新年度が始まり気分も新たに、新緑 真心のご支援と変わらぬご厚情を賜 年は緑崇流吟道 り心より厚く御礼申し上げます。 さ て、 来 る 平 成 ス を と っ て く れ ま す。 そ し て、 こ れ て お り ま す。 相 互 の 連 携 の 強 化 を 図 前 進 を 心 が け て 参 り ま す。 ま た、 皆 り、より一層の研鑽に努め、限りなき 《お知らせ》 緑崇流吟道緑水吟詠会 二代目宗家箕輪緑崇襲名披露並びに会創立四十周年記念祝賀会 と夢に向かって様々な分野で明るい 話 題 が 広 が っ て い る 昨 今、 日 本 は い ろ ん な 問 題 が 山 積 み で す。 換 言 す れ ば新しい時代を迎えていることにな る の で し ょ う か。 変 化 の 速 い 現 代 社 会 で は あ り ま す が、 ゆ っ く り と ご 自 分の可能性に向き合って充実の日々 を送って頂きたいと思います。 吟ずれば自ずとピンと背筋が伸び、 い つ ま で も 若 さ を 保 ち、 通 じ あ え る た り、 そ の 大 事 な 節 目 に 緑 崇 を 襲 名 からの会員皆さまの活躍が緑崇流吟 仲間との交流が体力と気力のバラン さ せ て 頂 く 運 び と 相 成 り ま し た。 今 道緑水吟詠会を支える大きな力とな 周年を迎えるにあ まで数々の取り組みにご理解をいた ることを確信する次第です。 りながら緑崇流の絆を更に深める機 さまには健康に十分注意され詩吟を を 初 心 を 忘 れ る こ と な く 気 を 引 き 締 平成二十六年四月吉日 11:00 ~ 15:30 緑水吟詠会創立 だ き ま し て、 こ こ ま で 歩 ん で こ ら れ 会にもして行きたいと願っておりま 通 じ、 充 実 し た 日 々 を 楽 し ん で い た なりました。過去をゆっくり振り返っ め て 緑 崇 流 の 発 展 の た め、 精 進 し て (自宅書斎にて) リンピックが開催されることで未来 大阪市天王寺区上本町 6-1-55 TEL : 06-6773-1111 場所:シェラトン都ホテル大阪 ましたのも役員をはじめ会員皆さま す。 ま た、 日 本 人 の 心 に 宿 る 詩 吟 は、 だけるようお願い申し上げます。 方のご支援によるものと感謝いたし 最後に私は緑崇を襲名するにあた 古きものへの信頼が根底にあります。 たり新天地に胸をときめかせたり、人 参る所存でございます。 が春の光に映える心地よい好季節と 私は伝統に基づきつつ進むべき道 の出入りの多い時期でもあります。 げ ま す。 ま た、 平 素 は 当 会 に 何 か と 年 10 月 11 日(日) 日時:2015 27 40 清 祥 に お 過 ご し の 事 と お 喜 び 申 し 上 さ て、 6 年 後 の 2 0 2 0 年 に は オ 皆 さ ま に お か れ ま し て は、 益 々 ご 四代編集長 松村緑圭 五代編集長 河田緑烽 そこには数々のエピソードやご苦労もあったはず・・・。 二代編集長 佐野緑扇 会報 50 号発刊に至るまで、縁の下で尽くされてきた歴代編集長。 50 号発刊を記念して、陰となり会報発刊を支えてこられた歴代 初代編集長 宮原緑晃 司会 本 日 は、 お 集 ま り 戴 き あ り が 年に創刊された頃のこと (米田) と う ご ざ い ま す。 初 め に、 昭 和 記念すべき創刊号 司会 やり始めの苦労はなかったが むしろ途中での苦労が多かっ たという事ですね。 宮原 最 初 の 会 報 の 名 称 は「 緑 水 流 ト し ま し た( 1 ~ 吟道緑水吟詠会会報」でスター 報が立ち上がったと創刊号に 次 に、 編 集 長 が 私 か ら 佐 野 先 年目に会 書かれていますが、発刊に至っ 生 に 代 わ っ た 後 に「 緑 の た よ 号まで) たいきさつや苦労された話な り」になった。 号から す が 入 り き ら ず、 こ の 調 子 だ り、 B 4 判 裏 表 で 始 め た の で す る と、 原 稿 が た く さ ん 集 ま 先 生 と ご 一 緒 に 始 め ま し た。 し た い と い う 話 が あ り、 佐 野 長 で、 事 務 局 長 か ら 会 報 を 出 が 厳 し く な っ て …。 と い う の は 順 調 で し た が、 途 中 で 財 政 ス タ ー ト し ま し た。 最 初 の 頃 もらおうという趣旨で会報を けでなく家族の方にも知って い こ う と い う こ と で、 会 員 だ 宮原 会員同士のつながりを深めて 西南北」をひねって「東南西北」 佐野 そ の 時 の 会 報 は「 ニ ュ ー ス 東 たより」に変えたと思います。 わ ら げ よ う と い う 事 で「 緑 の したのを機に会の雰囲気をや あ っ て、 そ の 特 集 を 組 も う と 松村 それは会創立の記念祝賀会が 周年の後の と2 か 月 に1 回 で も 発 刊 で き も、 会 員 が 多 い 分、 部 数 も 多 となっていました(笑) 河田 会創立 という嬉し く ま た、 発 行 回 数 も 多 い の で るのではないか い 悲 鳴 を 上 げ た も の で す。 