たり曲げたりの手作業ですから大変な作業量だっ たと思われます。 大正

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た り曲げた りの手作業です か ら大変な作業量 だっ
たと思われ ます。
大正12年 にな り、第 1回 全 日本 スキー選手権大
会が小樽 で開かれてお り、 この時 に飯山中学 の生
徒 さんが参加 してお ります。
小樽 に参 りま して、 イタヤ カエ デ を使 つたス
キー を見 まして、 これはいい とい うことで飯山に
帰 り、 イタヤ材 を使 つたスキーづ くりをア ドバ イ
ス された とのことです。
イタヤ材 を紹介 され、良い材料 を見つ けなけれ
ばとい うことで、その頃の北海道や樺大にまで足 を伸ばして、スキーの適材 を探 したと記録があ りま
す。
先代の小賀坂廣治で ござい ますが、 この ような爺 さんの元で しつか り修行 してきたものですから、
昭和 7年 には父親の濱太郎の指導 を受けまして、先代廣治は当時にしてはめず らしい 5枚 張 り (ヒ ッ
コ リー・檜 桜 檜 ・ ヒッコリー)の 本格的な合
板 レース用
(ク
ロスカ ン トリー)の スキー を作 っ
てお ります。
勿論、
先代 の廣治 は自分 で滑 ってテス トをして、
選手 として も活躍 してい ました。
昭和 13年 には、第 9回 明治神官体育大会男子 リ
レー に出場 した廣治 は 3位 に入賞 してお ります。
この時 のメンバーには、全 日本 スキー連盟副会
長 を務めた片桐匡さんもメ ンバーの一人でござい
ます。 この時 の健闘 を称 えられまして、先 ほどの
新聞を書かれてお りました堀内文次郎 さんから「奮闘努力」とい う賞 をいただいてお り、我が社 に飾 っ
で、軍事産業 として飛行機 のプロペ ラを作 ってお りました。
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第二次世界大戦 にな ります とスキー製作 どころでは ござい ません。木材 の加工が得意 だとい うこと
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戦争で中断したために合板が進まなくて、
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単板スキーのまま戦後を迎えました。ようやく、戦後から合板が作られ始めたものですから、
一
専門」 とい うのは皆 さんか らみれば冒険に見えたのではないか と思 い ます。
昭和33年 には、株式会社小賀坂 スキー製作所 を飯山にて設立 してお ります。
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