口腔ケアで利用者の生活自立度が改善する?

新連載
舘村 卓 一般社団法人TOUCH 代表理事
1981年大阪大学歯学部歯学科卒業,1985年大阪大学大学院歯学研究科(口腔外科
学専攻)学位取得修了(歯学博士)
。1997年10月イリノイ大学シャンペ−ン校にて鼻
咽腔閉鎖機能の共同研究と言語病理学教育の調査を行う。2000年6月大阪大学大
学院歯学研究科高次脳口腔機能学講座准教授,2009年11月一般社団法人TOUCH
代表理事,2014年4月30日大阪大学を退職し現在に至る。著書は『臨床の口腔生理学に基づく摂食・
嚥下障害のキュアとケア』
(医歯薬出版)など多数。日本口腔外科学会専門医・指導医,日本顎顔面補
綴学会専門医。日本摂食嚥下リハビリテーション学会評議員,日本顎顔面補綴学会理事,日本顎口腔
機能学会評議員,全国老人保健施設協会学術委員,日本リハビリテーション病院・施設協会委員ほか。
口腔ケアで利用者の生活自立度が改善する?
∼口腔ケアの必要性と相乗効果
口腔ケアはなぜ必要か
加することを予想させる。
特に近年,肺炎の中でも着目されているのが,
厚生労働省は,通所介護(デイサービス)を「利
「医療・介護関連肺炎」である。これは,医療や
用者が可能な限り自宅で自立した日常生活を送る
介護の現場での対応が不適切であったり,対応さ
ことができるよう,自宅にこもりきりの場合の孤
れていなかったりする場合に生じる肺炎である。
立感の解消や心身機能の維持,家族の介護負担の
介護現場で生じた場合,利用者は急性期病院に入
軽減などを目的としたサービス」と定めている。利
院し,一般的には,非経口摂取の状態で一定期間
用者は自宅から施設に通い,食事や入浴などの日
の臥床による肺炎治療が優先されることが多い。
常生活上の支援や生活機能向上のための機能訓練,
その結果,全身機能の廃用化に伴って生活機能は
口腔機能向上サービスなどを日帰りで利用する。
低下し,要介護度が高くなることで,在宅での生
具体的なサービス内容としては,入浴,排泄,
活は困難となり,長期療養施設への転出となる。
食事などの介助,その他の日常生活上の世話,機
したがって,利用者の生活参加を支援するため
能訓練,健康チェック,レクリエーション活動
には,デイサービス利用時から,根拠に基づいて
(体操やゲームなど)
,趣味活動,行事などである。
口腔機能の維持と口腔衛生状態の改善・維持への
すなわち,介護予防の6つの目的(表1)を達成
取り組みを行うことが必要である。
するためのサービスである。しかしながら,目的
本連載では今後,利用者を口腔の問題で急性期
の1つである「口腔機能向上」については,ほと
医療機関に送らず,生活機能を維持するための口
んど実施されていないのが現状である。
腔ケアの考え方を生理学に基づいて解説していく。
近年,食事を口から摂取することの重要性が,
QOLという観点ではなく,栄養吸収の観点や日常
生活を維持する上での必要性から認識されるよう
口腔ケアとは
∼歯磨きとは何が違うのか?
