家族旅行 - 沖縄県立病院

平成27年 3月号
平成27年3月25日
第167号
沖縄県立宮古病院
広報誌編集委員会
(ぽっぽくらぶ)
院長のことば
三十余年の回想
家族旅行
宮古病院赴任にあたり、6月末の約1週間を家族旅行に充てた。
仕事が忙しく、家庭サービスが十分に出来なかったせめてもの罪滅ぼ
しである。
兵庫県の加古川市から愛車ブルーバードに家族4人で乗り込み、鹿児
島に向けて出発した。その間に広島平和記念公園で原爆ドームや資料館
で胸を詰まらせ、広島球場でプロ野球を観戦し、大宰府天満宮を参詣し
子供たちのことを願い、熊本から阿蘇山に登り、高千穂峡谷近辺の川沿
いを下り、宮崎に出た。宮崎サファリパークでは車の横をノッソリ歩く
ライオンに悲鳴を上げ、鹿児島の天文館近くに最終宿を取った。翌日に
愛車を貨物船で送り、鹿児島空港から沖縄に向かった。
約15年間の本土生活との別れである。
小児科医として
平一小学校に近い民家の2階に居を構えた。
引っ越しの際は、宮古病院会計課長の武島玄興さんを筆頭に大勢の職
員に手伝って貰った。何とアットホームな病院だろと感激しながら宮古
病院のスタートを切った。
当時宮古病院の医師は,内科4名、外科4名、
小児科(私を含めて2名)、産婦人科1名、整形外科1名、
耳鼻咽喉科2名、精神科1名の総勢15名であった。
当直は1人体制で全科を診なければならず大変であった。
ある耳鼻科の医師は赴任した当日に当直で、黄疸と腹水の患者を救急
室で診察した。外科のオンコールに連絡すると穿刺して経過を観察する
ようにと言われ(経験したことのない手技)、患者の手を握って朝を迎
えたというエピソードもある。
開業の小児科医院がなく、小児科外来は1人で週3日を担当し、午後
7時頃終わることも多々あった。仕事終了後は疲れも忘れ、イーザトに
繰り出したものである。
宮古島の出生数が1,000名を超えている時代で、ベビー室には疾患児
や超低出生体重児が多く入院していたが、若い看護婦達も良く働き、一
緒に仕事するのが楽しかった。
小児外科疾患も宮古病院の外科医が手術し、術後管理は小児科医が担
当する時代であった。中部病院研修終了医師や琉大から派遣の若い医師
達と泊まり込みで仕事したのも懐かしい思い出である。また、喘息発作
で救急室を受診するこども達が多く、喘息外来、喘息児サマーキャンプ
などを行った。多くの宮古病院OBの医師、看護師の応援がなければ出
来なかったと感謝している。
宮古・八重山では、小児科医師が不在のため、昭和49年から先島母
子一斉健診が行われていた。夏に東京大学保健学部の平山教授(後に日
暮教授)を中心に健診団が来島し、宮古島のこども達の健診を行うので
ある。以後15年間も続いた。その間に来島された先生方からは色々な
ことを教えて頂いた。
心臓疾患に関しては、平成2年から中部病院小児科の我那覇医師(現
南部医療センター・こども医療センター院長)の多大な協力のもとに年
2回開催されるようになり、現在も続いている。このように多くの人々
の応援を頂きながら離島での医療を行ってきた。
副院長時代(平成13年度~平成17年度)
恩河前院長が「古いけれども清潔な病院」を
スローガンに頑張っていた。
宮古病院創立50周年記念誌発刊、
院内情報誌「はとぽっぽ」の発刊、
地域連携室の設置(県立病院で宮古病院が最初)、
デイ・ナイトケア室・精神科作業療法室の設置、
MRI導入、医局・会議室の整備、
精神科を1病棟に統合、ICUの開設などに
取り組んできた。
多くの職員は、叱咤激励されながら、
先生の強いリーダーシップに引っ張られて、
成長していったと思う。
夜の飲み会も半端ではなかった。
先生の下で、現在正面玄関の左に張り出されている「患者さんの権利」
や右側に大きく掲げられている「宮古病院の理念・基本方針」を平成
17年度に作成した。
その際は、総務課の仲間怜悧さんが委員会の事務局長として、各セク
ションからの意見を取り纏めてくれた。朝会で基本方針を皆で復唱する
時、誇らしくなって気分が高揚する。
経営に関しては数回の経営健全化計画が行われたが、経営状況が好転
することはなかった。
院長時代(平成18年度~平成26年度)
院長に就任した時に考えたことは、新病院の道筋をしっかりと作る
ことだった。
当時の局長から、宮古病院の赤字を3億円に減らさなければ、
実現は難しいと言われた。
宮古病院1病院で年間に約5~6億円の赤字であった。
先ず、診療材料購入費用は同規模の北部病院や八重山病院と比較して
どうなのか検討するように経営課の職員に指示した。その検討の中で、
彼らは東京のコンサルト会社を見つけ、その会社の実績なども踏まえて
「院長やろうよ」と言ってきた。経営改革会議の中で、6県立病院一緒
に契約してはどうかと提案した。それが診療材料縮減プロジェクト
のスタートである。その時の会社のメンバーが合屋さんや小野口さんで
ある。
その頃の県立病院全体の経営状況は最悪で、職員の時間外給与や診療
材料の購入費用を次年度に持ち越す状況までになっていた。
県立病院課の統括監、6病院長で副知事に懇願して、
3年間に毎年約85億円の定額繰入金を約束して頂いた。
その後、平成21年度から平成23年度の経営再建計画を職員みんなで取