苦 費 用 が か さ み、 苦 し い 時 も あ そのうち、私も佐野先生も詩 吟 の 大 会 の 役 が 回 っ て、 忙 し く な り、 会 報 の 文 章 を ま と め る の が、 な か な か 大 変 で、 よ くミスプリがありました(笑) 佐野 編集会議を宮原先生のお宅で 号 か ら ま た「 東 西 南 北 」 に に お 家 が あ り、 終 わ っ た 後、 ん が「 東 南 西 北 」 は 間 違 っ て 戻 っ た の は、 ど う も 印 刷 屋 さ も や り ま し た ね。 高 槻 の 山 奥 みんなでワラビを採りに行っ い る と 判 断 し、 直 し た 可 能 性 松村 労 は し て い ま せ ん。 箕 輪 会 長 号に掲載さ 時点で発行すればいい」と。 司会 最初の座談会は れていますね。 松村 年 頭 に 当 た っ て の、 新 春 座 談 会ですね。 宮原 宗家会長宅で行われました。 河田 私 も 行 か せ て 頂 き ま し た。 も う、 そ の 頃 は 編 集 委 員 に な っ ていたと思います。 です。 33 34 りました。 宮原 最初は渡辺緑心さんが事務局 どお聞かせください。 緑水流が生まれて からお聞きしたいと思います。 58 は「 無 理 せ ず 原 稿 が 集 ま っ た 20 たりしました(笑) 38 歴代編集長座談会 六代編集長 米田緑海 8 !? 17 会報 50 号発刊記念特別企画! 編集長にスポットライトを当て、紙面を賑わしていただきました♪ (敬称略) は週刊誌からとったものだった(笑) 司会 その時は、歌舞音曲が中止という事で当 がありますね(笑) 安く上げるのに必死でした。 ハッキリしないし…とにかく りました( と。 ペ ー ジ 数 も 8 ペ ー ジ に な 号から) そ う い え ば、 宗 家 の 考 え で、 を入れたらいいんじゃないか、 … と い う 事 で、 じ ゃ あ、 宣 伝 う か? し か し、 そ れ も ど う か 一 部10 0 円 で 販 売 し た ら ど 宮原 こ ん な 話 も 出 て い た。 会 報 を 号 よ り「 み ど り の 絆 」 に な っ を大切にしようという事で た と こ ろ か ら、 宗 家 が「 絆 」 のタイトルが「武人の絆」だっ 松村 宗 家 の リ サ イ タ ル が あ り、 そ 司会 「みどりの絆」にした経緯は? ~ 号までしか続かなかっ 周年が終わって次の た(苦笑) 会 創 立 と い う こ と で、 会 員 の み な さ たのです。 麻雀用語をユーモア感覚に取 号 が 出 た あ と、 会 の 財 政 危 機 んに会社経営・商店などなさっ ましたね 司会 何回かカラー版の発行があり たけんど が あ り、 会 報 も 結 局 お 金 が か て い る 方 に 一 口 い く ら で、 と 担 当 師 範 に も、 名 刺 サ イ ズ の 広告を出していただき資金集 号 ら印刷まで全て一人でしまし ま す!」 と 言 っ て 紙 の 手 配 か 松村 え え、 宗 家 に「 私 が 何 と か し タ イ ト ル を 変 え る と 同 時 に、 の時の編集長が白波瀬先生で ル デ ザ イ ン も 変 え ま し た。 こ 5 か ら A 4 判 と な り、 タ イ ト 崇 宗 家 逝 去( 平 成 賀 会( 平 成 月 周 年 記 念 祝 賀 会( 平 成 8 年 2 号 め を し た。 そ れ に よ っ て 次 号 ~ 号)が発行することが出来 厳しかった…。 司会 この後どうなりましたか? 松村 「 緑 の た よ り 」 か ら「 み ど り の 絆」に変わった時に横書きの タイトルから縦書きのタイト 河田 奥 園 緑 水 宗 家 逝 去 時( 平 成 2 た! そ れ が 宗 家 リ サ イ タ ル の 会員も高齢化になって紙面の と会創立 周年記念祝賀会(平 日特別号)、会創立 時 の 会 報 で す。 印 刷 は コ ピ ー 詰め込まれた字よりも紙面を 年3 月 機 で、 原 稿 も 構 成 も 一 人 で、 ル に 変 わ り、 紙 の サ イ ズ も B 38 り入れたものもありましたが、 か り、 ち ょ っ と 発 行 を 考 え よ 協力して頂いた( た。 宮原 し か し! 松 村 さ ん の 力 で が発行出来た! ( た。 松村 い や … ほ ん と う に、 37 成 会報発刊の危機 34 の「 緑 の た よ り 」 の 時 が 一 番 34 35 37 20 大 き く し た 方 が 読 み や す い、 36 号)また、 うか…という時期がありまし 38 年 周年記念祝 20 号) 号)箕輪緑 年 43 号)の5回です。 19 日)会創立 年 18 思い出の会報① 一面に写真を載せましたがその写真は実 35 手作りの会報で写真も濃淡が 42 30 13 35 47 29 23 歴代編集長 宮原 天皇陛下崩御の時には、急遽特報として 会も、初吟大会が中止となりましたね。 ちょうど大会の前日に亡くなられたので …。 河田 しかし、府連出場者決定を兼ねていたの で、会場に来た人は全員決定となりまし たね。 