ロウソクの特性をデジタルメディアに導入した 作品制作とその考察

ロウソクの特性をデジタルメディアに導入した
作品制作とその考察
Work production and the consideration that introduced the
characteristic of the candle into digital media
情報科学芸術大学院大学
メディア表現研究科メディア表現先攻
古山知恵
論文目次
概要
1 自然とデジタルテクノロジー
4-3 メイキング
1-1 ロウソクの原体験 4-4 ネットワーキング
1-2 自然のなかでつくり出すもの
4-5 アプリケーション
1-3 デジタルテクノロジーがつなげるもの
4-6 インスタレーション
2 一本のロウソク
5 炎がゆらめくアート
2-1 ロウソクの動詞
5-1 炎と音
2-2 暗闇の感情
5-2 炎と LED
5-3 炎とメディアアート
3 ロウソクというメディア
3-1 ロウソクとデジタルデバイス
6 最後に
3-2 テレビとデジタルデバイス
謝辞
4《fl/rame》
4-1 サマリー
4-2 ビデオフィードバック
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概要
わたしは岐阜県を中心に活動するキャンドル作家である。ひとつひとつハンドメ
イン・ザ・ダーク》の事例から調査し述べていく。さらに第 3 章では、マスメディ
イドし、パソコンやスマートフォンなどを使い、オンラインショップで販売してい
アを体現するテレビが出現した時代を振り返る。また、現代の人々が手にしたあか
る。古から人々の日常を照らしてきたロウソクは、道具としてだけではなく、文化
り、スマートフォンを例にとり、インタラクティブなコミュニケーションを調査す
を醸成してきた。ロウソクがかつての人々が手にしていたあかりだとすると、現代
る。それを踏まえ第 4 章では、本修士作品《fl/rame》を紹介し、メイキングや起き
の人々が手にしているあかりはスマートフォンなのではないだろうか。本修士作品
ている現象、システム、インスタレーションについて述べる。最後に第 5 章では、
《fl/rame》は、iPhone の上にロウソクをのせた、ちょっと変わった作品である。ロ
ロウソクの炎のゆらぎを使ったパフォーマンスや、《キャンドルテレビ》(ナムジュ
ウソクに火を点すとビデオフィードバック現象が起こり、ディスプレイの映像がゆ
ン・パイク 1980)を取り上げ、
《fl/rame》とどこが共通し、なにが異なるのかを照
らぎはじめる。そして複数台ある iPad と通信し、その映像をディスプレイに表示さ
らし合わせ、その特徴を炙り出して論考する。
せ点在することで、目には見えないネットワークゆらぎ(Jitter)を体感するインス
タレーションである。本修士研究は、ロウソクをメディアと捉え、人間的な情報を
伝える特性を論じて、デジタルメディアに導入するものである。
これを述べるにあたり、第 1 章では、筆者とロウソクとの出会いについて、関連
となるカルチャーや、アナログとデジタルの関係がもたらした背景を交えながら述
べていく。続く第 2 章では、宗教的感情がある絵画ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
の『生誕』、科学哲学者ガストン・バシュラールの詩や古典落語『死神』にふれ、こ
れらの芸術からゆらぐ炎の特性を調査し考察する。また暗闇のもつ特性について、
『陰翳礼賛』
(谷崎潤一郎)、暗闇のソーシャルエンターテインメント《ダイアログ・
《fl/rame》https://www.youtube.com/watch?v=F_kgx7gqdxI
©2014 KOYAMA Tomoe
3
I am a candle maker and work mainly in Gifu prefecture. Candles, which have
light which the present generation has be a smartphone? My Master's work,
lit up people's daily lives from ancient times, are not only a tool, but have also
《 fl/rame 》, is a slightly strange work where I place a candle on an iPhone. A
bred cultures. If candles are a light which people used to have, then would not
video feedback phenomenon occurs when I light the candle, and the picture of the
the light which the present generation has be a smartphone? My Master's work,
display begins to shake. It is an installation where, after the iPhone
《 fl/rame 》, is a slightly strange work where I place a candle on an iPhone. A
communicates with several iPads, and by showing that image on each display
video feedback phenomenon occurs when I light the candle, and the picture of the
and scattering them around an exhibition space, viewers can experience an
display begins to shake. It is an installation where, after the iPhone
unseen jitter (network fluctuation). This Master's research perceives candles as
communicates with several iPads, and by showing that image on each display
media, argues candles' characteristics of conveying human information, and
and scattering them around an exhibition space, viewers can experience an
introduces candles into digital media.
unseen jitter (network fluctuation). This Master's research perceives candles as
media, argues candles' characteristics of conveying human information, and
introduces candles into digital media.
In Chapter 1, I will speak about my encounter with candles while combining
related culture and the background brought about by the relationship between
analogue and digital. Continuing into Chapter 2, I will touch on "birth", Georges
de la Tour's painting with religious emotion, and "Death", the poetry and classic I
am a candle maker and work mainly in Gifu prefecture. Candles, which have lit
up people's daily lives from ancient times, are not only a tool, but have also bred
cultures. If candles are a light which people used to have, then would not the
4
1 自然とデジタルテクノロジー
http://wired.jp/2012/11/30/inochinomatsuri/ )
1-1 ロウソクの原体験
そもそもカウンターカルチャーとは、一般的には、60 年代のアメリカで、既成の
社会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった若者たちとされる。また、狭義
わたしは、キャンドルをひとつひとつ手作りして、販売しているキャンドル作家
では、1960 年代に盛んだったヒッピーカルチャーを指すこともある。ヒッピーカル
である。10 年ほど暮らした都市部から離れ、地元の岐阜県で活動している。美しい
チャーには、文明を否定して自然回帰することや、自身の手によってつくるという、
山々に恵まれた岐阜県や、近隣の地域で開催される野外音楽フェスティバルに足を
DIY(Do It Yourself)精神などの思想があるとされる。Apple の設立者である、ス
運ぶようになり、そこでキャンドルと出会った。音楽や、ダンスや、風や、森や、
ティーブ・ジョブズもまた、ヒッピーカルチャーのなかにいたという。ヒッピーの
それらを照らす月の下に、キャンドルのゆらぐ炎があり、ひとつの世界を作ってい
思想をもっていたジョブズは、一部の人に占有されている高価なコンピュータを広
た。人里離れた自然の多い場所で開催されたそのイベントは、一般的にレイブパー
めようとして自宅のガレージで、コンピュータを量産し、Apple を設立したという。
ティーと呼ばれている。そのルーツはカウンターカルチャーにあるとされている。
これは、ヒッピーカルチャーの思想のひとつである、DIY 精神にのっとったものと
まずここで、その思想や理念についてふれるために、野外音楽フェスティバルのル
される。
ーツとなるイベントの記述をとりあげる。
1-2 自然のなかでつくり出すもの
野外フェス」なんて言葉もなかった時代に、それが現在のフェス・シー
