句寄与` - 東京歯科大学同窓会

/
置
東京歯科大学同窓
叙勲者・受章者顕彰祝賀会
極めて盛会裡に関かる
験ニ等瑞宝章
溝上喜久男殿
福島秀策殿
小野寅之助殿
ハ三十七名﹀
勲三等瑞宝章
榎本美彦殿
榊原 勇 吉 殿
叙勲者・受章者
勲四等旭日小綬章
池田明治郎殿
平松円次股
正中股
勲四等瑞宝章
栗林真吾殿
寺田
勲五等双光旭日章
内山
利平殿
大塚貞夫殿
、
弘殿
善寛殿
貞三殿
勲六等単光旭日章
勲五等瑞宝章
向井喜男殿
築瀬真策殿
成富治男殿
渋谷常三郎殿
福島秀策殿
榊原勇吉殿
溝上喜久男殿
長屋弘殿
倉繁房吉殿
池田明治郎殿
大塚貞夫殿
矢野善寛殿
上田貞三殿
八次殿
藍綬褒章
入江義次殿
公平邦弥殿
黄綬褒章
塩見寿二殿
木津義雄殿
早野栄蔵殿
紺綬褒章
沢口源作殿
杉麻四郎殿
石山芳雄殿
達雄殿守友友次殿
武夫殿高橋源喜次殿
重包殿佐々木重衛門殿
宮田信次殿
神野長太郎殿
⋮⑨六月講演会⋮
案
内
?i
羽賀通夫教授川
口腔外科佐々木次郎講師⋮
補綴
⋮ 次号会報市の締切りは七月一一十日い
o
⋮ 日 時 六 月 十 七 日 (土)午 後 十 二 時 三 十 分 よ り 判
一場所母校教室 (
第一会場は第一教室、第二会場は第二教室 ﹀
⋮⑨第一七二回東京歯科大学学会一
ι
ザ
⋮期日七月十七日より二十三日まで六日間町
火) 矯 正 一
一日程七月十七日 (
月﹀ 小 児 歯 科 士 月 十 八 日 (
(
木) 口 腔 外 科 一
一十九日
(
水﹀保 存 二 十 日
(土)放 射 線 ⋮
⋮二十一日
(
金)補 綴 二 十 二 日
一日一科目で実技を主体として行 います。
⋮内容
詳細は本会報四頁をと参照下さい。
w
一 定 員 四十名(参加者が二十名を越えた場合には、 A - B 組に分け一組は
一
保存、矯正、小児
⋮
二十名で編成し、 B組は放射線、補綴、口佐外科、一
歯科の順に七月十七日(月)より講習を行ないます。)
一
⋮ 受 講 料 一 万 二 千 円 (他に材料の実授をいただく乙ともあります。)
一 申 込 み 同窓会事務室、期 日 七 月 十 五 日 ま で
⋮O宿舎のあっせん地方より参加される方のために宿舎をあっせんも致します
⋮⑨夏期講習会開
⋮6 鉛子を使うロ内法X線撮影(日ミリ映画を使用)
放射線氷川洗講師
一5人工歯の撰択、削合、ワックスパターン調製
4新らしい抗生物質と消炎剤について
曽根 正 史 講 師 山
⋮
⋮
w
一
刊
⋮
⋮
、
⋮
w
一
⋮
⋮
⋮
保存、補綴、口腔外科、矯正、小児歯科、放射線の各科より新進気鋭 一
吋
の先生方を講師にお願いし次のような演題でお話しいただきます。ふ ⋮
一
るってと参集下さい。さらに実習を希望される先生方は夏期講習会に 町
⋮
C参加ください。
一
小児歯科診療と局所麻酔(特に小児の取扱いと 乳歯髄生活切断法を中心と ⋮
して﹀
一
小児歯科町田幸雄教授⋮
⋮2最新歯科矯正臨床に使用されている器具と材料とその応用法(装置)
一
矯正山本陽講師叫
⋮演題最新歯科臨床技法の話題司会山本理事一
⋮ 日 時 六 月 十 八 日 (日﹀午後一時半より
⋮場所母校教室⋮
-ゃ
弘田
⋮3 高速切削時の偶発露髄に対する有効な処置法について
保存大
一
叙勲者、受章者の栄誉をたたえ、心より祝福する会員は、全国各地より参集し
四百名になんなんとする盛会となった。︿詳細は二 ・三頁参照)
去る五月十四日、帝国ホテルにおいて開催された。
母校と同窓会の共同主催による同窓の叙勲者ならびに受章者の顕彰祝賀会は、
5月1
4日
栃原義人殿
横上矢長
山 田野屋
(原一学氏︿四月十七日逝去)に対し、勲五等瑞宝章がおくられた﹀
吉大横
岡村矢
昭 和 42年
合会~'~t J:..参同各省: 句
寄
与
‘
6 月 5 日
叙勲者・受章者顕彰祝賀会
厳粛な式典
なごやかな祝宴
田丸将士会長
杉山不二名誉会長
日本歯科医師会会長
(代理高原寛五氏)
歯科大学学長代表
鈴木勝日大歯学部々長
品開科大学同窓会々長
緒方終造大歯大会長(代理)
国会議員代表
鹿島俊雄議員
て顕彰状ならびに記念品贈呈
田 丸 会 長 よ り、 一人
一人に手わたされた
、 受章者代表
一、 謝 辞 叙 勲 者
福島秀策先生
一、閉 式 の 辞 渡 辺 茂 副 会 長
ζの問、各 方 面 よ り 寄 せ ら れ た祝
顕彰式を終了した。
電の披露があり 、
ついで、乙の機会をかりて 、 新 ら
たに作製された名誉会員章を田丸会
。
長より代表河村弘先生に贈ら れ た
今 回 の 催 し は 、 とくに 、叙 勲、 受章さ れた同窓の全ての方々の
栄誉を、 共に祝い 、 共に喜び合う主旨で催さ れ た も の で あ る 。 全
国 各 地 よ り 出 席 さ れ た 顕 彰 者 と、 同 窓 会 員 の 多 数 あ っ た と と は 、
非常に喜ばしい ζと で あ る 。 と り わ け、顕 彰 さ れ た 先 生 方 に 大 変
喜んでいただいた ζとは 、 大学及び同窓会にとって 、 大いに意義
。
のある催しであったと思わ れ る
︹顕彰式︺
式場である帝国ホテルの演芸場の
一階は満員、二階の左右にやや空席
