People 10 2015.1.28 渚の風 3号 ■福祉アナリスト 藤井円さん(43) 福祉に携わるすべての人が 幸せになれるように 長年にわたって介護現場で積んだ経験を生かし、「福祉アナリスト」として活躍す る女性がいる。フリーのケアマネジャーで、介護施設設立などのコンサルタントを務 める「HAPPY LEAF」(大阪府茨木市)代表、藤井円さん(43)だ。人材確保のコ ツや営業の必要性を説き、「福祉に携わるすべての人が幸せになれるよう、手助けし ていきたい」という。 (文 山田淳史/写真 陶器浩平) Text by Atsushi YAMADA / Photo by Kouhei TOHKI の印刷物に、そんな言葉を盛り込んだ。 商社の営業から福祉へ 翌年、自らを「福祉アナリスト」と命 藤井さんは短大を卒業後、商社で営業 名した。「アナリストといっても分析す を担当していたが、ハードな仕事だった るわけではないんです。福祉全般につい ために体調を崩し、約2年半で退社。自 て、ある程度答えられるようになりた 宅療養中に次の仕事を考えていた 1997 かったのでそう名乗ることにしたんで (平成9)年、介護保険法の存在をニュー す」。実にインパクトのある肩書きだ。 スで知ってひらめいた。『福祉ならば、 今から始めても通用するようになれるか 福祉と飲食店は似ている も』。それまでまったく知らない世界だっ 2児の母で、家事は午前中に済ませ、 たが、当時国内では先進国の北欧に比べ 仕事は午後から。大阪府内だけでなく、 て未成熟の分野だったからだ。 東京都や名古屋市へ出張することもあ さっそくホームヘルパーの資格を取得 る。手数料と出来高払いのスタイルで、 「HAPPY LEAF」を立ち上げ福祉アナリストとして活躍する藤井円さん 枯れている」 そんな施設は人間関係がギスギスして まぜこぜが成熟の風景 し、堺市などの介護老人保健施設で計7 入居者を獲得して経営を安定化させた いて、やがて職員が辞めていく。しかし さらに「営業」の必要性も説く。福祉 年間勤務。介護福祉士やケアマネジャー り、業務計画の改善をアドバイスしたり 大切なのは現在勤めている職員を辞めさ に違和感のある言葉かもしれないが、営 の資格も取り、専門家としての道を究め するプランを用意し、経営者や現場の職 せないことだという。 業をしていた藤井さんにとっては当たり ていった。17 年に入社した施設運営会 員らと接している。 「不満を抱え、トラブルメーカーになっ 前。看板がなかったり、パンフレットが 社では営業や広報を担当し、グループ 双方の言い分を聞いて誤解を解消する た職員にはさっさと辞めてもらったほう 10 年以上前のままだったり。インター ホームの館長も務めたほか、施設の新築 のも仕事だ。異業種から参入したケース がいいという考え方もあります。しかし ネットが普及した今もなおホームページ にも携わった。 も多いため、介護したい気持ちはあって これまでの経験から言うと、どんな職員 がない施設もある。 もやり方を知らない職員が施設で働いて でも辞めさせないよう施設のトップが努 施設と地域とのつながりも大切だとい いることもある。 力をする方が確実にその施設はよくなり う。「これまでは施設に入れておけば安 「福祉アナリスト」と命名 こうした経験を生かして 25 年に独立 「福祉って飲食店に似ています。温か ます。周りの職員は施設側の対応を見て 心という時代でしたが、社会の高齢化が し、自宅兼事務所の「HAPPY LEAF」 い雰囲気の店もあれば、店員がテーブル いるからです。求人に金をかけるぐらい 進み高齢者、要介護者が増えて地域で支 を立ち上げた。『葉にうるおいを与える に全然来なかったり、注文した料理がな なら、その金を使って職員と食事に行き、 えることが求められるようになってきま ひとしずくのように、高齢者の入居施設 かなか出て来なかったりする店もあるよ コミュニケーションを図る方がいい。新 した。地域にまぜこぜにいてみんなで支 支援を通して、みなさまのココロにしっ うに。うまくいっている施設は花の手入 規採用よりよっぽど建設的です」 えていく、そんな風景が一番成熟した状 とりと沁み込む力になりたい』。PR 用 れがされていますが、そうでない施設は 書評 変革の盾 態といえるのではないでしょうか」。 (発行人 第一生命保険株式会社・非売品) 冒頭、「〈新創業〉から始まる新たな とされるのが相互会社であり、相互主 果たしたかが詳述される。保険会社の 著者は『今日、日本人が失いつつある 物語‐まえがきにかえて」から、著者・ 義とは「契約者が第一である」という 社会的使命は「保険金支払い」をまっ 美徳を宿す希有な企業だ』と記してい 高橋利雄氏の言葉を引用すれば、『第一 企業精神のありようを表しているとい とうすること。関東大震災発生時の生 る。 生命は、組織そのものが社会貢献を目 う。日本の生命保険業界の指導者だっ 命保険会社協会理事会会長は矢野恒太、 的として設計され、本業そのものが社 た恒太の誕生(慶応元〈1865〉年)から、 阪神淡路大震災と東日本大震災発生時 東京本社DSR推進室担当・餌取寛大 会貢献』だという。その言葉通り本書は、 明治 35 年の第一生命創業、第四代社長、 の生命保険協会会長も当時の第一生命 氏(直通☎ 050-3780-6954)へ。 創業者・矢野恒太から現在まで利益至 矢野一郎に至る成長期を第一部で描い 社長が務めており、業界を指揮する立 ている。その間、恒太は『我が社の本 場にあった。社が大切にしてきた「お 約者に安心を届け続けてきた第一生命 領は最大の会社足らんとするにあらず 客さま第一主義」という精神が震災時 の 112 年間にわたる社会貢献の物語と して、常に最良の会社足らんとするに には業界全体にも広がり、保険によっ なっている。 あり』との言葉を残している。 て被災者を助け業界の信頼を守った。 創業者・矢野恒太は日本初の保険業 第二部は関東大震災(大正 12 年)、 第三部では健康、スポーツ、芸術に 法を起草し相互会社の規定を盛り込ん 原爆投下と敗戦(昭和 20 年)、阪神淡 おける社会貢献が紹介されている。そ だ。これにより相互主義に基づく生命 路大震災(平成 7 年)、東日本大震災(同 んなところでも第一生命は社会貢献活 保険会社の誕生をもたらした。「契約 23 年)という日本の危機ともいえる状 動と広告宣伝事業に一線を引き、陰で 者を社員とし、利益は社員に帰属する」 況下で、第一生命がどのような役割を 支援することに全力をあげるという。 高橋利雄著、加藤恭子監修 ﹃第一生命 変革の盾 生命保険業界の先駆 による社会貢 献事業の通 史﹄ 上主義ではなく、生命保険によって契 閲読希望・問い合わせは、第一生命 (文 山田淳史)
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