豊信報 H.21.2月号

豊信報
H.21.2月号
アメリカの新しい大統領にアメリカ建国初めての黒人大統領、バラクオバマ氏が
就任しました。
チェンジ=変革を訴え、大半のアメリカ人に共感され、歴史上に残る就任式
でした。彼の就任演説の一部ですが、【すべてのアメリカ人の一部としてわれわれ
自身とわれわれの国そして世界に対して責務を持つという自覚、責務それを
われわれはいやいや引き受けるのではなく、喜んで受け取り、難しい課題にわれ
われすべて献身するということ以上に、精神を満足させわれわれの特性を守ること
に他ならないという認識を強固にする。】と述べています。
私たちはいやなことから逃げようとしますが、新大統領は、いやいや引き受けるの
ではなく、喜んで受け取り、難しい課題にわれわれすべて献身すると……と
国民に訴えています
私たちよふぼくも、困難の時代だからこそ、いやなことから逃避することなく、
責任感をもって、なお一層たすけあいの精神でいくことが大切ではないかと
思います。
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教理−つつしみの心
[つつしみ]という言葉で何を思いますか?みんなふつうのことで、とりたてて
珍しい言葉でもないように感じます。
ではなぜ、これが陽気ぐらしのキーワードなのでしょう。
一文字ずつ見ていきましょう。 「感謝」「慎み」「たすけあい」
世間でよく見かけるスローガンや標語の中にも「感謝」と「たすけあい」
はよく見かけます。しかし「慎み」はどうでしょう?あまり見かけませんよね。
さて、みなさん、「慎み」と聞いて何を想像しますか。
「我慢」ですか?「ちょっと控えめ」でしょうか。
いずれにせよ、あまりパッとしないイメージが強いですよね。ゴージャス
で華やかで、威勢の良いイメージと正反対の印象を受けるでしょう。
実は私も、このスローガンを見たときに、「なんか陰気くさいな」と感じた
一人なのです。しかし、よく考えてみると、実は奥が深いことに気がつきました。
「態度を慎みなさい」とよく言います。これは「何もするな」ということと
同じ意味ではありません。感謝・慎み・たすけあい
「口を慎みなさい」とよく言います。これは「何もない」ということと同じ意味では
ありません。 「してもいい」「しゃべってもいい」しかし、その前に何かがあるの
です。その「何か」を考えずに、したいように行動し、言いたいように言うと
「慎みがない」ということになるのです。 さあ、その「何か」とは何でしょう?
ここが「慎み」のポイントになり
ます。 神様は、おさしづ(御神言をそばに居る人が書き留めたもの)の中で、
このように仰せくださっています。
「慎みが理や、慎みが道や。慎みが世界第一の理、慎みが往還や程に。
これ一つ諭し置こう。」
明治二十五年一月十四日
いかがですか?辛気くさいと思われた「慎み」これが「世界第一の理」
とまで仰せくださるのです。これほど大切な「慎み」について、少し考えて
いきたいと思います。
もしかすると、現代社会が一番必要としている態度かも知れないからです。
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■天理教の教義での病だすけと医薬の関係について
【明治二十六年十月十七日】
薬を以て治してやろうと言うやない。脈を取りて救けるやない。医者の手余り
を救けるが台と言う。なれど一口に話する、聞く。又一つには邪魔になる。
放って置けんと言う。よう聞き分け。何でも無ければ何でも無い。身上心得んと言えば、
そらと言えばそりゃという理を諭したる。皆諭したる。人を腹立てさすやない。
前々古き話、人の義理を立てゝ神の理を欠いては、神の道とは言えようまい。
詳しい話をして置こう。所々分かろうまい。一時改めて医者に掛からねばならん
と言えば、又どうと思う。派出する。
よう聞いて置かねばならん。今の一時泥海世上諭す理、病人を放って置いては
ならん。こゝらにはそういう者はあろうまいなれど、もし千に一つでもありては
道の疵、教の理に無き理である。医者の手余りと言えば、捨てもの同様である。
それを救けるが教の台と言う。よう聞き分けるよう。
【解説】
今日の社会にあっても「拝み祈祷」はかなり根強いものです。拝み祈祷の禁止は
明治時代に政府がずっと一貫して推し進めた政策でありましたが、なかなか改ま
らなかったようです。教内でも、信仰をしておれば「医者も薬もいらん」という
ような熱狂的な信者がいて、社会から医薬妨害と受け取られるというような動きも
ありました。
修理肥として教えられた医療・医薬は、だめの教えが開示された今日、おたすけ
とどういう関係にあるのでしょうか。その微妙なポイントを端的に示されたのが
このおさしづです。「やまひのもとはこころから」(みかぐらうた)であります。病気を
治療するのは医者のなすべきこと、「やまひのね」(みかぐらうた)を切るのが
この道の信仰です。
投薬によって病気を治す、脈をとって治療を施すのは医者の領分です。
「元々医者は要らん、薬は呑む事は要らんという事は教えには無いで」(M23・7・7)
と諭されます。おたすけは、むしろ「医者の手余り」、すなわち医者ではどうにも手の
施しようのない、当事者の深い心の領域に分け入り、心底からたすかってもらう道で
あります。そこにだめの教えの根本があるのです。『天理教原典【おふでさき】』には
この事をしらしたいからたん/\と
しゆりやこゑにいしやくすりを
九号 11
とおおせになり、神様の教えの根本を知らしたいからの修理肥としての
医薬の意味をお教えくださっています。
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◎教会では昨年夏から教会のホームページを開設
しています。存分に充実はしていませんが、今後、
よりよいホームページにしていきたいと思っています。
【豊信分教会のホームページアドレス】
http://homepage3.nifty.com/toyonobu/
を開いて閲覧ください。
2月の紅梅
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