ハンドリング性,⑥抗血栓性,⑦出血が少ない,⑧消毒・ シウム,象牙,アルミニウム,金など,さまざまな材料が試 保存が容易といったことがあげられる。これらを目指して, みられた。しかし,それらが結果として失敗すると,人工 人工血管は進歩を遂げていった。 材料で作った人工血管の研究は停滞してしまった。それに 現 状,胸 腹 部 大 動 脈 用 の 大 口 径 人 工 血 管 に お い て は 代わり,1940 年代には動物や人間から採取した血管を処理 Dacron 製が主流である。Dacron 製人工血管には weave(織 して用いるようになり,ある程度の臨床的成果も得られる り:woven)と knit(編み:knitted)構造があり,それぞれ ようになった。だが,このような生物材料製の人工血管も, の特徴を有する(図 2)。Dacron 製人工血管は,porosity の 年月とともに動脈瘤のように腫れあがってしまい,再手術 比較的小さな woven graft でさえ,そのままであれば血液の を余儀なくされることが多かった。 漏出を生じる。1990 年代半ばまで,この血液漏出を防ぐた 世界で初めて人工物を縫いつけることによって,血管の め患者血液を人工血管表面に塗り,凝固させてまた血液を 代 わ り に す る 動 物 実 験 に 成 功 し た の は Voorhees ら で, 塗ること(プレクロッティング)により,この porosity を埋 。アメリカ空軍のパラシュート生 める作業が術中に行われていた。1986 年頃より,ウシ由来 地(ポリビニル繊維)より作製したものであった。そして のコラーゲンやゼラチン,アルブミンによりシールドされ 1954 年,世界で初めてヒトでの人工血管手術に成功したの た Dacron 製人工血管が登場し,プレクロッティング操作 は,かの有名な DeBakey であった 2) 。彼が人工血管の材料 は次第に必要なくなっていった。一方で,これらの生体材 1952 年のことである 1) 料に対する免疫反応,また,それらを人工血管に固定する ■著者連絡先 大阪府立急性期・総合医療センター心臓血管外科 (〒 558-0056 大阪府大阪市住吉区万代東 3-1-56) E-mail. [email protected] ための架橋剤(ホルムアルデヒド,グルタールアルデヒド) による炎症反応により,発熱や浸出液貯留が遷延するとい う問題が起きていた。この問題に対しては,シールド剤の 人工臓器 43 巻 3 号 2014 年 167 (A) (B) (A) (B) 図 1 世界初の腹部大動脈瘤人工血管置換術 2) (A)腹部大動脈瘤,(B)polyester 製の人工血管で置換。 量を減量させたり,シールド剤が含有するエンドトキシン 量を減少させた人工血管 3),さらに動物由来タンパクの代 わりに高分子化合物をシールド剤として用いる人工血管 4) が近年登場し,術後発熱や,胴体からの漏出,針穴出血な ども少なくなった。大口径人工血管は,進化がほぼ満足の 図 2 Woven(A)と Knit(B) (A)Woven 。編みの目が小さく,主に胸部領域で使用される(圧力が高い)。 Porosity が小さく血液が漏れにくい。Knit に比べ,ハンドリングが劣る。 (B)Knit 。ニットのセーターのように編みの目が大きく,主に腹部・末梢領 域で使用される(圧力が比較的低い)。ハンドリングが高く,縫合しやす い。 いくものに達しているように思える。しかし,ステントグ ラフトの登場により,大動脈瘤治療体系は大きな変革の時 を迎え,人工血管の役割にも影響を与えた。ただし,ステ 2008 年 3 月に本邦においても胸部大動脈用のステントグラ ントグラフト自体も新しい人工血管の形といっても良く, フトが薬事承認され,TEVAR は爆発的に普及することと その歴史が浅く,さらなる開発が望まれる所である。当科 なった。特に, “下行大動脈瘤に対する治療は TEVAR”と では,初期よりステントグラフトを積極的に導入しており, いっても言い過ぎではない時代となった。 最近のステントグラフト事情について報告する。 また,抗血栓性に優れた小口径人工血管の開発は,未だ 現在,TEVAR は下行大動脈瘤の分野では,すでに第 1 選 択と考えられ,弓部大動脈瘤,胸腹部大動脈瘤に関しては, 重要課題として残っている。