中央アジアと日本

中央アジアと日本 150706
S.Izumi 中央アジアと日本 •  中央アジアと日本との関係を示す図像
–  パルメット文隅木蓋瓦
•  奈良国立博物館所蔵
•  パルメット文様は中央アジアを発祥の地とする
–  先のパルティアンショットを描いた銀壷
•  正倉院所蔵
•  遊牧民の代表的な戦闘方法
–  パルティア、匈奴、蒙古などが使った
–  阿弖流為の「巣伏(すぶし)の戦い」
–  流鏑馬(やぶさめ)?
–  花鳥の表現
•  左右対称に鳥、樹木、花を配す
•  エデン的な表現
–  含綬鳥と花喰鳥の表現
•  これら咋鳥文は中央アジアから世界に広がったのではないか 銀壺 奈良時代 奈良 正倉院 銀壺 部分 帝王狩猟図盤 “The art and architecture of Persia”より 白瑠璃椀 正倉院 h3p://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/007/128/16/N000/000/003/122378175835516323986.jpg 須恵器 角杯 伽耶 角杯 韓国 国立中央博物館編『国立中央博物館』1986 Rhuton “The art and architecture of Persia”より 新羅 軒丸瓦 飛鳥寺 軒丸瓦 天理参考館 軒丸瓦 天理参考館 山田寺 軒丸瓦 天理参考館 青磁蓮弁文三足盤 中国 南北朝時代 6世紀? 東京国立博物館編 『中国の陶磁』1994 中央アジアとの関わり •  ペルシャ人の渡来
–  『日本書紀』斉明天皇三年(657)七月、吐火羅(とから)国
の男女各二人と舎衛の女一人が筑紫に漂着し、飛鳥の都に迎え
られた。六六〇年、リーダー吐火羅人・乾豆波斯達阿(かんづ
はしだつあ)が妻を残して帰国した。とある
•  井本英一氏 ペルシャ系トカラ人で王族の流れをくむダーラー(ダ
リウス)である。
–  吐火羅 中国における「大夏国」(たいかこく)、「魏書」には吐呼羅国
『隋書』西域伝に吐火羅国という国が出てくる。『新唐書』西域伝には「古
の大夏の地である」と記されている。(Wikipedia)大夏国とは、グレコ・
バクトリアのことで、その後大月氏に占領され、大月氏の中からクシャーン
国が成立した
–  舎衛 中インドにあったとされる国
–  乾豆 カンド 例サマルカンド
–  波斯 ペルシャ
バクトリア 大夏 紀元前3世紀〜紀元前2世紀 h3p://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/07/Greco-­‐BactrianKingdomMap.jpg クシャーン朝 大月氏 1世紀〜3世紀 h3p://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e5/Kushanmap.jpg パルティア 紀元前3世紀〜3世紀 h3p://blog-­‐imgs-­‐68.fc2.com/4/1/5/415100/20140626001317b54.jpg
ササン朝ペルシャ 3世紀〜6世紀 h3p://blogs.c.yimg.jp/res/blog-­‐74-­‐12/houzankai2006/folder/148842/60/53854360/img_0?1369478372