福野まち き 歩

り
里
ぶら
と
なん
ふくの
福野
まち 歩
き
Vol.
1
福野行政
センター前
まちを巡れば、物語の始まりや
まちやひとの歴史や文化、伝統と誇りに出逢える
●
南砺市役所
福野庁舎
横町
西上町
●
郵便局
1
2
JR福野駅
至砺波
沢崎茶舗
静かに守り継がれた伝統と、新しい文化の息吹が同居するまち。福野は
四季折々に彩る景色と笑顔に包まれて、訪れる旅人にとっておきの思い出
を残してくれる。
9
ギャラリー
市の里6号館
●
新町曳山蔵
片山酒舗
福野神明社
8
恩光寺(山門)
三木酒店
朝山精華堂
7
春乃屋
10
5
花島精肉本店
中川食堂
明治30(1897)年5月4日、
「中越鉄道㈱」
が開業。黒田(現高岡駅)∼福野間は、富山
県・石川県で初めての鉄道。鉄道は文明開
化の象徴であり、珍しく、人びとはおにぎり
持参で線路脇で「上りは何本で、下りは何
本かな」などと話しながら一日中「陸蒸気」
を眺めていた。駅舎は開業当初から使わ
れ、今も現役の木造駅舎。日本海側では秋
田より南では最も古い駅舎。
南砺市観光協会福野観光案内所
南砺市松原新1767 ☎0763-22-8700
3
南砺市苗島443 ☎0763-22-2014
※高校の休日、当番の先生が不在の時は
見学不可
4
富山県内唯一の明治期の学校建築。明治
36年4月、富山県立農学校校舎として建設
される。和洋折衷2階建てで明治以降の代
表的な建築。昭和62年「富山県の建築百
選」に選定。平成9年5月、国の重要文化財
に指定。コロニアル様式という木造下見板
張りペンキ塗り、上げ下げ窓の西洋建築の
デザインを基本とする。明治時代の地方の
大工棟梁が独自に洋風の意匠を摂取し習
熟した様子を示す典型的な建造物として
貴重である。南砺のアニメ制作スタジオ
「P・A・WORKS(ピーエーワークス)」が
作ったアニメ「Another(アナザー)」の舞
台モデルにもなっている。
か し て い
樫亭
ギャラリー樫亭は、昭和5∼8年に旧福野町長を務めた篠塚六郎氏(故人)の和風邸宅の一
部で、広さ約300坪。六郎氏が住んだ当時は、よく俳句会が開かれ、文化人の交流の場
だった。六郎氏の俳号(半木)にちなんだ茶室「半木庵(はんぼくあん)」と数寄屋風の座
敷「樫亭(かしてい)」の原形を保ち、傷んだ部分を修復した。ギャラリーは身障者用のト
イレを設置し、幅広い団体が利用できるように配慮。市民の交流空間として陶芸家や染織
家による個展やお茶会などを定期的に行う。また、平成19年の本庭の大改修の時、西北の
隅に隠れるように有った高浜虚子が詠んだ句「この庭や樫の落ち葉のとこしなへ」の句碑
を、台石を作り、樫の木の下に設置しました。この句は、虚子の書をそのまま写して彫って
あり、落款も有している。
南砺市福野御蔵町1328-1(福野交番署隣)☎0763-22-2874 ※見学は要予約
●予約可能人数/20人(20人を超える場合は要相談)
●受付可能日/ご利用日の7日前まで、申込書に必要事項
を記入の上、南砺市観光協会(電話:0763-62-1201)
へお申込みください。 受付後、こちらからご返事いたします。
●料金/原則無料(ガイドの施設入場料は利用者負担)
●集合場所/JR福野駅
●連絡先/(一社)南砺市観光協会 TEL(0763)62ー1201 FAX(0763)62ー1202
●申込み用紙/南砺市観光協会ホームページ「旅々なんと」内、観光ボランティア
ガイドのページからダウンロード(PDF)下さい。
観光ガイドの紹介
HP http://www.tabi-nanto.jp/
くわしくは
旅々なんと
9
恩光寺の
地蔵堂
福野神明社
祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおか
み)
・豊受大神(とようけびめ)
・大己貴神(お
おなむち)。慶安5(1652)年、町が大火でほ
とんど焼けたとき神仏の加護を求めて町の
有力者らが伊勢大神宮の御分霊を迎えたと
言われる。境内神社に天満宮と稲荷社があ
る。天満宮は菅原道真公、稲荷社は倉稲魂神
(うかのみたま)を祀る。5月1日から3日まで
の春季例祭では、福野夜高祭や福野曳山で多
くの見物客で賑わう。
福島の不動尊
樫亭 交番
4
じゅうじゅう
らーめん真太
福野駅
1
2
子安地蔵
Yショップ藤田
新町曳山蔵
人よせ石
まる喜
コース紹介
1
3
至井口
5
巖浄閣
曹洞宗。開祖は応永10(1403)年或いは15
年。新川郡上市町眼目(さっか)立川寺の末
寺。戦国時代に増山城(現在の砺波市にある
国の史跡)の城主であった神保氏の菩提寺。
福野の町立ての翌々年に大火があり、町の再
建にあたり、阿蘇三右衛門翁(福野町の開祖)
は承応2(1653)年庄金剛寺村より当時無住
の寺である恩光寺を福野へ移した。秋葉大権
現も同時に勧請(かんじょう)された。毎年9
月8日に秋葉祭りが行われ火渡りの行事はい
南砺市福野1803 ☎0763-22-2379 まに続く。山門は南砺市指定文化財。
6
新 町 曳 山 は 、古 文 書 に よ れ ば 、文 政 3
(1820)年頃に作られ、神明社の例祭に曳
き廻された。当時、疫病の流行や天災は神
の仕業と考えられ、神を鎮めるため日々の
安泰と豊穣を祈ることを目的として曳き山
が行われた。昭和14(1939)年まで巡行し
ていたものの、その後長らく休眠状態にあ
り、復活したのが平成17(2005)年であっ
た。長年の間、幻の曳山とされてきた。
が ん じょう か く
千鳥
恩光寺(山門)
朝山太陽堂
銀行四ツ角
高札場跡
至福光
8
至小矢部
●
福野文化
創造センター
ヘリオス
巖浄閣
徒歩2分
至井波・庄川
2
新町曳山蔵
徒歩5分
福島の不動尊
地元料亭旅館「福島」の先祖に、四股名を福島とする茂
吉が居た。茂吉は、北陸7ヶ所国力士年寄りにまでなった
力持ちであった。慶応3年に茂吉の門弟らが供養碑と守
本尊不動尊を並べて建てたが、石碑は道路拡張に際し、
現地に移転し不動尊と離れた。不動尊の西隣の浄土宗
蓮生庵の庵主が「不動様が雨露にさらされぬようお堂
が欲しい」とのお告げを夢みた。道路向側には常盤館砺
波ホテルが繁盛していたが、隣主黒川由次郎がこれを
聞いて早速お堂を寄進した。不動明王は58cm座像。
6
JR福野駅
7
子安地蔵
明治中期、夜な夜な真
夜中になると泣き声が
聞こえ泣き止まなかっ
たので、地蔵菩薩像を
作って貰い、御堂を夜
泣きのする方角に建立
し、お経をあげて供養
をしたところ、夜泣き
がばったりと止んだと
いう。御 堂 は、小 ぶり
で町 の 宮 大 工 佐 々木
嘉平の造り。台座の石
組みはお堂に調和する丁寧な造り。彫刻は、
井波の野村清太郎作(清雲の銘)で見事。本
像は、庄川産金谷石、作者不詳。
恩光寺の地蔵堂
浦町から恩光寺の参道
へ入るとすぐ右手に銅
板葺きの大きく立派な
地蔵堂がある。お堂は
大正初め、町の宮大工
佐々木 嘉 平が建 て直
す。彫刻は井波の岩倉
理 人 。お 地 蔵さまは、
180年以上前、文化2年
頃多くの人びとの懇志
により造られた。御影石造りで精巧な彫り。
当時地方に御影の石屋は居なかったので、瀬
戸内からはるばる呼び寄せた。歯の痛い人は
自分の用いていた箸をお供えしてお参りす
ると功徳があると伝えられている。
福野夜高祭