平 成 元 年 7 月 25 日 会 平 成 6 年 1 月 11 日 31 平 成 6 年 9 月 13 日 32 平 成 7 年 1 月 10 日 武 道 館 合 吟 女 子 日 本 一 33 平 成 7 年 10 月 3 日 記念号 平 成 8 年 2 月 29 日 会 崇 創 立 の に 2 0 た 改 周 よ 流 年 34 平 り 35 平 成 10 年 12 月 36 平 成 11 年 11 月 37 平 成 13 年 3 月 38 平 成 14 年 3 月 み 39 平 成 15 年 4 月 ( 四 代 ) 松 村 緑 圭 編 集 長 40 平 成 16 年 4 月 41 平 成 17 年 4 月 42 平 成 18 年 4 月 会 43 平 成 19 年 4 月 44 平 成 20 年 4 月 45 平 成 21 年 4 月 46 平 成 22 年 4 月 47 平 成 2 3 年 4 月 会 創 立 35 周 年 フ ル カ ラ ー 48 平 成 24 年 4 月 49 平 成 25 年 4 月 50 平 成 26 年 4 月 ( 六 代 ) 米 田 緑 海 編 集 長 (三代)白波瀬緑斎編集長 (編集局) 成 9 年 10 月 緑 流 箕 輪 緑 崇 リ サ イ タ ル ど 創 り 立 の 3 0 絆 周 年 (五代)河田緑烽編集長 箕 輪 緑 崇 師 急 逝 歴代編集長 思い出の会報② 佐野 会報 32 号に吟剣詩舞道主催の武道館 合吟大会で女子優勝の記事が出ていま すね。笹川先生より優勝旗を戴き、畑 野先生が優勝カップを受けられた当時 の思い出がよみがえります。 松村 武道館女子優勝が一つの節目だった。 河田 男子は参加しただけでしたが、女子は 前年度で 7 位の成績でしたね。 松村 宗家は「絶対優勝さす!」と。それが 実現した!! ひ と 時 を 過 ご し ま し た。 お ま 平 成 5 年 7 月 27 日 緑 30 け に、 お 酒 ま で 買 っ て 頂 き ま 平 成5年2月9日 29 した(笑) 平 成 4 年 8 月 11 日 28 *** 平 成4年1月7日(二代)佐野緑扇編集長 27 生方にはその当時が蘇るようで、想い 26 出話しは何時までも続くようでした。 平 成 3 年 7 月 23 日 会 創 立 15 周 年 緑 水 師 偲 ぶ 会 はご都合により欠席されました。 25 会報を見ながら、楽しく語られる先 追悼号 平 成 2 年 3 月 13 日 奥 薗 緑 水 師 急 逝 1 面 カ ラ ー い ま す。 最 初 の 訪 問 先 が 甲 南 行 山 手 支 部 で、 来 ら れ て 楽 し い 吟 宮原 えらい金あるやん (笑) 平 成 元 年 2 月 14 日 24 回 !! 宗家支部訪問記(甲南山手) 23 一 河田 年 1 回 で す し、 今 は カ ラ ー も 昭 和 63 年 7 月 26 日 白黒も値段はかわりませんね。 昭 和 63 年 1 月 26 日 第 22 足 河田 私も結構お伴させて頂きまし 21 発 松村 時代が変わりましたね。パソコ 昭和 62 年 10 月 13 日 ク ラ ウ ン リ サ イ タ ル 第 1 回 会 た。 写 真 を 撮 り、 記 事 に す る 20 の ンのメールで印刷屋さんとや 昭 和 62 年 7 月 10 日 というのが私の仕事でした。 昭 和 62 年 4 月 14 日 緑 19 り取り出来る時代です。カラー 昭 和 62 年 1 月 27 日 18 年 も当たり前になりましたね。 昭和 61 年 10 月 14 日 17 周 河田 現に会報は、パソコンメールの 16 1 0 やりとりで、修正・校正ができ、 昭 和 61 年 7 月 15 日 立 松村 支 部 訪 問 が 始 ま っ た の は、 宗 15 創 一 瞬 で 済 ま す こ と が で き、 便 昭 和 61 年 4 月 8 日 家 が「 支 部 が あ っ て も 支 部 の 最 後 に は こ れ か ら の 会 報 に つ い て 昭 和 61 年 1 月 14 日 会 14 利 に な っ た も の で す。 ま た 用 昭 和 60 年 10 月 8 日 13 の提言をいただき大いに参考にさせ 昭 和 60 年 7 月 9 日 12 座談会に貴重な時間を割いて頂きあ 11 か、知りたい」という事から、 昭 和 60 年 4 月 9 日 りがとうございました。 昭 和 60 年 1 月 15 日 10 宗家の提案で始まりました。 昭和 59 年 10 月 16 日 佐野 支 部 訪 問 は ハ ッ キ リ と 覚 え て な お、 三 代 編 集 長 白 波 瀬 緑 斎 先 生 8 9 様 子 が わ か ら な い。 担 当 師 範 昭 和 59 年 7 月 10 日 紙サイズもB 判からA判が標 昭 和 59 年 4 月 10 日 宗 家 リ サ イ タ ル 特 集 号 ていただく次第です。 6 7 が ど う 教 え て い る の か? 支 部 昭 和 59 年 1 月 10 日 特別号 昭 和 59 年 1 月 10 日 準 規 格 に な っ た の で、 こ れ も 昭 和 58 年 11 月 8 日 5 の 雰 囲 気 は ど う な っ て い る の 本 日 は、 歴 代 編 集 長 の 諸 先 生 に は、 昭 和 58 年 9 月 13 日 4 安くなった要因ですね。 昭 和 58 年 7 月 10 日 3 *** 2 り編集部員も一緒に取材の為、 参加されておられましたね。 創刊号 昭 和 58 年 5 月 10 日 ( 初 代 ) 宮 原 緑 晃 編 集 長 司会 次 に、 宗 家 の 各 支 部 訪 問 が あ 会報発行歴 《入賞者 の歓 びの声》 新人の部 優 勝 曙支部 上岡 政葊 一級の部 優 勝 田野 庄藏 曙支部 昨今詩吟の奥深さに驚いています。 