季節のしるし・時のしるし 運 営 委 員 に な っ て

2015年10月11日発行 第308号
カトリック町田教会会報
(1)
この虫たちは、自分の鳴く
真夏の昼間、窓を開けてお
くと蝉の大合唱が聞こえてき
て、厳しい暑さがさらに増す
よ う な 気 が し ま し た。 そ れ
で も、 ツ ク ツ ク ボ ウ シ の 鳴
き 声 を 聞 い た 時、「 夏 も 後 半
に入ったな」と思い、また、
『聖母の被昇天』を祝った日
の夜から、木の上でアオマツ
ムシが鳴き始めたことで、す
でに秋が始まっていることに
気付かされました。
電話 042-722-4504
FAX 042-722-4512
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いかずちの子
小 池 亮 太
町 田 市 中 町 3- 2- 1
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http://www.machida-catholic.jp/
時が来たから鳴くのですが、
突然に現れて鳴くのではあり
ません。暑い夏のある日に「夏
の終わり・秋の始まり」を知り、
鳴き出す日に合わせて、今ま
での殻を脱ぎ捨てる準備を始
めます。また、卵から孵って幼
虫になり、鳴く日に向けて準
備を始めているのです。
植物も同じです。不思議な
ことに「茹だるような暑さが
毎日続いている」と人間が感
じていても、その暑い日々の
主任司祭
季節のしるし・時のしるし
カトリック町田教会
中に〈季節のしるし〉を感じ
取 り、 秋 に 向 け て〈 ス イ ッ
チ〉を入れるのです。強すぎ
る太陽の光と暑さの中、ジッ
としていた植物が、いつもと
変わらない暑い夏のある日、
突然動き出します。葉を広げ、
つぼみをつけて花を咲かせる
準備を始めるのです。また、
夏の間、次々に枝を伸ばし、
葉を広げていた植物が突然に
活動を止めます。それは、秋
には葉を美しい色に染め、冬
に葉を落として、春にその葉
のあった所から新芽を出す準
備を始めているのです。
虫や植物のように、人間も
次の季節がやってくる時に合
わせて準備を始めるためのセ
ンサー(感知器官)を持って
いるのでしょうか? 持って
い る の か、 持 っ て い た の に
失ってしまったのか、もとも
と持っていなかったのか……。
私には分かりませんが、一つ
言えることがあります。それ
は、「 イ エ ス の 死 と 復 活 を 信
じ、イエスを復活させた神の
愛を意識しながら生きている
人は、自分の直面している出
来事、世界の情勢や歴史の中
に、〈 時 の し る し 〉 を 見 出 す
ことができる」という事です。
虫たちが鳴き始めたことに気
づ い た 時 に、「 秋 は 少 し ず つ、
しかし確実に近づいてきてい
る」と私が知ったように、歴
史の中、また、いま起きてい
る 出 来 事 の 中 に「『 神 の 国 』
は、確かに近づいている」と
気付くことが、私たちにはで
きます。
また、植物や虫が「秋にな
る日がいつなのか」を知って
〈スイッチ〉を入れるように、
私たちは、
「イエスの死と復活
という出来事によって、人が
紡 ぐ 歴 史 に『 神 の 国 』が や っ
て く る 日 の〈 ス イ ッ チ 〉が
入った」ことを知っています。
鳴く虫の声や植物の変化と
いう〈季節のしるし〉に気づ
き「いつまでも続くように感
じる夏の厳しい暑さも、もう
少しすれば終わって、爽やか
な秋がやって来る」と思った
運営委員になって
時、私はホッとしました。同
じ よ う に、 出 来 事 や 歴 史 の
中 に「『 神 の 国 』 は 少 し ず つ、
しかし、確かに近づいてきて
いる」という〈時のしるし〉
を見出すことができたなら、
厳しい現実のなかにあっても、
