1 最判昭和 57 年 3 月 30 日民集 36 巻 3 号 501 頁 約束手形金請求

最判昭和 57 年 3 月 30 日民集 36 巻 3 号 501 頁
約束手形金請求事件
昭和五四年(オ)第一一〇号
同五七年三月三〇日最高裁第三小法廷判決
【上告人】 被控訴人 原告 飯沢憲一 代理人 宮川典夫 外一名
【被上告人】 控訴人 被告 湘南建設株式会社 代理人 庄司捷彦
主
文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理
由
上告代理人宮川典夫、同新井宏明の上告理由について
手形の所持人が、手形要件の一部を欠いたいわゆる白地手形に基づいて手形金請求の訴
え(以下「前訴」という。
)を提起したところ、右手形要件の欠缺を理由として請求棄却の
判決を受け、右判決が確定するに至つたのち、その者が右白地部分を補充した手形に基づ
いて再度前訴の被告に対し手形金請求の訴え(以下「後訴」という。
)を提起した場合にお
いては、前訴と後訴とはその目的である権利または法律関係の存否を異にするものではな
いといわなければならない。そして、手形の所持人において、前訴の事実審の最終の口頭
弁論期日以前既に白地補充権を有しており、これを行使したうえ手形金の請求をすること
ができたにもかかわらず右期日までにこれを行使しなかつた場合には、右期日ののちに該
手形の白地部分を補充しこれに基づき後訴を提起して手形上の権利の存在を主張すること
は、特段の事情の存在が認められない限り前訴判決の既判力によつて遮断され、許されな
いものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、原審が適法に確定したところによれば、(1)
上告人は、
本件被上告人を被告として本訴請求にかかる約束手形の振出日欄白地のまま手形上の権利
の存在を主張して手形金請求の訴え(手形訴訟)を提起し、該訴訟(前訴)は横浜地方裁
判所昭和四九年(手ワ)第二二五号事件として係属した、(2) 同裁判所は、昭和五〇年
一月二一日、該約束手形の振出日欄は白地であるから、上告人が右手形によつて手形上の
権利を行使することはできないとして、上告人の請求を棄却する旨の判決を言渡した、
(3)
上告人は右手形判決に対し異議を申し立てたが、右異議審においても白地部分を補充しな
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いまま昭和五〇年三月一三日同人の訴訟代理人弁護士が右異議を取り下げ,同年四月一四
日被上告人がこれに同意して右手形判決は確定した、(4)上告人は、右判決確定後に前記
白地部分を補充した本件手形に基づき昭和五一年七月一七日本訴(後訴)を提起した、
(5)
上告人において右前訴の最終の口頭弁論期日までに白地部分を補充したうえで判決を求め
ることができなかつたような特段の事情の存在は認められない、というのである。右事実
関係のもとでは、上告人が、本訴において該手形につき手形上の権利の存在を主張するこ
とは、前訴確定判決の既判力により遮断され、もはや許されないものといわざるをえない。
したがつて、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。また、記録に
あらわれた本件訴訟の経過に照らせば、原判決に所論釈明権不行使、審理不尽の違法があ
るとは認められない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のと
おり判決する。
(裁判長裁判官 環昌一 裁判官 横井大三 裁判官 伊藤正己 裁判官 寺田治郎)
上告代理人宮川典夫、同新井宏明の上告理由
原判決には手形法の解釈を誤り、引いて民事訴訟法第一九九条の解釈及び適用を誤つた違
法があり、この違法は判決の結果に影響を及ぼすことが明らかである。
一、原判決の要旨
原判決は「前訴における約束手形金請求は振出日欄を白地とする約束手形に基づくもので
あり、本訴における約束手形金請求は右白地を補充した完成後の約束手形に基づくもので
あるところ、右白地手形上の権利と右完成後の手形上の権利との間には連続性ないし同質
性があり、右前訴と本訴は訴訟物を同じくするものであつて、右前訴判決の既判力は本訴
にも及ぶ」ものであると判示した。
二、原判決を支える理論的根拠
原判決は右判断に至る根拠として
1
白地手形上の権利と右白地を補充した完成後の手形上の権利との間には、連続性ない
し同質性があること。
2
従つて白地手形による前訴と完成後の手形による本訴とは、訴訟物を同じくするもの
である。
ことを挙げているが、更に判例・学説等による理論的裏付として
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「白地手形の儘手形金請求訴訟を提起した場合でも、右訴提起時に時効の中断があつ
たものと解すべきである」とした最高裁判決(最大判昭和四一年一一月二日民集第二〇巻
九号一六七頁、同旨最大判昭和四五年一一月一一日判例時報六一〇号一六一頁)は、その
理論的前提として「白地手形上の権利」と「完成された手形上の権利」に同一性を認めた
