生の課題をいただく婆

魔にさえなるのです。このことを気付
かせて下さるのが﹁阿弥陀如来﹂とい
も必要ありません。むしろかえって邪
てが解放され、如何なる世俗的な条件
生の課題をいただく婆
お寺は、私たちが集まって、人生に
於ける方向性を確認し合う場所です。
日々忙しい生活を送っていると、何が
大切で、何を求めているかということ
を見失ってしまいがちです。そこで、
なのです。
う存在であり、その仏さまを安置して
いる場所がお寺
いる場所を正確
私が今置 か れ て
に把握すること
が求められてく
ります。しかし、
お寺には暗い
イメージがある
という意見もあ
るのです 。
決してそうでは
なく、私たちが
生き生きと生き
ていくための空
間として機能し
ていかなくては
なりません。お
寺は単なる風景
真宗寺院の本
ける真実の存在
でも、多目的ホー
堂には ﹁ 阿 弥 陀
です。そ の 阿 弥
を聞くところが
(はた)
く、私たちに用
らき続
る象徴ではな
弥陀如来は単な
如来﹂が安置さ
れています。阿
陀如来の用らき
ルでもありませ
ん。すべての門
信徒が人生の課
会では色々なしがらみに左右され、や
ことを聞くことを意味しています。社
真実なる用らきを聞くということは、
私たちが如何に不真実であるかという
ら、と思っております。
として噛みしめ味わっていただけた
信徒の皆様お一人お一人が自らの課題
題をいただく空間なのです。
どうか、このお寺で聞いたお話を門
お寺なのです。
や窮屈な生活をおくることがありま
す。しかし、阿弥陀如来の前ではすべ
晴国劇
臆三月二十一日
自身のホコリ、罪悪深重の私が見えてく
を重ねて、仏様の光に照らされて初めて
な光が当たるとホコリが見える。お聴聞
でも、婆婆を去るのは嫌だ、恐い。強烈
を棚に上げて平気で婆婆は汚いと言う。
で拾い頂いて、仏法領の物を粗末にして
人は廊下に紙切れが落ちているのを両手
良く使われていた。(第八代宗主蓮如上
う死語と言える﹁仏法領﹂ の語は昔は
ているの感謝の念でお参りするもの。も
た方のお届きのお陰で今、私は生かされ
いが趣味の釣りや狩猟は駄目。信心とは、
を修すとある。殺生は、生業は致し方な
悪・不邪見=よこしまな見方をしない))
不両舌・不悪口・不綺語・不貪欲・不険
業(不殺生・不倫盗・不邪姪・不妄語・
年長者につかえ、慈心にして殺さず十善
慈心不殺
県から4度目の高務哲量師。
第8代門主蓮如上人の﹁仏法を主とし、
花も私を見ている。全てその姿勢でと結
の頂きもの。花を見るで終わっては駄目。
﹁仏心・仏力・仏願力・本願力にて往生す﹂
事に気付く事。次の言葉を覚えてと板書。
阿弥陀仏﹂と彫れば礼拝できる。北陸、
らっしゃるわけではない。墓石に﹁南無
まれた﹂と。死んだらどこに往くのか?
いて。﹁阿弥陀様の願いに出遭う為に生
木長生師は
こその往生と結ばれた。
のお力用を仏願力という。お力用あれば
仏様のお心そのままが仏様のお力用。そ
定例法座
研修バス旅行の申し込み日でもあり、
臆五月
ばれた。
修十善業(父母に孝養し、師、
世間を客人とせよ﹂(註釈版聖典1281P)
る。人間の手が一切加わらない究極の清
はいけないと﹁註釈版聖典﹂P13321筆者)
彼岸会
の言葉を引いて始められた。仏法が日常
浄なる国、お浄土こそが、私が生まれて
私の上に阿弥陀様が用いて下さっている
今回、開通間もない北 陸 新 幹 線 で 福 井
生活の規範ですよと。私達の日々は正反
私のこの身も、あらゆる物全て仏様から
定例法座
往く処だと頂いていくこと。と語られた。
臆四月
対。世間の目、自分の都合 を 主 と す る 。 ケ 全
ては心の ま ま に 〃 ヶ ぁ り の ま ま の 自 分 を
信じてクなど自己中心
の物言いや考えがまか
り通る。これは阿弥陀
仏 の 言葉。私が使うと
我がまま、身勝手でし
かない。合掌の時、ご
利益を求める心が動き
