A-8 「貨幣」の起源 飛鳥で初めて銅銭が発行されたのを知っていますか? 富本銭はその重さや大きさが中国の唐の通貨、開元通宝(かいげんつうほう)とほぼ同一規格である[和同開珎はそれらよ りも軽い]ことから、開元通宝をモデルにした日本最古の貨幣という説が有力になってきています。しかし、現時点では出土 例も少なく、和同開珎との関係、通貨としての価値や機能、流通範囲など、まだ課題も多く残されており、今後の研究と新た な資料の発見が待たれています。 協力:奈良文化財研究所 *貨幣の始まりは? 通説では貨幣としての皇朝十二銭の最初は和銅元年(708)の「和同開珎(わどうか いちん)」で我国の貨幣の最初とされてきました。 しかし通貨として無文銀銭が天智朝から使用されていたことは出土例から考古学で は確認されているし、文献史学では日本書紀・天武十二年条に「今より以降、必ず銅銭 を用いよ。銀銭を用いる事勿れ」と記されていることから七世紀後半には貨幣は有った のだろう。 しかし出土例は僅かでとても流通貨幣とは考えられず、以前から最初の銅銭ではな いかと見られていた富本銭(ふほんせん)も平城京で三枚、藤原京で一枚、難波京の 細工谷遺跡で一枚しか発見されておらずあまりにも少ない為に「まじない」に用いられ る厭勝銭(えんしょうせん)とみなされ日本書紀の記事は編纂者による造作ではない かと考えられていました。 *なぜ富本銭なの? 飛鳥の万葉文化館の建設予定に先立ち 2000 年で発掘調査を終えた飛鳥池遺跡から いわゆる「天皇」木簡をはじめとする貴重な出土品と共に、金・銀・銅・鉄・ガラスの 鋳造工房の存在が確認され、この富本銭だけでなくその鋳型(いがた) ・鋳棹(いさお) が発見されており、この工房の年代推定では我国最初に火葬された高僧・道昭(どう しょう)が住んでいた飛鳥寺の東南禅院の瓦窯跡(ごようあと)との関係で天武朝と された。 - 20 - 一方銅銭「富本」の命名根拠として「漢書・食貨志(しょっかし)」に「食足り貨通じ、 然る後に国実り、民富む」と記さており食物の充足と貨幣の流通が「富民の本」とする 思想によるとした。 これは大海人皇子が壬申の乱で全軍の将兵に赤色の印を付けさせたのは、漢の皇祖 が赤帝の子と称して赤色を用いたことが「漢書・皇帝紀」にあり、天武は「漢書」を 熟知していた結果と云える。 さらに富本銭は唐が建国直後に流通させた「開元通宝」の銅銭をモデルにして造ら れたとされているが、その名称は唐風を選ばず「漢書」から採ったのも天武は自らを 漢の皇祖に準えていた可能性があり、その独自性の現われとされている。 しかしこの説が全面的に認知されている訳ではなく、富本という言葉が貨幣を意味 するのか?模様に有る七曜星が何を意味するのか?鋳棹は技術不良で放棄された結果 ではないのか?年代推定に問題無いのか?等の疑問が投げかけられており謎が残され ている。 *本当に流通したの? 通貨として幅広く流通しなければ本当の貨幣とは云えない。無文銀銭については天 智朝より比較的多くの出土例が確認されているが銅銭に関しては通説となっている和 同開珎でも本格的に流通するのは 720 年以降とされており、その流通には時間がかか ったと考えられ七世紀までは物物交換が多く、貨幣そのものに価値の有る銀銭が貨幣 の主体だったのだろう。 天武 12 年(683)に銅銭を発行して銀銭禁止令が出ているが、直後に地金としての 銀の流通は認めるとの詔が出されており、更には和同開珎の発行の際にも同時に銀銭 の禁止令が出ているにもかかわらず銀銭が流通し続けて通貨政策の難しさを示してい る。 従って富本銭の流通は意図通りには進まず地域限定で、当時は稲や布が通貨の代用 としての主流を占めていたのだろう。 しかし大宝元年(701)の大宝律令で私銭の鋳造を禁止していることからも、和同開 珎の発行(708)前に貨幣の流通はある程度進行していたと見なしても良いだろう。 しかし富本銭の出土例があまりにも少なすぎるのは単に発見されていないだけなの か?或いは銅は融点が低いため簡単に溶融可能で改鋳された可能性もあり、飛鳥・白 鳳仏の残存量の少なさにも相通ずるといえ、銅資源の有効活用かもしれない。 いずれにしろこの飛鳥の工房で我国初の貨幣が鋳造され、流通し始めていたのは事 実だろう。 - 21 - <註> 皇朝十二銭:708 年(和銅元年)の和同開珎から 958 年(天徳二年)の乾元大宝まで銅銭1 2種が流通したとされている 東南禅院:天武朝に飛鳥寺に隣接する僧坊で道昭が住んでいたとされているがこの遺 跡から出土した瓦の瓦窯跡が飛鳥池遺跡で発見され、同地層から富本銭が 出土したため天武期とされた 漢書:中国の正史で後漢の班固が編纂した漢時代の歴史書 赤帝:中国の神話にある黄帝を中心に星座を配し南に位置する星を風水思想に基つき 赤帝と称した 開元通宝:唐の初期に発行された銅銭で真中に四角い穴があり周りに漢字四字を配す る 現在中国の貨幣単位「元」はここから来ているとされ、「円」も同根とされる 大宝律令:当時統一国家形成には不可欠とされた律令制度を我国で初めて整備したも の - 22 -
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