こ の 優 勝 を 励 み に「 継 続 は 力 」 な り の諺を信じ、地道に、今後「吟・礼・ 心・身」磨きに精進してまいります。 教 室、 緑 崇 流 の 皆 様、 今 後 と も ご 指 導の程よろしくお願い致します。 詩 吟 を 始 め て 三 年 目 余 り の 私 が、 年度昇段テスト並びに コ ン ク ー ル 大 会 成 績 吉川 勲 上岡 政廣 準々優勝 準 優 勝 優 田中 緑夢 片山 緑都 浅野 緑昇 宮内 緑郷 加藤 緑絆 〈五段の部〉 川上 昇 上位入賞 吉田 緑外 勝 準 優 勝 石田 洋子 上位入賞 勝 準々優勝 優 位 上位入賞 四 柳井 孝三 五 〈二級の部〉 津村 緑秀 勝 優 福永 緑獅 松本 緑遥 西尾 康子 準 優 勝 勝 準々優勝 島田 緑聲 木下 緑鋒 優 田野 庄藏 上位入賞 勝 優 芝田新一郎 〈一級の部〉 準 優 勝 準 優 勝 優 岸 緑汀 松本 緑州 小谷 緑楓 勝 準々優勝 〈七段・上師範の部〉 林 緑寿 上位入賞 大海 告子 上位入賞 徳岡 純 徳岡知江子 〈初段の部〉 勝 勝 〈二段の部〉 該当者なし 〈三段の部〉 〈四段の部〉 福本 瑞翔 石川 洋翔 安田 稜翔 西部 砺鴻 準々優勝 團 佳翔 勝 上位入賞 優 上位入賞 準 優 勝 優 優 準々優勝 〈六段の部〉 位 〈新人の部〉 25 い ま す。 歳 を 重 ね る に つ れ、 つ い 弱 音 が 出 ま す が、 何 時 ま で も 夢 と 希 望 を 持 っ て 生 き た い も の で す。 習 い 始 めたばかりの詩吟ですが一生懸命に 勉 強 い た し ま す。 皆 様 方 の ご 指 導 を お願いします。 思いもよらぬ優勝という身に余る栄 優勝などという言葉に全く縁の無 誉 を 戴 き、 た だ た だ 感 激 で い っ ぱ い か っ た 私 に と っ て、 こ の 度 の 栄 誉 は 二級の部 優 勝 です。 いつまでも忘れる事の出来ない喜び 私が学んでいます曙支部では新人 で あ り ま す。 宮 原 緑 晃 先 生 の 熱 心 な 五領支部 並 々 な ら ぬ ご 指 導 と、 諸 先 輩 の ご 親 西 尾 康 子 の 部 で 上 岡 さ ん が、 七 段 の 部 で 小 谷 さ ん が 優 勝 を 致 し ま し た。 喜 び も 切の賜ものと厚く感謝してお礼を申 ひとしお 一 入 で、 こ れ も ひ と え に 日 頃 懇 切 丁 し上げます。 詩 吟 と の 出 会 い は、 知 人 か ら「 詩 こ の 度 の 昇 段 テ ス ト で の 二 級 の 部 寧 に、 時 に は 厳 し く ご 指 導 戴 い て い 吟 は 好 き で す か 」 と 聞 か れ た こ と か の 優 勝 は、 思 い も よ ら な い 事 で 大 変 ま す 宮 原 緑 晃 先 生 の お 陰 と 心 か ら 感 ら 始 ま り、 し ば ら く し て 教 室 の 見 学 び っ く り 致 し ま し た が、 と て も 嬉 し 謝しています。 く思っております。 私 が 詩 吟 を 始 め た 切 っ 掛 け は、 宮 に誘われ入会しました。 時 間 の 経 過 に 従 っ て、 吟 詠 の 難 し 私 が 吟 と ご 縁 を 戴 い た の は、 近 く 原 緑 晃 先 生 の お 誘 い で し た。 詩 吟 の さ が 解 か っ て 来 る よ う で、 奥 深 さ な に 教 室 が な い か と 思 っ て い た 時 に、 事 は 何 も 解 り ま せ ん で し た が、 宮 原 ど覗くことすら出来ない気持ちです。 丁 度 開 い て 下 さ る 人 が あ り、 全 く 詩 緑 晃 先 生 の 素 晴 ら し い 吟 と、 ソ フ ト 子供の頃の想いに漢詩は苦手だった 吟に対して右も左も解らない仲間が で優しいお人柄への憧れと健康の為 に、 怖 い も の 知 ら ず で 教 室 へ 入 会 さ と い う の が あ り、 難 し い 漢 字 が 並 ん 集まって始まった教室でした。 で い て 読 み が ひ っ く り 返 る か ら で し 特 に 吟 は、 お 腹 か ら 声 を 出 す 事 が せ て 戴 き ま し た。 下 手 な 横 好 き で、 た。 何 事 も そ う で す が、 も っ と 勉 強 如 何 に 大 切 で、 勉 強 す れ ば す る ほ ど お 酒 が 入 る と カ ラ オ ケ で マ イ ク 離 さ し て お け ば よ か っ た と 反 省 す る こ と 難 し さ を 実 感 し て い る お 稽 古 の 日 々 な い 私 で す が、 案 の 定、 詩 吟 は 別 世 で す が、 白 波 瀬 緑 斎 先 生、 井 内 緑 叡 界 で し た。 習 い 始 め の 頃 は、 滅 茶 苦 の多い今日です。 私 は 定 年 後 十 四 年 に な り、 色 々 な 先 生 の 厳 し く と も 優 し く、 丁 寧 な ご 茶 な 発 声 で、 私 ば か り に 時 間 を 費 や 趣 味 を 楽 し ん で い ま す が、 ど れ も 中 指 導 を 戴 き、 と て も 感 謝 し て お り ま し、 教 室 の 皆 さ ん に 大 変 ご 迷 惑 を お 掛 け し ま し た。 