『ファウスト』(7)

めせんとの野望を抱いて
く頃には、よく鶯の声も
所に集ってくる。桜の咲
んでいるように見える雀
大分前だがお隣の家で
巣箱をこしらえて庭に置
AEDで命を守ろう
΂
シロアリ対策
り、どうも床がおかしいの
先日 年程前に改装工事
をしたお客様から連絡があ
使いますので、心配のある
の薬品はかなり強いものを
効果があります。専門業者
散布若しくは注入する事で
終の棲み家を考える
で見て欲しいとの事、早速
方は木搾液や竹搾液でもよ
日、鎌倉市梶原の徳洲会
そそのか
活が豊かな様に噂して
では、面白づくに家の生
なのに、留学生の多い中
し、後始末を他人の手に
ゼに対する責任を回避
ホケキョの美しい鳴き声
に向けて練習している難
ネイロオリンピック出場
い体操競技を米田功監督
度の高い技が披露され、
外側に蟻道が確認できまし
た。進入路を探すと基礎の
アリの被害だとわかりまし
と再度調べたところ、シロ
を改めてシロアリ専門業者
礎の外側に蟻道を作って入
シロアリは厄介ですが、基
建物の中に入ってしまった
です。基礎の下をくぐって
ら施工業者に連絡すること
か確認し、もしできていた
外側から蟻道があるかどう
が 参 加 し た = 写 真。 お
た。床板を剥がし薬品処理
ロアリに土台を食べられて
店で人命救助が必要と
をして修理することにしま
しまうと、地震の時建物の
安全指導員らが胸骨圧迫
鎌倉ライフガードの多
胡誠代表と日本赤十字社
から行っている。
ようと同会女子会が昨年
なった緊急時に役立て
した。
︵心臓マッサージ︶や心 術の披露や護身術の指導
庭の土の中にはシロアリ
肺蘇生のためのAEDの も行われ、参加者たちは は幾らでもいますので、い
て行うことが大事﹂と話
した。
多胡さんは﹁人が倒れ
ていたら周囲に助けを求
道場で行われている柔
技がきまると﹁おおー﹂
め、﹃119番通報を﹄
使い方を指導した。
く必ず特定の人を指名し
かに建物に近寄らせないよ
倒壊の危険が高まります。
という歓声と拍手が起こ
﹃AEDを持ってきて﹄
七里ガ浜商店会
くても対策が可能です。シ
■日向建設
鎌倉市大船1︱ ︱3
☎0467・ ・5454
http://www.hyuuga.co.jp
証言からは、なかなか魅
い長い﹂と心の中でつぶ
の桟橋を歩きながら﹁長
まで見送った後、横浜港
帰国するエリーゼをは
しけに乗ってフランス船
普請中だ﹂
の声も、この時
いたに違いない。﹁日本は
れ去っていくのを感じて
ガラガラと音を立てて崩
友人たちの叫びによって
だ﹂
という、
上司や家族や
トで、商店会特製のおで
ている催しのプレイベン
桜祭りに合わせて予定し
ができた=写真。4月の
でんを求める人の長い列
が開かれ、寒空の下、お
﹁七里ガ浜おでん広場﹂
全を目指している。
を立ち上げ、サクラの保
﹁七里桜プロジェクト﹂
所をとりもどそう﹂と
つになった活気溢れる場
会は﹁まちと商店がひと
わかった。七里ガ浜商店
鎌倉市に寄贈した。
た写真資料約千5百点を
している樹もあることが
せてしまい、菌類が発生
年を経過し、土全般が痩
り込む場合は専門業者でな
﹁いざというときに使い
うにするかが問題です。基
覧。 床、 あ ん 馬、 吊 り
った。
たい﹂と話していた。
輪、鉄棒、平行棒=写真
鎌倉市七里ガ浜住宅地
スのモデルは誰だったの ﹁真実の愛﹂が、あの日か
内 の 広 場 で 1 月 日、
おでん広場で
サクラの保全
=など8月のリオデジャ
ら始まった﹁ここは日本
力的なエリーゼの面影が
や い て い た︵ 後 の 小 品
から鴎外の耳に鳴りだし
んを提供した。
΂
・小金井良精や、帰国と
であろうか。
浮かんでくる。
﹃桟橋﹄により推定︶鴎
た声だったのである。
決まった後、何日か彼女
それによるとエリーゼ
は小柄な美人で、悪意の
外の心を占めていたもの
の相手をした鴎外の弟の
ない善人であり、帰国を
は何だったであろう。
姫﹄のエリスのような悲
性であつた。決して﹃舞
じっと耐えた理性的な女
るほど、鴎外の裏切りを
た﹂と喜美子に感じさせ
に、ドイツでの青春の日
ったにちがいない。同時
わったという安堵感もあ
渋の日々が、今やっと終
ったことから始まった苦
かけぬ激しい拒否にであ
いよ帰国するときも﹁少
ベルリンからパリへの
汽車の中で石黒の思いも
するファウスト的人間で
らの自我を拡大しようと
論争した頃のように、自
イツ留学中にナウマンと
く。たしかに一面ではド
で啓蒙活動を行って行
自ら論争を挑むような形
文学両方面にわたって、
小町の高柳さん
鎌倉の古い写真
り、住民や観光客に愛さ
1500点寄贈
れているが、植樹から
ガ浜の開発の様子、清掃
活動や花植えなどを撮影
したもので、これまで地