当科では,小口径人工血管の extra-anatomical bypass を併用したハイブリッド治療の適 課題を克服すべく,組織工学を応用した人工血管(tissue- 応も拡大してきた。さらに,これらの領域にも branched engineered vascular graft, TEVG)の研究を進めており,そ stentgraft,fenestrated stentgraft の開発が進み,一部は臨床 の現況についても報告する。 使用も行われている(図 3A 〜 D)。Branched stentgraft の 進化により,total endovascular repair も実現可能になって ステントグラフト治療の現況 3. きた(図 3E)。 大動脈瘤治療の低侵襲化を目指して,1991 年 Parodi ら 従 来 の 胸 部 大 動 脈 瘤 治 療( 人 工 血 管 置 換 術 )に 比 べ, によって,腹部大動脈瘤に対するステントグラフト治療が TEVAR は明らかに手術侵襲を軽減することが可能で,術後 報告され 5),1992 年には Dake らによって,胸部大動脈瘤 早期成績の向上という結果に表れている。今後,デバイス に対するステントグラフト治療が開発された 6) 。本邦では, の進化とともにさらに成績は向上してくるものと考えられ 1993 年加藤らによってステントグラフトの臨床応用が開 るが,未だその歴史も浅く,治療後慢性期における安全性 。胸部大動脈瘤に対するステントグラフト治療 についても今後慎重な検証が必要である。特に branched (thoracic endovascular aortic repair, TEVAR)は,従来手術 stentgraft の普及のためには,メインのデバイスよりも,デ と比べて,圧倒的に低侵襲であることから脚光を浴び,そ リバリーに優れ,抗血栓性,生体適合性の高い小口径の分 の後,自作ステントグラフトを用いた治療が徐々に普及し 枝用ステントグラフトの開発が急務である。従来手術と共 ていった。しかし,大動脈瘤に対する血管内治療が長期に 存しつつも,今後さらにステントグラフトが胸部大動脈瘤 わたるため保険適用として容認されず,さらに企業製造デ 治療の中心となってくるであろう。 始された 7) バイスの導入も欧米諸国に比して遅れていた。しかし, 168 当科ではかねてより再生医療・組織工学を利用したより 人工臓器 43 巻 3 号 2014 年 (A) (C) (B) (D) (E) 図 3 弓部大動脈用の 2 分枝付きステントグラフト(A,B),胸腹部大動脈用の分枝付きステントグラフト(C,D), total endovascular repair(E)。 生体組織に近い人工血管 TEVG の開発を目指してきた。生 獲得できていた。彼らは,さらに小口径人工血管の作製に 体外で細胞を播種・培養し,組織化する TEVG は作製に複 取り組み,PLLA 繊維の芯に PGA 繊維を巻き付けて 2 層構 雑な過程を要するため,大量供給は困難であるという問題 造の糸を作製し,これを平織りにすることでより加工が容 が 指 摘 さ れ て い た た め,Chen ら の 提 唱 し た in situ 易な素材を開発し,4 mm の小口径人工血管の作製に成功 cellularization のコンセプト 8) に着目し,scaf fold の移植の した。Yokota らは,これをイヌの頸動脈に移植し,12ヶ月 みで自己細胞により血管壁の再構築を促す素材を開発して までの follow up で全例の開存と血管構造の構築を確認し きた。Iwai らは,生分解性ポリマーである poly(lactic-co- た 11) 。さらに,近年,大動脈瘤の新たな治療法として世界 glycolic acid) (PLGA) (glycolic acid と lactic acid の比率が 的に普及しているステントグラフトに注目した。現在,ス 90:10 の共重合体)とコラーゲンマイクロスポンジからな テ ン ト グ ラ フ ト に 用 い ら れ て い る 素 材 は expanded るシート状の scaf fold を作製した。