こ ん な 私 を 暖 か く 見 途 半 端 で や り っ 放 し で、 ひ と つ も 極 す。 こ れ か ら も 焦 ら ず 楽 し み な が ら 精 守 っ て 下 さ っ た 教 室 の 皆 さ ん に、 こ めることなく終わりそうです。 の 書 面 を お 借 り し、 お 礼 を 申 し 上 げ 九 十 三 歳 の 母 が 元 気 で 習 字 を 習 い 進して参りたいと思っております。 ます。私は決して上手くありません。 「今を生きる」と色紙に書いて飾って ありがとうございました。 高槻現代劇場 平成 25 年 4 月 14 日(日) 平成 25 年度昇段テスト並びにコンクール大会 平成 25 年度 昇格者並びに六段・新緑号取得者 名刺交換会 恒例の新緑号五段及び新六段以上の 年6 月 日 上位昇段・昇格者を師範と共に研鑚をね ぎらう名刺交換会が平成 会館で行われました。 ( 火 ) 師 範 講 習 後 午 後8 時 よ り 十 三 福 祉 箕輪緑隆会主会長の挨拶にはじまり 渡辺緑翔理事長の祝辞のあと上位昇段・ 昇格者の紹介、新緑号五段取得者の紹介 が あ り、 緑 号 の 心 構 え や 緑 の 会 の 説 明 をされた後、名刺交換会となりました。 《新緑号》 有宗緑澪 葊瀬緑瓔 大岩緑園 森田緑淳 七段上師範 六段 25 舟根緑朱 秦 緑杲 村上緑眞 25 七段への道、今ふり返り 治宮支部◇大 岩 緑 園 緑号を戴いて 松原支部◇有 宗 緑 澪 こ の 度、 七 段 上 師 範 を 戴 き ま し た。 こ の 度 待 望 の 緑 号 を 戴 き 大 変 感 激 そんな器で有りませんが渡辺緑翔先 し嬉しく思っております。これもご懇 生からも勧めていただき、又、私自身 切にご指導を戴いた山戸緑晨先生の ここまで休まず続けてきた事の証と お 陰 と、 心 か ら 感 謝 致 し て お り ま す。 して、恥ずかしいですが頂戴しました。 山 戸 緑 晨 先 生 本 当 に 有 難 う ご ざ い ま 詩吟へのきっかけはまだ二十代の した。心からお礼を申し上げます。又、 若 い 頃、 友 人 に 誘 わ れ て 始 め て 目 の 松原支部の皆様にも大変お世話にな 前 で 聴 い た 詩 吟「 富 士 山 」 に す ご く り ま し た。 い つ も 暖 か い 言 葉 で 励 ま 感動し興味を持ったのです。 し て 戴 き、 ど れ 程 心 強 く 思 わ れ た か 趣味の書道では漢詩や和歌を使い 分 か り ま せ ん。 本 当 に 有 難 う ご ざ い ま す が、 漢 詩 は 読 み づ ら い も の で す。 ました。 そ ん な 事 も あ っ て 漢 詩 に 親 し み、 す 会 社 の 定 年 と 同 時 に 始 め た 詩 吟 で ら す ら 読 ん で 理 解 し、 そ し て 声 高 ら ご ざ い ま し た が、 最 初 の 心 掛 け が 悪 か に 吟 ず る こ の 詩 吟 を、 何 と い い 趣 か っ た の で し ょ う か、 中 々 上 達 す る 味かと思ったのです。 事 が 出 来 ず 苦 し ん で お り ま す。 吟 道 そ の 後 暫 く し て 稽 古 を 始 め、 現 在 の持つ奥深さに圧倒されっぱなしの に 至 り ま す が、 努 力 が 足 り な か っ た 十年間であったなぁと振り返ってお と は い え、 そ れ は そ れ は 私 に と っ て、 り ま す。 そ れ 故 か、 奥 深 い 森 の 中 に と て も 難 し い も の で し た。 く じ け そ 迷い込んだ様な気分に陥った時期も う に な り な が ら、 そ れ で も 続 け ら れ あ り ま し た が、 様 々 な 事 が あ っ て も、 た の は、 や は り 私 は 詩 吟 が 好 き な の 今日まで続けて来られましたのは、吟 でしょう。 道の持っている計り知れない魅力と 七段をいただき、今、入会時からの 緑 崇 流 の 先 生 方、 生 徒 の 皆 様 と の 機 日 々 が よ み が え り ま す。 沢 山 の 思 い に触れての暖かい交流があったから 出 を 大 切 に、 そ し て 気 持 ち を 新 た に、 こそと思います。 こ れ か ら も 渡 辺 緑 翔 先 生 の 下、 私 の こ れ よ り は 十 年 を 一 区 切 り と し て 楽 し み の 一 つ と し て 続 け て い け た ら 「初心を忘れるべからず」の言葉を胸 と思います。 に精進して参りたいと思っておりま 先 生 方、 会 員 の 皆 さ ん よ ろ し く お す。 今 後 共 ど う ぞ よ ろ し く お 願 い 致 願いいたします。 します。 