出す。叶わないと宗教
的浮き心で他の仏に参
久しぶりの晴れ。ぶどうの産地山梨県
の小笠原博慧師は満員盛況(実は合葬墓
﹁法縁廟﹂の説明会を控えているためで
もあるが) に驚かれていた。
中部、関西より西は﹁南無阿弥陀仏﹂が
に答えられない人が大多数(会場から﹃お
護持会総会が控えてもいた。埼玉県の青
ヶ人生そのものの問クにつ
圧倒的。墓参は祈念して、それが叶っ
奉軍師長
浄土﹄の声に﹁さすが讃誠寺さん﹂と)
﹃観無量寿経﹄ に孝養父母
てお礼や報告のためと思っている人が多
い。そうではなくて、先に仏様になられ
〉
2
博慧師
小笠原
墓は遺骨を納める場所で、仏様がい
長生師
青木
る。仏 様 を 袖 に し て い
る 。 仏様を尊んでいな
い証拠。この醜い自分
哲量師
高務
〈
2015年7月l日vol.34
2015年7月1日vol.34
ん ) 、 献 花 (安田・家人さん)
た。式典では、献灯(坂口さ
仏壮の合同総会が行われまし
寺 会 館 に お いて恒例の仏婦・
風薫る5月9日(土)讃誠
が功を奏してあっという間の一時間とな
向を変えて食堂における讃嘆会としたの
間をもてあますのですが、今回は少し趣
茶話会では毎年、次の懇親会までの時
れたことは特筆すべきことであります。
しかしながら、高齢化の波は防ぎよ
6名が参加しました。
星原、保泉、菊地、西村、西、村井の
鵜千葉駐仏荻壮年会藤会田
5月20日(水)千葉文化会館にて行われ、
平成27年度千葉組仏教壮年会総会が、
期待されるところであります。
となりました。
が讃誠寺の誇るコーラス部に
うもなく、亡くなられた方を含めて6
名の退会者がありましたが。新進気鋭
の3名の方高橋一郎氏、宮常義昭氏、
永木博生民が入会され、今後の活躍が
今年度の会員数は71名となっており
続く懇親会には30名の方が参加され、
りました。
親交を温めるとともに、仏壮会・仏婦会
よる﹁今ささぐ﹂ の曲が流れ
る 中 、 お ご そかにとり行われ
の健在振りをアピールする会となりまし
に足を運んでいただき、お力添えを賜
力を要するようであります。
その後、若手のホープと目される西
中、わずかHヶ寺に過ぎずさらなる努
仏壮会が結成されているお寺は45ケ寺
総会では前年度決算、事業報告、今
年度予算案、事業計画が審議されまし
た。千葉組仏壮会の活動は関東圏内で
は、注目に値するものでありますが、
りたいと思っております。
また、今年度は連研修了の年で、受
る人選となりました。益々充実した会
にしたいと思いますので、是非讃誠寺
ました。
た。
新人事体制
ますが、総代の大幅な役員改選に伴っ
て、讃誠寺仏壮会にも動きが感じられ
そ の 後 、 一階と二階に分か
れ、前年度決算報告、活動報
れてそれぞれの総会が行わ
告並びに今年度の予算案、活
動計画が審議され承認されま
した。
のであります。
加者は時の経つのも忘れて聞き入った
うすればよいか、酒癖玉は宝物だから、
やたらと人に見せない方がいいという
ような現実に密着した説教とお釈迦様
の時代の仏弟子と親鸞聖人以降の仏弟
子の歩みについての法話が行われ、参
り、曲がった松をまっすぐ見るにはど
弟子としての歩み﹄ と題する講演があ
﹃仏
原龍哉師 (天真寺︰副住職) による
会計監査
〉
講者全員、過去最高の17名の方が修了
談 役
3
讃誠寺仏壮会の人事はほぼ昨年と同
様でありますが、故藤里公一責任役員
相
総会終了後、再び場所を二
事
階に移して、西仁子師による
証書をいただきました。今後は六字の
理
〈
の後を受けて、昨年会長を退かれた星
計
記念講演が行われ、好評を博
会や定例法座のみならず他寺との交流、
門信徒勉強会へも参加いただき、讃誠
寺の新勢力になっていただけるものと
確信しております。
会
顧
しました。毎年外部からご講
原光博氏が顧問となりました。
さらに本年度より仏壮会の理事とし
て、総代兼務の和多滋範、鈴木雅博氏
