岡山もんげー講座 館長閑話 04 平成 27 年8月7日 第4回 狂歌師・篠野一方の「東照宮祭礼」 7 月 26 日( 日 )の 第 4 回 講 座「 岡 山 城 下 町 の ぼ っ こ う カ ー ニ バ ル 東照宮祭礼行列」 では、 『 岡 山 東 照 宮 祭 礼 行 列 図 』(1983 年 復 刻 、日 本 文 教 出 版 ) に 描 か れ て い る 図( 全 101 頁)を読み解くかたちで話を進めました。 こ の 閑 話 で は 講 座 の な か で 取 り 上 げ た 篠 (笹 )野 一 方 (さ さ の い っ ぽ う ) が 著 し た 「 東 照宮祭礼」を紹介いたします。 篠 野 一 方 (1798~ 1864)は 、 岡 山 城 下 町 在 住 で 岡 山 藩 家 老 池 田 氏 の 侍 医 を 勤 め る 医 者 し ょ う し い げ し ん ち ゅ う やご んみみもとちか でありながら、むしろ狂歌師として著名な人物です。号は「小士医下新昼夜言耳元近 にゅうどうき ま く ら の い だ い じ んは ん ぱ くあぎとのひげなが あぎとのひげ な が かねち か 入 道 木 枕 廼 意 大 尽 半 白 腮 鬚 長 」。 ま た 、「 腮 鬚 長 」「 鐘 近 」 と も 号 し ま し た 。 「小士医下」とは岡山藩主の「正四位下」と武士身分で下の方の医者であること、 「 昼 夜 言 」は「 中 納 言 」を 掛 け て い ま す 。栄 町 鐘 撞 堂 の 側 に 住 ん で い た の で「 耳 元 近 」 く で 鐘 が 昼 夜 ゴ ン ゴ ン な り 、「 木 枕 」 で 聞 い た の で 頭 も 痛 い (「 意 大 尽 」。「 右 大 臣 」 を 擬 し て い ま す )。あ ご ひ げ は 半 分 白 く て 長 い 、と い う 意 味 の 号 で す 。 「 半 白 」は「 関 白 」 を 擬 し て い る で し ょ う 。 鬚 の 長 さ は 1 尺 6、7 寸 ( 約 50 ㌢ ) も あ り ま し た 。 才 智 に た け 、浮 き 世 を 達 観 し た 人 で 、世 の 中 を 斜 に 構 え て 観 察 し 、時 に は 自 虐 的 に 、 時には社会風刺もしています。当時は世に聞こえる有名人でした。 藪医者をひやかされたとき〈両方の山と藪とのその中を 飲んでとおるが笹(酒) の一方〉と詠み、酒好きがこうじて〈吾死なば末期の水に酒くれよ 死出の山路をよ ひこしにせん〉と詠じています。 東照宮祭礼についても詠んでいます。祭礼中に大雨になり、来客を当て込んで多く の饅頭を準備していた店が、売れ残りをたくさん出しました。腐らせるのはもったい な い の で 、町 内 に 配 り ま し た 。こ の と き 篠 野 は 、 〈我らまでただの饅頭くださるは み なもとのそんかそんか〉と皮肉りました。槍や鉾が雨で濡れた様子を〈間男の追はれ たやうな御祭礼 ぬれた道具を立てゝ御帰り〉と詠み、祭礼奉行からお叱りを受けた と の こ と で す 。( 以 上 、 蓬 郷 巌 編 『 岡 山 の 狂 歌 』 岡 山 文 庫 、 日 本 文 教 出 版 1984 年 ほ か を 参 照 ) また、篠野は、次のような漢詩を作りました。本文(白文)と大意を記しておきま す。これは『岡山東照宮祭礼行列図』の解説文といえるものでした 。 篠野一方もまた、岡山の愛すべき「もんげー」一人と思います。 (本文) 東照宮祭礼 十有七日東照宮。祭礼鳴渡日本中。貴賤男女無差別。群集如蟻西又東。 拝見充満御道筋。役人固角町々同。竹垣前結建砂白。金屏後引毛氈紅。 神輿下山卯上剋。国清寺前小橋通。