「常滑焼の窯道具」展

平成27 年度 第 1 回企画展(4 月 4 日(土)∼ 5 月 24 日(日))
「常滑焼の窯道具」展
常滑焼の歴史は古く、平安時代末期から今日まで続いており、その歴史の長さや規模の大きさ、
いずれにおいても日本有数の焼き物の産地となっています。平安時代末期から鎌倉時代前半にかけ
ては、茶碗や皿とともに壺や甕が焼成されていますが、鎌倉時代後半になると壺や甕を中心に焼成
する窯業地へと特化していきました。
平安時代末期から江戸時代にかけてみられる焼き物でできた窯道具は、焼台を除くとほとんど発
見されていません。平安時代末期から鎌倉時代の古窯は、丘陵地の斜面に平行して斜めに穴が掘っ
て築かれており、窯の中で効率的に焼き物を焼くために、馬の爪のような形の焼台を並べて平面を
つくり、その上に茶碗や皿が重ねて焼かれています。同じ知多半島にある小原池古窯(美浜町)は
13 世紀後半に築かれた山茶碗を中心に焼成する窯で、山茶碗を焼成する焼台がそのままの位置で、
総数は 400 個以上も並んで出土しました。一つの焼台には 14 ∼ 15 点の山茶碗が重ねられていた
ことから、一回の焼成で 6000 枚以上の山茶碗が焼成されたことになります。
江戸時代後半以降になると、急須や徳利、火鉢、盆栽鉢などが焼成されるようになります。これ
らは商品に直接火や灰が当たらないようにエゴロと呼ばれる箱の中で焼成されています。エゴロは
焼き物の大きさや形に合わせて、円柱形や角柱形のものがあります。国指定重要有形民俗文化財の
「登窯」は別名「えごろ窯」とも呼ばれていました。窯の中には朱泥急須や盆栽鉢を焼成したエゴ
ロが積み上げられており、昭和 40 年代まで行われていた窯詰めの様子を再現しています。
やきもの散歩道の土管坂や廻船問屋瀧田家の前にある坂道等には焼き物でできた輪状の焼き物が
埋設され、滑り止めとして用いられています。これらは土管を焼成する際に窯の床に敷かれた焼台
で一回の焼成によって大半が割れてしまう消耗品であったことから、敷輪や捨輪とも呼ばれていま
す。焼台は大きさに合わせて径の大きさや厚みが異なっています。
常滑では平成 16 年を最後に土管の製造は終了しましたが、土管の焼台や昭和の窯で用いられた
窯道具は、やきもの散歩道を中心に様々な場所で用いられており、常滑の街並みのなかでみること
ができます。
とこなめ陶の森 資料館
中世の焼台
登窯の窯詰め状況
呂号甕の焼台