このパッチをイヌの肺 polytetrafluoroethylene(ePTFE)や polyester などで,これ 動脈主幹部に移植することで,2ヶ月後には PLGA は完全に らの素材では術後数年を経てもグラフト内腔に十分な内膜 吸収され,パッチ部が内皮細胞および平滑筋細胞からなる 形成は認めない。そのため,ステントグラフトの固定は 血管壁構造に再構築されていることを示した 9) 。さらに, expandable stent の radial force のみに依存しており,術後 Torikai らは,強度を高めるため,シート状の poly-glycolic の endoleak や migration の一因となっている可能性が指摘 acid(PGA)と poly-lactic acid(PLA)を polycaprolactone されている。そこで当科では,前述の生体吸収性人工血管 (PLC)で 張 り 合 わ せ た PGA/poly L-lactic acid(PLLA) 素材 PGA/PLLA 素材をステントグラフトに応用した。し collagen patch を作製した。そのシートを管状にし,ブタ かしながら,PGA/PLLA は依然柔軟性に乏しく,ステント の胸部下行大動脈を置換することにより,この素材が動脈 グラフトには不適であったため,現在人工血管の素材とし 圧に対して十分な強度を持ち,PGA が 2ヶ月で吸収され, て使用されている polyethylene terephthalate(PET)繊維の PLLA が 12ヶ月保持されることを示し,その過程で自己細 周囲に PGA を巻き付けた 2 重構造の糸を作製し,編み上げ 胞により血管構造が再構築されることを示した 10) 。この た PET/PGA ステントグラフトを開発した。Takeuchi らは, 再構築された動脈壁は血管作動薬によって,収縮,弛緩し, この PET/PGA ステントグラフトを交雑犬(HBD)の下行 形態学的相同性のみならず,物理学的・生理学的相同性を 大動脈に移植した。結果,病理組織学的に PET が分解吸収 人工臓器 43 巻 3 号 2014 年 169 図 4 ONO-1301 付加によるステントグラフトの固定力強化 された間隙が自己細胞に置換され,グラフトの内側から外 側まで自己大動脈壁と一体化した組織が形成されているこ とが示され,大動脈壁への固定力の強化が示唆された。 さらに,現存のステントグラフトデバイスに薬剤を付加 するのみで,固定力を増強できないか,新たな視点で開発 を進めた。ONO-1301 はトロンボキサン A2 合成阻害作用 を有する合成プロスタサイクリンアゴニストであり,周囲 の細胞からの vascular endothelial growth factor(VEGF), stromal cell-derived factor 1(SDF-1)などのサイトカイン産 生を促進し,組織修復を促すことが注目されている(図 4)。 そこで,同薬剤を 3ヶ月にわたり徐放する PLA microsphere 製剤をゼラチンハイドロゲルに懸濁し,ステンレススチー ル Z ステントと woven polyester からなるステントグラフ ト表面に乾燥固定することで,薬剤溶出性ステントグラフ トを開発した。Watanabe ら 12) は,同ステントグラフトを HBD 下行大動脈に移植することで,グラフト繊維内に細 胞を引きつけ,グラフト−大動脈間の細胞外基質の増生を 促進し,大動脈壁への固定力を増強することを示した。 おわりに 4. 人工血管の現状は,概ね良好な成績を得ているが,さら なる進歩が期待されている。特に,組織工学を応用したデ バイスの製造,ステントグラフトとの組み合わせなどで, 患者に優しい治療をさらに進めていく必要がある。血管そ のものを治す薬が出現して,内科的治療が可能となる日ま で,人工血管が血管病の治療のなかで大きな役割を果たし, その進歩により,どのような治療法が確立されていくか, さらに期待するものである。 本稿の著者には規定された COI はない。 170 文 献 1) VOORHEES AB Jr, JARETZKI A 3rd, BLAKEMORE AH: The use of tubes constructed from vinyon“N”cloth in bridging arterial defects. 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