ンの元祖であった、ということがある。(中略)「いのちの祭り」をつく
わたしが制作するキャンドルもまた、自身の手によって制作されている。それは
った人や体験した人たちが、その後、90 年代の日本の野外レイヴシーン
一般的に、チャンクキャンドル(または、グラデーションキャンドル)とよばれる
の中心となり、例えば「Rainbow 2000」となり、「フジロック」のよう
ものである。燃料でありながら、着色などをしてデザインできるという、ロウの特
な 21 世紀の夏フェス・ビジネスへとつながっている。(野外フェスの元 性を活かしてつくられている。岐阜の山々を散策して見た自然の風景から、美を見
祖 脱原発と日本のカウンターカルチャーのクロニクル
いだしてデザインしている。何色かのチャンク(ロウの塊)を作り、型につめ、熱
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いロウを流しこんで冷やして固める製法である。このとき、流し込むワックスの温
に、使い終わったキャンドルの、のこりのロウをチャンクにして、同じようにキャ
度を変えることで、色の混ざり具合を変化させることができる。しかし、流し込む
ンドルの材料として、リサイクルするのもひとつの特徴である。そうすることで、
ロウの少しの温度差や、型に詰めたチャンクの大きさや温度、また加工する場所の
人間が意図したものとは違い、自然の中にある色彩に似た、デザインができるのだ。
気温などで、その混ざり具合は大きく異なってくる。また、流し込むロウに着色を
こうして制作されたキャンドルは、野外音楽フェスティバルだけでなく、キャンプ
して、何度かに分けて流し込んで色の層をつくり、デザインすることもできる。そ
や、キャンドルナイトで使われている。また結婚式やパーティーなどのセレモニー、
れは、最初に流し込んだ層を冷やし固めてから、次の層を流し込むのだが、完全に
また自宅リビングや、食卓、バスルームなどプライベートな場所や、レストランや
固めてから次の層を流し込む場合と、完全に固めずに流し込む場合がある。後者の
Bar やクラブでのパブリックな場所での空間演出に使用される。
場合、層と層の境界線があいまいになり、独特のにじみがあらわれる。高い位置か
らロウを流し込むことで、このにじみを大きくしたり、低い位置から流し込むこと
1-3 デジタルテクノロジーがつなげるもの
で、にじみを小さくしたりすることができる。冷めて固まる速さによって、ロウに
入る気泡の大きさや量が変化する。この気泡をデザインとして取り入れる製法もあ
わたしが制作するキャンドルは、オンラインショップでも販売している。パソコ
れば、ステアリン酸を加えて、気泡を取り除く製法もあり、それぞれ美しいとされ
ンやスマートフォンなど、デジタルテクノロジーが生み出したメディウムを使うこ
る。
とで、田舎暮らしをしつつも全国から注文を受け販売することができている。この
ようにインターネットを利用して、都市部とのつながりを持ち、田舎暮らしをする
このように、チャンクキャンドルは、制作環境やロウの温度、流し込むタイミン
人々は増加しつつあるという。ここでひとつの事例をとりあげる。徳島県にある神
グや高さ、チャンクの大きさ、冷やす速さなどによって、ある程度は、意図的にデ
山町は、IT ベンチャー企業などの呼び込みに成功し、全国の自治体関係者らの注目
ザインすることはできる。もしかすると、常に同じ条件の下で制作することで、全
を集めている。また、東京や大阪に本社を置く計 9 社の IT 関連企業が、古民家を改
く同じデザインのキャンドルを量産することができるかも知れない。しかし、意図
築し、サテライト・オフィスを開設し、地域活性化に貢献している。このように、
しない色の混ざり具合、にじみの大きさ、気泡の大きさや量こそが、自然のなかに
田舎暮らしをしながらインターネットを利用して、都市部と同じように仕事をする
あるものや色彩と似ているため、デザインにおいて重要な要素としている。ちなみ
ことを、地域側からも企業側からも、アプローチしている。また、それは若者に受
6
け入れられ、田舎暮らしはライフスタイルとして確立してきている。
(徳島の過疎地
は、キャンドルの灯りのみで照らして暗闇の空間を過ごす人もいるから、わたしの
に IT 企業のオフィスが集結してるらしい
心境は複雑だ。
http://matome.naver.jp/odai/2137282869235075901 )
こうした傾向にある一方で、わたしの地域のコミュニティーの人々のなかには、
2 一本のロウソク
デジタルテクノロジーに対して否定的な声も聞かれる。環境問題や、エコライフ推
進、フェアトレード&地産地消に、深い関心を持つ人々だ。2011 年の福島第一原子
2-1 ロウソクの動詞
力発電所事故から、その眼差しはより顕著になった。わたしは、そのコミュニティ
ーが主催する、フェアトレード・デーというマーケットに、毎年参加し、出店して
一本のロウソクに炎を点したとき、ひとつの世界があらわれる。ロウソクのゆら
いる。フェアトレード・デーとは、WFTO(World Fair Trade Organization)に加
ぐ炎が照らし、浮かび上がるものは、なんなのだろうか。ロウソクの歴史は古く、
盟する世界 70 ヶ国・約 350 団体のフェアトレード組織と生産者組織が、一斉にフェ
紀元前 3,000 年に発明されたとある。また、紀元前 1,550 年頃には、古代エジプト
アトレードをアピールする日である。
の遺跡からロウソクの燭台が見つかったことから、人類の生活に使われていたとさ
(World Fair Trade Dayhttp://www.wftday.org/ )わたしは、地元コミュニティーの
れる。ロウソクは儀式にも使われている。伝統的なキリスト教の祭儀では、祭壇の
人々がもつ理念を受け入れつつも、デジタルテクノロジーを利用して、地方で暮ら
上にろうそくが献じられている。日本の仏事においてもロウソクは欠かせない道具
しながら都市部や他の地域とのつながりを持ち、オンラインショップを運営してい
となっている。お盆やお彼岸におけるお参り、寺社参拝の際には線香とともにロウ
る。つまり、デジタルテクノロジーが、わたしたちの生活に与える影響は、ネガテ
ソクを燭台に立てるのが一般的である。このように、ロウソクの炎は、古から人々
ィブな要因だけではないだろう。インターネットや、パソコン、スマートフォンを
の生活や儀式を照らす道具である。
利用することで、情報を受発信し、美しい自然のなかでの暮らしができている事実
がある。たとえば 3.11 においてもスマートフォンによる安否確認や位置確認情報が
17 世紀、フランス古典主義を代表する画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
役だった場合もある。ただ、デジタルテクノロジーに対して否定的な人々のなかに
(1593-1652)は、ロウソクの炎のあかりで、闇に浮かび上がる神秘的な情景を描い
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た絵画を多数のこしている。ロウソク全体を描いているものもあれば、ロウソクの
クの炎を点すことは、生命の誕生のメタファーなのではないだろうか。
炎が、人物の手元に隠れて見えないものもある。逆光の陰影で、世界を浮かび上が
らせ、隠れていながらも、確かにロウソクはそこにあるという存在感があるものだ。
代表作『生誕』
(1648-1651 頃)もそのうちの一作である。赤子を抱く母と、炎を点
したロウソクを手に持ち、暗闇を照らしている様子が描かれている。これは、聖母
の腕の中で眠る神の子イエスと、我が子イエスを見つめる聖母マリア、それを照ら
すロウソクを持つ母アンナが描かれているとされる。
(http://www.salvastyle.com/menu_classicism/latour_nouveau.html )
これは聖選された聖母マリアが、ベツレヘムの馬屋で神の子イエスを産んだ場面
だとされるが、この絵からは、馬屋であることを一切感じない、清らかな空気に満
たされた空間に見受けられる。また、生まれたての赤子は眠っており、空間は静寂
につつまれ、赤子の寝息と、ロウソクの芯が燃焼する小さな音だけが聞こえている
と感じとれる。ロウソクの炎のあかりに照らし出される聖母マリアの顔は、やわら
かい表情で赤子を見つめており、母アンナは、健やかに眠る神の子イエスの表情を
照らしている。また、慣れない手つきで抱く聖母マリアの手元もロウソクの炎で照
『生誕』(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 1648-1651 頃)
らして、安全を図っているように見える。そこには親から子へ、子から子へ向けら
れる目指しがあり、継承される命の儀式のように感じられる。神聖なる生命の誕生
フランスの科学哲学者ガストン・バシュラール(1884-1963)は、科学的知識の獲
を、ロウソクの炎で照らし、浮かび上がらせているこの絵画から読み取るに、炎を
得の方法のみならず、詩的想像力の研究にも多くの業績を残したとされる。そして、
点してロウソクが燃え始めるように、神の子イエスの生命が始まっている。ロウソ
「われわれは観念世界に帰属しているよりはるかに強くイメージ世界に帰属してい
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る。イメージ世界のほうがはるかにわれわれの存在を構成しているのである」と述
を差し出す。しかし火は消えてしまい、男もまた消え失せてしまうという話だ。こ
べている。そのバシュラールが、ロウソクの炎のゆらぎを見つめ、イメージを膨ら
れは、グリム童話に収載された『死神の名付け親』、もしくはリッチ兄弟の歌劇『ク
ませ、それを詩的に表現して綴った『蠟燭の焔』のなかでこう語る。
リスピーノと死神』を、落語家の三遊亭圓朝(1839-1900)が、日本に輸入し翻案し
たとされている。つまり、西洋でも、ロウソクの炎は人間の命に例えられていたよ
どれでもいい、生(いのち)を表現する動詞の主語として焔を
うだ。というのも、演目のなかに「ロウソクは人の一生に例えられるからな」とい
とりあげてみられるがよい。焔は、その動詞に一層
う台詞がある。ロウソクの動詞は、命の動詞と共通するのではないか。以下のよう
生気をそえるものであることがおわかりになるだろう。
に結びつけると、確かにロウソクは人間の命に例えられるといえる。
つまり、ガストン・バシュラールは、ロウソクの炎は人間の命であると言う。で
