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レポート
企業と社員を取り巻くストレスを考えるシンポジウム
2015 年 6 月 12 日開催の企業と社員を取り巻くストレスを考えるシンポジウムでの、講演
内容についてのレポートです。
◆シンポジウムの概要とスピーカーは次の通り。
近年働く人々のメンタルヘルス不調者が増えてきたことを受け、今年 12 月から「ストレスチェック
の義務化」が決定されました。
不調者を出さないことは当然のこととして、この機会をさらに前向きな取り組みに変えていくことを
提案するために、このシンポジウムを企画しました。
働く人々のメンタルヘルス不調の原因の 8 割以上が職場の人間関係だというデータもあるように職場
環境が大きく影響を与えています。その個人と職場の関係を正しく把握し、手を打つことで、未然に
防ぐと同時に個々の能力を引き出し、より高い成果へと導く取り組みです。
今回、ストレス学の祖であるハンス・セリエ博士に師事され「性格とストレス」を研究し、FFS 理論
を提唱された小林惠智博士と、企業の産業医を経験され、経営学を学び、医学博士となり、今、公衆
衛生学の助教である江口尚博士をお招きし、企業経営、組織運営の視点から、『ストレスをどう考え
ていくべきか』のヒントを頂きました。
小林 惠智 博士(組織心理学者、経済学博士、教育学博士)
江口 尚 博士
Dr. Keichi Kobayashi
Dr. Hisashi Eguchi
一般社団法人 組識人事監査協会 会長
社団法人経済同友会 幹事
1950 年生まれ。国際基督教大学を経て、ウィーン大学基
礎総合学部哲学専修科(修士課程)修了。モントリオール
大学国際ストレス研究所で専門研究員。ストレス学説創始
者ハンス・セリエ博士のもとで「ストレスと性格特性」に関す
る研究に従事。フロリダ州立大学社会心理学研究室で実
験心理学を専修。教育学博士。ノースウェスタン大学組織
経済学研究室、組織および教育経済学研究および客員教
授。経済学博士。米国・国防総省(ペンタゴン)国際戦略研
究所 組織戦略・組織編制専門研究員として「最適組織編
成プロジェクト」に参加し FFS 理論(最適組織編成の為の
個性分析と組織編成法)を提唱した。
主な著書
「企業ストレス解体新書」(ダイヤモンド社・凸版コミュニケー
ション研究会編)、「パワーストレス」PHP 出版、「セルフ・コ
ーチング」PHP 出版、「組織を変える、社員を変える、会社
が変る」中経出版、「4行日記」などの他著書・論文多数。
北里大学医学部公衆衛生学 助教
2001 年 産業医科大学医学部医学科卒業
2008 年 大阪府立大学大学院経済学部研究科前期課程
経営学専攻修了
2013 年 信州大学大学院医学系研究科修了
職歴
2001 年 5 月 福岡徳洲会病院臨床研修医
2003 年 6 月 財団法人京都工場保健会
2004 年 6 月 産業医科大学産業生態科学研究室産業保
健経済学研究室
2005 年 4 月 エクソンモービル有限会社医務産業衛生部
産業医
2010 年 5 月 京セラ株式会社滋賀蒲生工場 産業医
2013 年 8 月 北里大学医学部公衆衛生学
所属学会
日本産業衛生学会 日本公衆衛生学会 日本疫学会 信
州公衆衛生学会 日本経営行動科学学会 日本産業精神
保健学会 日本ストレス学会
小林博士の講話
1,そもそも『ストレス』とは?
議論を始める前に、そもそも「ストレス」という言葉を誤解している場合が多いので、
ここで確認しておきたいと思います。
ストレスとはもともと冶金学(金属工学)の言葉で、『外圧による歪み』、もしくは『歪
みを与えた原因』のことです。ストレス(外圧)自体に「いい悪いがあるわけではない」
ということをもう一度しっかり認識していただきたいのです。
人間は生きる過程で日々様々な外圧を受けるので、ゆがむことは当たり前であり、問題
は「ゆがんだまま元に戻せなくなること」なのです。
例えば、金属の棒をたわませた場合、手を離すと真っ直ぐに戻るように、ある程度力が
かかっている状態であれば元に戻すことができますが、元に戻せないほどの力がかかると
棒は曲がってしまい、二度と真っ直ぐに戻すことは難しいということがあります。人間に
起こる影響も同じような過程を通るので、〝元に戻るたわみ〟のうちに何とかすることが
必要になります。
もう一つ重要な点として、特に生理学的なストレスだけでなく、心理学的なストレスに
ついて考える場合には、その個人が『外圧』を『外圧ととらえるか?』という問題が生じ
ます。例えば、ひとくくりに長時間労働といったとしても、西洋的な考えでは、
『労働は懲
役』となり、なるべく少ない方がよいとされ、東洋的な考えでは『労働は美徳』であり、
時間をかけて一生懸命働くことは賞賛される場合があるのです。
つまり、同じ時間働いたとしても、それを『外圧』と捉えるかどうかは個々人が持って
いる価値観と個性に関わってくるということになります。
2,
『ストレス』をどのように扱うか。
ストレス(外圧)によるゆがみ方に個別性があるということを前提に考えると、同じス
トレス要因(ストレッサー)でも、人それぞれ捉え方が異なるということが重要になりま
す。人間は外圧に対してのホメオスタシス(恒常性維持機能)を持っていて、恒常性を破
綻させずに、外圧に順応していくことが人間を成長させることにつながります。つまり、
『過
剰なストレスが問題なのであって、ストレスが無いから(ゼロだから)うまくいくという
ことではない』のです。適度なストレス状態が向上心や成長につながるのです。
では、個人としてストレスとどのように向き合っていけばいいのでしょうか?
