No.61 (平成27年5月15日)

平成 27 年 5 月 15 日発行
《
盛大に開催された勝瑞城館跡まつり
》
好天に恵まれた 5 月 10 日(日)、
勝瑞城館跡まつりが町制 60 周年記念も兼ねて盛大に開催されました。
この祭りは、勝瑞城館跡が国の史跡に指定されたことを契機に、平成 13 年から始まったお祭りです。
藍住町観光物産協会と勝瑞城館跡まつり実行委員会が主催者となり、藍住町・藍住町教育委員会等々
が共催し、東部地区協・藍住町婦人会・藍愛グループ等々が、うどん等のお接待をしています。
子どもから高齢者まで、町内の幅広い人々が参加されているのが、勝瑞城館跡まつりの従来からの特
徴ですが、今年は三好長慶会の呼びかけもあり、町外や県外からも多くの方々が参加されました。
子どもたちの活躍を中心に、写真で、勝瑞城館跡まつりの盛況ぶりをお伝えいたします。
なお、会場の勝瑞城館跡は、三好実休の屋敷跡と推定されています。実休は三好長慶の次弟で、兄の
長慶が畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津の五か国の総称)に進出して関西一円を支配している間、
根拠地の阿波を治めた人物です。文武両道の茶人で、千宗易(後の千利休)とも親交がありました。
藍住東中学校吹奏楽部の演奏
同左(側面から撮影)
勝瑞の歴史講座(出水康生先生)
藍住東小学校 5,6 年生児童の有志による阿波踊り(左の写真から順に、男踊り、女踊り、鳴り物)
最後は皆で総踊り。町のキャラクター「あいのすけ」も踊りました。
三味線と琵琶の共演
(次ページに続く)
(前ページより)
国府支援学校生徒の和太鼓演奏
三好長慶会による武者行列(県内外各地から 120 名の武者が集合)
堺市の皆様による「三好一族と
堺幕府」の歴史紙芝居のご披露
児童によるクラシックバレー
児童による獅子舞の和太鼓
左の写真は、勝瑞獅子保存会の会員による勇壮にして華麗な獅子舞
です。女性会員も見事な獅子舞を演じていました。
なお、写真での表示はありませんが、藍住中学校茶道部と藍住東中
学校の有志生徒、合計 10 数名も、「三好実休茶の湯を広める会」の皆
様と共に、500 人分のお茶のお接待をしていただきました。
親切・丁寧で、温かい心が伝わる「お接待」だったと大評判でした。
(勝瑞の歴史一口メモ)
① 茶伝書「今井宗久茶湯書抜」には、1558 年(永禄元年)1 月 5 日、三好実休が堺から今井宗久や
千宗易(後の千利休)
、北向道陳等を勝瑞の館に招き、茶会を催したことが記録されています。後世に名
を残す茶人たちが、藍住町勝瑞に集まって茶を喫したことは、誠に趣のあることだと思います。
② 史記「三好記」によれば、1578 年(天正 6 年)、十河存保(そごうまさやす、三好長慶の甥)が勝
瑞に桟敷を作り、京の都から能役者を大勢呼び寄せて演能させ、その後、風流踊り(ふりゅうおどり)
と呼ばれる踊りを、家臣団等にグループ単位で踊らせ、近在の老若男女も一緒になって楽しんだとされ
ています。
人々が、それぞれ工夫したきらびやかな衣装を着て、鉦や太鼓を鳴らしながら、大いに踊った様子も
記録されており、今日の阿波踊りの一つの原型を見る思いがします。四百数十年の時を越え、勝瑞を校
区とする藍住東小の子どもたちが、同じ地域で踊ることは、意義深いものがあると改めて思います。
なお、徳島の阿波踊りの起源については諸説があります。この時に踊られた風流踊りが起源であると
する「勝瑞風流踊り説」、江戸時代になって蜂須賀の殿様が築城祝いに民衆に踊らせたのが始まりだとす
る「築城起源説」、盆踊りが変形して阿波踊りになったとする「盆踊り起源説」等です。
今年も藍住東小学校児童による阿波踊りが披露されました。子どもだけで踊りも鳴り物もできる小学
校は、阿波踊りの本場である徳島県でも珍しく、子どもたちの演舞に大きな拍手が送られていました。
校区在住の南條亨さん(のんき連連長)ご夫妻や教職員による長年の継続的ご指導の賜でもあります。