一番乗出町目付。支配町手威勢隆。 戒式名主両若党。戦々惶々如鞠躬。笠鉾太鼓鼕々響。日傘手鞠転々工。 開兮開兮見物閙。儼然張臂武者雄。後有床几持姿怪。堪笑雑口存古風。 -1- 岡山もんげー講座 館長閑話 04 平成 27 年8月7日 続聞鈴鏘軒車勇。拍子能揃心飛空。此所小休漫休怪。町手的構一払終。 漸看物頭御先手。立派互競御奉公。紋付羽織張臂振。熨目上下跨馬崇。 厩卒下坐臂如猿。奴隷駆声尻似熊。鉄砲台弓長柄後。御休已近人匆々。 拝見店先無貴賤。煮菜握飯不用膳。別有案内懇意人。座敷幾処設酒宴。 饅頭羊羹売声頻。竹笛豆鼓吹音偏。可愍在郷無縁児。満眼菓子流涎羨。 忽報御立白張喧。榊木如森剣如電。開兮開兮開無言。丁去丁来扇頻煽。 神輿舁来幾百人。金銀彫尽眼欲眩。爛々色鮮錦千重。閃々光輝鏡百錬。 御通四面合掌時。賽銭散米恰如霰。君不聞太平殆近三百年。 全因御蔭無異変。鼕々太鼓獅子狂。優々白張神馬牽。山伏有時螺貝吹。 神主始終塗沓穿。中有突巾乗馬僧。乃是同道顕徳院。三年不磨不断鉞。 皆言近来曾不見。自是番頭大組僚。地道乗出馬不驕。赤熊翻手撚而投。 先箱揃足低亦喬。時有建傘抛去妙。翩々留得五指跳。騎馬行列将終 処。 装束質素外並超。厳重応知大目付。自然備得警固要。遙想着御御旅処。 鏜々横笛篳篥簫。大番頭衆驟走馬。御家老中已飛轎。平士已上総出仕。 駭手三十万石饒。況御立又競馬式。町筋見物一時囂。一人素袍拝領馬。 三人挙鞭望裏遙。御帰依前御行列。内山下通又京橋。神輿登山成御急。 恰是似廻灯籠揺。想遣御供一統憊。一日練歩自早朝。武者白張口生豆。 徒草履取定痛腰。拝見相添人混雑。一時帰去如落潮。至是始信古人諺。 権現祭而跡寂寞。別有絵図売弘処。行列一冊子細描。 (大意) 十七日は東照宮祭礼で日本中が鳴り渡る。貴賤男女の差別なく、西また東より群集 が 蟻 の ご と く 来 て 、拝 見 す る 人 は 道 筋 に 充 満 す る 。役 人 は 町 々 の 角 を 同 じ よ う に 固 め 、 もうせん 竹垣を結びその前に白い建砂がある。拝見座敷には金の屏風を後に引いて紅の毛氈が ある。 み こ し 神 輿 が 山 を 下 る の は 卯 の 上 刻( 午 前 六 時 )。国 清 寺 前 か ら 小 橋 を 通 る 。一 番 乗 出( 先 頭)は町目付で、その配下の武士は威勢が高い。警護のため町名主の両側には若党が いて、人々は畏れ謹んで深々とお辞儀をしている。 と う と う 笠鉾のついた台にのせた太鼓は鼕々と響く。日傘に手鞠をのせて転がす巧みな芸を さわが ひじ し て い る 。ひ ら け ひ ら け と 見 物 人 は 閙 が し い 。武 者 は お ご そ か に 臂 を 張 っ て い る 。後 しょ う ぎ か ら 従 者 が 床 几 を 持 っ て つ い て く る 。そ の 姿 は め い め い 新 奇 を 競 っ て 怪 し い 姿 で あ る 。 人々の失笑に堪えない雑言(猥褻語)を言い放つのは古くからの慣わし なのでゆるさ だ し は や し れている。続いて来るのは勇壮な楽車である。囃子方が乗り、鈴や鉦が鳴る。拍子も よく揃って辺りに鳴り響く。ここで一休みすると、音はぴたりと止んだ。 ねりもの 城下の町ごとの練物が一通り出払うと、ようやく物頭の先頭が出てくる。藩主への 忠誠を競うように、互いに立派ななりたちである。紋付の羽織で臂を張っている。 の し め 裃と熨斗目を着用して馬に跨って気高い。馬の世話をする卒はすぐ後ろを猿のように -2- 岡山もんげー講座 館長閑話 04 平成 27 年8月7日 やつこ つ い て く る 。 奴 の か け 声 は 熊 の 叫 び よ う に 響 く 。