を残す程に詰った会員の拍手と注目
の裡に 、定 刻 十 分 過 ぎ、 ステ ージの
鍛帳が静かにあがる。
正面に福島先生をまん中にして左
右に二列に二十五名の顕彰者が金属叶
風を脊に爾然と着席。その右側に
は、鈴木日本大学歯学部学長はじめ
各大学々長、 同 窓 会 長、鹿島、 竹 中
両 参 議 院 議 員 が い な ら ぶ 、 また左側
には 、石 河 理 事 長、 杉山学長、 田丸
会 長 以 下 乙 の 催 の 副 会 長、幹事長が
着席。そして 、 客席中央の最前列に
は、 顕彰者夫人が着席さ れ ている。
長尾教授、 山 本 理 事 の 司 会 に よ
り、 式は 、次 の よ う に 進 め ら れ た。
て閉式の辞北村勝衛副会長
て国歌斎唱
御礼
、
J
また 、 鴨川 の大学寮に御寄付戴 い
た榎本美彦、 沢 口 源作 両 先生に 、 杉
、 満堂の
山学長よ り 感 謝 状 が 贈 ら れ
拍 手の裡に幕がおりた。
乙の問、 式 辞、 祝辞において 、 い
ず れ も、叙 勲 者、 受 章 者 の 社 会 福祉
に貢献さ れ た功績をたたえ、 心 よ り
慶 賀 す る と と も に 、 長 寿 を 祈 る言葉
がおくられた 。 と同時に 、 乙れら進
材を数多く出した東京歯科大学の光
輝ある伝統と学術教育の成果につ い
ても惜みない讃辞がおくられた。
、
ζれに対し、 福 島 先 生 は この指
図ホテルと血脇先生とのゆかりにふ
れ、 同 窓 各 位 に 対 し て 満 腔 の 感 謝 念
ζめた謝辞を述べられた。
︹祝賀宴︺
会 場 を 同 ホ テ ル 孔 雀 の 聞 に 移 し、
十 二 時 二 十 分 よ り 、 天 野、 後 藤、 小
林三理事の司会で 、 大 井 副 会 長 の 開
会のととばにより始められた。
石河名誉顧問の音頭で乾杯。叙勲 、
受章者を代表して 、 溝 上 喜 久 男 先 生
の拶挨があり、賑やかなパ ーティと
なった、歓談はっきずとみえたが午
後二時近かく、杉山学長の発声で叙
勲 、 受章者の万才を三唱。ついで池
田先生の発声で東京歯科大学ならび
に同窓会万才を三唱、 武藤実副会長
の閉会の ζとばを以って 、 全行事を
終了、校歌の流れるなかぞ散会した。
上田貞三殿渋谷常三郎殿
榊原勇吉殿早野栄蔵殿
向井喜男殿神野長太郎殿
二殿
者榎本美彦殿塩見寿
席福島秀策殿成富治男殿
山溝上喜久男殿公平邦弥殿
の長屋弘殿(代理﹀
日池田明治郎殿木作義雄殿
当平松円次殿夫人を除く﹀
﹀・内山利平殿(後列右より
真横山八次殿
写沢口源作殿
(栃原義人殿
入江義次殿
(前列右より﹀
林 矢々
麻木
真四重重
吾郎包衛
居生殿殿門
,
殿
辞辞
叙勲者 ・受 章 者 顕 彰 祝 賀 会 に 一 われわれ叙勲ならびに受章致し
は、全 国 各 地 よ り 多 数 の 会 員 の 御 一 ま し た 者 の た め に 、 盛 大 な 顕 彰 祝
参集を得て 、 盛 会 裡 に 終 了 す る 乙 一 賀 の 会 を 開 催 し て 頂 き 、誠に有難
M とができました。乙れ偏えに同窓
一うございました。厚4 御礼申し上
山 名位の御協力の賜と存じ感謝致し 一げます。
一 乙乙に大学並ぴに同窓の皆様の
日 ております。
w
と ζに厚く御礼申し上げます。 一御好意に対し、深かく感謝の意を
る次第であります。
一表 す、
学長杉山不二
福島秀策外一一向
同窓会長田丸将士 -a
品
山
栗杉横佐
同祝式
J
i
i
J 同
I
I
J
j
東 京 歯 科 大 学 同 窓 叙 勲 者 -受章者顕彰祝賀会
複本先生へ
昭 和4
2年 5月 1
4日
於帝国ホテル
~.
感謝状を学長より
宴
仙
・
噌
小ι
•
ロH
祝賀式典
.
会長式辞
田丸会長より溝上先生へ
顕彰状贈呈
歯科大学学長代表
鈴木勝先生
謝辞を述べる福島先生
式 典
歓談する石河理事長
と岡本愛知学院大学長
祝宴会風景
a
.
,
.場
.
0
.
.
新しい企画で行なう
浅井康宏助教授大曽根正史講師
中村婿雄講師その他
︿
V口腔外科
補綴のため の 口貯外 科 (午前 中
示
一
説で午後実技を行なう ﹀
長尾喜景教授高橋庄二郎教授
大森清弘助教授氏 家 英 峰 助教授
高北義彦助教授
補綴
︿V
吉率一 登 ( 渋 谷 ) 久 木 留 広 ( 荒川)
安 藤 弘 ( 口問川 )
︹
町長 ︺
深井忠雄(群馬)
︹町 議 会 議 員 ︺
増 田 監 ( 愛 媛 ・小 田 ) 加 納 弘
(福岡 ・水巻)本田忠男(熊本 ・免
田)
︹
村議会議員︺
合 田 繁 ︿ 北 海 道 ・洞爺)
(調査測れ 、 誤等がありま したら
お知らせ下さい)
回
=
一
‘
,
事
4月お日
5月 叩日
5月日日
5月U 日
ムE
定例役員会
都歯旧役員 ・代 議 員 懇 談
会
会報発送
祝賀会実行委員会
祝賀会準備打合会
叙勲者 ・受 章 者 顕 彰 祝 賀
AV
行
••
4月 7日
4月ロ日
短
会館建設に関する 打 合会
在京 ・近 県 臨 時 評 議 員 会
・支部長会議
学術委員会
会館建設に関する打合会
目隠セ ミナ ー
大学と の懇談会
部
.
t
:
:
:
,
.