点る=生まれる
は、人間の命を表現する動詞をあげて検証してみる。生まれる、成長する、老いる、
炎が大きくなる=成長する
死ぬ、蘇る、なくなる。次にこれらの主語を「炎」にしてみるとどうなるだろう。
小さくなる=老いる
炎が生まれる、炎が成長する、炎が老いる、炎が死ぬ、炎が蘇る、炎がなくなる。
消える=死ぬ
確かにこのように、ロウソクの炎は人間の命を表す主語になり得ているのだ。
無くなる=亡くなる
次に、古典落語に『死神』という演目がある。借金で首が回らなくなった男が、
この演目の主人公が絶命するシーンは、サゲと呼ばれ、落語家によってさまざま
家から追い出され、「俺についているのは死神だ」と言うと、そこに死神が現れる。
な演技がある。例えば、主人公が風邪気味であるという伏線を張った上で死神が登
死神は金儲けの話をもちかけ、男は言うとおりにする。しかし、男は仕事が順風満
場し「お前はその風邪が原因で死ぬ」といわれ、くしゃみをし、ロウソクは消え、
帆になると、恩人である死神を裏切ってしまう。怒りをあらわにした死神は、男を
無言のまま演者が舞台に倒れ込む。また、
「今日がお前の新しい誕生日だ」と言われ、
たくさんのロウソクが点る洞窟へ連れて行き、
「このロウソクはお前の命だ。火が消
バースデーケーキのロウソクのように火を吹き消してしまうパターンもある。だが、
えればお前の命も消える。火を継ぎ足せば命は免れる」と消えそうになるロウソク
六代目三遊亭圓生(1900-1979)は、頭をもたげてゆっくり前方に倒れ込み、絶命す
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る演技をした。これはまるで、ロウソクが消える様のようである。これまでキャン
空間全体がゆらいでいると認識することができる。では、ゆらぐ空間のなかで、人々
ドルを作り続けてきた者として、ロウソクが消える瞬間を「自ら溶かしたロウに溺
は何を見ているのだろうか。まずここで、一人の作家の視点をとりあげる。谷崎潤
れて消える」と例えてきた。まさにこの演目の主人公は、金に目がくらんで自ら犯
一郎の『陰翳礼讃』(1933)である。そのなかの一節にはこうある。
した罪に溺れて消えてしまう。つまり、消え行くロウソクを人間の死のメタファー
にしたのではないだろうか。炎が小さくなるように、手を内側にたたみ込み、ロウ
覚束い蝋燭のあかりの下で、黒漆の椀に沈んでいるものを見ると、
ソクの芯がゆっくり倒れるように、頭をもたげて床につける。ロウソクの特性をよ
実に深みのある、上手そうな色をしているのであった。(29p)
く観察して、この演技を極めたのだと言っても過言ではない。(YouTube 『死神』
三遊亭圓生 https://www.youtube.com/watch?v=WPepTr8UOnU )
谷崎潤一郎は、ロウソクのあかりがつくり出す影が、空間のなかで起こり、日常と
異なる感覚をいいえている。このことから考えうるに、おそらく暗闇は、人間の本
能に近い感覚を刺激しているのではないか。口のなかに食べものを入れたとき、舌
の味覚に全神経を集中させて、味わう。視覚はゆるやかに閉ざされ、味覚にその機
能が集約するのだろう。たとえば西洋人は、日常的にロウソクのあかりの下で食事
をする。数年前に渡英した際、スーパーマーケットで、ロウソクは、青果物のとな
りにディスプレイされていた。ロンドンの人々は、野菜を買うように、ロウソクを
ロウソクの消える様子に似た演技『死神』(三遊亭圓生)
購入しているのだ。おそらく、食材を調理し、美しく皿に盛り付け、ロウソクにあ
かりを点して、食べものを頂くというところまでが、食卓なのであろう。なぜその
2-2 暗闇の感情
ようにして、テーブルでロウソクを点す習慣があるのかと尋ねると、西洋の食事で
は、ワインやチーズ、オリーブオイルなど、香りをたのしむ酒や食材が多いからだ
暗闇に浮かび上がるロウソクの炎は、空間を照らすあかりとしての機能だけを持
ときいた。やはり、ロウソクほどのあかりしかない暗闇のなかでは、五感が研ぎす
つわけではない。その背後には影の存在がある。影のゆらめきを感じているから、
まされてゆくなかでも、とくに嗅覚をきかせることで、よりいっそう、深い味わい
10
を感じるのだろうか。人間が暗闇のなかで、五感を研ぎすますには、別の理由もあ
暗闇でも、仲間がいれば何とかなると感じました。
るとされる。それは、危険な状況から身を守るために、防衛本能をはたらかせると
つまり、視覚情報を遮断することで見えてくるものには、仲間の存在があるとい
いうものだ。食べものは、美味いのかどうかを感じる以前に、毒かもしれないとい
う。そうすることで人は、不安を解消しているのではないか。よって、暗闇には共
う危険性をはらんでいるものである。たしかにその判断を誤れば、命を失うことに
同体を、よりいっそう強める力があり、そこに安心感を見いだした結果、居心地の
もなりかねない。暗闇のなかで人々は、本能的に感覚を研ぎすませているのだとい
良さを感じているのではないだろうか。暗闇は不安から安心へ感情を誘い、それを
える。
人々と共有することは、「緊張と緩和の理論」であるともいえる。
「緊張と緩和の理論」をうちたてた噺家もいるほどである。
ところで、五感を研ぎすます体験に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という、
(https://narrow.jp/feature/29 )このように、暗闇は気分に直接働きかけるようだ。
ソーシャルエンターテイメントがある。それは、完全に光を遮断した空間のなかへ、
先にも取り上げた、谷崎潤一郎は『陰影礼賛』のなかで、赤い火が見えないと冬ら
グループと組んで入り、視覚障害者のサポートのもと、探検するというものだ。参
しい気分にならないと言う。また、西洋の食卓のシーンで見るように、人々にはロ
加者は、暗闇のなかでキャッチボールをしたり、お茶を飲んだりする。そうするう
ウソクの火を囲む習わしや文化がある。火を囲み、そのあかりで相手の顔を見ると、
ちに、視覚情報以外の感覚の可能性と心地よさに気づく。それによって、コミュニ
柔らかい表情に目にうつるとある。
「赤い火」とあるが、厳密にいうとロウソクの炎
ケーションの大切さや、人のあたたかさを思い出すという体験ができるという。体
は赤色というより橙色である。橙色が与える色の効果には以下のようなものがある。
験者の 30 代の男性は、こう語る。
(橙色の性質 (ダイアログ・イン・ザ・ダーク
http://iro-color.com/episode/about-color/orange.html )
http://www.dialoginthedark.com/user_voice/voice_img.html?no=522 )
食欲を増進させる。
暗闇のなかでも、仲間の存在がわかると、とても安心できました。
賑やかさを感じ陽気な気分になる。
ただ、仲間の存在を意識できなくなると、急に不安になります。
エネルギーと開放感を与える。
暗闇は、とても居心地のよい空間でした。
整理整頓ができる。
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親しみが生まれ仲間意識を高める。
アイデアが浮かびあがらせ、ロウソクの炎や芯の挙動までも如実に捉えた身体表現
緊張を和らげ力を出せる状態にする。
を、ロウソクが登場する演目のなかで演じるという、非常にコンセプチュアルな芸
をわたしたちに披露した。食欲を促したり、開放感を与えたり、仲間意識を高めた
また、炎のゆらぎの特性について以下のように書かれているものもある。(1/f ゆ
り、緊張を和らげたりするのは、暗闇のなかで灯るロウソクのゆらぐ炎の特性であ
らぎ人間が心地よく感じる刺激
った。人の顔の表情が柔らかくみえるのにも、あかりの色やゆらぎなど、科学的な
http://lilin-manis.com/healing/healingt.html )
関わりのみならず、心理的側面もあったのだ。ロウソクのゆらぐ炎は、古から道具
としてのみならず、人々の文化も醸成させてきた。そしてさらには、わたしたちの
キャンドルの炎には、心地よく感じるゆらぎがあり、
内面までも照らしてきたのだ。
それは自然界に存在する波の音や
そよぐ風、鳥のさえずり、星の瞬き、蛍の光、
そして小川のせせらぎなどと同じ、
3 ロウソクとメディア
規則性と不規則性の間にあるリズムの周波数である
『1/f ゆらぎ』を持っているからです。
3-1 ロウソクとテレビ
ロウソクのゆらぐ炎が照らしてきたものは、なんなのだろうか。画家ジョルジュ・
ロウソクは、古代から人々の日常を照らしてきた道具であり、文化に影響をもた
ド・ラ・トゥールは、のなかにロウソクの炎のあかりだけが点る薄暗い馬屋で、神
らしたメディアである。では、マスメディアにおいてはどうだろうか。その代表格
聖なる神の子イエスの誕生のシーンを描き、静寂な空間を描いてわたしたちにみせ
であるテレビは、1843 年スコットランドのアレクサンダー・ベインが静止画像を走
た。科学哲学に精通したガストン・バシュラールは、暗闇のなかで、ロウソクの炎
査し電気信号に変換して、電送する装置を開発したことがはじまりとされている。
のゆらぎを見つめて想像を膨らまし、詩にしてわたしたちに語りかけた。そして、
1935 年にはドイツが本放送を開始し、1936 年においては、ベルリンオリンピック
古典芸能を極めた三遊亭圓生も、暗闇のなかで、消えゆくロウソクの炎を見つめて、
大会をテレビ中継した。また高度経済成長期に突入する日本でも、1953 年にテレビ
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放送開始が開始され、白黒テレビが普及した。1970 年代後半には、ビデオテープレ
しかしこの結果から読み取れるのは、それだけだろうか。テレビを生活の中心に
コーダの普及が日本の家庭で始まった。この時代を過ごした人々は、現在、高齢者
してしまっているがゆえ、孤独や寂しさを感じ、社会活動を行う機会があれば、積
となっているわけだが、高齢者とテレビの関係について調査した論文
極的に外に出て人々とふれあい語らい合っているとも考えられないだろうか。つま
があり、要約すると次のようになる。
り、テレビでは、人々の気持ちは満たされていないのである。テレビをみて、感じ
たことを共有する相手がそこにいなければならない。だから人々は外に出るのでは
わが国では、テレビは家庭で手軽に楽しむことのできる娯楽の一つとして定着し、