が加わり、讃誠寺仏壮会は盤石の体制
問
吉田克己、中村隆
片山勝弘
朝原幸穂、山田裕
星原光博
野中登、平山敬介
長谷川興弘、保井弘行
保泉庄平、宮昔勝
五十嵐浩、菊地優
坂口悼、早石和朗
和多滋範、鈴木雅博
大澤藤満、伊藤則久
富永和雄、吉野重蔵
引頭弘昌
香々見善吉、金網照夫
長
会
副
平成27年度役員
長 西村健太郎
会
師をお招きして行われる記念・
講演が本寺衆徒によって行わ
および入退会者
2015年7月1日vol.34
なされていなかった為、準
の40周年に向け、積立金が
①事業においては、3年後
成致しました。
が承認され、無事総会が円
唱和したのち、全ての議案
を賜り、仏教婦人会綱領を
緑の中、70名近くのご出席
仏婦活動に有意義に使いたいと思いま
出来ました。皆様から頂いた収入を
ソコンで手作りし印刷代を浮かす事が
ジュメを若い坊守様のお力を借り、パ
②経費面では、節減の為、印刷物のレ
こみ上がります。
のご苦労が有った事と感謝の気持ちが
御尽力を頂いた多くの役員、会員様方
ひと口に40年と申しますが、礎を築き
ご協力を頂き有難く存じます。また、
備金捻出として売店を狸ま
す。
風薫る新
つりに挙行、その売上げや
③会則の改定を会計2名から3名以下
い、聞き難い真の法(教)を聞く事が
(土)
多くの方々のご懇志を仰ぎ、
で行う事の承認を受け、伊藤紀美枝さ
でき、信心を賜り如来の恩徳の深い事
5月9日
37万近くの大金を積み立て
んが三役に加わる事になりました。
を知った。とお示し下さっています。
なったのも、阿弥陀如来に救われる慶
尊がこの世にお出ましになったのは、
びを賜り、それを一人でも多くの人に
本願寺派布教使、当山衆徒(住職以
﹃拝読浄土真宗のみ教え﹄ の﹁救い
伝え共に慶ぶ為でありました。だから、
唯、無量寿経(ご本願)を説く為であ
を拝読して、信心を賜る
外の僧侶) の西仁子が講師のお役を頂
は聴聞に極まるというこ
私達が生まれたの
り、七高僧や親鸞聖人がお生まれに
頂きました。獲はいまだ
遇い、阿弥陀如来に救われる
とを説か
ぎゃ/ヽとく
のよろこび
していないものが与えら
なる為であり、後に続くいの
のご縁に
は獲の後に得られるの意。
いた日は誕生日でもありました。
ん必ず親鸞聖人も共にいて下さる。釈
お念仏を慶ぶ時は阿弥陀仏はもちろ
③慶はしいかな遇い難い七高僧方に遇
れて恥づべし、痛むべし。
②悲しきかな愚禿鷲、煩悩
る事が出来ました。種々な
④新会員には8名加わって頂きまし
た。会員減少の昨今、一
人でも多くご入会頂けた
ら嬉しい事です。
仏婦活動の一番の目的
はお聴聞ですが、会員の
皆様方に楽しくお仲間に
加わって頂き、ご一緒に
阿弥陀様の智慧と慈悲の
みこころを頂いて参りた
いと思います。
伊藤 万紀子
よゝつと
を共に歩きま
為でありましたと頂いてお念
きました。
雑念ばかりでは聞こえない。
心に感じ素直に聞く。
合で聞くのではない。頭で聞
信じる事(聞即信)。死んだ
に入ってお仕舞いでは余りにも情
〉
4
〈
仏婦活動に多大なるご支援
献柁 家人智恵子さん、安田雪代さん
献灯 坂口惇さん
讃誠寺門信徒待望のク法縁廟〃運用の
り、続いて法縁廟管理委員会より、管理
ものであること等の全体的なお話しがあ
現在の本山(本願寺) はお墓が発展した
説明会開催
らせした通り、4月21日定例法座の後、
規定に沿って具体的な説明が行われまし
準備が整い、先に讃誠寺だより等でお知
讃誠寺会館に於いて説明会が実施されま
た。説明の後、質疑応答がなされました
﹁合葬﹂
説明会は、讃誠寺住職から、法縁廟
けを実施し、多くの方々の申し込みを受
説明会の後、3回に亘り合同の受け付
(申し込み)
有意義な説明会となりました。
が、広い角度から質問が出され活発且つ
した。
当日は想定をはるかに上まわる約
150人の有縁の方々が出席し会場は熱
とはどの様なお墓であるのか?