2玄
人 工 歯 の撰択、削合、ワ ックスパ
ター ン調製について実習を行なう
羽賀通夫教授その他
O 材 料 裂 を 若 干 い た だ き ま す。
AV
放射線
鉛子を使う口内法X線撮影につい
て実習する 。
三 崎 動 郎 教 授 岩 野 h孝助教授
水川洗講師
O携行口問
彫刻刀、ワ ックスカ lバ l、 ワッ
クススパチ ュラ。ラバ ボ l ル、削合
用 ポイント類その他材料費等若干い
ただきます。
白衣、 筆記用具も 持参して参加す
日日日日
習
マ。ア﹂、と
日
月月月月
本年度は従来の一科目 三日 間 の方
法をやめ、一日一科目で実技を主体
とした講習方法にいたしました 。乙
の講習会の概要は六月講演会におい
てお 話 し い た だ き 、 さ ら に 実 技 の 習
得 を 希 望 を さ れ る 方 のため に開催す
る も のであります。講習の 内容と 講
師 は次の通りであります。
AV
小児歯科
小 児 歯 科診療と局所麻砕(特に小
児の取扱いと乳歯生活歯髄切断法を
中心として)
町 田 幸 雄 教 授 今 西 孝 博 助 教授
後藤譲治講師
AV
矯正
最新歯科矯正臨床に使用されてい
る 器具と材料とその応用法(装置)
に つ い て の 実 習 を 中 心 に 行 な う。
山本 義 茂 教 授 山 本 陽 講 師
瀬端正之助教授山口敏雄講師
西口定彦助教 授 一 色 泰 成 講 師
患 者 供 覧、 模型相談を行にます。
保存
AV
高 速 切 削時の偶発露髄に対する有
効な処置法について
関 根永 滋 教 授 石川達也教授
2
01
61
31
2
講
都 道 府 県 歯 科 医 師 会 々 長 な ら び に統 一 地 方 選 挙 の
5月同日 定例役員会
5月幻自 日曜セミナー
当選者 で本学同窓はつぎのとおりであるハ敬称略﹀
5月お日 都歯新役員、新代議員懇
談会
井上裕(千葉)武川英男(群馬)
AV
役員出張
庄司清夫(神奈川)
︹市議会議員 ︺
4月泣 日 北 多摩支部総会
小西 窓 作 (横浜)掛場久精ハ旭 川)
田丸会長 ・田 辺 理 事
橋本勝郎(八戸﹀中村忠雄(竜ケ崎)
世田谷支部総会
中 谷 貢 ( 広 島 ) 石 川 佐 一(豊田)
大井副会長 ・後 藤 理 事
区議会議員 ︺
︹
5月幻日 栃木県支部総会田丸会長
三浦宗一(新宿)藤江義三(目黒) 5月幻日 静岡県支部総会
﹁J
本
2
5
月
期
① 都道府県歯科医師会々長
宮崎芳雄(青森)斉藤静一ニ(群馬)
堤安(茨城)花岡十之丞(宮城)
高 原 賀 伍 (山梨)加藤久二(三重)
青 戸 陽 一 (島根)正岡健夫(愛媛)
五十嵐嘉秋(福井)
② 統 一地方選挙当選者
︹
県 議 会議員 ︺
4同 4 4 4 4
同
夏
田丸会長 ・大 井 副 会 長
五十嵐理事
5月幻日 宮城県支部総会山崎理事
5月お日 三重県支部総会
長谷 川副 会 長
︿V評 議 員 委 嘱
佐々木八郎
埼玉県支 部
︿V支 部 長 交 替
麻布赤坂支部
北多摩 支 部
板橋区支部
小樽支部
︿V医政部委員
村越瑛雄
長岡寛伯能勢要
田 口 芳 治 田 中省順
以上五氏追加委助
AV
火災 擢 災 会員
青 森 県 支 部 類 焼 石 岡 利武
富山県支部全焼柴太郎
両会員に対し 心か らお見舞申し上げ
ます。
秀秀寿
夫盛純男
﹁J
愛知県稲沢市で開業の同窓会員国
鉄帰 託 坪 井清一博士は 、来る六月十
日、十一日の両日 、名古屋市で聞か
れ る第二十一回日本交通災害医学会
総会の副会長を同学会理事長千葉保
之助氏から 、委嘱された由 、 本学会
は第十 七回日本医学会総会の第三 十
八分科会として開催されるもので 、
歯科界から役員の委嘱を見た乙とは
同君を以て鴨矢とする 。 切 に 御 健 翻
を祈る。︿高達﹀
日本交通災害医学会開催に関して
AV
全国歯科大学同窓連合会
歯科界の発展を願う趣旨の集 り で
あるいわゆる六校会議が、去る 二月
十八日、京都で開催された。
本会よ りは 、 田丸会長、 五十嵐理
事
、 山崎 理 事 、 福 岡 理 事 が 参 加 し
た
。
なお 、 次期当番は 、本同 窓会であ
る
。
太鈴 村福
田木田田
o
去
会
員
りお祈りいたします。
謹ん で右の方々の御冥福を心 よ
医伊藤伊佐雄ニニ 、
福岡
医 保 井 泰 蔵 官 一o
=一兵庫
、
、
推 池 本 義 男 三 、六
六一
福岡
推 安 藤 貫 一 三 八 、 目、ニ六神奈川
推柏村潔夫、目 、
ニ
六 広島
推種田貞義=一九 、
回
、
君 京都
推 重 松 三 幸 四 O、一、=一一足立
推 樺 島 宇 一 郎 回 O、二、宗 福 岡
推吉田勉四一、=、一ニ宮城
推相沢楠四一、二、ニ台中野
7大 橋 武 雄 四
一
、
一 。、 完 千 葉
2吉 田 虎 一 豆 、 福 岡
大ロ毛利譲豆三、ニ福岡
一
、
一
四 京都
推押谷貞三豆
、、
、
推加藤秀夫豆 吉
八 世田谷
吉、= 静 岡
推元小出保亘、一
三
5・お 松田耕 一 豆 、
=一、完兵庫
4尾田義郎豆、百三一一愛知
推本多福雄豆、回神奈
