偉大なるお節介症候群「友の会」会報 第11号

偉大なるお節介症候群 「友の会」 会報 第 11 号
発行日 : 2015 年 3 月 5 日
ことばのあいだの「がん哲学」
市立砺波総合病院
看護師
安東 則子
がん哲学との出会いは、忘れもしない、4 年前に石川県の天野良平先生や榊原千秋先生たちが開催して
くださった、
「きのうきょうあしたの会」。これは翌年開催される、
「全国聞き書き学校 in 能登」のプレ会
であった。この会で初めて樋野先生のご講演を聞き、いつの間にか涙が溢れていた。
そもそも聞き書きとは「お年寄りのお話を聞き、それを一冊の本にする」ことである。現在私は職場で
病院ボランティアのみなさんとこの聞き書きを「対象年齢制限なし」で行っている。患者さんのお話を聞
き、「世界でたった一冊の本」を差し上げている。聞き書きを希望された患者さんとゆっくりお話をして
そこから作りあげられる大切な本、希望者の半数以上はがんの患者さんである。
この患者さんとの時間・空間の中に私は「私が想うがん哲学」は存在する。インタビューではなく、患
者さんから出てくる「ことば」を静かに待つ、言葉とことばの間にある患者さんのこころ、いわばことば
のない声、ことばに現せない声を静かに聞く。いつの間にか、顔を合わせしんみり泣いたり、柔らかい笑
顔になるかと思えば、お互いの顔に何か付いているような表情でこっけいに笑いあったりする。病気を持
った身体の中にも何かを見出そうとしている患者さんの力に圧倒されることもある。そんなとき、「無理
にわかろうとしなくてもいいんじゃないかい、あなた。わかるわけがない、計り知れない患者さんの苦痛
だったんじゃないか」と自分に振り返る。なぜかこの時、シシリー・ソンダースの名が心に出てくる。が
ん哲学カフェも何にも例えられない空間だと思う。
樋野先生との出会いから、幾度も先生のご講演を聞いた。今年4月には、現在働いている市立砺波総合
病院に樋野先生がご講演に来てくださる。夢のような、でもこれは本当のことなのである。嬉しいかぎり
であり、長年看護師をしていて「少しは成長しろよ」と、また叱咤激励をどなたからされているか分から
ないが、そう聞こえてくる。
「がん哲学」との出会いに感謝。
がん哲学外来市民学会
第1回大会
佐久勤労者福祉センター (2012 年 9 月 23 日)
「つけいるスキと脇の甘さ」
岩手医科大学
がん患者支援情報室
三浦 史晴
私が樋野興夫先生のお話を初めて拝聴したのは、5 年前のあるセミナーで
した。当時樋野先生は家族性腫瘍学会の理事でいらっしゃり、たまたま 2 泊
3 日のセミナーの中日の懇親会の時に、理事長としてのごあいさつを聴かせ
ていただく機会がありました。森本レオの様な風貌で、やっぱり森本レオの
様なステキな声で、示唆に富んだお話をいただいたのを覚えています。
その時の話の中でのひとつに「脇を甘くしてつけいるスキを見せなさい」
とありました。ふつう逆でしょ、と思いましたが、あまりにスキがないと相
手も警戒してうまくいくものもいかなくなる、少しぐらい脇を甘くした方が
いいとの事でした。
確かにあまりにしっかりし過ぎると、相手も話せなくなってしまう。だらしなくしろと言う訳ではない
が、どこかに入り口をつくっていてあげることが必要な様です。そういえば、ひとを叱る時もちゃんと逃
げ道をつくっておいてあげてから叱ることが肝要、と以前読んだ本に書いてありました。入り口も出口も
いっしょなんだなと感じた、これが樋野先生とはタイヘンなお方なのだと思った最初の時でした。
それから時が経ち、今年の 2 月 11 日に盛岡で「がん哲学外来メディカルカフェ」市民公開講座があり
再度樋野先生のお話を聴かせていただく機会に恵まれました。会場は超満員で、市民の関心の高さを感じ
させられました。いつもの樋野節に聴衆も熱心に聴き入っていました。私個人的には、以前は家族性腫瘍
学会という限られた世界で(一方的に)お見かけしただけでしたが、今度こうしてがん哲学外来を通じて
(一方的に)再会させていただき、感激の極みでございました。
その夜、感謝の気持ちをメールで樋野先生に送らせていただきました。するとなんと「偉大なるお節介
症候群認定証」を送っていただいたのです! 先生のような活動に携わることがほとんど出来てない自分
にはふさわしくないのではないかと考えましたが、樋野先生から「カラープリントされ、額に入れられ、
高らかに飾って下さい」という有り難いお言葉をいただき、まずカラープリントして汚れないようにラミ