になった。2011年,肺炎は,それまでの脳血管
Yoneyamaら1)が行った,特別養護老人ホーム
疾患に取って代わり日本人の死亡原因の3位とな
を対象にした調査により,口腔清掃を行うと肺炎
り,以後は,脳血管疾患の死亡者数は減少の一途
の発症率が低下し,さらに経口摂取機能が向上す
であるのに対し,肺炎での死亡者数は増加する傾
ることが報告されて以来,口腔清掃の重要性が理
向にある。このことは,救急医療の発達によって
解されるようになった。また,歯科疾患の予防の
脳血管疾患からは救命されたものの,救命治療の
ための歯磨きとは概念が異なるとして,
「口腔ケ
合併症やその後の機能障害などによって,誤嚥性
ア」という用語が用いられるようになった。関連
肺炎を経由して肺炎で亡くなる高齢者が今後も増
する学会においても,口腔ケアの効果について報
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通所介護 &リハ
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表1 介護予防の目標
図1 口腔ケアを行う時に考える4つの象限
機能訓練
①運動器の機能向上 ②閉じこもり予防・支援
③認知症予防・支援 ④うつ予防・支援
経口摂取
発熱(+)
⑤栄養改善 ⑥口腔機能向上
しかしながら,その多くは,個人の口腔機能や
口腔衛生状態の評価に基づいて構成されたtailormadeの口腔ケアではなく,ある高齢者集団に対
して非特異的な方法で取り組んだ際の後ろ向き研
究の結果として,
「口腔清掃を行ったら口腔機能
も向上していた」という報告であることが多い。
すなわち,デイサービス利用者の個々の様態に基
づいて,明確な目標を設定して行った口腔ケアの
結果であることは少ない。
❶
経口摂取
発熱(−)
デイサービス
❷
急性期施設
非経口摂取
発熱(+)
口腔清掃
ⅡⅠ
ⅢⅣ
退院直後
デイサービス
❸
治療的
どのような口腔ケアを行うかは,対象者がどのような状況にあ
るかによって考える。一般的に,デイサービスでは経口摂取し
ていることから,第Ⅰ象限にいることになるが,発熱した(❶)
ことで肺炎を疑い,急性期病院に入院した場合(❷)には,非
経口摂取となり,肺炎の治療が優先される(第Ⅲ象限)ことが
多い。その結果,機能は廃用化するため,退院後には治療的な
口腔機能療法(❸)が必要になる。
舘村卓:生活参加への歯科のかかわり,the Quintessence,Vol.34,No.2,2015.
口腔ケアの目標を肺炎予防と口腔機能支援の2
すなわち,口腔機能の改善・維持のための療法
つとするならば,目前の利用者に必要なのは口腔
と口腔衛生状態の改善・維持による肺炎予防とい
機能療法か口腔清掃か,また,それらは治療的か
う口腔ケアの必要性は認識されているにもかかわ
維持的かの4つの組み合わせによってケアの方法
らず,口腔ケアの専門職は実質的にはほとんど関
2)
を調整することが必要である (図1)。例えば,
与することはない。このことも,デイサービスで
歯磨きに準じた口腔清掃では肺炎の予防にはなら
の口腔ケアが低調な背景の一つと考えられる。
ず,また,口腔機能も自動的には改善・維持され
ることはない。
デイサービスにおいて口腔ケアの実施率が低い
維持的
治療的
告されることが増えている。
維持的
なぜ口から食べるための
口腔機能療法が必要なのか
理由は,評価に基づいて目標と方法を構成するこ
食事を口から摂れない場合や医療上の都合で経口
とが難しいためである。すなわち,どのような口
摂取が禁じられた場合,鼻から胃に留置したチュー
腔清掃が適切であるかは,口腔の現状の評価結果
ブを用いる経鼻胃管(NGチューブ:Nasogastric
によることが必要であり,口腔機能訓練を行うな
tube)栄養法や内視鏡を使って腹壁から胃に貫通さ
らば,口腔機能の評価を行うことが必要になる。
せた専用のチューブを用いる経皮内視鏡的胃瘻造設
そのためには,口腔に関する専門職との緊密な連
術(PEG:Percutaneous Endoscopic Gastrostomy)
携が必要であるが,デイサービスの設立のための
により液体の栄養剤を注入する栄養法が選択され
職種の要件には歯科医療職は含まれておらず,ま
る。これまでは,栄養学に基づいて調整された栄
た1人以上必要とされる機能訓練指導員として