川
医 日 比政 太 郎 豆 、 目 、 回 千 葉
医柳沢清一
豆、回、八 長 野
推橋本喜三郎豆、
回
、
三 北海道
推河野坦豆
、
回
、
一五 文 京
お松下和夫豆、回、一六 杉 並
明付菊池武彦豆、目、ごハ長野
推 原一学
豆、回、一也練馬
3茅 野 克 己 豆 、 目 、 三 千 葉
ニヨ一練馬
お 伊 東 敏 克 豆、回 、
推加賀永一豆、回、宕千代田
推安達一光豆、五、 回 文 京
5田村武夫豆、五、四群馬
大 8西 嘉 郎 呈 、 五 、 五 墨 田
日山 本 跡 一 回 ニ 、 玉 、 六 愛 知
推東条一、氷室長、三山梨
推後藤茂子年月不詳京都
医五条美咲同福岡
推柴田大吉岡福岡
推森田時祐同福岡
逝
4
孝 授
教号組児室八 醇
織口
年 {
乍
君
化!Jt卒 君
学腺
・
ω
主査長尾喜景教
中村 博 君
昭和三十八年卒
口腔外科学教室
52麻 酔 に 開
4E ﹁開
園 する実験的研究 ﹂
歯 科 学報第 巻 ロ 号 指 導 回 村 俊 布
教授主査長尾喜景教授
fi
に
-前田耕道君
ni 昭和 三十八年卒
司ベ 口佐外科 学教室
4 1 ﹁
下顎骨骨膜の
圃 神経支配と受容捺
の特性について﹂ 2 ﹁下顎骨骨肢に
おける機械的受容器の圧な、りぴに振
動刺激に対する応答の特殊性につい
て﹂歯科学報第U巻 2号 指 導 坂 田
三弥 教 授 主 査 長 尾 喜 景 教 授
﹁同白門
ZC問 ﹃白ヨ
-後 藤 譲 治 君
昭和三十八年卒
保存学教室
﹁注水下高速切削
による寓洞形成が
乳歯髄に及ぼす影響に関する臨床病
理学的研究 ﹂ 日本保存歯科学雑誌
指導及び主査関根永滋教授
光春教授
木津武久君
桜昭和三十五年卒
T 口腔衛生学教室
ιyV
dE ﹁合成樹脂による
・ 麟蝕予防填塞法に
自国
填塞状態 の電気抵抗測定による判定
法に関する研究﹂歯科 学報第四別巻 2
号
指導及ぴ主査
I
I
I
l
Y.
.
m
竹歯
~
び的
主研
査究
導 計'
指統
及学
内科序「口昭
学翠!永腔和 北
春第関歯生十
教 6
7す の 学 一 晴
光 報 f
(
.久 衛 三 村
授巻る期教年 彦
l生 出 室 卒 君
号物[
J
慎
依田雄弘君
昭和三十八年卒
東京女子医移大学
大学院口腔外科学
教室﹁口腔侵襲の
M 口腔外科学
末梢脈波に及ぼす影抑 ﹂
会雑誌日巻3号
指導及び主査日女医大 村瀬正雄教
授
山本広之君
昭和三十三年卒
大歯大理工学教室
﹁組織培養法によ
る歯科用金属の細
胞毒性に関する実験的研究﹂東邦医
学会雑誌日巻3号
指導大歯大川原春幸助教授
主査東邦医大幡井勉教授
AV
医学簿士
上原進君
昭和三十二年卒
日大理工学教室
﹁球状アマルガム
の耐蝕性に関する
研究、特に人煙について﹂
指導及び主査日大永井一夫教授
成毛=郎君
昭和三十二年卒
口腔外科学教室
﹁頭蓋X線 規 格 写
真による術後口蓋
裂患者の 言語障害に関する研究﹂歯
科学報第町巻 2号
指 導 及 び 主 査 長 尾 喜長教授
~
海外出張
左 薙巻すト学三石
見 彦 1
1る 胎 教 十
科血手 三外 三
学管術 単科十
報{象 l
乙向学八
第 変、お 記 教 年
66化 け Z 室 卒
巻ζ
l る干
大井清
東京歯科大学病
院長在任中は 、 公
私ともに御支援御
鞭援に預り、誠 に
有難う御座居まし
た。御蔭をもちまして 、大過なく任
期を終える ζとができましたことを
深く感謝いたしております。去る一一一
月三十一日を以って任期を終え 、 四
月一日から関根永滋教授が病院長に
御就任下さいました 。私は今後、 副
学長の任務に専念し、任期を全うし
たいと思 っております。何卒今後 と
も倍旧 の御 支 援 を 賜りま すよう御願
い申上げ退任の御挨拶といたしま
す
。
AV
太平洋歯科会議
松宮、三崎、竹内、 関根(弘)の四
教授と今西助教助が参加し、研究発
表およびテ ーブルクリニックを行な
った 。 (七頁参照)
南米移住地保健衛生調査団
︿V
西村正雄助教授(衛生学教室) は
外務省派遣 の調 査 団 の 一員として本
年二月五日より四月十 二日まで南米
の移住者保健衛生状態を視察し無事
帰国した 。
︿V
枝重夫講師バ ッファ ロ1 へ
口佐病理学教室校講師は 士口木周作
講師と交代にニエヨ l F大学に招聴
きれ、六月十九日羽田出発 の予定で
ある。
。欧米視察のため出張
米沢和一教授は米国の歯科大学の
教育視察のため六月二十七日出発の
予定である 。
上条薙彦教授、山本又雄教授(英
語)も次いで出張する予定であるが
出発の日時は未定である。
学位受領者紹介
関関卒君
教研
j司 園田・ー・ー
-~".・ 上 報
学
授
究四
大多和彦二君
昭和三十八年卒
解剖学教室
内
西原円一郎君
昭和三十八年卒
口腔病理学教室
28ア
﹁実験的 。
5
白 1
5B に関す
る組織化学的研究とくに歯牙および
長管骨における変化﹂歯科学報第印
巻 2号
指導及び主査
誠一教授
竹
宮
年 晃
授 に顎
関根永滋
AV
歯学博士
教号派 児室 八
授折 1
2関 移
.
