見る/開く - 琉球大学

【琉球アジア文化論集】
【Bulletin of the Faculty of Law and Letters, University of the Ryukyus】
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ドミニコ会の官話辞書編纂について
石崎, 博志
琉球アジア文化論集 : 琉球大学法文学部紀要 = Bulletin of
the Faculty of Law and Letters University of the Ryukyus(1): 7
-32
2015-03-29
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/handle/123456789/32581
ドミニコ会の官話辞書編纂について
OntheCompilationofMandarinChineseD
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sbyDominicans
石崎博志
ISHIZAKIHiroshi
はじめに
ドミニコ会のアジア布教は、マニラを拠点として始められた。当初、 ドミニ
コ会士は現地の華人から福建方言を学び、彼らが大陸に進出して以降、官話辞
書や文法書を編纂した。ドミニコ会のスペイン人フランシスコ・パロの A
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(
1
7
0
3
)はその代表的な著作である。では、 ドミニコ会が官話を
学び始めた頃、官話の情報はどこから得ていたのだろうか。本稿は現存する最
古のドミニコ会の官話辞典、フランシスコ・ディアス (
1
6
0
6
・1
6
4
6
)
年の『漢語・
スペイン語辞典』の編纂の背景を明らかにし、その内容を分析することで、ド
ミニコ会がイエズス会の字書を基礎にして独自の字書を作り上げていった過程
を論じる。
ディアスの『漢語・スペイン語辞典~ (
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)は明代の末年にドミニコ会のフランシスコ・ディアスが編
纂した漢語・スペイン語辞書である。この辞書には 7千字あまりが収録され、
その抄本がポーランドのヤギェヴォ図書館に収蔵されている。この辞書はまず
東インド会社によってフィリピンからベルリンに運ばれ、辞書の冒頭のページ
にはベルリン王立図書館の所蔵印が捺されている(Be
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o.
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.
1
3
)
。その後、第
二次世界大戦の戦火を避けてポーランドに移され、戦後、接収されてポーラン
ドのヤギェヴォ大学図書館におさめられた (
H
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,ChinXVIIw)
。この辞典あるい
はこの辞典に関する研究には、 O
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、Lacr
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)、K1
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(
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)、高田時雄(
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1
),石崎博志 (
2
0
0
5
)があるが、
本稿では歴史的な背景から本辞典の特徴と後世への継承およびその影響を論じ
る
。
-7-
1.ドミニコ会が官話辞典を編纂した歴史的背景
1.1.ドミニコ会とイエズス会の交流
歴史の上ではイエズス会とドミニコ会は 1
6
3
1年頃から対立し、典礼論争によ
ってカトリックが布教を禁じられる事態に至ったとされる。では対立をする前
は、両会派の関係はどのようなものであったのだろうか。
・1
6
1
6
)による南蛮扉風が収められている。
神戸市立博物館には狩野内膳 (1570
そこには貿易船を出迎える宣教師たちが描かれている。扉風の中で、黒い服を
着ているのはイエズス会士で、灰色の服を着ているのは托鉢修道会、恐らくド
ミニコ会の修道士たちである I。ここで注目されるのは、イエズス会士と托鉢修
道会の修道士が同時に描かれており、この扉風を見る限り、両会派の関係は対
立的とは言いがたい。
1
5
8
1年にドミニコ会がマニラに到着したとき、彼らはイエズス会士と同じ船
でやってきた。その後、 1
5
8
1年 9月にスペイン国籍のドミニコ会士ドミンゴ・
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洛中洛外図と南蜜扉風』小学館.