理しました。
気に包まれました。
は宗祖親鸞聖人のお墓﹁大谷本廟﹂でも
住職様・坊守様・前住職様・前坊守様
からも生前申し込みがありました。
現在は、個別に受け付けており、申し
込み者が続々と増えている状況です。法
縁廟納骨希望者はお寺に連絡し、お申し
込み下さい。
今(この原稿を起こした5月末)法縁
5月19日築地本願寺本堂での
総会に当寺よりH名参加致しま
した。
長くお勤め頂いた前ごー門主様
の妹様の小田切会長から麻布組
工藤会長に変わられました。
木々と共に讃誠寺の庭を彩ることと思い
す。秋には周辺のカエデも紅葉し境内の
加されます。
大会カナダに50名近くの方が参
報告がなされ、全て承認されま
した。今年は4年に一度の世界
総会は粛々と事業報告、会計
ます。法縁廟はお寺の境内にある合葬墓
廟には昨秋移植したつつじが一面に白色
の花を咲かせ風情を醸し出しておりま
として日々の管理が行き届くお寺です。
現在、讃誠寺には境内墓地、讃誠寺浄
致しました。大慈、大悲のおこころの仏
午後には、田中信勝師のご法話を拝聴
1万2千円を納めて参りました。
当日参加者からのダーナ募
金はH万円でした。讃誠寺と
してお預かりしたダーナ募金
苑、光輪堂、法縁廟の4つの墳墓施設が
あります。皆様方それぞれのご事情にあ
わせて御利用下さい。
さまのみ心をきかせて頂きました。煩悩
でいっぱいの凡夫の私たちではあります
が、阿弥陀様の真実のお心に一人一人が
気づかせて頂き、命に目を向けて歩いて
行きましょうとお話しされました。
伊藤 万紀子
〉
5
〈
数百年にわたって行われている日本の伝
統文化の中で培われた形式であること。
2015年7月1日vol.34
6月15目、研修
の梅で漬けた手造り梅干しなどをいただ
カナダ大会
バンクーバーのスティブストン仏教会
入会
つながる私
祖父、父と続く開教億のご住職の美声に
ります。
住職の子宮体
感嘆。﹁狸ばやし﹂をご存知のカナダ婦
き、心さわやかにお寺を後にしたのであ
⋮で生まれた歌
人が懐かしがって共に歌う。
旅行43名は厚木に
昼食は﹁千世倭楼﹂ の懐石料理に舌鼓
ガン克服体験と
後、8研究会
ある法徳寺を訪れ
ました。歴史が必
を打ち、誰しもみなご満悦の様子であり
を交えながら
に参拝。オープンで私達と等身大のご本
ずしもお寺の真価
宮尊徳記念館、アサヒビールの工場を見
発表、大会関連グッ
王の御臨席の
500年の歴史を
を示すものでは
ありませんが、
れているのに、杯を重ねた輩盛者もおり
学しました。ことに試飲は3杯と決めら
は水で乾杯。お土産交換で讃誠寺名入り
解の深まりを感じました。お寺の行事等
河野美春さんは、感動、涙する中で理
じホテル。手を振り合った。
サッカーなでしこや他国の選手団と同
尊!先ずは重警備。ローマ字のふり仮名。
経たお寺にはそれ
ましたが、天候にもめぐまれ、心に残る
の﹁手拭とファイル﹂で会話が弾む。余
積極的に参加し、お役に立ちたい。有意
ました。鈴贋での買物もそこそこに、二
なりの威風という
研修旅行となりました。
興の最後に炭坑節が流れ、次々と踊りに
義な旅とご縁に感謝と。
売。夕食懇親会
ものがります。今
回読誠寺一
でも﹂と!
に
孝子御夫妻のお迎えを頂き、4人全員を
雨の中、羽田空港に責任役員保泉庄平・
参加される方々につい ﹁おおっ1カナダ
(?)