.
.
.
.
.
.
指的
導 号 す ザ ( .田園邑
導研
上
る片. ..~...
及究
条実お
電 電?p i ぴ 」
努E 験 よ
‘齢
主歯
路: 的 ぴ
~....... 査科
よる胎児頭蓋骨の
骨梁に関する形態学的研究 ﹂歯科学
報 第 mw巻 2 号
指導者及び主査
発彦教授
松
κ
務巻養ト 学 三 保
0動 胎 教 十 回
彦 1
よ
このたび、不省、
はからずも本学病
院長 の大任を仰せ
つかり、責任の重
大な乙とを痛感し
ております。歴史と伝統と光輝と
ω
T
鹿島隆雄君
昭 和 三十八年卒
解 剖学教室
﹁阻鴨に よっ て顔
面頭蓋に生ずる応
力分布から見た人顔面頭蓋の形態学
的研究﹂歯科学報第 巻目号
指導及び主査上条務彦教授
上報
学 ..
条第 の「解昭
66栄 ヒ 剖 和 久
拶
輝ゃく本学病院歴代の名院長の業蹟
を鏡として 、 且つまた学長はじめ学
内諸先輩並げげに同 窓務先輩の御指導
と御鞭縫と御助力とを得て 、本 病 院
の率いては本学の名誉を傷つけず、
でき得れば発揚するように努力した
いと思います。 幸い病院関係各位の
絶大な激励と協力とを得られる乙と
になっておりますことを心の支えと
ぴ」
主歯
査科
拶
校
しております。
5
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導研
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一
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川﹀
市小
はじめに
東京歯科大学市川病院設立の意義
とか、沿革などについては 、 昭和三
十六年母校創立七十周年記念誌に詳
細記載されているので乙れらには一
崎
は
は、 京成菅野駅に出る途中の陪がり
で襲いかかった暴漢を水聞に敵き込
んピとゅう武勇伝。病院の某助手先
生は上野駅の地下道で着衣を剥きと
られ 、 真夜中の然、空にまた市 川 まで
引き返し 、 また 、 某看護婦さんは白
昼 病 院 の 前 通 り の 街 道 で 、 後方から
追いかけてきた什転車の若者に後髪
を握んで引き倒され 、 顔 面 、 前 歯 に
切 触 れ ぬ こ と と し 、 私が乙の病院と
共に過した二十年間に起きたいわゆ
る裏附しとしてのノンフィクション
を書き残しておきたいと思います。
外傷を負はされた。さらに 、 予科勤
務 の 某 女 子 も、 病院の間道で金口山を
々しい鳴芦のみが耳染を 打 つに過ぎ
なかった。
ば、 当時街出向も疎らな ζの地区は 、
人足も跡絶えで 、徒らに食用蛙の騒
強奪された 。 ζの様な実に物騒な状
態が続いたので午後九時ともなれ
市川 病 院 の 昔 を よ く と 存 知 の 方 で ζ
の拙文を御覧にな って、若し記述に
誤りを発見されましたら何卒御叱正
を頂きたいと存じます。
その頃の市川
会社より譲り受け、乙
社の工員寮を 、
以来早くも二十星霜。 夢 の 如 く 流 れ
当 時、 草深い菅野の田園の中に建
てられたバラック建の日本パイプ会
れ を改造して新設の大学予科講堂と
病院の施設に当てることになった 。
終 戦 後 日 浅 く 、 住居と食糧の極度
去った 。
開設当初の勤務者は 、 花 沢 鼎 先 生
市川病院歯科の開設
さて 、 昭和二十一十 二月十日開設
に窮屈な時代に 、 本 校 か ら 派 遣 さ れ
て専心 ζ の病院の建設に当ら れ た方
を病院長に 、 故岩沢易、 坪 井 邦 久、
佐 々 木 達 雄、 丸森賢二 、 飯田精一 、
田上金維の諸氏と高遠であった 。
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々は 、 現在菅野原頭にその偉容と内
容 を 誇 る 市 川病 院 を 御 覧 に な っ て う
たな感慨無量なものがありましょ
附 属 す る 工 員 の 実 習 室 が あ り、 東側
の三棟は 何れ も学徒動員の工員寮で
日本パイプ会社から譲り受けた数
棟 の 建 物 は 、 南 北 に通ずる公道を挟
んで 西側に二階建の二棟と 、 ζれ に
江戸 川 を挟んで戦災を免 れ た市 川
は、 都内からの転住者も数多く、各
家庭に衣類その他の物資も 比 較的豊
富なため︿殆んど毎夜の如く強盗に
あったが 、 この中の三棟を病院に充
てることになり、室の改造に着手し
た。 し か し、 終 戦 後 間 も な い 頃 と
て、 木 材 そ の 他 の 改 造 に 要 す る 資 材
顧問、本校、 予科の先生方十 数氏を
お招きしてささやかな開院の宴を催
の入手は困難を極めた。治療室は元 したのは今から二十年前 の十二月十
工員寮の食堂に床板を張って七 、 八 日であった 。 その日のご馳走にと 、
台の治療椅子が並べられる程度とな 皆が手分けして買い集めた肉の正体
った。 椅子とユエットは 、 幸 に も 終 は、 それが何に属するものかはきだ
戦まで海軍病院に歯科医官として勤 かでなかったが 、 脂肪を補促するた
務 し て お ら れ た 。同 窓 尾 本 愛 道 氏 の め に パ タ ー な ど も 何 処 か ら 貰 っ て
肝煎りで譲り受けるととに成功し 、 きた。矢野さん寄贈の江戸 川 で捕れ
た大鰻は、目の下三尺とも見える突