1 奥平俊六(1
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デ・サラサー/レ(D
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)がカトリックのマニラ主教になっ
た時、彼は同じスペイン国籍のイエズス会土アロンソ・サンチェス (
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S
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) に司教座会議の事務を主管させている。 1
5
8
9年頃、ドミニコ会が華人
への布教を担うことを宣言したとき、彼らはフィリピンの華人が改宗すれば、
将来に中国に布教していく際のいいきっかけになると考えていた九その後、ス
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nCobo1
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4
6
・
1
5
9
2
)が聞語を学びはじめ、
ペイン籍のドミニコ会土ホアン・コボ(
華人の道徳を研究し、印刷された本を使って布教活動を始めた。コボは初めて
中国語で説教を行った人物であり、のちに華人に対する布教がドミニコ会の主
要な任務となった3。
ドミニコ会がマニラで華人に対する布教を開始した頃、彼らが編纂した辞典
や文法書はみな聞語、それも樟~\Ii 方言のそれであった。例えば、ホアン・コボ
『明心宝鑑』、 A
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o、Mancano
の音訳字はみな闇語を基礎として翻訳したものである。彼らの表音方法は『西
儒耳目資』とは異なり、スペイン語の読み方を基礎にした独特なものであった。
このときドミニコ会はまだ中国布教を開始していないため、まだ官話の知識は
なかったと考えられる。もしドミニコ会が官話の知識をもっていたとしたら、
その唯一の可能性はイエズス会のサンチェスがマカオからもたらした知識であ
5
8
1年から 1
5
8
6年にマカオ
ったと推測する。イエズ、ス会のサンチェス神父は 1
に二度出張している。この出張のあいだ、サンチェスはイエズス会のミケーレ・
ルッジェーリ(M
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3・
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)と会っており、多くの中国に関する情
報を得ていた。
1
5
9
2年マニラのドミニコ会士が中国大陸に進出する前、コボなどの宣教師は
日本に渡り布教を開始している。彼らは日本で日本語に関する文法書や教科書
を編纂している。コボは日本からフィリピンへの帰途に不幸にも台湾で客死し
ているが、その他の宣教師は日本の情報を持って帰ったと考えられる。のちに
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1
5
8
. この時、通商のためにマニラに赴く華人が大幅に増加した。そ
の際、サン・ガブリエル教会付設の病院の存在が、マエラにおける華人のキリスト教への
改宗に貢献した。
3
- 9一
ドミニコ会士のディエゴ・デ・コリヤード(Di
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)はマニラ
において日本人ピセンテ・デ・ラ・クルス・塩塚 (
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3
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)から日本語を学ん
6
3
2年にはローマで ArsGrammaticaeI
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だ後、日本で布教を始めている。 1
Linguae((日本文典》、 D
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『羅西日辞典』および N妙 nnoc
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(日本のコンヘション))(
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悔録~)の合冊本が出版されている。コリヤードは 1635 年にフィリピンに戻り、
その時に日本に関する情報を彼の地にもたらしたと思われる。コリヤードが『羅
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5年に D
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西日辞典』を編集する前、イエズス会はすでに 1
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,acIaponicum ((羅菊日辞》を、 1
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3年
・ 1604年には日本の長崎で
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odaLinguadoJapao((日;葡辞書》出版している七松岡枕司 (
1
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1
)はド
ミニコ会のコリヤードの『羅西日辞典』がイエズス会の『羅葡日対訳辞書』を
参考にして編纂された可能性を指摘している。
1
6
3
1 年、マニラ在住のスペイン人ドミニコ会土アンジエロ・コッチ(An
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)、ホアン・ガルシア (
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)など 9名が相次いで度門に到着する。彼
らは福州、福安、背固などの地にも赴いた。そして半年の交渉の末にイエズス
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凶)の協力のもとに、聞地区で布教する許しを
会士のジュリオ・アレニ (
得た。関東一帯は比較的布教体制が弱く、そのため羅源、寧徳、福安を拠点と
して布教活動を展開した。この時ドミニコ会の官話に関する知識はイエズス会
の宣教師からもたらされたものと思われる。これはフランシスコ・ディアスの
『漢語・スペイン語辞典』がイエズス会の『西儒耳目資』方式の音標法を基礎
に編纂されていることからも推察される。
1
.