ネート加工を施しました。次の目標は、努力精進を重ねて、認定証を立派な額に入れることです。
今後もご指導のほどよろしくお願いいたします。
「自分らしい品性の完成をいつか」
ピアサポーター
名古屋市
中垣 純代
浜松でのがん哲学外来で、樋野先生のご講演を拝聴させていただきました。
先生の「ことば」の「八方塞がりでも天はひらいている」。この一言で私は本当に会場で天を仰ぎまし
た。そして、あぁそうか、とストンと落ちた「ことば」に出会えた幸せを感じました。
私は12年前に乳がんに罹患し、手術、抗がん剤、ホルモン治療と闘病しました。子供の為に死ぬわけ
にはいかないと思い、インターネット、図書館と良い治療を知るために模索し、患者会に出向いては「が
んでも元気な人」を求めていました。
そのうち、がんであることを隠さずにいたこともあり、相談される立場になっていたある時、自分自身
が求めていた「がんでも元気な人」になっていることに気づき、勉強してピアサポーターになり、同じ悩
みの方の為にと活動を始めました。
知識と仲間を得て、母が肺がんになったときには、母にとって良いと思える治療をうけることが出来、
きっと母も納得した旅立ちが出来たと思っています。
しかし2年前、そんな私をずっと支えていてくれた夫の膵臓がんがわかりました。
そして告知からたった4カ月で、彼は旅立ってしまいました。東京に単身赴任して毎日ジョギングして
いた健康だったはずの夫…、学生時代からずっと一緒にいた夫が突然いなくなったことは、病気に対して
立ち向かうことを良しとしてきた私の心を、立ち向かえない病気への空しさに対して、行き場を無くさせ
苦しめました。
そんな私の心を楽にしてくれたのが、遺族会でした。そこで心の有り方を考えるようになり、その先に
「がん哲学外来」はありました。樋野先生の講演のあと、嬉しいことに「偉大なるお節介症候群」の認定
証をいただけました。今回、樋野先生の講演を拝聴できたことは私の人生に大きな意味があったと思って
います。「品性の完成」を自分らしく達成できるように生きていきたい、そしていつか会う夫にその報告
をしたいと今心からそう思っています。
「偉大なるお節介症候群認定証」をいただいて
軽井沢町
藤巻 宣子
2010 年 6 月 1 日、小諸厚生病院で「手術不能の膵臓がん。余命は半年」と宣
告されました。食事には気を使い、ママさんバレーをやったりパワフルな私で
したので「宣告」は到底受け入れられませんでした。それで千葉県がんセンタ
ーへ行きましたが、同じ診立てでした。その朝、新聞で見た群大の重粒子セン
ターオープンの記事に膵臓がんも治療の範囲にある事を知り尋ねると、千葉の
放射線医科学センター病院を紹介され 29 日に入院しました。週4回全 12 回の
治療、週の始めにジェムザールの抗がん剤点滴をやり、8 月 3 日退院。その後小諸厚生病院で飲む抗がん
剤TSIを4週やって2週休薬の治療をしました。担当医師からは、半年の余命だったのに凄い、と言わ
れました。
2011 年6月。小諸厚生病院の定期検査 CT で、がんが少し大きくなっていると言われ、放医研病院で再
確認をして頂くと、再発でした。小諸厚生病院では重粒子治療での手術は出来ないと云われ、放射研の先
生に相談すると「手術できればもったいないので、家族だったら勧める」という言葉におされ、帝京大を
紹介されました。11 月 13 日、帝京大付属病院で手術。体尾部切除、肝ぞうへの血管のバイパス手術、8
時間、輸血なし、でした。12 月、退院。術後6ヶ月間、標準治療では化学療法(ゼムザール点滴)とTS
I内服をして、マーカー値も基準価内に下ったので抗がん剤はやめ、外来で経過観察をしました。
どうにか術後1年を元気に過ごし、姉たちと東北へ桜の花見狩に行きました。弘前城、蔵王、岩手の山
寺…。樋野先生の「ハッピーよりエンジョイしなさい」の言葉を実感したものでした。
2014 年 2 月。帝京病院でペット CT を受け小さな再発がみつかりガッカリ。5 月、2回目の樹状細胞療
法を開始。それに先がけてアフェレーシスをしましたが腹痛が始まって近くの軽井沢病院へ。CT の結果、
がんによる大腸の圧迫が所々あり手術は無理、腹膜播種もあると先生が遠まわしに話されました。
6月。自宅で腹痛と嘔吐、救急外来で軽井沢病院へそのまま入院。祖母の一年忌法要で一時帰宅したも
のの、週2回の樹状細胞療法で療法全 7 回を 9 月まで続けました。高濃度点滴で3ヶ月間入院生活、イレ
ウス管を入れてもお腹の膨満感はとれず、つらかったです。樹状細胞の治療が終わった所で主治医が内視