私たちは希望を持って生きて
ゆくことができるし、直面し
ている苦しみや悲しみに耐え
ることができるはずだ……。
空が高くなり、日差しも柔
らかく感じるようになった九
月のある日の夜、窓を乗り越
えて聖堂の屋根の上に出て、
アオマツムシたちの合唱に耳
を傾け、涼しい風に吹かれな
がら、そのような事を考えて
いたのでした。
神 藤 由紀夫
めたいと思いますのでよろし
くお願いいたします。
就任のあいさつはこれだけ
にしまして、全く別の話をさ
せて下さい。
旅先の下関で出合ったザビ
エルと二十六聖人がとおった
舟着場の話です。
六年前下関まで旅行した時
の 事、 巡 礼 ス ポ ッ ト と し て
「 聖 ザ ビ エ ル 記 念 公 園 」「 ザ
ビエル記念聖堂」と近隣の教
会はおさえてありましたが、
下関駅から三キロ程の唐戸市
場、魚市場と海鮮料理で有名
運営委員・財務委員長
数年間の財務委員をへて順
番的なムードで財務委員長に
な り ま し た ら、 誰 の 推 薦 が
あったかなかったか自動的に
運営委員になってしまいまし
た。今まで教会活動には深く
かかわっておりませんでした
ので、これを機会に何らかの
役に立てればと思います。
また財務の立場からは、高
齢化や諸物価値上りの中に
あって皆様の献金に感謝する
次第です。
微力ではありますが、先輩
方の御指導をあおぎながら務
な観光スポットへ行った時の
事です。
福島の今
町田教会被災地支援センター
脇にある広場のような所に
事務局 立木 欣吾
見つけたのは「聖フランシス
コ・ザビエル下関上陸の地」
9 月 日、「 正 義 と 平 和 」
全国集会の麹町教会での分科
と「堂崎の渡し場跡」の碑で
会、「 広 域 避 難 者 の 現 実 と 課
す。ザビエルが九州に着いて
題」に参加しました。
から本州に上陸した時、この
堂崎の渡し場から上陸したの
分科会の「広域避難者」と
は、2011年3月 日に発
です。当時は今のように鉄道
生した東日本大震災の地震と
や道路で本州と九州が接がっ
津波によって引き起こされた
ていませんので、渡し舟でこ
原発事故で、福島県から全国
こに着いたということです。
各地に避難した人を指します。
また二十六聖人も京都から
子供は放射線感受性が高いこ
連行され、この渡し場から九
とから、被曝をさせたくない
州に渡ったそうです。その渡
と遠くまで避難した人たちが
し場の石が残されていたので
たくさんいました。家族を養
す。
うため、父親は福島に残り、
四百年の時を越え、彼らの
足音や苦悩が伝わってきます。 母子で避難するというのがそ
の典型です。2014年末で
この旅の話、少し巻き戻し
も、県が把握しているだけで
て所は甲子園です。
4万5千人を上回る人が県外
甲子園教会、守護聖人フラ
に避難していると発表されて
ンシスコ吉、ここにこの聖人
のレリーフと説明があります。 います。
さ み だ れ
彼は切支丹である事を申し出
震災後、政府は五月雨式に
たものの捕えてもらえず、長
何㎞以内は避難区域と指定し
崎へ護送されている切支丹の
ました。区域外からの避難者
一行を追っていました。そし
は、いわゆる自主的避難者と
てこの甲子園の地で追いつき
呼ばれ、公的援助に乏しく、
願いかなって囚人の身となっ
損害賠償も見通しのない厳し
たのです。そのフランシスコ
い状況に置かれています。自
吉が下関の堂崎の渡し場の石
主的避難者(区域外避難者)
をどんな思いで踏んだでしょ
の多くは、もちろん好きこの
う。
んで避難しているわけではあ
りません。放射能が子供の将
来にどれだけ影響を与えるか
下関へ観光する機会があれ
ば、ぜひお立ち寄り下さい。
わからない、将来結婚等で差
別されることのないようにと、
避難した人たちもいるそうで
す。
2012年7月には福島再
生基本方針が閣議決定され、