2
.ディアスの辞典編纂
ディアスの事績についてはGe
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)、Go
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(
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)、福建省福安市地方
1
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)があるが、それぞれ記述が異なっている。概ね以下のように
志編纂委員会(
なっている。
日本では地域によってアクセントが異なるため、イエズス会が出版した辞典にはアクセ
ント記号を付さないという方針ととっている。しかし、ドミニコ会士コリヤードは『完全
な日本語の発音J を実現するためアクセント記号を付している。
4
-10一
1606V
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ndeMazoteに生まれる。
1632年マニラに渡り、 SanGa
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l医院で仕事に従事し、同時に現地の華人から
漢語を学ぶ。
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3
3年 福 安 で J
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sとともに布教活動に従事する。
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5年ドミニコ会とイエズス会の F
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などと典礼問題について議
論するが、不調に終わる。
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(
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)
年明朝がディアスなどドミニコ会士をマニラに放逐する。
1640年-41年フィリヒ。ンで辞典(
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加i
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)と文法書(
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)を編纂する。
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(
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年密かに福安に戻り布教活動を開始する。
)
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6
(
1
6
4
7
年双峰にて死亡。
)
1
6
3
5年ホアン・パティスタ・デ・モラレスの指導の下、托鉢修道会は福安で
宗教法廷を招集するための調査を二度行う。この時、ディアスも二度の調査に
7の論点を提出
参加する九モラレスはローマ教皇に中国の典礼問題に関する 1
し、そのなかでは教理のなかで使用する“聖"とし、う字が孔子あるいはその他
の中国で聖人とされる帝王を指すことを論じている。福建省福安市地方志編纂
1
9
9
9
)は
、 1635年、福安で関東の歴史における最初の反西洋宗教の闘争
委員会 (
が勃発したことを記している。当時の福安で布教していたのはドミニコ会とフ
ランシスコ会の修道士で、群衆の孔子を敬う行為を許さなかったことで、福安
の人々が不満をもち、怒った現地の人々が自発的に組織を結成して教会に押し
入札像や祭壇を壊し、ドミニコ会の会長のホアン・ガルシアを捕えた。そし
てディアスも領域外に追い出された。 1642年追い出されたディアスはまたスペ
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)とともに台湾から
イン人宣教師のフランシスコ・カッピリア(F
福安に再び戻り、ホアン・ガルシアと合流し、引き続き福安の頂頭、渓填、穆
フランソワ・フルタド(縛汎際Furt
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・
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3
)、ポルトガル籍宣教師、
かつてポルトガルのコインブラ大学で自然哲学と神学を学ぶ。 1620年にフランスの宣教
師ニコラ・トリゴーとともに訪中。
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7 福建省福安市地方志編纂委員会(1
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8 張先滑 (
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)
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-11ー
5年、ガルシアはディアス
4
6
陽、寧徳、霞浦などの地域で密かに布教を行う。 1
を派遣して、福州でカトリック教徒や吏部尚書の黄道周を取り込み、布教を保
護するように求めたが、福安で衝突することになった。このことが現地の人々
の怒りを買い、福安では再び教会を破壊する行為が行われ、ディアスは殴られ
て吐血し、二年後に双峰で死亡する 90
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)が引用する R
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z においては、ディアスは『漢語・スペイン語辞典』以外は
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41年の
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aとし、う文法書を編纂しており、それは 1
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Grammatica
nで編纂されている 10。しかし残念ながらこの文法書は
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聞にフィリピンの B
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散逸して目鰭できない。デ‘ィアスの『漢語・スペイン語辞典』は B
Koなる人物の助力で成書されている。
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~漢語・スペイン語辞典』以前の漢語・ヨーロッパ語に関する辞典
ディアス以前の漢苦手欧州言語の辞典には以下がある。
),マッテオ・リッチ
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) ミケーレ・ルッジェーリ (
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),セパスティアノ・フェルナンデス (
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)、ラザーロ・カッターネオ
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) マッテオ・リッチ (
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) アルパロ・セメド (
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) ガスパール・フェレイラ (
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福建省福安市地方志編纂委員会(
nで COLEGIODESAN
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JUANDELETRANを設立する。
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) ホアン・パティスタ・デ・モラレス (