鉄 砲 部 隊 、弓 部 隊 、長 柄 部 隊 の 行 列 が続いた後、休みが近づくと、拝見する人々が忙しそうにする。 店 先 に は 、貴 賤 の 差 別 な く 人 々 が や っ て く る 。煮 物 や 総 菜 、握 り 飯 は 膳 を 用 い な い 。 しき 懇 意 の 人 は 案 内 さ れ て い て 座 敷 に 上 り 酒 宴 と な る 。通 り で は 饅 頭 、羊 羹 の 売 り 声 が 頻 り にあがる。竹笛、豆太鼓の音も広く聞こえる。農村部からやって来て、買う金のない 子供は色とりどりのお菓子をみてよだれをたらしている。 再 び 下 級 役 人 が え ら そ う に 人 々 を 通 り か ら 追 い 払 う 。今 度 は 森 の よ う に 仕 立 て た 榊 、 稲妻のように天を突き刺している剣をかついで 、「通りを開け開け」とやってくる。 人々は無言で開ける。続いて「チョウサリ、チョウキタリ」のかけ声で 扇を仰ぐ。神 輿をかつぐ者数百人がやってきたのだ。 神輿の彫り物や金銀装飾は眼がくらみそうだ。爛々と色鮮やかにして錦がたくさん ひらめ 重 な っ て い る 。多 く の 飾 り の 鏡 が 閃 い て い る 。神 輿 が 通 過 す る と き 、前 後 左 右 の 見 物 あられ 人 は 手 を 合 わ す 。続 い て 賽 銭 や 散 米 を 霰 の よ う に 降 り 注 ぐ 。君 は 聞 い た こ と が あ る だ ろ う 。3 0 0 年 近 く 太 平 が 続 い て い る の は 、ま っ た く も っ て 東 照 宮 の 御 蔭 だ か ら だ よ 。 太鼓がトウトウと打たれ、獅子も狂ったように舞い、悠然と神馬が 続く。山伏は時 く つ にホラ貝を吹き、神主は始終塗り沓を穿いている。頭巾を被った僧侶も乗馬して行進 する。この坊主が顕徳院である。従者は三年磨いていないという切れないマサカリを 持っている。見ている者は口々にいう。これまでみたこともないものだと。 続いて藩の重臣の番頭や大組の武士たちの行列だ。馬に乗っているが驕り高ぶって いる様子はない。続く隊列は赤熊手をねじるように持ち上げている。箱をかつぐ者は 低くあるいは高く足を揃えている。建傘をひょいと上に投げ放ち、ひらりひらりと落 ちてくるのを五指で受けとめる妙技もみせる。 騎馬の行列が将に終らんとする処、装束は質素だが他の並を超えて厳重な重臣のお 通りだ。これぞ応に知る大目付である。この人が東照宮神輿を警護する総責任者であ る。 ひちりき しょう 神輿が到着する御旅所では、横笛や篳篥、簫を奏でている。大番頭衆がにわかに馬 を走らせ、御家老中はすでに乗り物駕籠で到着している。平士已上の武家は総出であ る。ここに30万石岡山藩の家臣の多さ、賑やかさに驚くものがある。 す ほ う そこで競馬が始まる。町筋の見物人も一時騒がしくなった。一人は素袍の姿で拝領 馬に乗り、三人が御旅所の遙か裏から鞭打って駆け抜ける。 かんぎょ 還御の行列は来た道を帰る。途中中の町から武家屋敷の内山下を抜けて、京橋を渡 る。神輿は山を急いで登る。あたかも廻り灯籠が揺らぐに似ている。 御供一統はさぞや疲れたろうと思う。早朝から一日練り歩いた。武者も足に豆が出 来 た 。徒 や 草 履 取 は 定 め て 腰 が 痛 ん で い る だ ろ う 。拝 見 人 や そ の 相 添 人 も 混 雑 し た が 、 潮が引くように帰り去った。是に至って始めて古人の諺を信じる。権現祭の 跡は寂寞 だ。別に絵図を売り弘める処がある。行列を子細に描いた絵図一冊だ。 -3- (了 )
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