高槻現代劇場 平成 26 年 1 月 11 日(土) 第38回 府連出場者決定兼競吟大会 府連出場者決定兼 競吟大会成績 〈一般〉 加藤 恭子 石川 洋子 勝 準 優 勝 青野 治子 優 準々優勝 上位入賞 上位入賞 上位入賞 中塚 宏輝 林 寿子 浅野 滋夫 島田喜久子 西部 重世 上位入賞 片山美都子 位 賞 長尾チヨ子 四 入 賞 矢部加代子 木下 真次 入 賞 広瀬さち子 位 入 賞 松永 幸代 五 入 賞 團 幸子 福永 直人 入 賞 上位入賞 入 高槻現代劇場 平成 26 年 2 月 8 日(土) 第38回 緑号・師範之部競吟大会 【師範之部 府連出場資格者】 【緑号之部 入賞者】 緑号・師範之部 競吟大会成績 宮内 緑郷 加藤 緑絆 〈緑号之部〉 優 勝 準 優 勝 松永 緑永 林 緑寿 島田 緑皓 上位入賞 松本 緑遥 上位入賞 青野 緑飛 垂水 緑花 準々優勝 賞 小谷 緑楓 福永 緑獅 賞 笠谷 緑萌 位 入 賞 四 入 賞 島田 緑聲 神谷 緑妙 浅野 緑昇 入 賞 位 入 賞 若杉 緑笙 木下 緑鋒 五 入 賞 遠藤 緑詠 上位入賞 入 賞 大岩 緑園 津村 緑秀 入 賞 松野 緑煽 入 賞 上位入賞 入 上位入賞 入 〈師範之部〉 若杉 緑高 府連出場資格者 津村 緑胤 中山 緑山 松村 緑圭 山戸 緑晨 西岡 緑春 辻 緑樟 赤川 緑瑛 福本 緑景 米田 緑海 木原 緑侊 井内 緑叡 27 じて人生訓、叙情、叙事、哀愁、懐古 日(祝) 第四十一回高槻市吟剣詩舞道 決勝大会優勝(連吟) 日 時 平成 年 月 場 所 高槻現代劇場 3 第四十一回高槻市吟剣詩舞道 決勝大会優勝(二部) 日(祝) 11 笑栄支部◇中 塚 宏 輝・浅 野 滋 夫 25 など学ぶ事が出来「人生をより豊に」 日 時 平成 年 月 場 所 高槻現代劇場 3 してくれます。そして第三には詩吟を 通して知り合った方々との「絆、交流」 です。 11 「入賞のよろこび」と「希望」 しい心根の持主」(笑)であると自負 しかし今は小心で、とても繊細な「優 図太い性格だったのかも知れません。 立ちたがり屋で少しだけ声が大きく ま す。 子 供 の 頃 は 周 り の 子 供 よ り 目 島太郎」の主役を演じた記憶があり いさん」の主役を、二年生の時は「浦 ま し た。 小 学 校 一 年 生 で は「 花 咲 じ 頃 小 学 校 で は「 学 芸 会 」 を や っ て い き ま し た 中 谷 緑 洲 先 生、 本 当 に 有 難 の 岸 部 緑 煌 先 生、 決 勝 審 査 を し て 戴 あ り ま し た。 特 に 今 大 会 の 予 選 審 査 や練習仲間達よりの励ましや助言も また井内緑叡先生を始め教室の皆様 優勝出来、大変嬉しく思っています。 〝アラ〟が目立ってしまう…そんな六 か な、 お 互 い に 頑 張 れ ば 頑 張 る 程 に 二人でどれ位悩みながら練習したの た。銅三回、そして銀、今回輝きの! のお陰と心より感謝を申し上げます。 安 易 な 気 持 ち で 挑 戦 し た 連 吟 で し これは偏に白波瀬緑斎先生のご指導 年でした。 かなあ…? ナンテ る 事 が 出 来 ま し た。 三 年 位 で 取 れ る 道決勝大会に於いて独吟の部二部で ようやく夢だったメダルを手にす を 始 め、 担 当 師 範 で あ り ま す 白 波 瀬 た の は、 偏 に 会 主 会 長 箕 輪 緑 隆 先 生 このような栄誉ある賞を戴けまし る」をモットーに頑張って参りたい 「希望を持ってどこまでも努力を続け 緑崇流の緑号の名に恥じないように 望 と 努 力 」 が あ り ま す。 こ れ か ら も 激で正直な所 図 ら ず も 優 勝 旗 を 手 に 出 来、 感 謝 感 ないのではと思い始めていたところ、 沈 み が 激 し く、 二 部 で は 優 勝 が 叶 わ を飛び飛びに三度も戴きながら、浮き ようと思 張って見 う少し頑 独吟をも にかえて 想 い 出 は楽しい でも今 こ の 度 は、 第 四 十 二 回 日 本 ク ラ ウ ン全国吟詠コンクール決選大会に於 緑 斎 先 生、 同 会 派 の 諸 先 生 方、 先 輩 と 思 っ て お り ま す。 緑 崇 流 の 先 生 方、 きまして、「入賞」を戴きました。 方 の 熱 心 で あ り、 か つ 厳 し い ご 指 導、 諸先輩方並びに詩吟を愛する仲間の い ま す。 先生これからもどうぞよろしくお願 渡辺緑翔 最後に緑崇流 いいたします。 た。 うございまし (文 中塚宏輝) ました。 会にありがと そして浅野さんありがとうござい 吟道緑水吟詠 た 次 第 で す。 を撫で下ろし 「ほっと」胸 そして吟を愛する仲間からの暖かい 程よろしくお願い申し上げます。 方 々、 ど う ぞ 今 後 共 ご 指 導 ご 鞭 撻 の で き ま す。 第 二 に は 諸 々 の 漢 詩 を 通 行も良くなり体内脂肪も減らす事が 出 す 事 に よ り、 気 分 は 爽 快 に な り 血 「健康の為」であります。腹から声を さて私が詩吟を学ぶ目的の第一は おります。 励ましが有っての事と深く感謝して 故 宗 家 箕 輪 緑 崇 先 生 の 言 葉 に「 希 もう二部では年令制限間近で、二位 うございました。 五領支部◇後 藤 利 夫 私 は 現 在、 大 阪 に 住 ん で い ま す が 晴れ』 出 身 地 は 山 口 県 で あ り ま す。 子 供 の この度、第四十一回高槻市吟剣詩舞 『そして 25 第四十二回日本クラウン 全国吟詠コンクール決選大会 日 時 平成 年 月 日(日) 場 所 日本教育会館一ツ橋ホール 10 五領支部◇宮 内 幸 夫 25 しております。 23 こ の 度 は 淀 川・ 東 淀 川 大 会 で 優 勝 という栄誉ある賞をいただき身の引 で 止 め ま し た が「 健 康 の た め に 又 詩 吟を始めたら」と言ってくれたのも 家 族 で し た。 十 八 年 と い う ブ ラ ン ク に不安もありました。 