個人に悪影響を与えるストレス(外圧)と考えられるのは、『個人として出来ること、出来
そうなこと』と『会社から期待されること』にギャップがあることが、一番の過剰なスト
レスになるのです。
例えば、情報を集めながら慎重にコトを進めていき、皆が使いやすい仕組みに仕上げる
ことが得意な人に、
「誰も考えたことがないような斬新なアイデアを出して、新規事業を立
ちあげてくれ」と期待された場合です。「向き/不向き」で言えば、「向かないこと」を期待
されている状態と言えるでしょう。
とすると、個人として出来ることは『自分を知って、自分をどのように活かしていこう
とするか』自ら考えることです。会社や上司から、本人の強みや弱み、価値観を無視して
単に与えられた目的、目標だけでは成長しないのです。場合により、ギャップを感じつつ
も期待に応えようと頑張れば頑張るほど、悪いストレス状態に追い込まれるのです。
従って、
『自ら自己理解を深めて、会社や上司に自ら強みや活かし方を伝えて、会社の方
針と擦り合わせた上で、自らが定めた目的・目標が必要になってくる』のです。
同時に『私はどういう行動が出来ているのか。私の弱みは強みの裏側にあるんだという
自覚と同時に、強みを活かして、弱みを仲間に補完してもらえているという自覚』が必要
になってくるのです。
一般的に管理職になった人は、
「自分の成功したパターンやモデルは普遍性がある」と思
ってしまい、それを部下に押しつけてしまうことで、部下を悪いストレス状態にしてしま
う可能性があります。従って、人を育成していく立場にある管理職は、個々人の思考行動
と実際の行動やパフォーマンスには因果関係があり、思考行動の特性を活かした方が、結
果が出やすいということを理解することです。
そして、部下の思考行動特性を把握し、部門としての成果につながるように整合性をと
っていくことが、会社として取り組むべき課題といえるのです。
3,ストレスチェックを企業としてどのように扱うか
「ストレスチェック」は義務化されましたが、国の方針なので特に何も言う立場にあり
ませんが、企業側がこの「ストレスチェック」をどのように活用しようと考えているのか
は重要です。例えば、このストレスチェックで『社員(個人)を守りたい』のか、
『会社を
守りたい』のか、まず考える必要があるでしょう。どちらを選ぶかで、対策のアプローチ
が大きく変わるからです。
「病人を出さない(なる前に止める)ため」にストレスチェックを行うのであれば、十
分に意味があると思っています。
しかし、産業医等が関与するため「病人と認定されて休む機会(お墨付き)を与えて、
休ませて、復帰の機会を与える」という二次、三次の対策が重点になるのであれば意義が
あるとは思えません。実際に休職後、復職がスムーズにおこなわれているというケースは
稀なのです。
従って、
「会社が取り組むべきこと」は病気にならない(させない)ようにすることです。
その取り組みを推進するつもりであれば、「ストレスチェック」は有効に活用されると思い
ます。
私の立場では、
「病人を出さないようにする」ためには、前述しましたが、会社側(管理職
も含む)が、本人の強みや本人が描いた活かし方を把握し、それを活かしていくことなので
す。決して、
「会社側の期待」と「本人の出来ること」にギャップを生じさせないことです。
さて、同時に個人のレベルで考えてみましょう。休職扱いになっても面倒を見てくれる
会社はありがたいものです。しかし、自分の周りに休職する人がいたら、どう感じるでし
ょうか?「周りに迷惑をかけて欲しくない」と思うでしょう。であれば、
「病気になる前に
お互いに助け合う、救い合うこと」が、結果として本人にもメリットがありますし、組織
の生産性を高めていくということにもつながるのです。
最後に、私は「個人のために会社がある」のか、
「会社のために個人がある」のか、どち
らかに偏った見方をする時代ではなく、個人と組織が Win-Win になっていくような捉え方
をする時代になったと思っています。つまり、社内、社外における競争の消耗戦から、共
創、協調へ。
なにも、
「経営戦略の話」をしているわけではなく、普通の社員としても、少なくとも安
定して、いい線行っていて(社会から評価され)
、後ろ指を指されない会社に勤めていたい
とすると、今回の義務化を一つのタイミングと考えて、経営側も社員も「どのように理想
的な状態に向かうのか、目的を考える必要がある」と思います。
江口先生の講話
1,厚労省はどう考えているのか?
