『ソフィストケイトされたエネルギー装置とは?』第35号7面

太陽光・風力
エネルギーの源 ⑱
佐藤 建吉
ウインドファームも見学
した。カナダのバンクー
バーにある展望室付き風
車の話題は、本コラムの
③に述べた。
以 上、 概 観 し た よ う
に、イギリスの粉挽き風
「ソフィストケイト」
て、スイスに帰国する留
に出かけた。しばらくし
とは異なり、島国で風況 て、半期
週間にわたり
オランダのような沿岸国 と歴史』という講義とし
あった。それは多岐にわ
対する解決への模索でも
車の技術発展は、課題に
とは、洗練された、複雑
千葉大学大学院工学研究科都市環境システムコース准教授
一般社団法人 洸楓座 代表理事
ソフィストケイトされた
エネルギー装置とは?
Column
いなどの意味を持って使
な、卓越した、単純でな
け、イングランド中を走
ーゲンの中古車を譲り受
学生から、フォルクスワ
ができる。ワットの遠心 0年代、カルフォルニア
技術のルーツを見ること 生かされていた。198
粉 挽 き 風 車 の 中 に は、 も、粉挽き風車の技術が
ではの工夫ともいえる。
近代の発電風車の歴史
変動のあるイギリスなら 行った。
を乗り越えて、洗練され
や構造を導入し、悪条件
った。多様な機構や原理
れが風力発電の技術とな
翌年の滞在では、家族も
挽き臼の回転速度を制御 ァームで稼働したデンマ
調速機は、風速変動から 州の大規模なウインドフ
る迎角を制御する可変ピ
し、回転位置で翼に対す
て き た。 3 枚 翼 が 独 立
たる技術体系となり、そ
われる「今日的」な言葉
を超える風車を訪ね、
り回った。この滞在で、
年前、ロンドン
道連れに風車見学をし、
するために最初に風車に ーク製の風車は、テイル
のブルネル大学に滞在し
の風車を訪ねた
全部で
ッチ制御はデリケート
たことがある。最初の週
で、風車はソフィストケ
末、街の図書館に出かけ
使われていたが、ワット ファンが付いた風向追尾
もにその風車の説明が書
れた粉挽き風車の絵とと
と、ペン画でイラストさ
っ た。 ペ ー ジ を め く る
グ ラ ン ド( 英 文 )
』であ
風車の特徴には、ヨー制
したこと、⑵イギリスの
してタワーミルへの変遷
から、スモックミル、そ
た。⑴初期のポストミル
車の発展の歴史を知っ
こ と が 出 来 る( 写 真 参
な主翼を風向に正対する
を訪ねた。発電風車につ で、高度で専門的な技術
島、沖縄まで各地の風車 複 雑 な エ ネ ル ギ ー 装 置
ン(後翼)の力でも大き 北 海 道、 青 森 か ら 鹿 児 超える部品から成り立つ
して、小さなテイルファ が始まった。国内では、
は、歯車比1対500に えた国内外への筆者の旅
タ ワ ー ミ ル の ヨ ー 機 構 ら発電風車へ見学先を変
したのであった。大きな
いては、アメリカ、デン を必要とするがソフィス
力発電は、1000万を
比較の対象となる原子
たが、お願いして中に入
あった。クローズしてい
ブリックストンの風車で
れている等。これらは、
に主翼にも工夫が、なさ
⑶風をより獲得するため
翼)がついていること、
車( テ イ ル フ ァ ン、 後
最 初 に 出 か け た の が、 翼)のほかに小さな羽根
の話題を、千葉大学の教
現地での体験で得た風車
の意味も持つ。こうして
端緒となった国ならでは
ものである。産業革命の
史」として体系化できる
指すバングラディッシュ あり、洗練されていると
や、エコアイランドを目 ドコストを要する装置で
されたバーレーンの風車 あり、さらにバックエン
つなぐコリドールに設置 策に資金と人材が必要で
訪ねた。ツインタワーを み出すためには放射能対
ンなどの風力先進諸国を 永続的にエネルギーを生
発装置に進化した。
イトされたエネルギー開
かれていた。その絵に魅
御機構、すなわち方向追
照 )。 こ れ は 風 車 の 進 化
マーク、ドイツ、スペイ トケイトとはいえない。
れていただいた。驚いた
の風車、躍進する中国の はとても言えない。
その後、粉挽き風車か
せられて、ロンドンの市
尾する自動制御機構があ
の 物 語 で も あ り、「 技 術
ことに、風車にジェイム
養 科 目 に、
『風車の技術
ルギー装置と認めること
ィストケイトされたエネ
エネルギーの風車はソフ
したがって、再生可能
粉挽き支援技術であり、
が付いていた。ワットの
遠心調速機は蒸気機関の
出力調整のために発明さ
れ、風車の時代にはなか
以降もそれ以
ができるが、原子力発電
は、3・
ないだろう。
と呼ばれることは決して
トされたエネルギー装置
みても、ソフィストケイ
前からの推移を検証して
11
っ た は ず で は? こ の 衝
撃的な出会いが、その後
の私の人生をすっかり変
えた。
まずは、ロンドン市内
の粉挽き風車を四つ訪ね
あげた。その後の毎週末
はレンタカーで風車見学
5枚翼のSibsey Trader Millのテイルファン
ズ・ワットの遠心調速機
ねた。
り、 大 き な 羽 根 車( 主
これにより、粉挽き風
90
内にある粉挽き風車を訪
ンドミルズ・オブ・イン
勘定になる。
私は
である。
15
はそれを蒸気機関に応用 するものであった。
70
て 手 に し た の が、
『ウイ
20
第35号
隔週 月曜日発行
新エネルギー新聞
2015年(平成27年)9月21日
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