大 会 の 時、 お 懐 か し い 皆 様 か ら 声 第二十二回 渡辺緑翔門下温習会 日 時 平成 年 月 日(日) 場 所 プラザオーサカ 階「淀の間」 …集中力を養って前向きに頑張りた 吸収して心に染み入る吟が出来る様 頃 で す。 先 生 の 教 え を 一 つ で も 多 く 詩吟の難しさを痛感しているこの トマト支部の方達に感謝しています。 下 さ る 諸 先 生、 大 先 輩、 そ し て 淡 路 大会の度、失敗の多い私に叱咤激励 て戴いています。少し堅苦しいイメー に 出 会 い、 失 敗 し て も い つ も 励 ま し えて下さる渡辺緑翔先生や沢山の人 てしまったりしましたが、その中で教 の大会では緊張のあまり、声が上ずっ という間に月日が経ち、淀川・東淀川 ゆる友支部で詩吟を教えて戴き、あっ お酒を飲まれている中で人生の先輩 (文)ゆる友支部◇峠 飛鳥 ように精進していきたいと思います。 者 で す が、 一 日 で も 早 く 上 達 で き る 沢山の方々に囲まれ、まだまだ若輩 自分は恵まれているなと思いました。 とても心の暖かい優しい方ばかりで 沢山の方が私にお声をかけて下さり、 る か 不 安 で し た が、 無 事 に 終 え た 後、 上ずってしまうか、ちゃんと声が出せ 習 会 」 に 出 席 さ せ て 頂 き、 ま た 声 が その中で渡辺緑翔門下生の集う「温 ています。 渡辺緑翔先生は熱心にその都度、細 心より感謝申し上げます。 と し て も、 色 々 な 事 を 学 ば せ て 頂 い 練習後には全員で仲良く話をしたり、 て戴いている内に本当に楽しくなり、 ジ が 詩 吟 に は あ っ た の で す が、 教 え ひょんなきっかけで昨年四月から、 12 いと思っています。 をかけて頂き励みに成りました。 25 やかにご指導下さり頭が下がります。 き締まる思いです。 8 19 川 詩吟連盟主催 淀 淀 川 東 第三十九回吟士権者決定 詩吟大会優勝 日 時 平成 年 月 日(祝) 場 所 大阪コロナホテル 9 淡路トマト支部◇青 野 治 子 25 理事長に就任された渡辺緑翔先生 より賞状を手 渡して頂いた 時 は、 感 激 で 思わず目頭が 熱くなりまし た。 を家庭の事情 十三北野教室 な っ て い た、 りお世話に 以前十年余 緑の会「吟行会」 日(日) 長になられました辻緑樟先生のユー モラスな司会と心配り で、 高 速 に 乗 る な り 喉 を 潤 し( 笑 ) 一 日 の 楽 しさが目に浮かぶ様な 気分でした。 赤松P Aでトイレ休 憩! 十 時 過 ぎ か ら「 猿 尾 滝 」 の 見 学。 余 り 期 待せずに下車しました ら「 じ ぇ じ ぇ っ!」 何 と県の指定文化財で日本の滝百選に 入選している滝でした。猿尾滝の由来 は下段の滝が猿の尻尾に似ている事 り が と う ご ざ い ま し た。 そ し て 何 よ m 、下 一 杯 で す。 最 後 に な り ま し た が、 緑 家10 0 名 の メ ン バ ー で 構 成 さ れ て か ら だ そ う で す。 上 段 落 差 今 回 日 本 人 の プ ロ デ ュ ー サ ー「 茶 の 会 の 役 員・ 幹 事 の 皆 様 本 当 に あ り り も、 辻 緑 樟 幹 事 長 始 め 幹 事 の 先 生 m の大瀑布が 名 の メ ン バ ー で 第6 い て、 2 0 0 6 ~ 2 0 1 2 年 ま で に m 、総落差 圓勝彦氏」他 個 の 砂 像! 族」を入れて 作 品「 少 数 民 め、 屋 外 展 示 ルワットを始 が、 ア ン コ ー 法だそうです 使用しない方 す。 水 を 一 切 い る と の 事 で 編集委員 團 佳翔 が と う ご ざ い ま し た。 そ し て、 お 疲 段落差 先 生、 顧 問 の 畑 野緑慶先生のご 挨 拶 に 続 い て、 副会長の浦田緑 鴻先生の乾杯で 宴 が 始 ま り、 美 味しい料理と老 若男女で楽しい 期「東南アジア編」の「王朝の栄華と 方の努力と心配りに感謝の気持ちで 39 舞台も盛り上が れ様でした。 第5期を終了。 60 ただ感動でし た。 素 晴 ら し 散 策、 二 時 間 は 夢千代広場等の 夢千代像のある 癒やされた方や、 とときの疲れを や露天風呂でひ 帰 り は、 交 通 渋 滞 で 少 し 遅 れ ま し た て 買 っ て 頂 い た 商 品 の 面 白 い 説 明! 例のビンゴゲームが始まり、がんばっ 辻緑樟幹事長のコミカルな司会で恒 に つ き ま し た。 帰 り の バ ス の 中 は、 家族や仲間へのお土産を買って帰路 し た 後 は、 海 産 物 の シ ョ ッ ピ ン グ で、 い美術を堪能 アッという間で れるひとときでした。 が、 楽 し い 拍 手 と 笑 い 声 に 時 間 を 忘 ト 巾 着 袋 を お 土 産 に 頂 き、 鳥 取 砂 丘 したが、入浴セッ り、 片 や 大 浴 場 よ み が え る 神 秘 の 国 々」 を 表 現 し て 岩肌と自然林に映え迫力満点でした。 素晴らしい 一路、湯村温 月 初 秋 が 嘘 の 様 な、 暑 い 日 差 し の 中、 泉「佳泉郷井 日 時 平成 年 名の参加者は例の豪華な観光バス づつや」に到 滝を後にして に乗車して、定刻に崇禅寺駅を出発し 13 着! 10 ま し た。 