り組んだ結果、現在の経営状況まで改善してきた。
このような経営状況の中で、
新宮古病院の計画が進められた。
旧病院の老朽化や狭隘化は、
待った無しの状況であった。
少ない予算の中で、この建物、
医療機器や電子カルテの整備が
できたと思っている。
これも職員一人一人が知恵を絞り努力してきた結果だと感謝している。
新病院移転に関しても、周到な計画のもと安全に執り行われた。
これまで一緒に頑張ってきてくれた職員達を
本当に誇りに思うと同時に感謝で一杯である。
医師確保で苦しんだこと、県立看護大学宮古島教室開所、本永副院長
の研修医教育にかける情熱などにも触れたいところですが、紙面の関係
上できません。
何はともあれ、今の努力が将来の人財確保に繋がると信じています。
最後に
宮古地区医師会発刊の「沖縄県宮古島医療史」でも書いたが、
司馬遼太郎は歴史について「それは大きな世界である。かつて存在した何億
という人生がそこに詰め込まれている世界なのです。・・・私には、幸い、
この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。そこには、
この世では求めがたいすばらしい人たちがいて、私の日常を、励ましたり、
慰めてくれているのである。だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中
を、生きているようなものである。」と書いている。
宮古病院の歴史については、「宮古病院精神科開設20周年記念誌」と
「沖縄県立宮古病院創立50周年記念誌」に書かれている。
それを読み返す度に、諸先輩方と語らい、励まされているような気になり、
司馬遼太郎の言葉を思い出す。
この2誌の中の人々や三十余年に出会った人々から「離島の医療における
格差を少しでも減らしたいとの思い」を貰い、諸先輩方の宮古の医療への熱
き想いや住民の宮古病院に対する期待を感じてきた。
歴史は繋がっていくものである。
宮古病院が上原哲夫院長のもと、新たな歴史を積み上げていくことを期待
しています。
宮古病院長
安谷屋 正明
長い間、宮古病院勤務お疲れ様でした。
砂川美智子さん
奥原智子さん
佐和田多恵子さん 川満美佐子さん
看護部では、今年度4名の方が定年・勧奨退職を迎えます。
長年、看護を通して宮古島・宮古病院のために力を尽くしてくれた方々です。30
年余という長い年月、責任と努力を積み重ね仕事を全うして下さったことに感謝の気
持ちをどう表現すれば良いのかわからないほどです.看護業務を遂行する中で、患者
さんが元気になれば共に喜び、患者さんの苦しみも幾度となく共に感じながら看護を
実践し様々なエピソードがあったと思います。
そこで、退職記念として看護体験を語っていただく「看護を語る会」を開催しま
した。その会では、多くの後輩が心温まるメッセージをもらいました。
砂川さんは転勤や部署替えにより多くの診療科を体験し、印象に残るがん患者の看
護、奥原さんは、新人の頃のつらい体験や育児と仕事の両立、佐和田さんは病気に
なったことやご家族の協力、感謝の気持ちの表し方などを語ってくれました。このこ
とから、仕事を通して得られる喜び、宮古病院の看護師としての志や看護を続ける勇
気と根気など、後輩にとって今後の看護活動の糧となるメッセージを受け取りました。
諸先輩方、長い間ほんとにお疲れ様でした。
セカンドステージの人生が健康で、楽しく、心より幸せを実感できるような日々を
お過ごし下さい。本当にありがとうございました。
先輩方の築いて下さった看護を引き継ぎ発展できるよう後輩一同頑張ります。
4西の新垣智子さんからおと~り回ってきました★
去年の4月に看護師・助産師として宮古病院に入職してか
ら早1年が経とうとしています。入職当初は初めての看護
業務や慣れない宮古島での生活で不安が多く、泣きながら
過ごす毎日でした。ホームシックになり、何度も仕事を辞めて本
島の家族の元へ帰ろうと思いました。しかし、3西病棟のスタッフの皆さん
や先生方、大好きな同期♡の励ましのおかげでなんとか1年を乗り越えるこ
とができました!本当にありがとうございました(^-^)
日々の業務は大変ですが、無事に出産を終え笑顔で我が子
を抱く産婦さんの姿や元気になって退院していく患者様の
姿を見るととても嬉しくなり、また頑張ろうという気持ち
になります!
4月からは新人さんが入ってきて私も2年目・先輩という立
場になります。こんな私が先輩になって大丈夫かな…?と
今から不安と緊張でいっぱいですが、初心を忘れず今後も
成長できるように頑張ります(*^-^*)
この時期になるとお決まりですが、仕事を共にした人達
が異動していくのは寂しくなりますね・・・(泣)
退職者や転勤者の皆さん、宮古病院での勤務お疲れ様
でした。また新たな地での活躍を応援しています!
私のほうはまだまだ宮古を満喫したいと思います(笑)
伊良部大橋が開通して早2ヶ月が過ぎましたが、まだ
行ったことないです・・・。誰かおすすめスポットを教えて
ください!普段は家でダラダラしてることの多い私ですが、
4月からは仕事に、スポーツに、飲みに??一層活力的に
なっていこうと思っている今日この頃です・・・。
編集委員 Y