ないか。おそらく、高齢者にとってのテレビとは、かつてテレビが出現したころに
その普及率は 100%に近いとしている。そしてテレビを含む家庭用娯楽機器につい
体験した記憶を懐かしんでいる部分もあると思われる。当時のテレビは、当時の会
ては、人々の生活時間や生活スタイルヘの影響が問題になることが多い。とした上
社員の年収数年分に相当する高額商品であり、まだ普及率が低く、各家庭に一台も
でテレビの普及率はインターネットやテレビゲームに比べてはるかに高く、その身
ない時代には、テレビのある家庭に、近所の人々が集まり、プロレス中継を観戦を
体的及び精神的健康に及ぼす影響について考えることが重要である。とのことから、
していたとされる。また、不特定多数の人が集まる場所には街頭テレビが設置され、
高齢者の場合、定形就労者が少ないことなどから 1 日あたりの在宅時間が他の年齢
人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継に観衆が殺到したとある。
(力
層に比べて長く、その結果としてテレビの視聴時間も他の年齢層に比べて長い。
(日
道山の試合を旧朝日新聞社前の街頭テレビで見る大群集
本放送文化研究所,2000)この事実をもとに、高齢者は各種の身体的機能の低下に
http://www.bop7.com/essay/index7.html )
より、外出を避け、家庭での娯楽を選択する傾向が強いことも予想される。として
おり、テレビが高齢者の生活全般に及ぼす影響は若年層に比べて大きいと考えなけ
これは近年でいうところの、サッカー観戦のパブリックビューイングのようなもの
ればならないとの仮説をたてている。しかし、結論では、テレビに対する認知的な
ではないか。現代の高機能高性能になったテレビは各家庭にあるにも関わらず、人々
依存性が高いほど社会的活動に積極的に参加していることが示されたとあり、テレ
はパブリックビューイングの会場に足を運ぶ。知らない人同士であってもサッカー
ビを生活のなかに積極的に取り入れ、活用している人たちであるとしている。
(高齢
を応援するという共通の目的や、ゴールを決めれば喜び合うという感情の共有がで
者におけるテレビに対する依存性と社会的活動性との関係
きることが、挙げられるのではないかと思われる。これについて書かれた論文では
http://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/bitstream/10270/3041/1/20-104.pdf )
「パブリックビューイング現象すべてに共通しているのは、感動を共有したいとい
13
う心理が働いているという点である」と述べられている。
3-2 ロウソクとデジタルデバイス
( http://www.disaster-info.jp/seminar2007/summary-yoshida.pdf )街頭テレビ
が登場したのは 1953 年。いまの高齢者が幼少期を過ごした時代である。テレビを生
ロウソクが古から人々が手にしていたあかりだとすると、現代の人々が手にして
活のなかに積極的に取り入れ、活用している高齢者とは、テレビが出現した時代に、
いるあかりはスマートフォンなのではないか。スマートフォンやタブレット端末な
人々と感動を共有した記憶を懐かしんでいる人々なのではないだろうか。よって高
どの、デジタルデバイスの出現に伴い、メディアはどのように変容し人々にどのよ
齢者は、自宅にテレビがあっても、外に出て社会活動を行い、人々と語り合い感情
うな影響を与えているだろうか。この章では、ロウソクというメディアと、マスメ
を共有しているといえる。
ディアの代表格であるテレビや、現代のメディアであるスマートフォンとを比較を
し、なにが共通し、どういうところが異なるのかを、近年に起こった事象や研究結
果を交えながら、あぶり出す。
デジタルデバイスにおいて、ロウソクのゆらぐ炎のような柔らかいあかりはみら
れるだろうか。近年よく目にする、炎の代わりに LED(発光ダイオード)のあかり
をロウソクのように見立てた、LED キャンドルについて考えていく。LED キャンド
ルは百円ショップなどでも販売され、安価で手に入れることができるという簡便性
がある。そのほとんどは、火を使わないことによる安全性をうたっている。確かに
家のなかで火を使うことに、危険や不安を感じる人も多くいると思われる。それゆ
え、LED キャンドルは受け入れられているのであろう。では、実際のロウソクのゆ
らぎを LED は再現しているのだろうか。この件に関しては、厳密な調査が必要であ
ることが予想されるため、本論考では詳しく言及しない。ただいえることは、この
国際プロレスリング大会での力道山戦の放送に群がる市民(1955 年)
LED がつくるゆらめく炎は、「ゆらいでいない」と考えられる。確かにロウソクに
14
見立てたあかりは、炎のようにちらちらと動くが、それはあくまで ON と OFF の繰
剰になる傾向があること、さらに、メールでは想像以上に正しく
り返しである。ランダムに 0 か 1 かを発生させているデジタル世界のものであると
感情を伝えられていないということが明らかになったというわけ
いえる。これを、ロウソクのように人間の命に例えるとしたら、生まれると死ぬし
です。
かない。
となると、この実験結果はメールのみならず、SNS にもあてはまるのではないかと
LED を用いたディスプレイであるスマートフォンは、人々の日常に溶け込み、ど
考えられる。なかでも、140 文字までのテキストメインで利用者と情報交換をする
んな影響をもたらしているのだろうか。いくつかの研究成果や、出来事とともに、
Twitter のアクティブユーザーは、月間 2 億 7,100 万人とされる。
(※2014.12.30 現
検証してゆく。まずは、ニューヨーク大学のジャスティン・クルーガー教授らの研
在)上記の実験結果を参照すれば、そのうちの 56%の感情が正しく伝わっていない
究チームが行った実験についてふれる。メールでの情報伝達の難しさを明らかにす
ということにもなるのだ。(https://biz.twitter.com/ja/whos-twitter )
るために、真剣な内容や皮肉めいた意味合いなど、さまざまな感情が込められた文
章をメールで送信して、相手に正しく伝わるかどうかというものだ。
ここで、本修士作品《fl/rame》
(作品については 5 章で詳しくふれる)に起きてい
(http://gigazine.net/news/20141219-difficulty-communicate-email/ )
るネットワークゆらぎから、ビデオ通信におけるコミュニケーションについて検証
してゆく。《fl/rame》は、複数台のタブレット端末(iPad)をそれぞれ互いにビデ
メール、音声ともに約 78%は正確に伝わっているはずと被験者は
オ通信させることで、パケット遅延によるネットワークゆらぎを起こしているもの
予想していたところ、実際にはメール・音声ともに予想を下回る
である。それを見渡せる空間に iPad を 9 台配置しているが、通常は、そのような使
程度でしか正確には伝えられていないことが判明。特筆すべきこ
い方はまずしない。ここで勘づくのは、人々の生活のシーンにおいて、ビデオ通信
とに、音声での伝達成功率は予想をわずかに下回る 73.1%であっ
を使って、コミュニケーションをとる際も、ネットワークゆらぎを起こしている可
たのに対して、メールでは予想を大きく下回る 56%しか正しく伝
能性が高いと思われる。つまり、ビデオ通信での会話では、相手のと間がズレてい
わっていないという結果が出ました。つまり、正しく感情を伝達
るのだ。リアルの世界でも、会話をするとき、相手との間があわないと、話が噛み
する能力(伝達力)についてメール・音声と伝達手段を問わず自信過
合なくなったり、うまくコミュニケーションがとれないことがある。
15
例えば、3 人以上でビデオ通信を使って会話するときを想定して検証する。3 人を、
3-3 テレビとデジタルデバイス
A さん、B さん、C さんとする。A さんが、B さん C さんの両者に、なにか問いか
けたとする。すると、B さんが先に返答したとする。しかし、C さんは B さんの意
では、テレビとスマートフォンとの比較においてはどうだろう。ここでひとつの
見は異なるものだとする。この場合、先に答えたぶん、C さんより B さんの意見が
出来事を振り返る。2014 年(平成 26 年)9 月 27 日 11 時 52 分(日本時間)に発生
通りやすいと考えられないだろうか。なぜなら、B さんの意見に対して、C さんは
したとされる、長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山(標高 3,067m)の噴火の際
反論する形になるからだ。(言った者勝ち
に、このような事実があった。
http://bit.ly/14ULwse)しかしここで、ネットワークゆらぎが起きていることが事実
だとすると、実際には、C さんの方が先に返答している可能性があるのだ。
(ビデオ
医師が検視した犠牲者のほぼ半数が噴火の写真を撮影していた。携帯電
通信アプリの使用時のメッセージに遅延が生じる
話を手に持ったまま亡くなっていた人もいた。噴火 4 分後の 27 日午前 11
http://tips.asablo.jp/blog/2013/08/06/6937336 )
時 56 分に撮影した記録が残るカメラもあった。噴火直後は自分たちが巻
き込まれるとは思っていなかった可能性がある。医師は「写真を撮らず
ここまでのデータや検証から考察すると、ロウソクのように、ひとつのあかりを
囲んで、互いの顔の表情を見ながらやりとりする情報と、メールのように、テキス
早く逃げていてくれれば」と残念がる。
(http://matome.naver.jp/odai/2141179503174543101 )
トメインでやりとりする情報とでは、感情の伝わり方が大きく異なるといえる。お
そらく、誰にでも、メールのやりとりや SNS でコミュニケーションをするなかで、
身の危険に気づかずに、情報を受発信する行動というのは、ロウソクの時代には、
行き違いが生じて、トラブルに至ってしまった経験はあるだろう。メールや SNS で
おそらくなかったのではないか。テレビ番組のなかにみられるような実況中継を、
のコミュニケーションでも行き違う事実があるのに、デバイスのカメラを用いたビ
素人もやるようになったり、新聞に掲載されるような写真を撮って SNS に投稿した