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上記のうち現存するのはリッチ/ルッジェーリの『葡漢辞典』である。この字
書はディアスの『漢語・スペイン語辞典』の内容とは完全に異なり、直接の継
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)のカッターネオの『漢詩・ラテン語辞典』の書名(防c
承関係はない。 2
sdi砲~estum) は、「ヨ
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ーロッパ語のアルフアベットの順序と声調部分による語葉表」である。アタナ
7年にアムステルダムで
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シウス・キルヒャー (
出版した『中国図志』に「私には我々が使用するための漢語辞典の手稿本があ
り、印刷に資し、出版されるのを待っている」と述べているカ~lS 、 C俗的chia(2010)、
)はこの字書は現在では行方が分からないと述べている。ただ銚小平
5
0
0
2
張西平(
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)は「カッターネオと中国人信徒鐘巴相(また鐙鳴仁 S
1
1
0
2
(
)がかつてマッテオ・リッチを助けて字音に注を付し、声調を弁別し、
2
2
6
1
・
2
6
5
1
ラテン語・漢語辞典を協同で編纂したが、ジュリアーノ・ベルトウチッチョリ
8年に成立した辞典の写本に言及し、現在
9
5
)が本書の序文の官頭で 1
1
0
0
2
3・
2
9
1
(
ローマのイエズス会のアーカイブに所蔵されている J記している。しかし、筆
)のガスパール・フェレイラの辞典とモ
者はまだこの現存は確認していない。 4
oは見つかっていない。
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ラレスの陥c
時代や内容の上でディアスの『漢語・スペイン語辞典』はカッターネオの『漢
語・ラテン語辞典』と最も近いと考えられる。なぜならディアスの辞典は当時
イエズス会で主に用いられていた『西儒耳目資』式のローマ字転写を採用して
おり、加えてデ、イアスは福建省や斯江省でイエズス会土と接触ししているから
である。またディアスの辞典は以下にみるようにラテン語の語釈が数多く含ま
3参照)、これらはディアスがカッターネオの字書を参照した影響で
.
2
れており (
あると考えられる。
.
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Chinal
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1
-13一
2
.辞典の発昔、語義、語法
2
.
1 辞典の体裁
まずこの辞典の体裁を簡単に紹介したい。本辞典は漢字の発音に依拠し、ラ
テン文字の順序で配列されている。本辞典が収める親字は 7169字で、親字の表
音は『西儒耳目資』式を基礎とし、帯気音声母には帯気音であることを示す印
が附されている。ある親字が意味によって複数の発音がある場合は、改めて親
字を立ててその語釈を下に記している。語釈はスペイン語やラテン語で書かれ
ている。語釈のなかには二音節以上の語も含まれる。しかし、本辞典の漢字は
親字のみにしか使われず、語釈で上げられる語には用いられていない。そのた
め語釈に含まれる語集についてはローマ字表記から漢字を同定する作業が必要
。
になる。
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このような配列法はのちに漢語・ヨーロッパ言語の辞典の典型となった。白
佐良は、 M
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iが漢字に発音を付ける際にディアスが 1
6
4
0年に編纂し
た『漢語・スペイン語辞典~
(
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)を利用したとしている。またAn
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mなどもディアス
の『漢語・スペイン語辞典』と同じ体裁を使用している。
v
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d
e加 制dの一文がよく使われており、これは「語法書(Art
e
)
さらに、語釈には'
を参照」させる指示である。この指示は特に虚詞に関わる注に多い 16。ドミニコ
会がマニラで漢語学習を始めた墳、字書(v
o
c
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oやDi
c
c
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i
o
)と文法書(Arte
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)をセットで編纂していた。以下はそれらのリストである。
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A
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.(樟州方言文法)
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樟州方言辞典)
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方言辞典),
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(
福安方言ーラテン語文法)
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(
福安方言辞典)
宣教師たちは常に文法書と辞典をセットにして漢語学習をしていた。ディア
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aという文法書がある。ディアスの『漢語・スペ
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aなどのような文法
イン語辞典』の語釈にあるArt
書かも知れない。この辞典と文法書を同時に用いる方法は、日本語を学んだド
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(
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)の A
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ミニコ会士と同じである。来日した宣教師Di
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eW日本文典』と D
CompendiumWラテン語・スペイン語・日本語辞典』の合冊本は、 ドミニコ会士
が日本でも辞典と語法書を一緒に用いて学んでいたことの証左である。
2
.
2
.発音の特徴
ディアスの表音法は『西儒耳目資』の方法を基礎とし、そのうえ帯気音声母
に帯気音であることを示す印が付けられる。これらの帯気音の印はドミニコ会
1
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6
7
0
)にも同様の指示がある。
-15-
が編纂した樟州方言の文法書 A
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edel
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,Chiuと同じである。ディア
I
J
]
スの表音法は『酉儒耳目資』から発展させたものである。軟口蓋鼻音韻尾の [
の表記では、ディアスは基本的に『西儒耳目資』と閉じ m を使っているが、一
部の語釈のなかや辞典末尾の増補部分では砲を使っている。
しかしディアスの表音法はスペイン人にとっては些か混乱を催した可能性が
ある。それはスペイン語話者が親しむローマ字の発音と漢字の表音が一致して
おらず、スペイン人が漢字を読んだとき読み間違えた可能性あるからである。
.1で改めて論じ
『漢語・スペイン語辞書』以降の表音法法の改編については、 3
る
。
2
.