まず、具体的なことは厚労省の HP に随時アップされていますので、そちらを参照くだ
さい。
※改正労働安全衛生法に基づく、ストレスチェック制度について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei12/kouhousanpo/summary/
今回の厚労省の目的は『職場のストレスに関して一次予防を行っていく』ことが明言さ
れています。さて、
「一次予防」
「二次予防」
「三次予防」の考え方の概略をまとめると、以
下のようになります。
「一次予防」→そもそも病気にならないためにどうするのか?
「二次予防」→病気になった人を早めに発見するには?
早めに治療して対応するには?
「三次予防」→治った人がもう一度ならないようにするには?
一次予防は『病気にならない環境』を整えることです。
『個人の問題だけではなく、職場
にも一定の責任がある』と厚労省は考えています。
また同時に厚労省が一番危惧していることは、ストレスチェックの結果が〝不利益な個
人情報〟として利用されてしまうことです。
『労働者が問診票を記入して、その情報が事業
者に漏れになってしまうと、労働者が素直に書かないのではないか?』という懸念もあり
ます。
経営側は本人の同意なくストレス調査の結果を見ることもないし、自分の結果を産業医
に見てもらうことで不利益を受けることもない、という労働者が経営側を信頼する風土作
りが求められているのです。
『実施者(労使で定めた安全衛生委員会)から直接受験者(社員)に通知し、受験者(社員)の
同意なしで事業者(会社)への情報提供は不可』ということは決められているのですが、そも
そも会社と社員の間で信頼関係を築けていないということが問題であり、そのための準備、
事前の説明を行っていくことが必要になるでしょう。
2,産業医、学会などはどのように考えているのか?
「ストレスチェック」の診断は推奨という形です。
「これでなければならない」というも
のではありませんが、学会のスタンダードであり、調査結果に基づいた職場介入による改
善などに一定の成果が認められている項目です。
ただ、学会でも、部分的な職場介入による一定の成果を求めるだけではなく、経営理念
や企業風土といった「職場環境の元になるような概念について働きかけていく必要がある
のではないか」という流れにはなってきています。
もちろん、より深いレベルで企業の職場環境の改善に踏み込むためには、当然ながらノ
ンヘルスセクター(産業保健職側(ヘルスセクター)から見た人事や労務、経営企画など
の経営側のこと)の協力が不可欠になります。その意味で、まだ関心が高いという訳では
ありません。
また、産業医の中にはメンタルヘルス対応を苦手に思われている方もいらっしゃいます。
各々の産業医がどのような立場で「ストレスチェック」に関わろうとしているのかについ
て、企業毎に、今後もっと話し合っていく必要があると思います。
3,産業医と経営が連携していくには?
ただ、経営側と産業保健職が互いに協力していくとしても「手続き上、実施者(産業保
健職側)が直接集めた情報をマクロ的に集計(誰々が不調だとかわからないようにする)して、
会社側へ提供する形になりますから、産業保健職側が「ストレスチェック」の結果を基に
経営サイドと話ができる分析能力、現場の業務を知っているか、という問題もあり、簡単
に運ぶテーマではなさそうです。
私は「メンタルヘルスと業務生産性に関連があるということが認識できるデータを提供
すれば、経営側も関心を示す」と思っています。そのため、試行段階で、個人的な活動の
域を出ていませんが、多くの企業にご協力をいただき、独自の調査や経営者インタビュー
をおこなうことで、企業間の統計比較をしています。
今後、人事部門は、産業保健職を巻き込んで、ストレスチェックの結果を個人へフィー
ドバックするだけではなく、組織全体の働きやすさ、職場改善、経営改革などにつなげて
いくかということを考え、積極的にアプローチしていくことが求められているでしょう。
パネルディスカッション
・経営者との信頼関係が組織風土や職場のストレスにあたえる影響についてどう考えれば
よいか?
小林:突き詰めれば、それも経営者と社員という「組み合わせの問題」といえるかもしれ
ない。
江口:個々の組み合わせを全て見ていくわけにはいかないので、
「組織として見ていく」見
方も必要ではないか?
・ストレスを組織毎に平均しても明確な指標にならないのでは?