福島県への帰還政策が強調さ
れるようになりました。かつ
ては避難区域内として指定さ
れた地域も徐々に解除され、
支援も打ち切られます。
しかし、実際は汚染水対策
もうまくいかず、廃炉の見通
しも立たない状況で、健康問
題も現在進行形です。にもか
かわらず、原発問題や避難者
の問題がメディアで取り上げ
られることは少なくなりまし
た。帰還政策が進められる中、
避難者は仮設住宅の使用期限
の延長がなされるか否か不安
な日々を送っています。また、
母子避難等で二重生活を余儀
なくされ、生活費の負担が増
え、苦しい生活を送っていま
す。訴訟も増え、現在全国
以上の裁判所で、1万人を超
える原告が、東電、国を相手
にして原発賠償を提訴してい
ます。
今回の講演会で、原発被災
者が震災前の普通の生活に戻
りたいけれど戻れない苦しさ
を抱えていることを知り、福
島や避難者の現実を伝え続け
る必要性を感じました。
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(2)
カトリック町田教会会報
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カトリック町田教会会報
(3)
ウェルカムテーブル黙想会
に参加して
小溝 茂雄
7月 日に本町田の汚れな
きマリア修道院で開催された、
ウェルカムテーブル主催の小
宇佐敬二神父様(東京カリタ
スの家)指導による、黙想会
に参加した。
小宇佐神父様による講話は、
ルカ福音書の「放蕩息子のた
とえ話」はエレミヤ書 章が
下敷になっていると、この二
つの話に基づいてお話しくだ
さった。
悔いて神を思い起こし、神
に立ち帰るならば、神は「死
んでいたのに生き返った」と
喜び、無条件で迎え入れてく
れる。被造物である人間が苦
しんでいるならば、神ははら
わたを震わせて嘆き悲しまれ、
立ち帰るよう呼びかける。こ
れは咎めの神から憐みの神へ
の変換であり、新しい契約で
ある。誰もが神の憐みの中に
招かれている。
一節ごとに、語句について
はヘブライ語やギリシャ語の
語源から、事柄については当
時の社会背景から、その持つ
意味を説明して下さり、大変
に感銘深いお話だった。
黙想会は朝 時から夕方4
時までで、昼食はベトナム料
理も加わった修道院のシス
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10
31
他の人と触れ合う中で、いろ
ター方による手作りのおいし
その後、日本軍の残酷行為を
本に来て働きはじめて六ヵ月
いろな争い、小さな戦争にさ
い昼食だった。
許してしまう、ということは
になります。
らされています。人をにくむ
どう考えても、神聖な働きが
昼食ではテーブルを神父様
初めて町田教会の聖堂に
か、許すか、最後には自分自
とご一緒でき、いろいろお話
ないとありえないでしょう。
入った時、とてもシンプルな
身が決めることです。
を伺うことができた。小宇佐
教会だと思いました。フィリ
人を許す力、にくしみを乗
許す力、許す恵みを与えら
神父様は町田教会で神学生時
り越える力を与えて下さるの
ピンの教会のように、たくさ
れますように、神様に祈り続
代を送り、助祭叙階を受けら
は神様だと私たちは教会で学
んの装飾に取り囲まれていな
けるのが大切だと思っていま
れたとのことである。また、
びました。自分自身の力だけ
いからです。町田教会はシン
す。
脊柱管が狭くなって脊髄や神
で、あんな許しを行うのがい
プルで素敵で利用しやすい教
経が圧迫される脊柱管狭窄症
くら考えても、難しい、有り
会です。フィリピンの友人た
【八月十五日終戦記念日の
DVD鑑賞後のお話を要約
を長らく患っており、幾度か
得ないと私は考えています。
ちに聞いても、ほとんどの人
していただいたものです】