3
.語量の特徴
ルッジェーリが布教していたとき、イエズス会の翻訳の体系はまだあいまい
なままで、
“僧"、
“仙"、
“寺"など仏教や道教の語が布教のための書物に
数多く使われていた。彼がこれらの仏教や道教の語を使用していたのには理由
がある。イエズス会は中国大陸への布教に乗り出す前、 1549年に日本で布教を
開始している。日本においては禅僧の社会的地位が極めて高く、イエズス会士
たちは日本において布教を開始する時には僧衣をまとい、為政者の尊敬を得ょ
うとした。イエズス会士は中国の状況もこれと閉じであると思い、剃髪し、僧
衣を櫨い、僧侶のような出で立ちで布教活動を行い、かっ自ら“西僧"と称し
ていた。しかし、中国における僧侶は日本のように尊敬を得られるような存在
ではなく、儒者こそが社会的地位も高く、敬意を示される存在であった。マッ
テオ・リッチなどイエズス会士はそこで“西僧"から“西儒"に転身を図る。
彼らは袈裟を脱ぎ捨て、頭髪を留め、儒者の服を着る。そしてルッジェーリの
仏教・道教用語を使った翻訳語を別の語に改める作業に着手する。そしてリッ
チは重要な教義の概念を音訳語で翻訳するようにしたのである。
e
o
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(
D
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)の翻訳をどのようにする
日本におけるイエズス会士にとっては、Th
のかが最大の問題であった。日本に布教していたはじめの頃は、彼らは
-16ー
τbeos
(D
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u
s
)を「大日 J と翻訳し 17、のちに「天道」や「天主」と訳した。イエ
ズス会士は仏教用語を借用して彼らの教義を説明していたため、当時の日本で
5
9
1 年刊行の日本語版
はキリスト教を仏教の一派と勘違いする者もいた。 1
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(当時のポルトガノレ語で Doc
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)以後、Th
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sの翻訳は
u
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)の「デウス」に統一された。ルッジェーリの時代、中国で仏教用
ラテン語(De
語を使ってキリスト教の教義を翻訳していたのは、日本ですでに使用された漢
字で語葉を借りて翻訳したからであった。
1
5
9
3年(万暦 2
1年)ホアン・コボ (
J
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nCobo)の Doc
仕i
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aの中国語版《天
主教教義》がマニラで出版されたが、そのなかには多くの聞南語による音訳字
を含んでいた。以下の右欄はいずれも音訳字である。
《天主教教文》
天主(
D
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)
僚氏
E
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8
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)
聖神 (
卑塵厨山厨
聖十字(
8
叩旬C
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)
山礁居律氏
聖璃利E童貞(V
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)
山礁婿厘唖美里矧
聖公教会(l
g
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e
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c
a
)
山礁社交万厘[石+交]
8抑 制e
n
t
o
s
)
聖事(
沙肢覧民厨
神父(p
a
d
r
e
)
巴礼
教宗σapa)
巴墨
三佐一体(
8
a
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t
i
s
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m
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r
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n
i
d
a
d
)
三治氏馬知[口+年]力
イエズス会は 1
6
2
1年と 1
6
2
7年にそれぞれマカオと嘉定で会議を聞き、マッ
テオ・リッチの布教政策を討論したが、その主なテーマは術語の問題であった。
その第二次会議では“上帝"を使わないことを決め、
“天主"のみを Deusの訳
語として許可することで、事実上リッチの主張を修正することになった。
以下は、
『天主教教義』、ディアスの辞書、パロの辞書を比較したものであ
1
7 r
大田」は「大日如来」の大日である。枇虚遮那働 (
V
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i
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∞ 阻a
)
. すなわち稗迦牟尼
悌の法身のこと。
-17ー
る。ディアスでは多くのキリスト教関連の語黛が収録されず、パロではそれら
が漢語に意訳されていることがみてとれるであろう。
ディアス (
1
6
4
0
年代)
《天主教教緩》
造物的主(
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山礁居律氏
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意身
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山礁社交万厘[石+交] なし
S
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沙~覧民厨
なし
音埠潟、聖事之跡
P必 Z官
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三治氏馬知年カ
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三位一体
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天主
霊神
十字聖号(
C
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u
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),十
字架
室女、童身、童貞
天主要教舎、公教舎、
聖教舎
それでは次節以降でディアスの『漢語・スペイン語辞典』ではこれらの語は
どのように記述されているかみてみよう。ディアスの辞書では“天主"や“上
帝"といった語は見当たらないが、仏教用語は比較的数多く観られる。キリス
ト教の用語については、音訳字は極めて少なく、殆どが意訳語である。以下に
いくつかの例を挙げよう。
r
p
.ーJ は原本のページを表す。原本の語釈には漢
字はないが、石崎がローマ字を漢字に同定したものを[
]で示す。 c は帯気
:上声, 4
:去声, 5
:入声
音のマークで、数字は声調を表し、 1:開平, 2:阿平, 3
とした。
2
.