毎年5月1日と2日に開催される福野夜高祭
(よたかまつり)
は、
350年以上
の伝統がある祭り。
江戸時代、
福野の町立ての際に伊勢神宮からの分霊を
迎えた時に行燈を持って出迎えたのが祭りの始りとされる。
富山県無形民
俗文化財に指定。
横町・新町・上町・七津屋・御蔵町・浦町・辰巳町それぞれの
高さ7メートルにもおよぶ7本の大行燈ら大小合20数本の行燈が町内を、
威勢よく町を練り回る。
最終日5月2日深夜
(夜11時頃から)
に、
大行燈によ
る引き合い
(ケンカ行燈)
を行う。
各町の行燈がすれ違いざまに相手方の行
燈飾りを壊わすもので、
祭り最大の見所。
5月3日には曳山巡行が行われる。
3
巖浄閣
徒歩6分
4
樫亭
徒歩3分
5
福島の不動尊
昭和7年、野口雨情が福
野へ来て夜高節新歌詞
を5首作った。その中に、
「福野四つ角 人よせ石は
ひるの日中も寝 てばか
り」という詞がある。野口
雨情が福野を訪れた当
時は、この詞のとおり、
銀行四つ角(⑩)に人よせ石があったと考えられる。現在は、拝殿
に向かって左の本殿前の玉垣の下にある。正面に「六十三〆(貫
目)」、右側面に「梅が嶋村 今井 政次郎」、左側面に「願主 佐々木
嘉三太郎」と刻まれている。
(※63貫は、約236kg)佐々木嘉三太
郎は社寺建築の名工であり、明治末期に辰巳町に和倉温泉の湯を
運んで銭湯「平和湯」を営んだ。その宣伝に銀行四つ角で盤持大
会を催し人々を寄せ集めた。この時、この石を担ぎ上げたのが力
持ちで鳴らした梅ヶ嶋村の今井政次郎である。
10
銀行四ツ角高札場跡
徒歩3分
6
子安地蔵
徒歩5分
7
恩光寺の地蔵堂
徒歩1分
8
恩光寺(山門)
徒歩2分
9
福野神明社
徒歩3分
10
銀行四ツ角高札場跡
徒歩7分
JR福野駅
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド
スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド
(SUKIYAKI meets the world)
は、
毎年8月に富山県南砺市(旧福野町)
で開催される
ワールドミュージックフェスティバル。
世界各国おもにア
フリカ・アジア・中南米のミュージシャン達による音楽紹
介を通じて異文化交流を目的に開催される。
2002年
(平成14年)
サントリー文化財団より
「サントリー地域文
化賞」
、
2008年
(平成20年)
には国際交流基金より国際
交流基金地球市民賞など数多くの賞を受賞している。
この四ツ角は「卍が辻(まんじがつじ・
「かねおりつじ」と
も)という。江戸時代の城下町の四ツ辻は城下へ進入し
た敵が前方を見通せないように、曲尺(かねじゃく)をず
らして交差させたように設計した。ところが福野は城下
町ではなく、市場町として町立されているので、何故卍が
辻になっているのかは謎である。また、藩政時代には掟書
き(おきてがき)、法度(はっと)、禁制(きんせい)などを
公衆に知らせるために盛り場や四ツ辻などの高く板札を
掲げた。これを高札(こうさつ、たかふだ)、または制札と
いった。
南砺男子とは。
南砺の「魅力発信」プロジェ
クト。南砺で活躍する男性ら
の「格好(かっけ)ぇ∼」を発
信する。自然、歴史、文化、産業…様々な魅
力のあふれる南砺。それらに携わる「南砺
ならでは」な人びと(男性)を、
「格好ぇ∼」
をキーワードに集め、発信している。
なんと
まち 歩
き ×
まち歩きで出逢う南砺男子に
是非お気軽に声を掛けてくだ
さいね。
「南砺ならでは」な魅
力を、南砺の格好ぇ∼男性ら
が、そっとあなただけに教えて
くれますよ。