展望台 木下 健 地方小規模理系私立大学 の悩み 本年4月から長崎総合科学大学に参りました 木下健と申します。昭和42年に東大の船舶工学 科を卒業し、大学院を終えた後、横浜国立大学 を経て東大の生産技術研究所で定年まで過ごさ せて頂きました。船舶工学のシステム創出設計 の伝統的教育体系をもとに海洋再生エネルギー 装置や新形式浮き消波堤、さらにヨットや漕艇 に関する研究を思いのまま、気の向くままにや らせて頂きました。 近年は海洋再生エネルギーの社会実装に及ば ずながら取り組んでいますが、そこで今更なが ら人材育成こそが色んな分野で喫緊の課題であ ると思うようになりました。一方、わが国が初 めて経験する人口減少、縮小経済下での技術の 役割について考えるとき、何をもって幸せと考 えるか?というより根本的な問題にも関わらざ るを得ないと思うようにもなりました。そのよ うな時に地方大学の学長にという声を掛けてい ただいたような次第です。 長崎総合科学大学は1942年創立の(財)川南 高等造船学校を前身とし、川南造船専門学校、長 崎造船専門学校、長崎造船短期大学、長崎造船 大学と名称を変更し1978年に長崎総合科学大学 となった大学です。その間、まさに幾多の困難を 2 防衛技術ジャーナル October 2015 先人達の血と汗と、そして愛情により乗り越えて だけでなく他分野も学びやすくしたコース制を きました。本学の教学の総括を担当することにな 導入しています。各工学分野、情報技術に加え り、責任の重さをひしひしと感じながら全力をあ てマネジメントコースまで揃えたコースです。 げて諸問題に取り組んでいるところです。 このことは技術者にとって、特に産業構造が変 実は本学の伝統の実質的創始者である原田正 化しつつある現在とても大事なことなのです。 道先生は私を研究者、教育者として育ててくれ さらに大規模校とは異なり高度に細分化した た東京大学生産技術研究所の教官の大先輩で 専門を網羅した教員陣はそろっていませんが、 す。また昭和57年から平成元年まで学長をな 大規模校では狭い分野に絞り奥深い講義が一般 さった元良誠三先生は私の卒業論文から大学院 です。本学では中心分野だけでなく近隣分野の までの指導教官をして下さった恩師です。大先 大事な基礎概念までも一つの講義に織り込ま 輩、恩師を始めとする大勢の方々が最大の愛情 れ、一般教養として受講する学生にとっては、 を注がれたかけがえのない本学は、現在、生き 実は三倍得な教育を受けることができます。さ 残りを賭けた大改革の真只中にあります。すな らに教育のプロフェッショナルがそろっていま わち貴島前学長が進められた2学部2学科8 す。こじんまりしており、地元の地域社会・産 コース制への移行です。 業との連携、協力を大切にしているので就職指 少子化、人口減少に起因するわが国の産業構 導も大変に行き届いています。根気良くこのま 造の変化に伴ってグローバル化とともに、全国 ま努力することにより、この実態が世間に理解 的には東京一極集中、九州地区では福岡集中の され入学生募集にも結果が出てくると信じ努力 流れがあります。長崎県の中核を成す中小を含 しているところです。しかし、国公立、大規模 めた産業界も否応なしに業種、業態の変化を試 私立大学との競争は大変に厳しいのが実情で 行錯誤している現状です。長崎県の地元唯一 す。旧帝大に代表される最優秀校も大切です の、そして高度成長期を支えた歴史と実績のあ が、産業を考える場合、それを支える人材も同 る技術系私立大学である本学の役割は極めて大 様に大切です。地域振興には特にそうです。す きいといえます。 なわち人材育成には多様性がとても大事です。 そこで本学は「地元の地域社会と基幹産業が 国公立の定員は高度成長期に急拡大したまま 必要とする基盤技術の基礎を確り身につけても ほとんど変わっていません。高等教育の多様化の らう教育を第一とし、地元の地域社会と産業と ための最も簡単で効果の上がる方策は、国公立の しっか の連携、協力を通じて地元に貢献したい」と 定員を高度成長以前、すなわち昭和35年位に戻 思っています。これはもともと本学の建学の理 すことです。そこで余った優秀な教員の方々は人 念です。またここで地元、長崎と謳っています 材不足に悩む地方大学が喜んで迎えるでしょう。 が、この問題は日本国中どこでも通用する話で 優秀な先生が地元に来られると高校生は、なにも あり、さらに世界中で通用する現代の大きな課 遠くの大学に行かなくても地元の大学を選ぶよう 題だと思っています。 本学は1学年200名程度のこじんまりした大 になります。地域振興にとって何よりも必要なこ とは地元に優秀な人材が大勢いることです。 学です。同期生全員を何とか認識できる人数 地域振興・活性化が時代の要請である今日、 で、学内の先生方の名前と顔が覚えられる規模 わが国の近代産業技術発祥の地、長崎の本学は というのは実は教育の場として最適です。わが 最も期待されていると思っています。今後とも 国の教育政策上、唯一最高の成功例といわれて 皆様方のご支援、ご協力、ご指導を賜りますよ いる旧制高校は1学年200名、文理を含む将来多 うお願い申し上げます。 様な専門に進む学生を集めたもので日本各地に 作られました。また本学は2014年より専門分野 (長崎総合科学大学学長) 3
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