これを運んできて据えた。がさて 、
に見事な大物で 、 乙れを﹁洗い﹂と
診療に要する諸禄械、 務具など新日間
﹁鰹乙く﹂に料理してくれたのは 、
の購入は思いもよらず、 乙とごとく
野 口 元 婦 長 の 親 父 で あ っ た 。鹿 島 顧
水道橋の中古口問を使用することにな 問が何処からどうして入手されたか
り、 レ線装附も水道橋地下室に廃口問 真正銘の﹁正宗﹂の一本は貴重な乾
と し て 眠 っ て い た も の を 運 ん で き 杯用にした。不足の分は例によっ
て、加 藤 倉 三 教 授 が 手 を 加 え て 何 と て、白家醸造の銘酒であった乙とは
申すまでもない。きて 、 ζの席上出
か間に合う程度になった。しかし油
された錫焼用のハタ l。もう 何年 も
が漏れて 、 床の乾く間もなかった。
拝んだ乙とのない乙のあ乙がれのバ
それでも、 根端病巣ゃ 、顎 骨 骨折 線
ターが、 会を閉じて食卓のあと片附
などは寧ろじて読み得る程度になっ
けの時、その一片だも見当らなかっ
た。病院前の県道を隔て、向い側の たことは 決 して 不可解な 出 来ととで
パ イ プ 会 社 ま で は 水 道 管 が き て い た はありません。賢明なる読者の御推
ので 、会 社 側 に 懇 請 し て 特 別 な 配 慮 断におまかせいたした い と 思 い ま
。
ぞ得て 、 乙の水道管伝病院まで延長 す
校庭に上がる朝柚酬の煙
して頂いた 。 勿 論 ガ ス な ど は 思 い も
予科開議後、 秋もようやく深まる
よらず、 ユニット 、消議務、 炊 飯 な
頃の或る朝、 一時仮住していた。第
どは主 と して電熱にたより、 技 工 室 二病棟の私の部屋の窓から予科の校
のブロ l パイプはガソリンを使用し 庭に立ち昇る白般に目を移すと 、 一
た。 何 は と も あ れ
、 医局員各 位 が 乏 人の青年が軍 用 の飯盆で朝鮪の仕度
しき中に創意工夫を乙らして曲りな の最中である乙とが判った。 ζの青
りにも開院の運びに漕ぎつけたのは 年は東京歯科大学予科の第一 回 入学
生の茶君であった。
師走末の十二 月 十日の ζ と で あ っ
掌に戦災を造 れ た市 川 は。灰燈と
た
。
化した隣接の東都よりの転入者に住
市川病院開院の宴
宅は占居さ れ 、 地方からの入学者は
歯 科 診 療 室 の 一間を会場にしつら
文
字通り住むに部屋なく 、喰うに 食
え、 乙乙に至るまで 何か と 御 厚 意 を
な
き苦難の時代で あった。乙の話題
の某君が 教室の 片 隅で仮寝の夢から
醒めての 朝 鮪の煙には 、 そぞろ哀 れ
を覚えざるを え なかっ た。
頂いた 日 本 パイプの渋谷さん 、 池田
さん 、 建物の改造その他いろいろお
骨折 を 下 さ っ た 、 故矢野さん 、 鹿 島
東京 ・渋谷
ネオ製薬工業株式会社
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裂 わ れ 軒並に被害を受けた。学校関
係者だ けで も数名を数える。某教授
コ
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ライ トグレー
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ソウル市の
郊外にある金
浦国際空港に
降り立った一
行は、学会や
韓 国 歯 科 医 師 会 の役員の方に交じ
ってソウル市在住の同窓の先生方
の出迎えをうけました。久しぶり
の先生もあれば初対面の先生もあ
りましたが、私達が韓国ぞ訪れた
ととを心から喜んでおられるよう
でした。
到着の日の夜、 早速、歓迎の安
を開いて下さいました。学会の役
員会に出席の松宮教授を外いた、
三崎、竹内両教授、 今西助教授と
私 の 四 名 は 、 ﹃ 花 亭﹄という焼肉
の庖でジンギスカン料理に舌つづ
みをうちながら、ソウルにお住い
の同窓の四先生と楽しい一タを過
し ま し た 。 最 も 御 年 配 の韓東燦先
生は大正六年の御卒業、長身白髪
の英国風の紳士。かつて北鮮にお
いて商工大臣を務められたという
大 人 物、 お年に似合わずす ζぷる
御壮健であります。季回一昌先生
は、 大正十年の御卒業で、東歯在
学時代に卓球の名選手で、賞金時
代 の 話 に 花 が 咲 き ま し た 。現在も
きわめて御壮健で、大いにハッパ
をかけられました 。 金 用諾先生は
昭 和 十 七 年 卒 で 、 母校の上条、鵜
養、渡辺教授とクラスメ ート。ま
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強し最て古ずり理市ノレ蔵科。たに同つ
で 等 、と 内 に の 学 、科 て 歯
痕
都武
ク
でしたのに、本当に惜しい ζ と で
す。
君は、悲願とも執念とも恩われる
程に、一粒種の芳隆君の大学院卒業
を楽しみにしていたが 、 それも病の
た め 中 絶 の 破 目 と な り、 さぞかし心
残 り だ っ た で し ょ う 。 だ が、 と子息
は緊智一番やる気で 、 切 角 君 の 築 い
た﹁診療所﹂を守り続ける意気旺ん
です。及.はずながら私共も、 お求め
があればお力添えをいたす覚悟で
す。どうか安じてください。
君のと冥福を祈って筆をおきます。