デオ通信での、映像と音声でのコミュニーションにおいても、正確に情報が伝わっ
りすることがある。テレビや新聞などのメディア以前には、そのようなことは起こ
ていない可能性があるのだ。
りえなかったことである。
16
人々はテレビを見て、愚痴を言ったりヤジを飛ばすことがある。しかし、スマホ
文化にも影響を与えてきたメディアである。しかし、デジタルデバイスとは異なり、
を見て、ヤジを飛ばすことはしないが、声にはしないものの、文字にして投稿はす
それ自体が何らかの機能をもつわけではない。一方で、テレビやデジタルデバイス
る。一方向性のテレビに対して愚痴やヤジを言うような行為は、その場のテレビと
もまた、それ自体では機能しない。人々がどのように利用するかによって、一方向
行為者のあいだにのみ成立するできごとであり、それが外部に拡散することはない。
または双方向のコミュニケーションを可能にする装置なのである。
それは、テレビの一方向性ゆえのコミュニケーション特性といえる。しかし、それ
を、そのままインタラクティブな特性をもつスマートフォンの世界にスライドさせ
てしまったから、行き違いが増えネット上のトラブルは起こりやすく、事件にまで
4《fl/rame》
至るケースまであるのではないだろうか。そういったメディアの特性を洗い出しな
がら、早期からのメディア・リテラシー教育は、年々重要視されつつある。情報の
4-1 作品について
送り手と受け手の循環,情報の批判的な分析,多様なものの見方・考え方を促す資
料の投入を学習活動に位置付けるとある。
この節では、本修士作品《fl/rame》を紹介する。タイトルは、炎を意味する「flame」
(メディア・リテラシー教育小学生向け教材の開発
と、枠を意味する「frame」とを合成した造語である。枠というのはデジタルデバイ
http://www.edu-ctr.pref.okayama.jp/chousa/study/h17/syoin/kyo05.pdf )
スのフレームや、デジタルとアナログの既成の枠組みなどの意味もある。
メディアは、情報の一方向性をもつアナログメディアから、情報の双方向性をもつ
デジタルメディアへと時代とともに変容した。たしかに情報量は増え、情報の受信
1 概要
者を増やし、受信機会を増やし、人々の生活に浸透してきた。しかし、その急速な
フロントカメラを起動させたスマートフォン(iPhone)の上に、ロウソクをのせ
流れに、人々は戸惑い続けているのではないか。ロウソクは、古から人々が手にし
て灯を点すと、炎のゆらぎに追従し、グラデーションを描きながら、ゆらぐ映像が
ていた照明装置だとすると、現代の人々が手にしている照明装置はデジタルデバイ
ディスプレイにあらわれる。また、その映像を、複数台のタブレット端末(iPad)
スだといえる。ロウソクに火を点し、ゆらぐ炎を囲んで、人々が共に過ごすコミュ
とビデオ通信し、それぞれのディスプレイに時間的なズレを生じさせながら表示す
ニケーションは、暗闇とあかりで構成された空間である。ロウソクは道具でもあり、
る作品である。
17
2 効果
5 鑑賞
日常において、比較的手にする機会のあるロウソクとスマートフォン。 その両者
また鑑賞する際に、火の危険性、作品に使用するロウが薄く壊れやすいことから、
を連結し、連動させることで、ロウソクだけでもスマートフォンだけでも体験する
作品にふれてはいけない制約をつけた。よって、鑑賞者は見ること(凝視する、目
ことのできない光景を見ることができる。
で追う、見守る、目に焼き付ける、照らし合わせる、眺めるなど)に集中する。次第
に暗闇のなかで、目が暗順応してゆき、空間を認識していく。このように、目の特
3 動機
性を用いることで、ネットワークゆらぎを体感することができる。
そもそもわたしは、ロウソクの炎のように、予測できない動きや、何もしなくて
も動く(厳密には大気などの外部環境でゆらぐ)ものは、デジタルの世界には存在しな
※ちなみに、ネットワークゆらぎが起こるのは、以下のことが考えられる。
いと考えていた。しかし、炎のゆらぎのように不確定な動きのあるものは、本当に
デジタル世界には存在しないのだろうかという問いから、ロウソクの炎の挙動をデ
主にパケットの遅延によって、映像がディスプレイに表示されるまでの時間に、
ジタルに変換することを試みたのである。
ズレが生じる。また、ネットワークゆらぎによって、遅延時間は定まらない。それ
によって、ディスプレイに表示されるズレのタイミングにバラつきが生じる。また、
4 意図
バラつく順番は決まっていない。この現象を、複数台のデジタルデバイス(iPad)
iPhone にロウソクをのせて火を灯すこと。ディスプレイに表示されるゆらぐ映像
のディスプレイに表示させることによって、目には見えないネットワークゆらぎを
は炎の動きに追従すること。それが、複数台のデジタルデバイスに拡張すること。
体感できるということである。
ネットワークゆらぎによって、ディスプレイに表示されるズレのタイミングがバラ
つくこと。それらは、インパクトがあり、シンプルで理解しやすく、価値観を共有
していない人にも、興味を覚えるものを目指した。
18
写り具合を確認しながら、撮影することができる。さらに、その画像を遠くの誰か
と共有することができる。この映像メディアは家族や友人知人とのコミュニケーシ
ョンや、ビジネスにおいても、遠方の相手とより伝わりやすい情報をかわすことに
一役かっている。そのためのアプリケーションは、スマートフォンのデフォルト機
能として実装されているか、もしくは、無料サービスとして誰でも手軽に利用でき
る。そのようなアプリケーションとしては、Facetime や Skype が代表的である。こ
れらのビデオ通信アプリケーションは、Facetime する、Skype する、など、動詞そ
のものとなるほどに、人々の日常に溶け込んできている。
本修士作品《fl/rame》https://www.youtube.com/watch?v=F_kgx7gqdxI では、ス
マートフォンの、主にカメラデバイスの機能を、想定されていない使い方をしたこ
とで、ビデオフィードバックが起きている。まず、スマートフォンの上にロウソク
《fl/rame》(こやまともえ 2014)photo by MIYATAKE Takayuki
をのせて火を点す。そのあかりをスマートフォンのフロントカメラがロウごしに捉
えるとディスプレイにゆらぐ映像が出力される。その映像が、ロウを透過して、作
品全体が発光する。発光したあかりを再びカメラが捉える。ただし、直接ではなく、
4-2 ビデオフィードバック
レンズの上にのったロウを通したあかりである。この際、外光が射していれば、こ
れらの加算された光がカメラに入力される。すると、ディスプレイに再びゆらぐ映
スマートフォンの普及や、コミュニケーションの多様化に伴い、カメラデバイス
像が出力されて…というループが起きているのである。それはビデオフィードバッ
は革新的な進化をとげた。また、カメラの小型化、低価格化によって、フロントカ
ク現象だと考えられるのだが、そもそもビデオフィードバックとは次のような現象
メラが実現された。フロントカメラは、ディスプレイに自分の顔や姿を表示させ、
をさしている。
19
電子映像=ビデオにおいては、閉回路的な電子信号のシステムを組むこ
ために、色合いを補正しているのである。また、ゲインコントロールは、明るすぎ
とによって、出力された信号をもう一度入力へと入れ直し、回路内を信
る光が入力されると、出力されるディスプレイを暗めに抑え、暗い映像のが再びカ
号が無限に循環・暴走する状況が作り出される。これを電子映像で行な
メラに入力されると、今度は明るさを増す処理である。これらは、人間の手動操作
い、(中略)映像表現に使用するのがビデオフィードバックである。
よりすばやく、高性能に行えることから、自動に作動される機能であるといえる。
(中略)初期のビデオ・アーティストたちの
また、カメラの CMOS センサでの色感度、OS 側での色補正、アプリケーション側
多くはこのフィードバックに注目し、それを使用した作品を制作し
でのフィルタの影響も考えられる。フィルタの時定数が小さければ小さいほど、色
てきた。(中略)ビデオフィードバックは電子映像の圧倒的なス
の変化する周期が短くなると推測される。ディスプレイにゆらぐ映像を発せさせる
ピードと循環が私たちの意識を否応なく巻き込み、その主体性を失
主な要因である、フィードバックループにおける遅延には、次のような要素がある。
わせてしまう状況を批判・反省的に提示しているものだといえよう。
カメラデバイスそのものの遅延や、アプリケーションループによる取得遅延、デー
(http://bit.ly/1DFYtlo 河合政之)
タ転送に必要とされる時間による処理遅延、液晶などがスキャンされる時間のディ
スプレイの表示遅延、などが考えられる。これらの遅延が少ない程、周期(時間)
では、本修士作品《fl/rame》で使用しているスマートフォン(本研究では iPhone
が短くなると予測される。また、画面が一瞬、真っ白に発光して見えるのは、映像
とする)においては、どのようにしてビデオフィードバックが起こっているのだろ
または、カメラ入力がサチュレーションもしくは、ハレーションを起こしているか
うか。まず、ビデオフィードバックを起こした映像の色合いに関しての起因のひと
らではないかと推測される。ちなみにハレーションとは、たとえば太陽など強い光
つに、デバイスカメラのフィルタ特性が考えられる。それにはオートワイトバラン
線を、カメラで撮影したとき、画像に入る煌めきのことである。
スや、オートゲインコントロールなどの、自動補正機能が考えられる。ホワイトバ
ランスとは、画面に大きく映る色は、白色である可能性が高いということを利用し
4-3 メイキング
て、画面全体の色合いを調整する機能である。なぜ、このような機能があるのか。
それには次のような理由があげられる。例えば同じ白色の紙が、カメラでは白熱灯
まず、本修士作品で使用した、ロウの原料や、制作過程について詳しく記してい
の下と蛍光灯の下では違う色に映るが、これを、人間の目に映る世界と同一にする
く。はじめに、プレート状のロウの部分の原材料は、融点 55℃のパラフィンワック
20
スを使用した。他の融点ものより比較的油分が多く、透明度がある。本修士作品で
4-4 ネットワーキング
は、ロウの透過性を利用しているため、より透明度の高いパラフィンを使用するこ
とで、ディスプレイに表示された、ゆらぎ画像をより鮮明に発色させることに成功
当初は、一台の iPhone であったが、その映像を他のデジタルデバイス(iPad で
