フィレンツェに住み、はや23年が経つ。 何年住んでも「さあ、これからだ

LA PORTA DELLE NUVOLE
フィレンツェに住み、はや23年が経つ。
何年住んでも「さあ、これからだ」という気
持ちで、無芸・大食のまま此処まで来てし
まった。人様に読んで頂くような特別な人
生経験がある訳でもないし、うわ言か独り
言のような書き散らした文章なので、どう
ぞ気楽に読み流して下さい。
1984年の春に大学のヨーロッパ美術研
修旅行に参加して、初めてイタリアの地を
踏んだ。それまで私は京都の美術大学で
油絵を学び、大学院で古典技法やフレス
コ画を学んでいたが、現地で直接触れた
美術や建築物に圧倒され、熱が高じて居
ても立ってもいられなくなり、イタリア語の
勉強を始め、2年後の春には伊政府給費
を頂いて留学することになった。留学先の
アカデミア美術学校は、周辺のトスカーナ
の諸都市も好きだったから、フィレンツェを
選んだ。現在は油絵やフレスコ画を描き、
インプルネータのさるマエストロのご好意
でテラコッタの彫刻も制作して、展覧会で
作品を発表するかたわら、ライセンスを取
得して観光案内の仕事にも携わっている。
CASA DOLCE CASA
初期ルネッサン
ス美術が好きで、
サン・マルコ修道
院やブランカッチ
礼拝堂の壁画を
見るたびに、パオ
ルッチ教授の言葉を思いおこす。 『フィレ
ンツェのルネッサンス美術は、長い冬の後
に訪れる春先の柔らかい陽の光のようなも
のだ。人の心を奥底から暖めてくれる』
ルネッサンス期に活躍した芸術家の年齢
を調べると、いずれも若いのに改めて驚い
てしまう。マザッチョはいうまでもなく、アン
ドレア・デル・カスターニョ、ドメニコ・ギルラ
ンダイオなども夭折している。若い芸術家
の「魂」の力が、ルネッサンスの魅力なのだ
ろうか?と考えながら、徒に齢を重ねてしま
った我が身を振り返り、ため息をついてし
まう。
私の「前世」は、ドメニコ・ギルランダイオ
の工房で、使い走りをする小僧でありたか
ったと願う。ということはミケランジェロと同じ
釜の飯を食ったと言う事になるが。(笑)
ブランカッチ礼拝堂というと思いだす事が
ある。何年か前のある冬の朝、近所(Campi
Bisenzio)のBarでいつもの朝食を済ませて、
日課の散歩をしながらふと振り返って見ると、
遠くの山々の頂に雪が積もっていた。 「あ
っ、これどっかで見たことがある!」と、しばら
く記憶をたどりながら、それがマザッチョの「貢
ぎの銭」の背景の山並にそっくりだという事
に気がついた時、思わず鳥肌が立ってし
まった。
「そうか、この山を描いていたのか。 今、
私が見ているこの同じ山を、マザッチョも見
大丸梅田店「アートギャラリー」
個展会場にて 2009年9月
ていたのだなあ。」と、考えながら、その瞬間、
この地に居る自分をとても幸せに感じた。
壁画の中でもこの場面の山々は特にリア
ルに描かれているので、ぜひ気をつけて
鑑賞してほしい。文献を調べた訳ではな
いので、この山並について研究者がどの
ように書いているかは知らないし、もう言い
尽くされているのかもしれない。しかし、私
がアベトーネ方面に連なる山々を見て「貢
ぎの銭」を思い出し、感動したあの朝の体
験に変わりはない。ちなみに、この山並は
サン・ミニアート・アルモンテ教会の丘からも、
はるか遠く眺めることができる。
ルネッサンス期というのは人類の歴史の
中で、人間の自我が芽生える「思春期」或
いは「青年期」にあたるのではないだろうか。
その永遠の結晶の様なこの街にいられる
自分を幸せだと思う。
私は毎年日本で作品を発表しています。
2010年は広島三越の美術画廊にて、
9月7日から13日まで個展の予定です。
フィレンツェではVia della Condottaにある
Galleria Panantiが時々私の絵を展示して
下さるので、ご高覧頂ければ幸いです。
道原 聡 Satoshi Dobara http://www.artling.it/dobara.html