3
.1.キリスト教関連の用語
p.109Chu.3 主
Senordueno
,amo predominardominio,-cai3[主宰], governadorcomo D
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.→石崎案:“天主"の語はない。
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Rey
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am2[帝王]
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江→石崎案:“上帝"などの語はない。
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Hazercomenzara
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.→石崎案:“僚氏"など
の音訳字はない。
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.→石崎案:“十字架"の語はない。
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.仏教関連の用語
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.
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也氏
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焚宮]s
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nの翻訳は仏教用語の“童身円である。
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はない。
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→石崎案:ノ〈ロの『スペイン語・漢語辞典』では“寺"を“廟"と
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[院?寺人] I
改めている。
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石崎訳:“樟州、比呼ばれる街は、マニラの S
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“教皇"の語はない。
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.4.ラテン語で書かれた語釈
“聖"の項目において、 S
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.と記されている。これはラテン語の形容
調の性で、男性、女性、中性を表している。因みにスペイン語には中性名詞は
ない。以下語釈にラテン語を含む項目を列挙するが、下線を号│し、た語釈がラテ
ン語である。
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(1)日本式漢字語(日本原有的双浩司,中国没有使用的双活)挙“希望"一河。
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2.4.文法特徴
語釈のなかの文法説明は最低限のものしか書かれていない。~漢語・スペイ
ン語辞典』には随所に V
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(文法書を参照)の指示があるが、これは前述
のように本辞典と文法書がセットで使われていたことを示すものである。
2.4.1.代名詞
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3
.[向天為主]
これまで列挙したように、文法項目からみた『漢語・スペイン語辞典』の語
釈は文言が比較的豊富に含まれている。語葉からみると、この字書ではキリス
ト教関係の語集の量は決して多くはなく、音訳語も非常に少ない。そして時に
キリスト教にとって極めて重要と思われる語葉が収録されていなし、。辞典の内
容からすれば、この辞典は宣教師が中国の典籍を読み解くことを主な目的とし
て編纂されていることが分かる。
3
.後世への継承と影響
3
.1.表音方法における《西儒耳目資》方式からスペイン語方式への改変
ディアスより後の時代に編纂された漢語ー欧州語の辞典をみると、それらの表
音法がポルトガル方式から次第にスペイン方式に変更している様子が窺える。
そしてこうした変更の痕跡を観ることで、それぞれの写本の編纂過程や年代を
推測することが可能である。ディアスの『漢語・スペイン語辞典』の系列に連
なる字書には以下のものがある。
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)序政なし。全 424ページ。書名はフランス王立図書館に
所蔵された時に付けられたもの。欄外に聞南語の表音があり、宣教師
たちはこの字書を方言音を知るためにも使ったことが分かる。
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閉じ系統に属する。