ものであり、このことから両者の訴訟物は同一と解されねばならないこと、従つて前記1、
2は既に最高裁の見解とするところであり、同趣旨に立つ下級審判例(大阪地判昭和四九
2
年一〇月三〇日判例時報七六四号八九頁)もあること。
などをその理論的根拠としているものと推論できる。
三、根拠1及び2の検討
(一)
原判決は、白地手形上の権利は同手形の所持人が白地補充権とともに、白地の補
充によつて完全な手形上の権利者となり得る法律上の地位を有しているのであり、白地手
形は右の両者を合せた法律上の地位を化体しているものと解すべきであるから、右の権利
と完成後の手形上の権利との間には連続性ないし同質性があり、従つて本件における前訴
と本訴は訴訟物が同一であるという。
(二) 原判決が指摘する白地手形の所持人の有するこのような法律上の地位は、経済的、
実質的にみれば白地の補充によつて発生する手形上の前身ともいうべきものであつて、そ
の意味でこれを比喩的に潜在的な手形上の権利ないしは一種の条件付権利といえなくもな
い。
しかし手形が厳格な要式証券であり、手形行為が厳格な要式行為である以上、手形上の権
利は法の要求する手形要件が完備してはじめて発生するものであり、事実上はともかく、
法律的な意味において上述の法律上の地位と手形上の権利とを同視することは許されない
ものといわなければならない。
手形法自体未完成の手形と完成手形とは厳然と区別して扱つているのであり、原判決の如
く白地手形の有する法律上の地位と手形上の権利とを同視することは、現行手形法の精神
に反するばかりでなく、従来の手形理論そのものを根底から覆えす結果となり、到底法改
正を俟たずして為し得ることではない。
そこに厳格な要式証券である手形に対し、白地手形は未完成手形であることのその本質に
基づいて越えられない限界があるといえるのである。
(三) 上告人が本件における前訴で敗訴したのは、振出日欄白地の儘訴を提起したため、
右手形は手形要件を欠く未完成の手形であり、いまだ手形上の権利が発生していないから
右手形を以て手形上の権利を行使するに由ないものというにあつた。
そこで上告人は振出日を補充し、改めて本訴を提起した。
白地手形は白地部分の補充があつてはじめて手形上の権利が発生するものなれば、補充前
においては当該手形は法律上手形としての効力を有せず、従つて右の手形に基づき敗訴の
判決を受けたとしても、右判決の既判力は「未だ手形に非ざる手形による請求」について
生じたものであつて、白地部分を補充し「完成された手形」として訴を提起した場合は、
亳も前訴の既判力に触れるものではないとするのが旧くから判例・学説のとるところであ
り(東控民判大正一三年七月二九日、新聞二二九六号二二頁、斉藤秀夫編著注釈民事訴訟
法3三一八頁、大隅 河本手形法小切手法一〇四頁、大森手形法小切手法講座二巻七九頁)、
本訴請求も同様前訴の既判力に何等牴触するものではない。
(四)
既判力は実体的請求権の存否に対する判断に対して生ずるものである。訴却下の
判決は訴訟物たる権利関係の存否につき判断をしないのであるから、その存否につき既判
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力を生じないことは明らかであるが、請求棄却の判決においてもその判決理由中で訴訟物
たる権利関係の存否について実質的に判断せられていない場合は、その権利関係の存否に
ついては既判力を生じない(同旨広島高判昭和三二、二、二〇高裁民集一〇巻二号六三頁)
。
本件訴訟の前訴は乙第一号証において明かなとおり、手形金請求権の存否について実体的
に判断することなく、上告人の請求が手形要件を欠く白地手形による請求であることを理
由にその請求を棄却しているのであるから、その実体は訴却下の判決に等しいものであり、
前訴の請求棄却の確定判決は本訴の訴訟物に対し何等既判力を生ずるものではない。
(五)
また既判力は訴訟物の範囲で生じ、既判力のある限り同一請求について再び訴を
提起しても却下を免れないのであるから、訴訟物が何であるかについての判断は当事者の
意思を考慮し、慎重且つ厳格になされねばならない。
訴訟物を当事者の意思に反して拡大解釈することは、常に訴訟当事者をして予期せぬ再訴
禁止の不利益を蒙らしむる危険を伴なうからである。
更に訴訟物が何であるかの問題と、請求の基礎が何であるかの問題は、訴訟上厳格に区別
されなければならない。
一見同じような争いであり、同一生活事実に基づく利益紛争と見られる場合であつても、
訴訟物が異なることはむしろ通例ですらあるからである。
上告人は前訴において手形に非ざる「未完成手形」を以て支払を請求し、本訴においては
補充し「完成された手形」を以て支払請求を為しているのであつて、右の両者は同一生活
事実に基づく紛争であるといえるにしても、その有する法律的意味は将に無と有の差があ
るのであり、かかる重大且つ本質的な相違があることを見落し、単に訴訟上両者間に連続
性ないし同質性があり従つて訴訟物も同一であるとした原判決は、余りに一面のみを強調
し過ぎた結果事の本質を見誤つたものである。
四、根拠3の検討
(一) 前記昭和四五年の大法廷判決並びに同判決が引用する昭和四一年の大法廷判決は、
