ディスカッション・ペーパー:医療事故調査制度 「コミュニケーション

ディスカッション・ペーパー:<特集>医療事故調査制度
平成 27 年(2015 年)11 月 29 日(日)
、「動き出す医療事故調査制度」と題するフォーラムを開催します。
本年 10 月 1 日から医療事故調査制度の運用が開始しました。「医療事故調査・支援センター」が開設され、医療事故
が起きた場合、医療機関は同センターへ報告すると共に、医療機関で必要な調査を実施し、調査結果について遺族への
説明及び同センターへの報告を行うことになります。フォーラムでは、同制度の内容、医療機関が直面している問題や
抱いている疑問・不安を整理し、どうすれば新制度をうまく運用できるかに焦点をあてて議論をしたいと考えておりま
す。
フォーラムに先立ち、ご登壇の先生方から医療事故調査制度への期待・不安・課題等について整理頂きました。
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「コミュニケーションから医療事故調査を考える」
岡本左和子
奈良県立医科大学健康政策医学講座 講師
本年(2015 年)10 月 1 日付けで、医療事故調査制度が始まった。これについて、
「院内で行う調査なんて
公平にできるのか」
「医療には不確実性があって予期せぬ死亡は常にある」など、様々な思いが各方面から
聞こえてくる。しかし、日本を含めどの先進諸国も、医療事故の調査をして対策を講じ、事故発生の削減
を医療の質向上の主眼においている。その必要性をコミュニケーションという視点から考えてみたい。
1.リスク・コミュニケーションとクライシス・コミュニケーション
コミュニケーションはメッセージを相手が理解して、受容してもらうように伝える方法であり、その結
果、人間の「つながり」を作る行為である。医療では、医療者と患者・家族が共有する治療という目的と
信頼の構築を抜きにして、コミュニケーションはありえない。効果的なコミュニケーションのためには、
相手の物理的、心理的、社会的環境を分析して考察する必要があり、当然ながらスキルだけを学んでも意
味はない。
医療安全では、リスク・コミュニケーションとクライシス・コミュニケーションが中心となる。
(1)リスク・コミュニケーション
リスク・コミュニケーションは、コミュニケーションの齟齬が原因で起きる不測の事態の予防対策と患
者が意思決定をするために十分に情報を得ること、医療リスク(以下リスク)を医療者と患者・家族で共
有するための方策を考えること、そしてリスクの理解を促すことだ。さらに、事故発生時には、公平に淡々
と調査、検証するリスク管理担当者の支援と連携をしながら患者・家族や一般市民への情報提供に携わる。
医療者はリスクを説明し、それを回避するための対策をしたか、それは患者に理解され、その上で患者
が治療を受ける決断をしたか―すなわち、医療者が伝えたかではなく、患者が理解していたかが問われる。
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Medical-Legal Network Newsletter Vol.59, 2015, Nov. Kyoto Comparative Law Center
患者は、その人が持つ感覚的な要因や社会的な価値に基づいてリスク認識を形成し、それがリスク受容に
影響するので、それを踏まえたリスク・コミュニケーションが必要だ。
(2)クライシス・コミュニケーション
クライシス・コミュニケーションは、実際に医療事故の発生後、当該の患者・家族と医療者の気持ちに
寄り添いながら、解決へのプロセスを支える。さらに、当該者同士が適切にコミュニケーションを取れる
場を作ることと、社会への対応をする。事故の発生は、患者・家族と医療者も傷付ける。もちろん、生命
に危害を受けた患者・家族の気持ちと立場は一番に尊重されるべきだが、解決のためのコミュニケーショ
ンをつなぐには両者の思いに配慮が必要だ。
2.信頼の崩壊から回復へ~米国のオネストトーキングからの示唆
信頼を築くには地道に継続する努力しかないが、崩壊する時にはあっという間だ。ここに興味深いデー
タがある。信頼が崩壊するときの主要な要因は、①記録の改ざん、②職務中の飲酒、③組織による問題の
隠蔽、④緊急事態の適切な対応の遅れや不足、⑤深刻な事故の操作などで、これらは 20 件ほど挙げられた
内の上位 5 件である。また、信頼の回復には、その事故を起こした施設の閉鎖が 1 位に挙げられているが、
どれも決め手になる項目がない (Slovic, 1993)。この研究対象は原子力発電所事故だが、信頼の崩壊とい
う意味では医療にも適応でき、重要な示唆を与えてくれる。
医療事故の解決には、情報開示と適切な謝罪、真実の説明、今後の対策が不可欠とされる。しかし、こ
れらは患者・家族が受容するタイミングに合って初めて効果的に働く。米国では、事故後、当該者同士が
真摯に向き合い、何も隠さず対話する努力を「オネストトーキング」と言い、事故後の解決に有効として
いる。オネストトーキングは、当該の患者・家族と医療者によって構成され、治療にたずさわらない担当
者(患者・家族支援員または医療対話推進者)が対話を促進する。テクニカルな話し合いではなく、当該
者各自が経験したことや思ったことを忌憚なく話し、情報とお互いの思い、調査結果を共有する場だ。
可能な限りバランスのとれた公平な環境になるように、医療者が多くなれば、患者・家族側にも医療者
を同席させ、弁護士が入るならば、相手も弁護士を同席させる。この場で解決できるように双方が努力す
る。この対話プロセスを歩むことで、双方の当該者の気持ちが落ち着いて行く。これは、多くの訴訟を抱
える米国の主要な大学病院や医療機関が辿り着いた満足度の高い決着の仕方とされている。
3.まとめ
欧米先進諸国では事故調査を粛々と実行することが当然のように受容されてきた。医療事故調査制度が
なく調査義務はなくても、日本の多くの医療機関でも調査を実施してきたと思う。それは、医療者と医療
機関ならびに医療への信頼回復と、当該患者・家族と医療者を日常に戻すための努力であり、本当の意味
で両者を守ることになるからだ。コミュニケーションの視点からも、医療事故後の調査が義務づけられた
ことは重大な意味のある「はじめの一歩」と考える。
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Medical-Legal Network Newsletter Vol.59, 2015, Nov. Kyoto Comparative Law Center