の苦難とお念仏の絆を熱弁。
翌日は日系3世女性開教使が祖父母達
行のため
行ったとい
う平成の大修復では、ご本尊をご
せるお寺の建立にまつわる秘話を
2千人の熱気溢れる大会の一員となり、
村井道子さんは77歳を目前にーして約
頂きました。
有難い事、南無阿弥陀仏です。不思議な
ご縁とご信心の力強さを改めて味わせて
自宅までお送り下さり言葉に表せない程
記した文書が宮殿の柱より発見さ
世界に届くみ教えを目の当たりにして感
4年後、サンフランシスコで閉会。
れたという住職のご説明に一同深
無量と。バンクへ移動。
たカナディアンロッキー
﹃讃仏
心も奪われたと。氷河溶
西仁子
〉
7
〈
安置する厨子の新装を思い止まら
い感銘を受けるとともに、改めて
6月1日、小早川澄子
余間厨子の聖徳太子像も七高層
とコロンビア大氷原に夢
の お 勤 め で は 、 報 徳寺前住職
割りし、満足気に次々振
称名念仏
歴史の重みを感じたのでありま
の掛け軸も新たに配備されたとは
を馳せてただけに、初め
さんは名称は耳にしてい
思えないほど、桃山時代と平成が
て見るティトレイク湖の
す。
みごとに調 和 し た 本 堂 に 、 先 人 の
ターコイズブルーに目も
掲﹄
めでした、これも日頃の精進の賜
る舞った姿が浮かんだ。
がここでウィスキーを水
物でしょう﹂というお言 葉 と 境 内
さまより﹁統制のとれたいいお勤
解水の美味なこと!故西
讃誠寺住職調声による
御苦労を忍 ん だ の で あ ります。
2015年7月1日vol.34
お二人のお優しい事、色々なお話を伺
難く、﹁お寺﹂ の意識が少し変化があり、
えず﹁ナンマンダブツ﹂﹁ナンマンダブツ﹂
に入らないと言った様子で家の中でもた
大変熱心な母は、仏様以外には何も目
がら少しずつ歩んで来ました。現在コー
すが、先輩方の色々なお話に耳を傾けな
頂くことに⋮。もう二十年近くになりま
ながら、お便り折りのお手伝いをさせて
三願とは第十九願、第二十願、第十人
すが、そのうちの一つである ﹃観無量寿
浄土真宗の聖典は浄土三部経でありま
母の思いに応えるべき何か私にも出来る
と唱えていました。私の実家も同じ浄土
ル讃誠寺・門信徒勉強会に励んでいると
願でありますが、そのうち ﹃観無量寿
いながら安堵感を覚えた事が思い出され
真宗ではありましたが、お寺が少し遠く
ころです。コーラスは清らかな歌声に聞
事があればの思いで坊守様にお話を伺い
であった事もあり、お寺に出入りするの
いている時はよく涙しました。母の恩が
往生でありますが、それは今まで何気な
ます。そこに誓われているのは諸行自力
ます。
も何年に一度位の有様でしたので、母の
で清々しい。そして勉強会は、私には少々
胸にしみてお詫びの心が洗い流される様
仏縁﹂
私が讃誠寺をお訪ねしたのは、結婚し
は確かでした。仕事の多忙さに言い訳ば
思いは少なからず私には重荷であったの
かりでした。
と思いながらも今漸くねむくなる事もな
難しく選択を間違ったのかも知れない?
なっていくというものです。来月からは
立ち、自分の人生について考えるように
く日々を送っていた者が、初めて仏道に
に説かれているのは第十九願であり
にご挨拶に行きましょう﹂と促されお参
くお話が聞けるようになった事がうれし
経﹄
ついていただいて参りました。
に入る前の下準備として三願転入に
て木更津 の 地 で 生 活 を 始 め て 三 年 日 頃 の
経﹄
事、九州よ り 母 ( 義 母 ) が上京し、﹁一緒
りに行き、前ご住職、前坊守にお目にか
母の思いを受け止める事もなく時が過
ぎ、平成八年五月患って入院退院を繰り
己さんを入れて、3組12名でスタートしまし
た。今回は久しぶりに新ペl)ヤ方式(かく
しホール6×2)で行われ、合戸さんが(グロ
ス100ネット72.4)で優勝しました。合戸さん
くのであります。是非お出かけ下さいま
を﹁如是我聞﹂、私のこととしていただ
いよいよ本題に入ります、王舎城の悲劇
かりました。(母は九州より時々、お手紙
ずい分速まわりの仏縁でありました。
○
した。二年程の私達との生活でした。勿
返していた母が、如来様の元に旅立ちま
ヽ↓
それ迄幾度となく手紙や電話の折、お参
を差し上げていた様です。私達夫婦は、
が今始まったばかり、と頂いています。
らいのひとときをすごしました。
論仕事も退職し、介護にそなえました。
終了後はおなじみの「魚民」で楽しい語
りに行く様に促されて来ました。それに
今回は初参加の大村幸雄さん、城野博
せ。
ん、3位は富永さんでした。
(精進出来ますよう頑張ります。)
ほうびだったのでしょうか?2位は永木さ
葬儀を讃誠寺にて執り行って頂き、何も
だいたばかりでやはり阿弥陀さまからのご
合称
は㌻先日、京都本山まで歩いて法名をいた
もかかわらず、一向に動かぬ息子夫婦に
中でショットを楽しみました。
〉
緑 敏子
わからぬ私達に優しく教えて頂き有り
ベルグリーンで行われました。快い春風の
8
木更津市真里
業を煮やしての事だったと思いますが)
第47回ゴルフコンペは、4月1日に君津の
〈
2015年7月1日vol.34