大学教育学会研究集会「学士課程における教養教育再考」報告 2. 学士

大学教育学会研究集会「学士課程における教養教育再考」報告
教養教育運営機構長
遠藤
隆
2009 年 11 月 28・29 日に大阪で開催された標記シンポジウムに参加したので、その概要
を報告する。
1.教育への問いかけ(鷲田清一
大阪大学総長)
大阪大学では、大学院の教養教育を進めている。専門教育が進むほど、教養教育が必要
であるからだ。
現在の学校教育には、生活から遊離しているということや、「知っている人(教師)が知
らない人(生徒)に問う」という倒錯がある。ここには、
「知らないことを知りたくて問う」
という姿が見えない。
痛みを経て得た知恵を次世代に伝えるというのが教育の原点である。価値のパースペク
ティブを得ることが、人間として成熟することであり、教養の意味である。昨今の「二分
法」は、軽薄である。正論としてのイデオロギーを唱えることは、思考停止をもたらす。
人生に必要な様々な仕事を、プロを育て任せてしまうことが、個々の人間の生きる力を
低下させている。自分で解決できない者は、クレーマーとして受動的に振る舞うしかない。
わかっていないものに、わからないまま対処するタフな知性が教養である。これは、わ
かっていないものを考え続ける力であり、能動的な力である。わかっているものだけを学
ぶ受験勉強とは対極にある。
大阪大学では、異なる専門分野の間でのコミュニケーションを学ぶ試みを行っている。
たとえば、BSE 問題を取り上げると、医学部の学生が疫学的な知識を述べ、法学部の学生
が政治情勢を考える必要性を主張し、さらに文学部の学生が、そもそも牧畜の歴史から議
論を始めるべきだと言い出す。それぞれの専門に基づいて、相互に批判する。教養がある
というのは、非専門家を相手に語る力を持つということでもある。
2.
学士課程における教養教育のあり方
(1) 教養教育の再定義とカリキュラムの設計、運営、評価(後藤邦夫
学術研究ネット)
学生は、専門性を保ち、更新していく力を身につける必要がある。我々は、教養教育を
「大学においてのみ可能なアカデミックな学習基盤形成」と再定義する。大学教育でのみ
可能なことは、研究者が教員として教育することであり、すなわち既成概念や権威に対す
る批判を行うことである。
カリキュラム設計においては、カリキュラム構造(統合型、モジュール型、コース単位
制)の選択と配置すべき科目群の選択の双方の視点が必要である。
熱心な教員の多くが、同じ分野の研究者を育てたいという願望がある中で、多様な学生
を相手に再定義された教養教育を行うのは、大学の管理運営を含めて、多くの改革が必要
になるであろう。
(2) グローカル化時代の学士課程教育と教養教育(藤田英典
日本学術会議教養分科会
委員長)
日本学術会議では、中教審答申を受けて、分野別質保証について議論している。我々は、
各大学の多様性や自主性を保証することが必要だと考えている。しかし、分野別参照基準
を示すことは、教養教育の軽視につながるおそれがある。そこで、教養教育・共通教育分
科会を設置して議論することになった。
教養教育では、「公共性」というものがキーワードになる。分科会のメンバーの多くが、
アウトカムやスキル中心の評価には、懐疑的である。「民主的市民の育成」という視点が復
活しなければならない。
(3) 学習成果目標の策定とそれに基づく教養教育のあり方(奥野武俊
大阪府立大学長)
大阪府立大では、統合の際に、総合教育研究機構を設置し、教養教育の責任部局とした。
カリキュラムデザイン会議を設置し、初年次教育の方法などを議論するはずだったが、簡
単にはできなかった。1年半以上をかけて、学士課程における学習成果目標をまとめた。
それは、「自律的な判断基準を形成し、他者の意見を尊重しつつ自分の責任で判断と行動が
でき、また、卒業後も生涯にわたって学び成長できる学生を育てること」である。
ただし、つい最近、府知事から理系中心の大学への改組という方針が示され、今まで議
論してきた改革が止まった。
3.
学士課程教育はどうあるべきなのか?
(1) 学士課程教育というコンセプトはどのようにして生まれてきたのか(奥野祐美子
青山大学)
学士課程に相当する概念は、undergraduate と graduate の概念から生まれたが、定着す
るのにはかなりの時間を要した。学士課程という概念は、学部教育を否定する面がある。
日本では、教育組織(教員組織)と教育プログラムを分離する例が増えている。
(討論では、
組織の分離は、人件費削減などの別の意図で行われているという指摘があった。
)
初年次教育やキャリア教育など、従来の教養と専門という区分になじまない要素が表面
化してきている。また、late specialization も求められている。学士課程教育を再検討しな
ければならない。
(2) 学士課程教育はどのような課題を提起しているのか(山田礼子
同志社大学)
学士課程教育においては、ラーニングアウトカムが求められる。
2008年に、全国の大学の学長、学部長を対象とした全数調査を実施した。また20
09年には、学科長を対象とする調査を実施した。その結果を報告する。学習ポートフォ
リオや客観テストの導入は、あまり検討されていないことがわかった。専門分野別に汎用
的能力を測る客観テストには、賛否が拮抗している。人文系や理学系では、反対が多い。
日本では、批判的思考力の育成が初等中等教育で行われておらず、大学教育だけで養成
することは困難である。
卒論や卒業研究を実質化することで、質保証になるのではないか。しかし、社会科学系
では、卒論を必修としていない場合が多く、医歯薬系の学部でも卒業研究の無いところが
ある。
(3) 学士課程教育のこれからの行方(濱名篤
関西国際大学)
学士課程は、学士という学位にふさわしい学習成果をおさめることが目標である。これ
は、医歯薬系や工学系と比べて、人文、社会、理学の分野では難しい課題となる。
学士課程に対するイメージとしては、「教養教育と専門教育の有機的連携」や「学習成果
の保証」というあたりが共通している。
目標設定や評価に学外者が関与することには、否定的な意見が多い。自律的な改革を志
向しているとも言えるが、客観性があることを社会に説明できるか疑問である。
大学の多様化が進む中で、普遍的側面の担保は難しい課題である。多様化を主張するに
しても、ステークホルダーに対する可視化は進めて行かざるを得ない状況である。