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国語研プロジェクトレビュー NINJAL Project Review
Vol.6 No.2 pp.63―64(October 2015)
〈著書紹介〉
アンナ・ブガエワ,長崎郁 編
『アイヌ語研究の諸問題』
2015 年 3 月 北海道出版企画センター B5 判 128 ページ 2,500 円+税
アンナ・ブガエワ
1.この本の出版経緯・目的
本論文集は,国立国語研究所の基幹型共同研究プロジェクト「日本列島と周辺諸言語の類
型論的・比較歴史的研究」
(プロジェクトリーダー:ジョン・ホイットマン,平成 24 ~ 27
年度)の一環として,アイヌ語研究を推し進めるために設けられたグループ(通称:アイヌ
語班,グループリーダー:アンナ・ブガエワ)が,平成 25 年度と 26 年度におこなってきた
研究活動の成果の一部である。
アイヌ語班は,アイヌ語諸方言の記述,アイヌ語資料の整理・分析・保存,そして言語類
型論の観点から見たアイヌ語研究を進めることを目指している。アイヌ語の言語学的研究が
開始されてから 1 世紀以上が過ぎ,その間にさまざまな方言の辞書や文法書・文法梗概が出
されてきた。また,言語・文化・口承文芸などの貴重な資料がこれまでの地道かつ丹念な調
査により収集されており,その量は極めて豊富である。しかしながら,言語学的研究の全体
的な蓄積は未だ不十分であり,精密な記述,通時的側面の解明,言語類型論的観点からの位
置づけなど,さらなる研究の深化が期待される。アイヌ語班は,アイヌ語研究を牽引してき
た国内の研究者 9 名(共同研究員)と大学院生を含む若手研究者 11 名(研究協力者)をメ
ンバーに迎え,これまでに 4 回の研究発表会,2 回の国際シンポジウムにおける研究発表と
議論をとおして研究の向上をはかってきた。本論文集に収められた 7 つの論文は,すべてこ
れらの研究発表会・国際シンポジウムでの研究発表に基づくものである。
2.この本の構成
本編は次の 7 つの章から構成されている。
第 1 章 アイヌ語の合成語のアクセント規則とその例外について(佐藤知己)
アイヌ語の合成語のアクセントを考える上で,CVC 語幹が母音で始まる語幹と合成され
る場合,約 8 割の例でアクセントが第二音節に置かれる。しかし,第一音節に置かれる例外
的な事例も 2 割ほどあり,その一因が句音調である可能性を指摘した。
第 2 章 アイヌ語十勝方言における疑問表現のイントネーションについて(高橋靖以)
アイヌ語十勝方言を対象に,文末における非上昇調タイプの出現条件を検討した結果,非
上昇調のイントネーションとなる疑問表現は,文末に名詞化を含む場合と,接続助詞に文末
詞が後続する場合に限定されることが明らかになった。
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アンナ・ブガエワ
第 3 章 アイヌ語の人称表示における「目的格」の優勢(奥田統己)
アイヌ語の人称表示は一般に「主格―目的格」型として整理されるが,実際にはいくつか
の方言において,
「目的格」表示だけが出現することがあることを報告し,「目的格」が優勢
な状態を起点とする,アイヌ語の人称表示の歴史的な変遷のモデルを提示した。
第 4 章 アイヌ語における V-V 型の一項動詞(小林美紀)
アイヌ語の V-V 型の一項動詞が名詞化を経て形成されたと見なしうることを示し,切替
(1984)における「修飾構造を持つ名詞(句)に由来する構造を持つもの」と,
「「名詞・名詞」
型の構造に由来する構造を持つもの」の二種類に分けられることを述べた。
第 5 章 アイヌ韻文文学における接続句(遠藤志保)
アイヌ語の韻文文学には日常語とは異なる「雅語(atomte itak)」が用いられている。沙流
地方の英雄叙事詩(yukar)
・聖伝(oyna)
・祈詞(inonnoytak)という韻文ジャンルにおける
接続句に着目して,日常語との違いや,ジャンル間の共通点ならびに差異について論じた。
第 6 章 「数量化 3 類クラスタリング」の有効性について(小野洋平)
服部・知里(1960)のアイヌ語方言のデータ例に対して統計的手法「数量化 3 類クラスタ
リング」を適用した結果,アイヌ語方言のより精密な分類が得られた。また,同手法がデー
タの相関構造を効率的に捉えるのに有効であることを示した。
第 7 章 Relative clauses and noun complements in Ainu(Anna Bugaeva)
関係節構文と名詞補文構文を名詞修飾構文としてひとつにまとめて扱う Comrie(1998)
などによる研究に対し,2 つの構文を,それぞれの標識と「島の制約」(Ross 1967)に関す
る振る舞いの違いによって,別々に扱う必要性をアイヌ語の事例から主張した。
本論文集は『アイヌ語研究の諸問題』というタイトルに反映されるように,テーマを狭く
限定することなく,音韻論,形態論,統語論,アイヌ語史,口承文芸における言語という執
筆者個々人が現在取り組んでいる問題を取り上げている。したがって,論文集としてのまと
まりに欠ける恐れはあるが,国内におけるアイヌ語研究の最新の成果を集めた書物として高
い価値をもつものと考えている。
●参照文献●
Comrie, Bernard(1998)Rethinking the typology of relative clauses. Language Design 1: 59─86.
服部四郎・知里真志保(1960)
「アイヌ語諸方言の基礎語彙統計学的研究」
『季刊民族學研究』24(4):
307─342.
切替英雄(1984)「アイヌ語の名詞句の構造と合成名詞」
『言語研究』86: 105─121.
Ross, John(1967)Constraints on variables in syntax. MIT PhD dissertation.
アンナ・ブガエワ(Anna BUGAEVA)
国立国語研究所言語対照研究系特任准教授。博士(言語学)
(北海道大学)。早稲田大学高等研究所(助教,任期付准教授)
を経て,2012 年 12 月から現職。
主 な 著 書・ 論 文:Grammar and folklore texts of the Chitose dialect of Ainu(Idiolect of Ito Oda)( 大 阪 学 院 大 学,
2004)
,Reported discourse and logophoricity in Southern Hokkaido dialects of Ainu(『 言 語 研 究 』133, 2008),Ainu
applicatives in typological perspective(Studies in Language 34(4), 2010),Ditransitive constructions in Ainu(Sprachtypologie und Universalienforschung 64
(3),2011)など.
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