鏡で人工肛門がつくれるかどうか、佐久医療センターを紹介してくれました。
10 月、佐久医療センターに入院、手術は 16 日でした。①回腸でストーマ作成 ②大腸へのバイパス手
術。朝7時、群馬からは兄や姉、千葉からは娘夫婦、主人も駆けつけてくれましたが、手術は夕方に始ま
り終わったのが夜の8時でした。バイパスは出来なかったけれど、ストーマはできたお陰で、3日後には
易消化食が出され感激しました。本当に「生かされている」という実感が湧いてきました。自分だけの命
ではない事、家族をはじめ、兄姉、そして心配して見守ってくださった友人知人全てに感謝しました。軽
井沢病院に一時的にもどって、そのあとは晴れて退院かとその日を心待ちにしていました。
12 月1日。ようやく退院できて久しぶりのわが家にもどりました。訪問看護も2回受けられたのですが、
再び体調が悪化して、6日に軽井沢病院に再入院。たった5日間の「わが家での滞在」でした。
今、私は軽井沢病院のベッドに寝ていながら、こんなことを考えています。
「佐久ひとときカフェ」、ここはすでに46回も続いていて私も以前、何度か足を運んで悩みを聞いて
いただいたことがある、そして樋野先生の「個人相談」も受けたことがある。佐久市立浅間病院には「浅
間対話カフェ」があるし、軽井沢の追分では「あうんの家カフェ」が定例で開かれている。佐久医療セン
ターでは「もくらん」が定期的にあるけれど…、でも…。
私がずっとお世話になっているこの軽井沢病院…、ここには私のような患者も入院していることだろう
し、外来にはたくさんの方たちが診察に来ているようです。「がん」と言われて落ち込む人に、私が少し
でもお役に立つことはできないだろうか。「がん哲学外来カフェ」をこの軽井沢病院の中で開くことがで
きたら…、そう思い続けているのですけれど…。
NHK 総合「特報首都圏」~がん哲学外来~
NHK さいたま放送局
酒井 章行
本年 2 月 6 日(金)NHK 総合・首都圏内放送で「がん哲学外来」の主に「がん哲学外来カフェ」の番組
制作を担当しました酒井と申します。私自身も 32 歳でがんと診断されて 4 年、がん哲学外来の存在を知
ってからもう 1 年になります。どんな番組になるのかと逡巡しているうちに、樋野先生に「番組もやって
みればいいじゃないの?」の一言に背中を押されて取材を開始した次第です。
おかげさまで「偉大なるお節介症候群友の会」の皆々様、樋野先生はじめ多くのがん哲学外来カフェの
皆さんに「お節介」どころか「ご協力」をいただき、無事に番組にすることができました。この場をお借
りしまして厚く御礼申し上げます。作家柳田邦男さんの適切な評論・解説もいただき、番組は好評でして、
視聴率も民放なら花輪が出るほどでした。それだけ社会の関心が高いということなのだと改めて痛感して
おります。
日々の取材を通して感じるのは、医療者や家族を含めた「がんサバイバー」の皆様の使命感の強さです。
がんをきっかけに人生を変えて人のために何かしたいという思いが強くなる、と多くの方にうかがいまし
た。何か人のためにする使命、とはいっても個人のできる範囲で人の話を聞く、経験を話す、そばにいる
だけ、といった「友の会」の皆さんの日々の活動こそが大事だと思います。私自身も、治療を経て報道の
職場復帰した当初は、がんの事からなるべく避けておりました。しかし、NHK ですら、がん患者偏見差別
を自分自身が受け苦しみ、これは社会のがんに対する偏見を変えなければと、幸いにしてテレビを通じて
多くの人たちに情報を届けられる立場にあるのは何かの使命なのだろうと勝手に解釈して、番組を制作し
続けております。
私ががんの番組を作る時にいつも思い出す言葉があります。がんの新薬の取材で訪ねたシカゴ大学で中
皮腫新薬の臨床試験を受ける女性のインタビューをしました。そこで「薬は効かないかも知れないし、自
分の余命はもうないかも知れない。でも私の経験が他の患者さんのためになれば、私は喜んで天国に行け
ます」。何も宗教を信じていない私ではありますが、NHK の ID カードを下げるボロボロのネックストラッ
プはシカゴ大学のものです。
医療の隙間があって患者の必要に応え
そこに行くことで元気をもら
(カフェに行くと)次が見えてきた
ていない部分がありますね。
えるっていうことです。
り、心配が解消していきますから。
柳田邦男氏「がん患者さんは“死後生”
カフェでの「対話と共感」が生きる力
そういう感覚に自分の中で
を考えて新しく生きはじめるのです」
。
になってくれますよ。
変換されました。