戒名仁光院玄風郎総居士
亭年五四才の若きでした。
﹁山 本 弥 市 君 の 死 を 悼 む ﹂ 原稿が 、
七星会の加藤孝一氏より寄せられま
したが 、 殆 ん ど 同 じ 内 容 な の で 割 愛
さ せ て い た だ き ま す。
なお同君で、七星会員加藤倉一一一、
鐘木正直、大沢一康その他在県の会
員が葬儀に参列された由記載されて
お り ま し た の で 追 加 し ま す。
編 集 部)
(
事
行
易
を異にすることは 、 なんとしても悲
しい 。
母校大井教授は来豊の度毎に 、 私
共君壱含めて﹁三人組﹂と叫んで 、
殊 の 外 に 可 愛 っ て く だ さ っ た 。 その
一人君のいないのは 、 その意味がな
く な り、 ま た し て も 悲 し い 新 し い 涙
の種となります。
君は役職につく乙とを好まず、可
能の限り辞退し続けてきたが、先輩
の強い要請もたつて、昭和三十六年
頃からは、歯科医師会の要職にもつ
かれ 、 ﹁不言実行型﹂で 、会員のた
めに献身的な努力をされた。そして
常 に 、 ﹁ 考 え 方 ﹂ に つ い て 、 私共に
よく話され、意見の調整の上で、み
んなに納得できるように心がけら
れ、実に立派にその職責を果され
た。天晴れな処世術でした 。 私 共感
心しておりました 。 ま さ に ﹁ 畏友﹂
賀
藤彦橋
創立三十五周年を迎えた
祝
したものになっている。
そして、乙のヒュッテは、クラブ
負だけでなく、大学の教職員の方々
や、 同 窓の皆さ んにも利用して頂い
て、喜ばれていると自負している。
われわれは、三十五周年を期に、
更 に 一 段 と 発 展 す べ く、 来 る 七 月 八
日に盛大な記念の行事を母校におい
て催そうと着々準備中である。
同窓各位の御支援を期待してやみ
ません。
日
是
主
母校山岳部の 0・B で組織してい
る叔痕クラブは、今年で創立三十五
年を迎える。
乙の問、年々⋮増加する会員の強い
団結と、盛んな熱意をもって歩みを
続けてきた 。 そして 、 昭和十四年に
は、志賀高原発捕に﹁杖痕ヒュッ
テ﹂を建設し、戦争のさなかも、終
戦後の混乱期にも、クラブ員の努力
で立派に維持してきた。
今 日 で は 、 場 所 も 移 転 し 、建 物 も
増 築 し 、 管 理 人 を 常 任 さ せ て 、充 実
月 フず
八
山本瀬市君を惜しむ
七星会の山本郵市君が五月七日午
前八時五分死去された 。
君は一昨年秋以来、不調を訴え、
本年正月を終える可
と 直 ち に 、 現代医
学の粋を集めた病院の精密検査を'つ
けるべく、名古屋に出て、入院加療
中 だ った。家族の献身 的 な看護にも
か か わ ら ず、 文 字 通 り 薬 石 効 な く、
永 眠 し て し ま った。
と家紋のと心中を思うとき、断腸
の想いがいたします。
葬儀は、五月八日一時から仏式に
よ り、 豊橋市新士口町竜枯寺におい
て 、 地 元 歯 科医 師 会 長、 東 京 歯 科 同
窓会支部長はじめ、 五百名に及ぶ多
数の彼を知る人達の合葬で、盛大を
極めた。東京歯科大学学長杉山不二
先 生 の 弔 電 を は じ め 、 数 十 通 も の弔
電披露もあった。
山本君、君は愛知県宝飯郡一宮町
豊津の出身で、新城刷版蚕学校を卒え
られる。一変して笈を背って上京、
東京街科医学校に学ばれ、昭和十一
年春卒業されると、部回の先輩の診
療 所 で 、実地研修する ζと二年。昭
和十三年初夏豊橋市で開業された 。
開業後の豊橋市街科医師会のなか
の君の所在は、常に軽妙法脱な発言
で頭角を あ ら わ し て お り ま し た 。 藤
惜棋が、応召で出征したとき は、 彦坂
と協力して、 藤 城 の 診 療 所 を め ん ど
うみてくれた君でした。
君 は 、 精 力 的 な 診 療 を 統 け 、数 多
く の 患 者 に 親 し まれ 、 愛されて 、 君
の魅力は身からにじみでる﹁近親感﹂
でした 。三 十年に近い臨床で、 C子
息芳隆君も四十一年春東京歯大を卒
えられて、立派に成人され、いよい
よ乙れからというところで、幽明境
,
7
一
フ
七
城坂
杖
一
フ
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宮玄
だ
ドンに興じ 、 十一時半鳴戸に到り観
潮渡船に乗換える 。折しも大潮で干
に天下三公園の随て松の美しさは
正に日本一であろう。茶屋で讃岐ウ
屋島山上を各々散歩しパスで栗林公
園に至る。乙の公園は紫雲山を背景
段の長きに御老体連いささか弱って
見えたは僻目か。その夜は屋島山上
ホテル甚五郎に一泊する c 過去数年
に亘って撮影された壬成会の 8 ミリ
を映写して故人となった人々と共に
過ぎし日を思い出す。二十五日早朝
日本に於ける武器の宝庫と称され、
数々の国宝の鎧、万剣を目前に見て
怒摸した。一再び船でバック。所謂西
日光と称する耕 三寺を見物後、 水 中
翼船で今治に渡った。待期するパス
で道後温泉へ。既に先着の松元影丸
夫妻、武居君を加へ壬成会総会を開
催の後宴会に移り伊予万才などに興
じた。翌二十四日は琴平宮に参拝、石
た四十八名は午前八時半出帆して大
三島に上陸。二台のパスに分乗して
大山抵神神に参拝した。中世、阿野
通有を城主兼宮司とする乙の神社は
四月二十三日尾道乗船場に集合し
必
;
:
)
,
.