した。また、ディスプレイに現れた光が、ロウの中を通り、カメラに入力するので、
試みた)にネットワーク経由で転送させることができた。次に、iPad でもビデオフ
やはり透明度が肝心となる。ここで、制作方法について記していく。まず気泡が入
ィードバックが起こりうるかを検証した。iPhone と同様のプロセスで作られたロウ
りにくくするため、融点温度の 55 度の低温で溶かし、バッドに、高さ 1cm ほどに
のプレートを iPad のサイズに形成した。それに火を点し、フロントカメラを起動さ
なるように流し込み、プレート状にする。その際、バッドには予め、シリコン樹脂
せた iPad の上に置いた。するとやはり、iPhone と同様に、ディスプレイの映像は、
加工された、熱に強いシートをひいておく。こうすることで、型取りしやすくなる。
ビデオフィードバック現象を起こし、ゆらぎはじめた。そしてさらに、もう一台の
冷却され硬化してゆく際にできる、プレートの反りをフラットにするために、一度
iPad とビデオ通信させることを試みたところ、iPhone に表示されたゆらぐ映像が転
固めてから、凹みのある面を下にし、太陽光の下、太陽熱を利用して柔らかくし、
送できることがわかった。そしてさらに、もう一台増やし、3 台の iPad でビデオ通
上からゆっくり手で押さえつけながら、フラットにしてゆく。できあがったプレー
信を試みた。そこで、使用されるディスプレイの表示速度に、ズレが生じることに
トは、iPhone よりひとまわり大きなサイズにナイフでカットし、アイロンで形成し
気づいた。このズレの原因を検討したところ、ネットワーク上の遅延の影響ではな
完成させる。プレートに立たせるロウソクは、一般的に市販されている、太さ 10mm
いかと考えられた。遅延とは、以下のような現象をさしている。
(テクノロジー解説
のお供え用のものである。ステアリン酸が含まれ、パラフィンワックスのみのロウ
- Cisco Systems http://bit.ly/1xZiJwl )
ソクに比べて、硬化度が高く折れにくい。それにより、燃焼時間が経過しても垂直
性を保つことができる。本修士作品では、カメラが捉えやすい高さである、約 3~4cm
媒体を経由して情報が伝わるとき、常に「遅延」が発生します。
にカットしている。その際に折れにくくする必要があったため使用した。
たとえば、会場から離れた場所で//花火を見ていると、
花火が見えてから遅れて音が聞こえます。
これは、空気を媒体とする光と音の伝わる速度に違いがあるため、
まず光、それから音が到達するためです。
21
光はかなり高速に空/気中を伝わりますが、
では、表示される順番に連続性があるかどうかを明確にするために一列に並べた
それでもわずかに遅れて到着していることには変わりありません。
iPad であったが、一定の広さの空間に点在させれば、ネットワークゆらぎによる不
ネットワークにおいても、遅延は発生します。
連続さが目立たなくなるかも知れないという考えから、1m~2m ほどの間隔をとっ
これは、高速ネットワークや高性能な機器によって
て 3 台の iPad を配置した。すると、不連続さは目立たなくなった。また、その効果
解決できるものではありません。
とは別に、目に見えないネットワークゆらぎを、ディスプレイを通した映像から体
遅延時間を短くすることはできても、なくすことはできないのです。
感することができる空間となった。そしてさらに、iPad の台数を増やすことを試み
た。すると、よりゆらぎを体感できる空間は、広がったが、複数台の iPad を通信さ
では遅延は、どのような順に起こっているのか、直線方向への連続性があるかど
せたことによって、しばしば接続できない状況になることがあった。おそらく、複
うかを調査するために、iPad を一列に並べて検討した。すると一台目、二台目の順
数台のデバイスを同時接続(検証では、iPhone とあわせて合計 9 台)させたことな
に遅延が起こることがあれば、二台目、一台目と順不同に遅延が起きることもあっ
どによって、ネットワークの接続状況が不安定になったと推測される。これらのこ
た。ここで不確定な遅延時間が生じ、考察したところ、
とから次節では、接続状況を安定させるために、ネットワークや、デジタルデバイ
ネットワークゆらぎ(ジッタ)によるものであることが解った。
スのアプリケーションの特性から検証し、試みた過程について詳しく述べていく。
(テクノロジー解説 - Cisco Systems http://bit.ly/1xZiJwl )
・ジッタ
4-5 アプリケーション
遅延を引き起こすものではないけれど、非常に重要な要素に伝送遅延の変動、
つまり「ジッタ」
(ゆらぎ)があります。すべての通信に対して常に同じ遅延時間
本修士作品のネットワーク接続が不安定になる現状から推測すると、主にサーバ
が発生するのであれば、それを予測して対処することができます。しかし、遅時
ーの問題があげられるのではないかと考察する。ここで使用したビデオ通信アプリ
間は必ずしも一定ではありません。特にインターネットの場合、どこを経由して
は Google hangouts である。そして介すサーバーは Google サーバーとなる。一旦イ
パケットが転送されるかがわからないため、パケットの到着時間を予測するのが
ンターネット上にある Google サーバを経由して映像伝送を行っているため、遅延が
非常に困難です。
発生しやすい。また、伝送経路にある機器を経由しているため伝送遅延が発生して
22
おり、ネットワークゆらぎが、複数台の iPad のディスプレイの表示時間がズレるタ
ークゆらぎを体感できるとは言えなかった。さらには、ストリーミング元の iPhone
イミングのバラつきを引き起こす要因と考えられる。本研究作品では、遅延時間の
から配信された映像は、複数台の iPad に表示されるまでに、約 20 秒以上のタイム
バラつきを起こすことで、ゆらぎを表現することを目的としていたため、ネットワ
ラグが生じた。これでは、iPhone と iPad が繋がっているとは言えない。これらの
ークゆらぎはメリットとなった。
ことによって、ネットワークとアプリケーションの特性から、遅延現象が起こった
が、よりゆらいだ空間をつくりだす手段として、ネットワーク接続が不安定になる
つぎに、他のビデオ通信アプリをいくつか試みた。まず iOS のデフォルトアプリ
リスクを抱えつつもやはり Google hangouts アプリを本修士作品のために利用した。 である、Face time である。しかし Face time では、全画面表示が行えない。本修士
作品では、ロウソクの炎に追従してゆらぐ映像がメインとなるため、アプリケーシ
ョンによる画面の制約がある場合、それは除外とする。また、一般的なビデオ通信
アプリとして、人々に一般的に浸透しているとされる Skype について検証した際も、
同様に画面の制約があった。例えば iPad においては、画面の半分が、リストなどが
表示されてしまい、やはりゆらぐ映像をメインとする表現にはならない。さらに、
他の全画面でビデオ通信ができて、ローカルネットワークを使用するアプリ
(Instant Webcam PhobosLab)を試みた。すると、今度は、複数台の iPad 間にも、
ネットワークゆらぎが生じず、全てが同時にゆらぐ映像が表示されてしまった。そ
れでは、ネットワークによるゆらぎが生じていることをあらわせていない。では次
に、ストリーミング配信アプリ(Ustream)を試みた。iPhone をストリーミング元
とし、複数台の iPad でそれを視聴するというものだ。すると確かに、iPhone のデ
ィスプレイに表示された、ゆらぐ映像は、通信している各 iPad では、同じタイミン
グで表示されてしまう。これでは、表示時間にバラつきが生じないため、ネットワ
システム図
23
4-6 インスタレーション
5 炎がゆらめくアート
本研究作品では、展示空間のレイアウトを、以下のフローを想定して行った。
デジタルとアナログをつなぐ作品には、どのようなものがあるのか。ここまで検
1.展示会場に足を踏み入れた鑑賞者は、火が点った iPhone に近づく。
証し考察してきた、メディアとしてのロウソクのゆらぐ炎の特性と、マスメディア
2.iPhone のディスプレイに表示されたゆらぐ映像を見る。
であるテレビの特性、デジタルメディアであるスマートフォンのディスプレイに使
3.背にしたスペースに気配を感じて振り返ると、複数台の iPad の存在に気づく。
われている LED の特性を利用したアート作品を例にとり、それらた人々にもたらし
4.ディスプレイに表示されたゆらぐ映像と、
た体験にはどういうものがあるのか、照らし合わせる。
5.複数台の iPad のディスプレイに表示されたゆらぐ映像とを、見比べる。
6.それぞれの映像が動機していることがわかる。
これを述べるにあたり、ジャン=マルク・ペルティエ氏のロウソクの炎を使ったラ
7.次第に、目が暗闇に慣れてゆき、iPad に近づいて歩き出す。
イブパフォーマンス(『NxPC.LIVE vol.12 での@渋谷 SECO 2012』を取り上げ分析
そのために、展示会場にある扉を利用した。扉を開けてすぐの場所に iPhone をのせ
し、つぎに《10 番目の感傷(点・線・面)》(クワクボリョウタ 2010)と本修士作
た展示台を置いた。そして、複数台の iPad をのせる全ての展示台の高さを変え、上
品《fl/rame》との相違点と共通点をみて分析する。最後に、『ライト・[イン]サイ
下方向にもゆらぎをあらわした。また、暗闇では、足下に注意しながら歩く人がほ
ト―拡張する光、変容する知覚』展(NTT インターコミュニケーション・センター
とんどであため、展示台は、腰より低い高さにし、足下に視線を落としながら歩く
[ICC] 2008)に展示された数々の作品から《キャンドルテレビ》
(ナムジュン・パイ
人の視界に入るようにした。また、展示台はひとつひとつに到着するまでの歩数を
ク 1980)を取り上げ、「光」という存在の過去、現在そして未来の可能性を考察す
割り当てて導線をつくった。歩数はわたしの身体をものさしにした。私の身長は
る。
165cm。人類全体の身長もまた 165cm。作品展示の際に、鑑賞者の様子を伺がって
いると、想定したフローどおりに鑑賞するひとがほとんどであったが、たいていの
5-1 炎と音
鑑賞者は、火の番をする役割のスタッフに話しかけ、そこに会話が生まれたり、他
の鑑賞者と会話が始まったりするコミュニケーションがうまれた。