養剤を使えば栄養状態が改善されると考えられて
も,理学療法士,作業療法士,言語聴覚士,看護
いたが,近年,液体栄養剤の長期使用が栄養上の
師,准看護師,柔道整復士,あん摩マッサージ指
問題の原因になることが知られるようになった。
圧師のいずれかの配置が求められているだけで,
栄養分の吸収は,小腸の蠕動運動により食物が
必ずしも口腔機能や口腔疾患予防の専門職である
潰された後,小腸内面のヒダにある微絨毛により
ことは要求されていない。
行われる。一般的に,ヒトの臓器を動かす筋肉は
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図2 フレイルティサイクル
食欲↓
摂取量↓
ばかりか咀嚼を必要としない軟食を長期摂取する
フレイルティサイクル
エネルギー
消費量↓
レオタイプに「軟食」にしても軽減されない。それ
低栄養
サルコペニア
用化して咀嚼機能は低下し,腸管も廃用化に至る。
基礎代謝↓
活動度↓
と,体重程度の咬合力を発生できる咀嚼筋群は廃
筋力↓
身体機能↓
咀嚼嚥下機能を維持するためには,呼吸路の安全
疲労・
活力↓
低栄養を起点として生じる悪循環は生活機能を著しく低下
させ,要介護度を増悪させる。
必要がなければ動かず,運動量の低下した状態が
性の確保,口腔咽頭機能の賦活,咀嚼嚥下機能のレ
ベルに応じた食事調理の3つの視点が必要になる。
口腔清掃
∼なぜ歯ブラシでの歯磨きではだめなのか
続くと臓器は廃用性に萎縮する。液体の栄養剤は
医療・介護関連肺炎の予防には口腔清掃が必要
流動性が高いため蠕動運動は弱くなり,テニス
であるが,歯科疾患予防のための「歯磨き」では
コート1面分の面積を持つヒダや微絨毛も,廃用
目的を達成することはできない。一般的にデイ
性に萎縮して栄養吸収率は低下する。
サービスの利用者は自身で生活を組み立てるため,
一方,身体状況の良否にかかわらず,エネル
デイサービス利用時の口腔清掃は歯科疾患予防の
ギー源である脂肪や炭水化物の吸収率はほとんど
ための「歯磨き」であることが多く,職員が特別
変化しない。栄養剤を必要とする人々の多くは要
に誤嚥性肺炎から医療・介護関連性肺炎の発症予
介護度が高いため,身体活動は乏しく,低いエネ
防の目標を持って管理・指導することは少ない。
ルギー消費であるために皮下脂肪は増加する。そ
歯垢は,単純な食渣の集合ではなく,70 ∼80%
の結果,低栄養であるにもかかわらず,見かけ上
の口腔細菌とムコ多糖類などの粘着性の基質から
は肥満(サルコペニア肥満)になる。筋肉が少な
構成される。ヒトの口腔内には,300種を超える
いことで身体活動は乏しくなり,さらに代謝も食
細菌が,正常であっても数十億,口腔衛生状態が
欲も低下するために,低栄養となる悪循環(フレ
悪い場合には1兆個近く生息する。歯科疾患は,
イルティサイクル)が形成される(図2)。
単一種の細菌が原因で発生するのではなく,複数
この状態での過度の運動療法は,筋肉量を減少
種の菌が関与して発生し,これらの細菌は共通し
させるためにフレイルティは改善されず,むしろ
て病原性のバイオフィルムを形成する。
逆効果になる。一方,経口摂取すると口腔から下
バイオフィルムは,歯肉と歯牙の付着部にある
位の消化管が運動するために廃用化が防止され,
歯周ポケットから出る組織液や唾液に含まれる無
栄養吸収率が維持できるため,低栄養から生じる
菌性の糖タンパク質に由来するペリクル(獲得被
フレイルティサイクルの形成が防止され,生活機
膜)という膜の形成から始まる。口腔清掃が不十
能は維持される。そのため,デイサービスで機能
分であると,口腔疾患の原因菌がペリクルに付着
訓練を行うためには,見かけだけでなく,臨床検
し,その上で細菌の集合(コロニー)をつくり,
査による栄養状態の把握が必要である。
やがて病原性のバイオフィルムが形成される。こ
しかしながら,安全に嚥下するために必要な機
れらの菌が口腔疾患を惹起する化学物質を放出す
能は加齢によって低下する傾向にあるため,経口
ることによって歯科疾患を発症させるが,バイオ
摂取には常に誤嚥性肺炎と窒息のリスクが伴う。
フィルムは,歯科疾患の原因菌だけが形成するの
そのリスクは,咀嚼機能が低下しているからとステ
ではなく,緑膿菌,黄色ブドウ球菌,肺炎桿菌,
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