潮の最底の時刻、落差一米半は二0
神戸駅開散は午後六時半であった。
次回開催は関東地方と 決定、大 挙
参加さ れる事を望む
(参加者左の方々と其家族であっ
た。)
石原陵明、稲川林之助、五味壮、
沢井鑑治、 谷本総、武居武雄、 荒 井
和夫、井崎三郎、上原竜雄、 大島稔
大谷軍一 、 春日信、木村茂樹、 四方
正次、鈴木貞一 、永田重、浜野喜太
郎、平山篤、 的場作次郎、松田俊男
松野新、松元影丸、横田博俊、渡辺
一二、成田勝人、安田泰治、吉川初
太郎、藤井博(藤井記)
会一
・
昭和十二年卒l!
新緑快拶盛大な蜂和会のこの度の
会合共に祝福しましょう。思えば今
日迄の風雲航路色々あらあな。昭和
十二年は早や三十年の速い夢。京都
伊勢路の旅、'とんどの東京タワ l の
眼下に展開された都の偉容や靖国の
石畳に 二十四才の若桜特攻隊の父母
への惜別 の情あの日記。五十路の坂
を越えた子を持つ親。蜂和会の諸君
の胸中に去来したものは 何 で し た
か。思い出深い一頁となった事と思
ず
L
み
会
発行所
出席者
中村(正)、矢内、栗原 、宮下(仁﹀ 、
問、北村(宗)、坂井 、大坪(俊)、 工
藤、塩作、佐藤(充)、三宅、岩沢、
西日、斉藤(登)、佐藤(卓)、黙回 、
萩原
h﹂
昭二十一二
来年は卒業十周年となるので 、記
念行事として次のととを計画してお
ります。一つはアルバムの発行で 、
なお詳細は 、 さらに具体案をねって
から御連絡いたします。もう一つは
総会を東京以外の地で開催し、そ れ
に学部時代の恩師を招待するという
計画です。従って今年の総会は 、ま
た東京で聞く乙とになりますが、ふ
るって参加される乙とをお願い致し
ます。また、会費未納の方が若干名
おります。乙の方は至急、東まで御
送金下さい。
補棋 の片岡、凶島両君は 、 乙の四
月からそろ って 助教援併任になりま
した。
病院 の技誹師はアメリカ、バッフ
ァロ !大 学に留学のため六月二 十日
に羽田を出発されます。期間は一 J
二年の予定です。同君の健康を活躍
を祈りたいと思います。なお 、 それ
にともなって 、学内幹事として 、 新
たに束、高橋両君を迎える ζとにな
りました。(幹事記﹀
東京都千代田区三崎町=丁目九番十八号
東京歯科大学同窓会
電話東京会一六一己三四二一︿代)
編集兼発行人渡辺宮士
なお 、来年は宮下君の骨折りにより
群馬県下で開催の予定。 ( 萩 原 ﹀
津の観月涯に宿をとる 。四時半頃に
なり順次懐しい顔が現われる。皆戦
中戦後の苦難の学生時代を過した、
言わば同期の桜である。間もなく本
県在住加藤倉三先生が組畝をほ ζろ
ばせ乍らおいでになる。六時三十分
開宴 b佐藤辱也君の司会、教原 の歓
迎の辞に笠が進む。宴が進むにつ
れ、かくし芸等飛び出す。加藤先生
の声色、斉藤笠君の詩吟等。至芸を
つくして相競う。九時閉会。
翌朝、我々は諸君を富津仰に案内
し、 一時半のフェリーでお返した。
去る三月十八日に始めて の地方進
出で千業県が幹事とな った。雨のク
ラス会も格別と言い乍ら会場、木 更
共々苦労の中に楽しむかにありま
す。それ故に在京三十名は一生懸命
やりました。再会を確約して御健闘
昭和 二十三年
を祈ります。 杉山 学長、福'砧先生の
既報 のよ うに今秋十 二月 二十一 、
御出席を感謝します。在京委員一同
二日に大津のホテル紅葉で第 二十回
いづみ会総会が開催されますが 、 そ
会一
の準備のため 、近畿 いづ会の諸兄に
・
昭和十七年卒l!
は格別のお骨 折 りりをわずらわして
会員各位におかれては診療、研究 、 おります。近く各位に C案内状が届
くと思いますので、高難を拝して是
医政に御活躍の乙とと存じます。
。
昭和四十二年度クラス会総会は既 非と参加お申込みをお願いします
各地にいづみ会支部の結成が見ら
れますが、時折近別などをお寄せ下
さい。(中久喜﹀
関東いづみ会
報の如く四国において開催される ζ
とにな っております。本年は卒業二
十五周年に当りますので多数会員の
参加を望みます。
期 日 四 十 二年九月 二十三日(土﹀
愛媛県道後温泉
九月 二十四日(日)
高知県高知市
九月二十 二 日夜までに送後編
泉集合
二十 三日 午前中退後似泉発、
特急バスにていけ川知市(約二時
間半)
二十四日高知 一泊 現地で解散
J
費用会山口そ の他については四国幹
事より個人宛に辿絡が のりま
す。
向、往復の乗車券は各人にて御用意
下さいとのことです。
四国 Kおける幹事は愛媛県は大野喜
市、大野実、 馬島博君、高知県は岸
正明君、徳島県は井上明弥君らです
会計より。会代納入の時期になりま
喜
ス
成
キロの潮速と渦巻を生じる 。船 は 渦
潮の中に乗り入れ息を呑む壮感に時
の移るを忘れた。昼食を福良のやぶ
志
した 。 四十 二年度会貨を
会計幹事野口春治宛御送
り下さい。
~
よ
り
います。皆様の参加が百数名の結集
が ζの盛会を更に盛り上げました。
在京の努力も張合があったと云うも
のです。バトンは静岡にタッチさ れ
ました。場所は 何処でも良い'また
乙のように会い度い。残り少ない各
自の青春を 、蜂和会の青春を如何に
、
,
ク
壬
万に摂る 。鳴戸大綱の蒸し燐きは一
入美味。明石海峡をフェリ ーで渡り
コ
夫
和
い
コ
蜂
-
8