栃木県 宇都宮市 - 歩く地図でたどる日光街道

遊食饗宴彩
雀宮一里塚
雀宮6
53 石橋宿~雀宮宿
雀宮5
このあたり昔
の「下町」
マツモト産業
25 雀宮一里塚
歯 鈴木歯科
江戸から25番目
の一里塚。かつ
て、東側の塚が雀
宮5丁目地内、に
あった。今は住宅
敷地の一部が弧状
になっていて、一
里塚の痕跡を残し
てる。
喫茶ドラム
ビジネスホテルパル
よしのや
玉屋釣具店
朝日生命
出光石油
栃木信金
山口歯科 歯
市民センター
栃木県宇都宮市
茂原 ~ 雀 宮
( 歩行距離 1561m 21分 )
歩く地図でたどる日光街道
http://nikko-kaido.jp/
[email protected]
立場と馬車屋の屋号をもつ民家
着物リメイク
山崎小児科
高砂町
新富町
粧和堂
山崎設備
大塚鉄工
朝日新聞
喫茶かおる
小菅魚店
新興住宅地
栃木県
宇都宮市
雀宮宿は、江戸から16番目の宿場で、
街道の東西に江戸時代の短冊形の地割り
がほぼ当時のまま残っています。幕末期
の日光・奥州・甲州道中宿村大概帳で
は、町並みの長さが5町20間(約
580m)、宿内惣家数72軒(旅籠38軒、本
陣・脇本陣各1軒、問屋場2軒)、宿内人
別268人(男138人、女130人)、駄賃・
賃銭 荷物一駄・乗掛荷人共92文、軽尻
馬1疋61文、人足1人47文でした。
「雀宮駅に入れば、芝居興行ありとて
所々に番附け張出せし故、立止りて見れ
ば、名の知らざる俳優なり。安泊りの二
階に役者7,8人居ると見るに、奥山に出
たる豆蔵(まめぞう 滑稽な身振りや物
まねをして門付して歩いた大道芸人のこ
と)の類(たぐい)なり」(上野下野道
の記)円朝が旅した明治中期は、芝居小
屋などがあって、賑やかな街だった。
この雀の宮発祥について「当宿は下横
田村よりの分村にて、本郷より土地高き
を以て台横田村と号し、東のかた奥州古
道の辺より人民住せしが、元和年中
(1615~24)日光街道ひらけしより往還
の左右に移り、鎮守雀宮神社の社に近き
をを以て雀宮村と改ため、宿駅となりて
より雀宮宿と唱ふ」さらに「当宿も日光
のかたを上として、上中下3町にわかて
り」(日光道中略記)下町に当たる雀宮
5,6丁目、中町が3,4丁目、上町が1,
2,丁目に当たる。
「カンセキ」の先、右側に立場と馬車
屋の屋号をもつ民家が木立に囲まれ並ん
でいる。 このあたりは、道を挟んで
[立場]と「馬車屋」という店が並んでい
て、腰を掛け休みを取っている人や多く
の馬が行きかう姿が、茂原観音堂の絵馬
に描かれている。
グースキースタジオ
高田商店
16 雀宮宿
③立場と馬車屋の屋号をもつ民家
茂原団地児童公園
むぎくら
末廣電子産業
小池食料品
日の出通り
公民館
薬農神社
マスタマ
ニアーナ 徳倉建築
設計事務所
三鳩
茂原2
カワイスポーツ
村一番
南高砂町
茂原自衛隊前
交差点へ
末広1
サンビュー
聖末広
幼稚園
宇都宮社会保険病院
病院前
東京から
中央薬局
食堂うなぎ鈴よし 薬
南高砂町
98
km
関原
児童
公園
このあたりには、茂
原古墳群(愛宕山古
墳、大日塚古墳、権
現堂山古墳など)や
古代の行政施設と想
定される「上神主・
茂原遺跡」などの重
要遺跡がある。
4号線観音堂入口道標
より茂原観音堂へ
吉田理容
中華料理
珍美
山田商店
とんかつ
高田屋
茂原1
本郷
分岐点の石仏
新しい道
火の見櫓
末広2
本 さくら書店
茂原観音への案内
集落センター
上り坂
業務スーパー
宇都宮レース
イエローハット
鈴木米殻店
茂原町
塩田胃腸外科
茂原自衛隊前
JR踏切
茂原団地児童公園
高台の畑の
中の道
自衛隊前
茂原ビル
渡辺表具店
立場と馬車屋の
屋号をもつ民家
寺内動物病院
薬農神社
茂原観音より
JRの線路をくぐる
JRの線路をくぐる
3
①茂原観音堂の入口
茂原2
観音堂道は「茂原正観音道」と書かれ
た道標からはじまり、多くの参詣者が通
った道だった。日光街道から茂原観音堂
までの観音道を行くと、分岐点におかれ
た石仏がある。
共立精機
茂原西
自治会館
山崎工務店
②茂原観音
伝承によると、室町時代中期、この近
観音堂入口道標 くに住んでいた宇都宮氏の家居・裳原遠
カンセキ
カラオケ
毎日新聞
メガネパリミキ
茂原児童公園
JRの線路をくぐる。
正道会館 車 1 台 通 れ る 狭 い
ハイマート 道。
茂原
居酒屋つくし
宇都宮メグロ
ワコーハイツ
分岐点の石仏
業務用プロショップ
粂川電気商会
航空自衛隊
航空学校
田園風景
が広がる
この集落は寺
内さんが多い
レオパレスネスト 鈴木洋品店
オートレット
ティケィ
モトプラザ
ジャンボ
宇都宮消防団
キグナス
観音堂入口道標
レオパレスアイ
1
大島マンション
オートグループ
茂原観音入口
菜々彩
茂原観音へ
江が仏師に観音像を刻ませ、安置したの
茂原観音
が始まりという。
お堂には、間引き図絵馬や、雀宮宿の
繁栄の様子などを描いた絵馬が数多く奉
納されている。お堂の観音さまは秘仏で
不定期に公開されている。江戸時代から
現在に至る多くの参詣者の信仰が厚かっ
たことをうかがわせる。
観音堂の絵馬の中に道をはさんで「立
場」と「馬車屋」という家が2軒並んで
いて、馬車で休んでいたり、多くの人が
行き交っている絵馬が残っている。
茂原観音堂
2