まずはじめに、ジャン=マルク・ペルティエ氏の、ロウソクの炎を使ったライブ
24
パフォーマンスを取り上げる。それは、通称ライト・オン・マイクと呼ばれる光セ
一本のロウソクに火を点してパフォーマンスは始まり、ゆらぐ炎を出現させた。
ンサで、ロウソクの炎のゆらぎを捉えて、音声に入力して音をマッピングし、炎の
ロウソクのゆらぐ炎と暗闇がつくりだす静寂のなかで、炎のゆらぎに追従した音楽
ゆらぎとシンクロして、音がトレモロするというものである。また、パフォーマン
が流れている。それは先に述べた『陰翳礼賛』谷崎 潤一郎の書にあった、「覚束い
スの最後に、彼はこのようにコメントしている。
蝋燭のあかりの下で、黒漆の椀に沈んでいるものを見ると、実に深みのある、上手
そうな色をしているのであった」との一文から、暗闇では、五感が研ぎすまされる
「ライト・オン・マイクはハイフレームレートで、小型で、解像度が低いカメラ。
と考察したように、やはり音楽においても聴覚に集中されるといえる。観客の呼吸
44,000fps で解像度が 1px × 1px。
(ライト・オン・マイクは)安くて、安定してて、
も聞こえうるような空間のなかで、炎のゆらぎに追従した音が小刻みに鳴り、その
面白い。」
音が二音、三音と重なってゆき、さいごは吹き消して、リズムのある音楽が始まる。
これは先に取り上げた、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『生誕』にみられるよう
ちなみにフレームレートとは、動画において、単位時間あたりに処理させるフレ
に、ロウソクに火を点すことが、生命の始まりのメタファーであることを喚起する
ーム数(静止画像数、コマ数)のことである。通常、1 秒あたりの数値で表し、fps
といえるかもしれない。また炎を吹き消すことは、三遊亭圓生の『死神』にあった
(frames per second)という単位で表す。通常、光センサはスピーカーなどに出力
ように、生命の終わりを告げる意味合いがあったともとれる。さらに音楽が始まる
するもので、音声に入力はさせない。ここで重要なのは、光センサを、想定された
ことは、蘇りや再生をあらわしたといえるのではないだろうか。
使い方をしなかったことの結果、面白かったという事実である。
『NxPC.LIVE vol.12 でのライブパフォーマンス 』
(ジャン=マルク・ペルティエ @
渋谷 SECO 2012
http://www.iamas.ac.jp/INFO/IAMASEVENT/2012/03/nxpclab_iamas_warehous
e_party.html )
※わたしはこのライブパフォーマンスを、リアルタイムにストリーミング配信
(Ustream)で視聴した。
25
し、考察する。作品の紹介文にはつぎのようにある。
(http://www.mot-art-museum.jp/blog/staff/2014/08/post-265.html )
鉛筆やスポンジといったありふれた日用品を並べ、それを光の電車で照らすことで、
街や自然の風景など思いがけない壮大なイメージを浮かびあがらせます。
(YouTube The Tenth Sentiment / 10 番目の感傷(点・線・面)
http://bit.ly/1BOOGYw )
相違点
(10 番目の感傷/本修士作品)
『NxPC.LIVE vol.12 でのライブパフォーマンス 』(ジャン=マルク・ペルティエ 2012)
5-2 炎と LED
・LED
ロウソクの炎
・影をつくる
あかりをつくる
・光源が強い
弱い
・輪郭が強い
弱い
・明暗の幅が大きい
明暗の幅が小さい
・光源が移動する
光源がゆらぐ
ここで、アーティストのクワクボリョウタ氏の作品《10 番目の感傷(点・線・面)》
・光を壁と天井に広げる光をフレームに納める
(2010)について、本修士作品《fl/rame》との共通点と相違点を照らし合わせ、ア
・光源はひとつ
ひとつの光源からいくつかに増やしている
ナログとデジタルの境界線が曖昧なものにはどういう特徴があるのかについて調査
・壁と天井が必要
必要ない
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・屋外で展示できない できる
・感情にいくつかの種類と流れがある
・スケール感がある
ない
10 番目の感傷:不安→緊張→驚き→興奮→期待→好奇心→
・具体的
抽象的
親近感→ノスタルジー→驚き
・モノクロベース
七色のグラデーション
本修士作品:不安→緊張→驚き→興奮→期待→好奇心→リラックス
・火は使わない
火を使う
→リフレッシュ
・炎はない 炎である
・ 鑑賞者同士、または鑑賞者とスタッフなどとのコミュニケーションが生まれる
共通点
こうしたことから、ひとつは見るという行為にいくつかの種類があることが特徴
・暗闇の空間である
だと感じられる。つぎのように、順を追って書き出すと、みることにも種類がある
・日用品を使っている
だけでなく、流れもあるように思われる。
・誰もが理解しやすい
・シンプルなシステム
10 番目の感傷:
・デジタルとアナログの境界線が曖昧
壁を見渡す、天井を見上げる、電車を目で追う、置いてあるものを
・進む音がある(電車の音/ロウソクの芯が燃える音)
注視する、ものと影を見比べる、電車が進むのを見守る、風景を
・始まりと終わりがある(線路の長さ/ロウソクの長さ)
眺める、目を遠くするなど
・「見る」ことにいくつかの種類がある
みる、見渡す、見上げる、目で追う、凝視する、注視する、
本修士作品:
目に焼き付ける、見比べる、照らし合わせる、を疑う、見守る、
iPhone を凝視する、目を疑う、炎のゆらぎを目で追う、
眺める、目を遠くする、目を丸くするなど。
炎の安全を見守る、iPhone のディスプレイの現象(ビデオフィード
バック)を目に焼き付ける、iPhone と iPad を照らし合わせる、
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空間全体を眺めるなど
る。(HIVE ICC のオープンな映像アーカイヴ
また、感情にいくつかの種類と流れがあることが重要だと考えられる《10 番目の
http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20120819_2 )つまり、アーティストが
感傷(点・線・面)》では、序盤に驚きがあり、最後にも驚きがあるところに意外性
意図しないところで、展示室で出会った知らない人同士がコミュニケーションをは
のあるものだ。また配置されたオブジェクトや日用品の登場する順番には、あまり
かるのだという。
意味をもたせず、鑑賞者のイメージ世界に介入し委ねているように思われる。これ
は、先にふれた、ガストン・バシュラールの「観念世界に帰属しているよりはるか
本修士作品の展示の際にもまた、たいていの鑑賞者は、火をつける係のスタッフ
に強くイメージ世界に帰属している。イメージ世界のほうがはるかにわれわれの存
に話しかけ、そこに会話が生まれたのだが、その内容が実にユーモラスでユニーク
在を構成している」との思想にも通ずるところがあるだろう。
で笑ってしまうようなものがあった。例えば「iPhone のお葬式みたい」「ぼくの
iPhone でもできる?(といって実際に試した)」などであった。それは、先にとり
しかし、始まりと終わりがあることは、共通点であるが、相違する点でもある。
あげた、
《ダイアログ・イン・ザ・ダーク》の事例において、人は暗闇の空間にいる
本修士作品は、火を点すところからはじまるの対して、
《10 番目の感傷(点・線・面)》
とき、仲間の存在がわかると安心することがわかったように、展示空間の暗さが、
は、照明が消えて真っ暗になることから始まる。そして電車は終着し、巻き戻され、
人間の行動に影響を与えていると考えられるのだ。また、見ることにいくつかの種
再びはじまるのだが、先のジャン=マルク ペルティエ氏のパフォーマンスから考察
類があり、感情にいくつかの種類と流れがあるとき、たとえ知らない人同士であっ
したように、再生や蘇りをあらわしたと感じ取れる。ガストン・バシュラールが描
ても、その時間をともに過ごし、見たことや感じたことを語り合いたいのではない
いた詩のように、生(いのち)を表現する動詞の主語に、この作品はなりえている。
だろうか。それも《ダイアログ・イン・ザ・ダーク》と共通している。この点から
また、特筆しておきたいのは、鑑賞者同士、または鑑賞者とスタッフとのコミュニ
しても、《10 番目の感傷(点・線・面)》も本修士作品も、ソーシャルでインタラク
ケーションが生まれるという点である。クワクボリョウタ氏は、
《ICC キッズプログ
ティブなものだといえるのではないだろうか。
ラム ひかり・くうかん じっけんしつ 2012》 でのアーティスト・トークのなかで、
鑑賞中の親子の会話がおもしろいことや、スタッフが鑑賞者に、つぎの展開を話し
てしまうことがあるなどの、コミュニケーションが生まれることについて話してい
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本修士作品の《fl/rame》は、スマートフォン(iPhone)の上にロウソクがのって
いる、ちょっと変わった作品である。ロウソクに火を点すと、炎のゆらぎに追従し、
iPhone のディスプレイの色が、グラデーションを描きながら変化し、光を放つ。こ
の映像をいくつかのタブレット端末(iPad)とビデオ通信させることで、やや遅れ
ながらディスプレイに表示されたり、送れるタイミングにムラが生じたりする。変
化する色の順や、変化する時間が決まっているとしたら、この現象はゆらいでいる
とは言えない。しかし、次には何色に変色するのか、どのくらいの時間で変化する
のか、予測できない挙動をするから、この作品が起こす現象は、ゆらいでいると言
ってよいだろう。さらにビデオ通信させ、ゆらぎはロウソクの炎→iPhone ディスプ
レイ→iPad ディスプレイ→空間に広がり、ゆらぎを感じるインスタレーションであ
る。
《10 番目の感傷(点・線・面)》(クワクボリョウタ 2010)
パイクはマスメディアの代表格であるテレビを題材にした作品を、数多く制作し
た。そのなかのひとつに、ブラウン管型テレビをくり抜いた中に、キャンドルを立
5-2 炎とメディアアート
たせて灯を点した《キャンドルテレビ》(1980)がある。パイクのこの作品も展示さ
れた「ライト・[イン]サイト 拡張する光、変容する知覚」展(NTT インターコミュ