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某月 23日と書かれる。仏国本 A と同一系統の抄本。
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iの表音を
見たなら、彼は [
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]や [
s
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]と誤読すると考えられる。また、
“香"の h
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nや“河"
の ho といった表音も、それぞれゼロ声母の日制]や [
0
]と読むであろう。また
逆に“肉"に対する j
oの表音は、 [
x
o
]と誤読するおそれがしょうじる。スペイン
人宣教師が『西儒耳目資』方式の表音を読んだ場合、混乱をきたしたに違いな
い。波蘭本の冒頭ページの批判は、スペイン人がこの辞書を使用した時の困難
を物語っている。
後に仏国 A は m と記された韻尾を ngに改めている。これはパロの『官話文
-27一
典』と『スペイン語・漢語辞典』にも同様の変更を確認することができる。し
zの仏国本 B
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かし、これらの変更はスペイン人にとっては不十分で、An
にいたってはじめてスペイン人宣教師にとっての理想的な表音法が実現したこ
とになる。
我々はこれらの音標方法の変遷からそれぞれの写本の前後関係を推測するこ
gと表記される二つの漢字があったな
n
u
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nと c
u
h
とができる。一般的にもし、 c
ら、ラテン文字の配列から ng韻尾の字は n韻尾の字の後ろに置かれることにな
る。しかし、仏国本 A の ng韻尾の字は n韻尾の前に置かれている。つまり仏国
本 A は nと ng韻尾の順序が逆になっているのである。ここから仏法国本 A は
波蘭本のような m 韻尾の表音を使った写本を参照したと考えられる。これは、
m 韻尾が ng韻尾に改められたことによって発生したものである。これらは波蘭
本>仏国本 A>仏国本 Bの順序で成立したことを物語っている。
2.パ口の《スペイン語・漢語辞典》とディアスの『漢語・スペイン語辞典』
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語・漢語辞典の内容はディアスの辞書よりも豊富であるが、パロがディアスの
字典を参考にして語釈を書いていることが分かる。
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莫有" “更不是"といった語を削除している。ディアスの『漢語・スペイン語
辞典』とパロの『スペイン語・漢語辞典』を比較すると、パロはディアスの語
釈の文言語葉や間違いを改めていることが分かる。
おわりに
本稿はドミニコ会が編纂した漢語・欧州、│語の辞典を通して、 ドミニコ会のア
ジア地区での外国語学習の状況を考察してきた。この考察をまとめると以下の
ようになる。
) ドミニコ会の編纂した辞書と文法書は補完的であり、宣教師たちは辞書と文
1
法書をセットで用いていた。これはディアスの『漢語・スペイン語辞典』も例
外ではない。
) W漢語.スベイン語辞典』に収録されているキリスト教の語葉は、とりわけ
2
幻
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¥
,
),
音訳語が少なく、かつ“十誠(十戒γ
“昇天"、
“耶鯨"、
“教皇
字架"などキリスト教にとつて重要な語葉が収録されていない。その一方で、
仏教関連の語集が比較的多く収められている。これはこの辞典がキリスト教の
教理を理解するためではなく、宣教師が漢籍の内容を理解するために編纂され
たからであると思われる。そしてディアスがイエズス会の辞典を参照した可能
性を示唆している。
)
3
漢語・スペイン語辞典』は基本的には『西儒耳目資』方式的表音方法を踏
W
襲し、
『漢語・スペイン語辞典』の語釈には往々にしてラテン語が用いられて
いる。これは『漢語・スペイン語辞典』がイエズス会の辞典を踏襲した根拠で
ある。ディアスの辞書の継承関係は、歴史上、ドミニコ会とイエズス会が典礼
4
2
ラテン語
-29一
論争をめぐって対立しただけではなく、一定の協力関係にあったことを物語る。
4
)ディアスの辞書の内容は些か不十分であり、発展途上のものといえる。しか
し、この辞書が後の時代の漢語ーヨーロッパ辞書の枠組みを提供し、後にこうし
た漢語ーヨーロッパ語辞書が欧人に受け入れられることになったことは確かで
ある。そして内容においてはパロの『スペイン語・漢語辞典』の基礎を形作っ
た。パロはディアスの語集解釈を取捨選択しながら、彼の辞書を編纂したので
ある。ディアスの『漢語・スペイン語辞典』はイエズス会からドミニコ会のヨ
ーロッパ人による辞書編纂の過渡的状況を示している。我々はこの辞書を通じ
て既に散逸した各種辞書の面影を垣間見ることができるであろう。
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