箕 輪 緑 隆 会 主 会 長 先 生 の 朝 25 の ご 挨 拶 か ら 始 ま り、 4 月 か ら 幹 事 宴 会 場 に 入 り、 箕 輪 緑 隆 会 主 会 長 43 17 21 畑 野 緑 慶 先 生 の お 心 遣 い、 本 当 に あ 分 バ ス に ゆ ら れ「 砂 の 美 術 館 」 後 に な り ま し た が、 須 磨 緑 泉 先 生、 30 に 到 着! 世 界 か ら 超 一 流 の 砂 像 彫 刻 へ 19 10 11 Ⓒ Ⓑ Ⓐ クイズ お殿様とおサルさんは 誰でしょうか? 大阪府詩吟連盟 結成五十五周年記念 吟 詠剣詩舞道大会 五領公民館開館 年祭で吟詠 日 時 平成 年 月 日(日) 場 所 高槻市五領公民館 11 周年記念行事とし 年祭舞 台公演があり五領 ループの 大阪府連加盟三十一流会派の理事 支部の会員が吟詠 た。 に よ る 合 吟 に は、 当 会 と 詩 道 翔 風 吟 を披露しました。 五感全開 南方豊仁支部◇津 村 典 子 気迫の籠った 掛 声 と と も に、 鋭 く 斬 り 込 む。 この時の静と動 の合間に非常に 魅力を感じま す。ここぞと思 一番ワクワクする瞬間です。 もしタイムスリップが出来れば、い 年にわたり務められた功績を認めら 高槻市吟剣詩舞道連盟の役員を多 に 心 を 読 み、 時 間 と 空 小 次 郎 の 決 闘 で す。 お 互 い ど の よ う 流 島 へ。 ご 存 知、 宮 本 武 蔵 と 佐 々 木 の一番に慶長十七年四月十三日の巌 れ、 平 成 二 十 五 年 十 一 月 三 日 高 槻 市 か?興味津々です。 間の間合いを測ったの いたします。 います。 引 っ 張 り つ つ、 五 感 全 開! 楽 し ん で 錬を重ねながらチームの足を(多分) 行 い、 練 習 を し て い き ま す。 心 の 鍛 す。 脚 本 か ら 演 出 ま で 全 て チ ー ム で 発 表 会 が 年 1 回、 太 閣 園 で あ り ま さ し く「 武 蔵 参 上 」 の 気 分 で す。 で す が ス パ ッ と 決 ま っ た 時 に は、 ま こ れ か ら も、 益 々 の ご 活 躍 に 期 待 殺陣を始めて三年、まだまだ新参者 賞されました。 教 育 委 員 会 よ り「 教 育 功 労 賞 」 を 受 井内緑叡先生「教育功労賞」を 受賞されました 詠 会、 吟 道 哲 水 流 八 洲 吟 詠 会 の 三 流 派 合 同 で 佐 藤 一 斉 作「 佳 賓 好 主 」 が 吟 じ ら れ ま し た。 又、 第 一 部 歴 代 吟 士 権 者 吟 詠 で 渡 辺 緑 翔 先 生、 中 山 緑 山 先 生、 西 岡 緑 優 さ ん が 独 吟 さ れ ま した。 う 時 に 気 を 籠 め、 全 霊 で 斬 り 込 む … 高槻市立五領公 民 館 の 開 館 二 十 五 エイ、ヤー! 17 25 ‼ 25 25 当会より会主会長箕輪緑隆先生と 日 時 平成 年 月 日(日) 場 所 高槻市現代劇場 1 て使用しているグ 12 常 任 理 事、 理 事 の 役 員 が 参 加 し ま し 25 答え: A…会主会長先生&津村緑胤先生 B…渡辺緑翔先生&辻 緑樟先生 C…加藤緑絆さん&中野緑裕さん 12 第四回 愛 連吟詠フェスティバル 日 時 平成 年 月 日(日) 場 所 尼崎市総合文化センター あましんアルカイックホール 企画構成番組 戦国友情伝 ― 第一部 愛吟集 第二部 企画構成番組 会津士魂録 甦 ―る会津藩士 ― 前編 鳴動の賦 後編 亡国の賦 日 時 平成 年 月 日(日) 場 所 あましんアルカイックホール 〈当会より出演者〉 西岡緑優 若杉緑高 辻 緑樟 (敬称略 出演順) 織 ―田の二兵衛 2 25 号を記念して紙面を 【編集後記】 会報 ページに 12 (編集長 米田緑海) 年から編集委員のお役を頂きま 河田緑烽 團 佳翔 津村緑秀 米田緑海 奥村緑星 松村緑圭 しくお願いいたします。 (團 佳翔) と 心 か ら 願 っ て お り ま す。 今 後 と も よ ろ に 少 し で も お 役 に 立 て る 様、 努 力 し た い み た い!」 と 思 っ て い た だ け る 会 報 作 り 縁と感謝しながら、会員のみなさんに「読 て お り ま す が、 こ の 大 役 を 頂 い た の も ご まりお役に立てる事は無いような気がし し た 團 佳 翔 で ご ざ い ま す。 こ の 年 齢 で あ 平成 ございました。 発 刊 す る こ と が で き ま し た。 あ り が と う 團新編集員皆さんのご協力のお陰で無事 事務局次長、奥村副編集長、津村副編集長、 名 ば か り の 存 在 で、 松 村 事 務 局 長、 河 田 少 し の 間、 編 集 員 だ っ た と は い え、 全 く 初 め て の 仕 事 が 今 回 の 会 報 で す。 以 前、 ま し た。 会 主 先 生 よ り 編 集 長 を 拝 命 し て 懐かしい思い出話などを語っていただき 刊号誕生のエピソードや今に至るまでの 代 編 集 長 に よ る 記 念 座 談 会 を 企 画 し、 創 増 刷、 オ ー ル カ ラ ー に し ま し た。 ま た 歴 50 25 3 8 〈当会より出演者〉 中山緑山 渡辺緑翔 加藤緑絆 宮原緑晃 木原緑侊 西岡緑春 (敬称略 出演順) 編集会議風景 26 25
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