白地手形の所持人は未完成手形の所持人としていつまでも白地部分を補充することができ、
そしてそれによつて手形上の権利を行使できることを指摘したうえで
(イ)
白地部分の補充がなくても未完成手形の儘で手形上の権利について時効が進行す
るものとすれば、このこととの比較均衡上白地手形の所持人は白地手形の儘で法律の定め
る時効中断の措置をとり得べきであり、更に(ロ)
白地手形の経済的機能を考え、その
円滑な流通を妨げないようにする見地からいつて、時効中断の目的のみのために早期に白
地の補充を強制する結果となるのは妥当ではない
として、白地手形の儘の手形金請求の訴に時効中断の効力を認めたものである。
(二)
従つて右の両判決は、白地手形における時効の進行と中断との比較均衡及び同手
形の有する経済的機能との二つの観点から白地の儘の手形訴訟に時効中断の効力を認めた
ものと解し得るのであり、更に右の結論を導き出す理論的根底として「時効の中断は、権
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利者がその権利の上に眠つていないことを客観的に明確ならしむる程度の権利行使があれ
ば足り、敢えて相手方を遅滞に陥らしむる程度の権利行使があることまで要しない」
(四一
年大法廷判決における入江、奥野裁判官の補足意見)との考え方があるものと思われるの
である。
(三)
上告人は前述したとおり、原判決は、右最高裁の両判決はその理論的前提として
「白地手形上の権利」と「完成された手形上の権利」に同一性を認めたものであり、両者
間には連続性ないしは同質性があるから従つて両者の訴訟物は同一であるとの立論に立つ
ものであると推論できる、と指摘した。
右の推論が誤りでなければ原判決の立論は右最高裁判決の趣旨を速断し、その判断を誤つ
た独自の見解というべきである。
確かに四五年判決における大隅裁判官の反対意見によつても「白地手形の所持人は、白地
補充権とともに白地の補充によつて完全な手形上の権利者となり得る法律上の地位を有し
ており、白地手形は右の両者を合せた法律上の地位を化体しているのであつ」て、白地手
形による訴」と「完成された手形による訴」との間に何等かの繋り(或いはこれを事実的
な同一性と呼んでもいいのであるが)があることまで否定できない。
しかし同裁判官の右意見にあるとおり、手形が厳格な要式証券であり、また手形行為が厳
格な要式行為である以上、手形上の権利は法の要求する手形要件が完備してはじめて発生
するものであるから、法律的な意味において白地手形の所持人の有する法律上の地位と右
の手形上の権利とを同視することは許されないのであつて、
「白地手形による訴」と「完成
された手形による訴」との間に事実的な同一性があること迄は否定できないにしても、そ
のことから直ちに原判決の如くそれを法律的な同一性までに高め、両者間に連続性ないし
同質性があり従つて両者の訴訟物は同一であると断できるかは、極めて疑問である。
(四)
なぜなら白地手形上の権利と完成された手形上の権利との間に法律的な連続性な
いし同質性があり、従つて両者の訴は訴訟物を同一にするとの考え方を突き詰めてゆくな
らば、白地手形の儘の手形金請求訴訟に対し、相手方を遅滞に陥し入れ、給付判決をせざ
るを得なくなつてしまうばかりでなく、更に本件の如く振出日などは手形要件でないとさ
えいわなければならなくなつてしまうが、この結論は明かに白地手形が未完成手形である
ことの本質を見失い、その限界を越えてしまうものである。
前記最高裁の両判決における多数意見と雖も右の如き結論をとるものでは決してない。
昭和四一年判決の補足意見にあるとおり、白地手形による訴の提起に時効中断の効力を認
めることと、更に手形債務者を遅滞に附したり、或いは手形金支払を命ずる給付判決の効
力を認めることは全く別個の問題なのであるから、両判決が白地手形による訴の提起に時
効中断の効力を認めたことから、直ちに白地手形上の権利と完成された手形上の権利との
間に法律上連続性ないし同質性を認め、両者間の訴訟物は同一であるとした原判決は速断
の誹を免れない。
(五)
右のとおり白地手形による訴の提起に時効中断の効力を認めることは、白地手形
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上の権利と完成された手形上の権利との間に事実的な同一性があること迄は否めないにせ
よ、訴訟物が同一である必要は亳もない。
白地手形における時効の進行と中断との比較均衡論或いは同手形の有する経済的機能を重
視する考え方更には時効制度の趣旨を重視する考え方などから、白地手形の儘の訴提起に
時効の中断を認める理論は容易に導き出せるのである。
仮に原判決のいうように、未完成の手形である白地手形上の権利と完成手形上の権利とは
法律上同一であると解すると、白地手形に関する一連の最高裁判例の白地手形の所持人を
保護するための理論が、その意に反し逆に同所持人の権利を制限してしまう結果になるば
かりでなく、制度本来の趣旨をも没却してしまうことになり、到底とり得ない結論である。
(その他の上告理由は省略する。)
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