手術をされていることもお聞
が同じ意見です。でもそれは
キリノ前大統領の決断はそ
きした。多忙な中、痛みを抱
の後のフィリピンに大きく影
教会の外見についての話です。
フィリピン共同体から
えて黙想会を指導くださった
響しました。フィリピンの学
全体としての第一印象は、荘
ことに感謝申し上げる。
校で使われている歴史の本に
厳と寛容でした。恵みあふれ
町田教会の第一印象
Riwa Nakamura
は、日本に対してにくしみを
るミサがあり、親切で友好的
中村 梨和
講話のあとは黙想し、最後
にミサに与かって終わった。
うながすような記載が一切あ
な信者さんがいるからです。
信じられないかもしれませ
りません。 んが、町田市に住む私のフィ
緑に囲まれた修道院で、心
フィリピン人の友人たちも
静かに神の憐みに思いを寄せ
リピンの友人が町田カトリッ
また、キリノ前大統領にな
て過ごした一日だった。
らって、戦争を経験したお年
ク教会のことを知ったのは十
寄りの方々からは、戦争の話
年もたってからのことでした。
「 ドキュメンタリー 憎しみと赦し」
を聞かされることはほとんど
それまで、彼女はミサにあず
を鑑賞して
ありません。自分の親、親戚
かるために目黒まで通ってい
バリスノモ・ヴォルテイル
からも、日本は「憎い」と言
たのです。こんな近くに教会
われたことがありません。キ
があったことを知った彼女は
このドキュメンタリ映像は、
リストが教える許しの教えは
七十年前に私達の国が戦争
とても喜びました。それは町
フィリピン人の信念、考え方
(マニラ市街戦)にあったこ
田市とその周辺に住むフィリ
とを思い出させてくれました。 に大きく影響したでしょう。
ピン人全員にとっても同じ喜
びなのです。人びとがともに
また、キリノ前大統領が自
フィリピンの前大統領のキ
分が感じていたにくしみを捨
リノ氏は戦争の犠牲者の一人
ミサにあずかることのできる
て、フィリピンと日本の未来
です。キリノ前大統領は自分
場所、神の前で人びとが家族
を考えてくれていたことにと
を 拷 問 し、 同 国 の 国 民 を 何
のように集いあう恵みの場な
ても感銘を受けました。彼が
十万人も殺し、自分の妻と三
のですから。
行ったのは偉大なリーダーだ
人の子供達まで殺した人をど
私は町田市で生まれ、フィ
うやって許せたのでしょうか。 けができる行為だと思うから
リ ピ ン で 育 ち ま し た。 セ ン
です。
ト・ラ・サル大学(コミュニ
私たちは、一人一人、毎日、 ケーション専攻)卒業後、日
良い精神と美徳の持ち主が
フィリピンの大統領になり、
おごそかな雰囲気を感じると
ともに、とても温かく思いや
りあふれる教会だと言います。
ですから、教会を訪れるたび
に、私たちは第二の故郷にも
どったように感じるのです。
信者の皆さんはとても親切で、
開放的ですから、ここに来る
のが楽しみです。教会の建物
はシンプルかもしれませんが、
信者の皆さんの信仰とおこな
いによって、それは強く美し
くなると思います。
さらに、フィリピン共同体
の皆が町田教会を愛するのは、
フィリピン人と日本人の隔た
りのない結びつきのせいです。
この印象が続けば嬉しいです
犠牲献金
8月2日 7,
204円
(ベロニカ苑へ)
9月6日 9,
655円
(ベロニカ苑へ)
信 者 動 静
201
5年8月〜1
0月
(個人情報のため、削除しています)
ね。町田カトリック教会に通
うすべてのフィリピン人は、
この場所に呼んでくれた神様
にいつも感謝しています。こ
れは人生の宝物です。
では、今度はあなたの番で
す。あなたの町田教会の第一
印象はどうでしたか。聞かせ
てください。
(翻訳文責編集部)
中高生会
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カトリック町田教会会報