ここで、メディアアーティストのナム・ジュン・パイクの《キャンドルテレビ》
ニケーション・センター [ICC] 2008
(1980)について触れ、本修士作品《fl/rame》(2014)を照らし合わせ、アナログと
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2008/Light_InSight/index_j.html )
デジタルの境界線が曖昧なものにはどういう特徴があるのかについて調査し、考察
をキュレーションした四方幸子氏は、
《キャンドルテレビ》を展示したのは、以下の
する。
理由であるとしている。(以下は、この論文のために四方氏が書き下ろし、2015.1.8
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にメールでいただいた短文である)※わたしはこの展覧会を ICC 活動記録
に行き違いが生じることは、先の第 3 章ロウソクとメディアのなかで述べたとおり
(http://hive.ntticc.or.jp/contents/annual/2008J)にて視聴した。
である。そのことについて私たちは自明的であるのだろうか。
パイクの《キャンドルテレビ》は、マスメディアが発信する情報を受信
する装置としてではなく、ロウソクの炎という、シンプルでありながら
周囲にゆらぎをもたらす複雑な現象によって人々の知覚を揺さぶり、空
間内のその存在も取り込み周囲の空間全体を変容させる装置といえます。
光と知覚をテーマとした展覧会「ライト・[イン]サイト|拡張する光、変
容する知覚」のキーテーマ、「カメラ・オブスクーラからプロジェクター
へ」をまさに体現する本作は、静止的な遠近法的システムでなく、時間
軸をもつ「プロジェクター」という空間のプロセスをまさに私たちに投
げかけているのです。
つまり四方氏は、パイクの作品をプロジェクターとして捉えているという。カメ
ラ・オブスクラーからプロジェクターというのはおそらく、外界からの光を取り込
んで内界を照らしていた時代から、内界から外界を照らす光へと変容したとのこと
だ。かつて、人々は外から光を取り入れ、空間や日常を照らしていた。しかし現代
のデジタルメディアは人々の空間や日常を照らすのみならず、ネットワークを使っ
て遠く離れた場所にまで影響する光なのだ。一見インタラクティブなメディアにみ
えて、文字、音声ましてや画像、動画でのやりとりでさえも、コミュニケーション
《キャンドルテレビ》(ナム・ジュン・パイク 1980)
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では、
《キャンドルテレビ》と《fl/rame》の相違点と共通点について書き出していく。
・空間を照らす
・コンテンツはロウソクひとつ
相違点
・組み合わせたメディアとは異なる光を放つ
《キャンドルテレビ》
《fl/rame》
・テレビ デジタルデバイス(iPhone、iPad)
・電気を使わない 電気を使う
これらのことから、光源がロウソクの炎であることは共通しており、それゆえ両
・壁についている 置いてある、自由に持ち歩ける
者ともロウソクの特性を生かしている作品だといえる。
《キャンドルテレビ》は電気
・テレビの機能ははたさない デバイスの機能ははたしている
を使わず、テレビも壁に固定されている。しかし《fl/rame》は、ロウソクのみでは
・通信していない 通信している
なく、デジタルメディアの光も光源としている。また複数台の iPad とネットワーク
・ひとつのあかり 複数のあかり
通信することで、光を拡散している。つまり、デジタルメディアの特性を活かして
ロウソクとデジタルデバイスのあかり
いるところが大きく異なる。人々は、焚き火などにも見られるように、ひとつの火
ひとつから通信させた複数の光にも人が集まる
を囲むことがあるが、
《fl/rame》はひとつの炎をデジタルメディアに導入させて、ゆ
・ロウソクのあかり
・ひとつのあかりに人が集まる ・火を消せば終わる
らぎを起こした映像を生成する。そしてその映像を複数台ある iPad に転送している。
共通点
つまり《キャンドルテレビ》はその場にいる人々がテレビの前に集まるが、
《fl/rame》
・ロウソクを使っている
はその場にいる人のみでなく、離れた場所にいる人々とも共有できる炎のゆらぎな
・炎を使っている
のである。
・光を放つ
重要な共通点についてもうひとつふれるとしたら、
「組み合わせたメディアとは異
・ゆらぎがある
なる光を放つ点」ではないだろうか。これはそれぞれ、テレビとロウソク、iPhone
・新しいメディアと古いメディアとの組み合わせ
とロウソクの組み合わせであるが、どちらの光もロウソクがドミナントになってい
・コード(配線ケーブル)がない
る。テレビの光や iPhone の光を封じているともとれる。数々なコンテンツから情報
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を絶え間なく発信するメディアの光が、ロウソクの炎というひとつのコンテンツか
捉え、現代までに登場した複数のメディアと比較したところ、ロウソクにはインタ
ら発信する光になっているのだ。動的な情報のやりとりと、静的な情報のやりとり
ラクティブなメディアの特性があることがわかった。
との対比にもなり得るのではないかと考える。いづれもロウソクの火が消えれば、
終わる事のない情報発信と情報収集に、終わりをもたらすのだ。
ロウソクを使ったアート作品には、アナログとデジタルとの境界線が曖昧で、シ
ンプルなシステムで理解しやすく、どこかユーモラスで親近感があるにも関わらず、
批評的な視点が見受けられた。その目指しが、ロウソクを点して日常を照らしてき
6 最後に
た人々が向き合ってきた問いかけと、現代に生きる我々が向き合う問いかけとの共
通点があり、ひとつの回答を導きだすときの、手がかりを見つけ出すのではないだ
本研究では、ロウソクの炎のゆらぎをデジタルメディアに導入することを試みた。
ろうか。
その結果、iPhone のディスプレイに、ゆらぐ映像を表示させることができた。その
映像を空間に点在させた iPad に転送し、その際にネットワークゆらぎを生じさせ、
本修士作品《fl/rame》は、一見デジタル技術を用いた表現に見えて、アナログな
ゆらぐ空間をつくることができた。本来ネットワークゆらぎは、通信目的として忌
手法を用いて表現をした作品である。iPhone の上にロウソクをのせ火を点すという、
避されるべきものであるが、本修士作品においては表現効果にすることができた。
ちょっと変わった特性をもつ本作品は、価値観を共有していなくとも、人々が興味
つまり、ロウソクの炎のようなゆらぎは、デジタルメディアにもみられたのだ。
を覚える作品となった。この作品を提示することで、従来の人々が考えてきたこと
とは異なる、アナログメディアとデジタルメディアの関係性の模索が始まるのでは
本論考では、ロウソクの特性には、人類の歴史のなかで宗教、科学、哲学、文化
ないかと考える。したがって、アナログとデジタルとの境界線を曖昧にすることで、
などさまざまな意味を与えられ、人間の命のメタファーにまでなりえることがわか
壁をとりのぞき、敷居を低くして、互いを受け入れ合うことが重要なのではないだ
った。ロウソクの炎のあかりを浮かび上がらせる暗闇の特性について調査したとこ
ろうか。 わたしは、アナログな技術で、ひとつひとつキャンドルをハンドメイドし
ろ、緊張から緩和に変化する人々の感情があることや、人間の五感が研ぎすまされ
ている者である。アナログとデジタル、自然とエネルギー、都市と地方など異なり
ること、仲間意識を高める効果があることがわかった。ロウソクをメディアとして
合う関係性の可能性を、わたしはこれからも問いかけ続けることになる。
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謝辞
参考文献
本 修 士 研 究 で は 、 ロ ウ ソ ク の 特 性 を デ ジ タ ル メ デ ィ ア に 導 入 し た 修 士 作 品
『蝋燭の焔』 (ガストン・バシュラール 現代思潮社 1993)
《fl/rame》
(https://www.youtube.com/watch?v=F_kgx7gqdxI )を制作し、修士論
『陰翳礼賛』(谷崎潤一郎 中央公論社 改版 1995)
文ではメディアとしてのロウソクの特性について、デジタルメディアとの比較をし
『私の愛、ナムジュン・バイク』(久保田成子・南禎鎬 著 高晟ジュン 訳 著平凡社
ながら考察しました。本研究を進めるにあたり、安藤泰彦教授からは、批評する目
2013)
指しを持つ重要性について、理解を深めるまで繰り返しご指導していただきました。
小林孝浩教授からは、作品が起こす現象のシステムの考察について、解りやすく丁
参考作品、参考展覧会
寧なアドバイスをしてくださいました。桑久保亮太准教授からは、価値観を共有し
ていない人々にとっても、興味を覚える作品制作のご指導に貴重な時間を割いてい
『生誕』(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 1648-1651 頃)
ただきました。山田晃嗣講師からは、プロトタイプの段階から作品制作にご協力い
『死神』(三遊亭圓生)
ただき、ネットワークについて詳しくご教授していただきました。四方幸子非常勤
《ダイアログ・イン・ザ・ダーク》(暗闇のソーシャルエンターテインメント)
講師には、本修士論文のためにコメントをいただいた上に、メディアアーティスト
『NxPC.LIVE vol.12 でのライブパフォーマンス 』(ジャン=マルク・ペルティエ
が持つべき態度についてご指導していただきました。そして、小林昌廣教授からは、
2012)
情報と情報をつなぎあわせる重要性について身を以て示していただき、本論文の作
「ライト・[イン]サイト 拡張する光、変容する知覚」展(NTT インターコミュニケ
成にあたり厳しくも優しいご指導をしていただきました。皆様へ心から感謝の気持
ーション・センター [ICC] 2008)
ちと御礼を申し上げたく、謝辞にかえさせていただきます。本当にありがとうござい
《10 番目の感傷(点・線・面)》(クワクボリョウタ 2010)
ました。
《キャンドルテレビ》(ナム・ジュン・パイク 1980)
2015 年 1 月 20 日 古山知恵
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