江口:調査票を集計してデータ化していくというのは、やり方としてやりやすいというの
があります。あと、過去の知見があるのでそれに基づいた判断を下すこともできます。も
ちろん質的なインタビューと量的なデータ、双方が必要になるでしょう。
質的なものを得るために「安全衛生委員会」を活用するのは、情報収集しやすいのではな
いでしょうか?
小林:情報としてはどちらも必要になります。ただ、情報を収集するだけではなく、それ
に基づいて意志決定をするには価値軸が必要になります。結局、
「いい会社とは何か」を問
いかける必要があると思います。
江口:健康管理の部門は面談をするのが仕事。その情報を有効に使って欲しい。経営側も
「ヘルスセクター」の位置付けを改めることを考えた方がいいと思います。ただ、産業医
の先生個々の考え方によってしまうのが現状であり、面談内容がフィードバックされてい
ないのが残念に思うことがあります。
会場からの質問にも回答していただきました。
・「ストレスチェック」は、具体的に企業内でどのように取り組んでいけばいいのでしょう
か? 組織改革や変革に向かうのか、それとも「健康診断の心理版」で終わるのでしょう
か?
江口:関心を持っていた企業はもうすでに取り組んでいます。関心がなかった層はこれか
らやっていかなければなりません。
個人のセルフケアは当然としても、
「メンタル不調者を出さない」ために職場環境の改善と
いう組織的な取り組みも必要です。これまで取り組んでいなかった経営者が関心を示すよ
うな情報を提供して、取り組みたくなるようにしていく必要があるしょう。
当然そういった下準備が足りないと拒絶反応がある。私自身の調査過程でも、社長が調査
への協力に前向きであっても、社員から拒絶反応があり、調査を断られた場合がありまし
た。
小林:トップの意識が変わる必要があるでしょう。
「10 年後の経営」について考えているか
どうかによって、この情報をどう扱おうとするかも変わります。人事側も経営者に「義務
だからやる」というのではなく、組織改革につなげていくという目的、成果を結実させる
という提案にしていく必要があると思います。
「個人情報として守秘される」ということですが、人事部門が知らないままで、本当に解
決していけるものですか?
江口:もちろん守るべき部分は守る必要があります。但し、産業医が「これは人事部門と
相談しないと解決が難しい」と判断した場合は、本人の承諾を得ることも前提に、人事部
門と共有することは必要だと思います。ケースバイケースでしょう。そうじゃないと、そ
もそもこの制度自体が機能しないと私は思っています。
小林:個人情報は誰もが隠したいものなのでしょうか?
「自分自身の情報(弱みとして)を上司に知られると不利益を被る」と思っている場合は
問題になるでしょう。
「組織と個人が Win-Win の文化を創ろう」という方向に向いている
ことが大事です。言い換えれば、〝弱みをさらしても損をしない集団〟になろうというこ
とです。
ただ、これまで情報共有等を全くやっていない会社が、この制度に取り組むにはかなり抵
抗される可能性があるでしょう。準備が必要になりますが、経営改革のステップワンとし
て有効に活用すべきではないでしょうか。
用語説明
●ストレス:
本来、物理学では、一つの「系」に加えられた圧力、張力、緊張を意味する言葉で、金属工学では、金属の強度の検査
などで「歪み」を起こすさまざまな力や反応を意味していた。1927 年、アメリカのウォルター・B・キャノンが生化学
現象に用いたことで用語として広がり、1935 年、カナダの内分泌学者ハンス・セリエがその論文「全身適応症候群」の
なかで用いてからは、セリエのいう「ストレス」が、現在一般に使われている意味でのストレスの語源となり、人間の
身体的不調の仕組みを考える上で不可欠な概念となっている。(「企業ストレス解体新書」から)
●ストレッサー:
ストレス刺激。バランスの取れている状態に対して、圧力がかかる刺激のこと。人体へのストレス刺激を大別すると「病
原菌の感染」「心理的な刺激」「物理的な刺激(過労、栄養不良、外傷等)」「炎症による刺激(感染に対する防御反応が
過剰になったもの)
」の4つが考えられる。
FFS理論では、因子毎の強みが発揮されない状態(攻めたいのに攻められない等)が、心理的なストレッサーとなる。
その圧力に対して戻そうとする力が、ストレス反応となる。ストレス反応には、
「警告反応期」
「抵抗期」
「披憊(ひはい)
期」の 3 段階がある。
(「企業ストレス解体新書」から) ※類似:パワーストレス
●ストレス・シンドローム(症候群):
ストレスを根本的原因に発すると見られる一群の症候。動悸、息切れ、食欲不振、過食、神経性胃潰瘍、便秘、生理不
順など身体の適応過程でおきる反応を伴い、病名をもつに至った身体症状で、警告期・抵抗期・疲憊期の3相期に横断
的にみられる症状。