コンピュータとの出会い

エッセイ09
コンピュータとの出会い
人が何かを始める時には、いろいろなきっかけがある。私は、昭和60年頃からコンピュ
ータとつきあい始めてきたが、そのきっかけはあまり褒められたものではない。
私は、どちらかと言うと新しい物好きな人間で、物を作ったり機械いじりが好きな方だ。
当時、富士通のオアシス・ライトというワードプロセッサが発売され
たが、真っ先にこれに飛びついた。当時の価格で約22万円、液晶画面
に表示される文字数がたったの8文字という代物だった。キーボード
は、親指シフトと言ってシフトキーを押すと、入力文字が切り替えら
れる方式だった。これを手に入れた日は、マニュアルを読みながら徹夜した記憶がある。
私は物を買うと、まず説明書やマニュアルを一通り最後まで読んで、そのおおよその扱い
方を頭に入れる。その次に、実際に操作をし行き詰まると、またマニュアルを読み返すと
言う方法を採っている。
さて、このオアシス・ライトだが、文書をプリントアウトした後で入力ミスを発見した
時が大変だった。何せ表示文字数がたったの8文字である。入力ミスの箇所を探し出して、
そこに辿り着くまでに大変な時間と労力を要すのだ。また、作成した文書をDISKに保
存する方式ではなく、普通の録音テープに保存する方式だった。保存する時は、ピピー、
ガガー、ピピー、ガガーとうるさい音がした。また、後で文書を呼び出す時の準備として、
テープのカウンターをメモにとっておく必要があり、今では考えられない不便さだった。
しかし、当時はこれがワードプロセッサの最先端の機器に間違いなかった。
年度末も押し迫ったある日、同じ職場の大沢さんに、「一度、家に遊びに来ないか」と
誘われ、私は彼のお宅にお邪魔することにした。彼は、大きなお寺の跡継ぎでとても趣味
が広く、その頃無線とかいろいろなことに手を染めて(?)いた。彼に案内されて部屋の
中に入ると実にいろいろな物がある。彼の部屋の中を珍しそうに見回していると、今まで
見たことがないような四角い箱の上にテレビが置いてあった。「このテレビどうやって見
るの?」「これはテレビではなく、コンピュータだよ」「へえーっ、これがコンピュータと
言うものか・・・・・」
私は、それまでに『コンピュータ』とか『パソコン』という言葉は、聞いたことがあっ
たがそれがどんな物かは知らなかった。興味深そうにそれを眺めていると、「こうやるん
だよ」と、彼はコンピュータを起動させ、あるゲームの画面を出してくれた。何とそれは
麻雀ゲームだったのだ。麻雀が好きだった私は、ほぉーっ・・・!!!一人でも麻雀がで
きるんだ・・・!!
コンピュータの麻雀ゲーム(配牌画面ドラ→東)
コンピュータの麻雀ゲーム(あがり画面満貫)
その日から何日か後、私はおよそ50
万円近くの預金をコッソリと解約し、PC-8801MRというコンピュータを購入して
いた。当時の価格でPCが約260,000円、モニターが約160,000円、プリンターが約90,000
円くらいだったと記憶している。しかし、この時このコンピュータで動くのは、彼からも
らった麻雀ゲームのフロッピー1枚しかなかった。