域の記録集や単行本にも
使われている。
央=が教育文化の参考に
市中央図書館と相談して
ていた。
扱いを決めたい﹂と話し
代以降の鎌倉を中心とし
と、1月
日、昭和 年
の高柳英麿さん=写真中
松尾崇鎌倉市長は﹁古
める市長ら。鎌倉市小町
写真を収集している鎌倉
写っている風景の説明
を受けながら写真をなが
りなどの観光行事、七里
おでん広場の収益はそ
寺社やサクラの風景、
の保全に充てるという。 鎌倉カーニバルや花まつ
決心した後、鴎外の弟と
劇のヒロインではなかっ
々の自信にあふれた自我
しの憂ひも見え無かつ
たのである。
ってつかみ得たと思った ︵神奈川歯科大名誉教授︶
あり続けた。
そ れ で は 一 体、 な ぜ
﹃舞姫﹄は書かれ、エリ
の主張と、その自我によ
この地区の通りには
それからの鴎外は近代
日本建設のために医学・ 本 の ソ メ イ ヨ シ ノ が あ
ショッピングをし、いよ
日することを告げてい
す者があ
礎と中庭の土の間に薬剤を
現地に伺いました。中庭側
いと思います。毎年春頃、
鎌倉表駅商友会が講習会
の部屋の床板の一部に柔ら
を俳句の季語で〝ふくら
聞いた。家の建てこんだ
0人︶が2月4日、小
かい所があり、指で押すと
いた。五、六年前から漸
いていた時季があり、そ
町の由比ガ浜整骨院2
雀〟というそうだが、そ
を耳にすると、いきなり
階道場でAED講習会
く人様にお目にかけられ
思いがけない事に出会っ
の頃は小鳥がたくさん寄
うことが、未だに小鳥の
たような不思議な感覚に
の時の雀の姿は、まさに
通いやすい道筋にでもな
るようになり、毎年四月
っこくぽっちゃりしてい
っているのか、とに角雀
立
て、無風流な言い方をす
定期的に実施することをお
木
私が青春時代の殆どをそ
れば、いかにもうまそう
勧めします。先ずは基礎の
冬
こで過した会社のはるか
中に沈み込みます。シロア
スポーツセンターかまく
る。この時はすでに石黒
るので、
町なかでしかも突然ホー
鎌 倉 表 駅 商 友 会︵ 山
本堯会長・会員約10
だが、隣りの家の玄関先
なる後輩たち十数名に花
リかもしれないと思い、日
って来ていたが、そうい
に、細い若木を植えさせ
を 開 き、 会 員 ら 約 人
ふくら雀そのもので、丸
て貰って、いつの日か百
囚われるものだ。
はじめの某日を選んで、
前にも書いたかもしれ
ないが、わが家の二階の
に限らず、小鳥はよく近
五輪めざして高難度の技を披露
会の共催。
た。鎌倉市と市体育協
ど約140人が参加し
徳洲会体操クラブが公開練習
ように見えたが、まぎれ
らで開かれ、親子連れな
の強い反対にあって自分
根が正直
20
山 内 静 夫
窓越しに一本、桜の木が
な感じがした。
うのが無上の楽しみにな
っている。
その桜も、今は葉すら
一枚もない細い枯枝が寒
空にヒョロヒョロと、所
と応援する観客たち。
在なげに立っているだけ
監督の﹁せーの﹂とい
う掛け声で﹁ガンバ!﹂
だ。昨日ふと眼をやると
その細枝に雀が十四、五
もなく雀だ。寒い時に羽
してやれるものか﹂とい
ここでエリーゼの人物
像をできる限り描いてみ
がどんなに思い違いをし
から真に
委ねようとしている。し
の解説付きで目の前で観
羽、どこからか一団とな
オリンピックや世界大
普 段、 テ レ ビ な ど
会でメダルを獲得してい でしか見ることのできな
って飛んで来て止った。
の中に空気を入れて膨ら
ふと、﹁まあ考えて見ま
る徳洲会体操クラブの公
兄い様はすぐその話をお
せう﹂といって別れたの
枯枝と同じように薄茶色
父う様になすったさうで
ださうです。
開練習と交流会が2月
す。ただ普通の関係の女
たい。その場合にもやは
ていたのかを知っていた
受けて、
かしエリーゼは日本での
15
なので、枝がふくらんだ
だけれど、自分はそんな
りエリーゼを﹁どうせ路
鴎外は、次のように父親
﹁日本に行く﹂といつた
自活の道も考えていたよ
の依頼を、﹃誰か﹄でな
見と称して遊びに来て貰
﹃ 舞 姫 ﹄と﹃ フ ァ ウ ス ト ﹄︵ 7 ︶
頭の花と思ったからでせ
に言ったという。
さうです。踊りもするけ
赤羽根龍夫
う﹂
と言い、
エリーゼが日
朝に千住からお母さまが
ドイツに帰った後、﹁誰
あわただしく日を送る
うち、九月二十四日の早
本での愛の続行を諦めて
お出になつて、お兄い様
れど手芸が上手なので、
人を扱う事はごく不得手
もしこの証言の通りだ
とすると、鴎外はエリー
お兄い様にさしたる障り
があちらで心安くなすつ
うであり、完全に鴎外に
な婦人だ
もなく済んだのは家中の
た女が追って来て、築地
日本で自活して見る気
も誰も大切に思って居る
ゴをむき出しにした鴎外
喜びでした﹂と、家族エ
の精養軒に居るといふの
い。エリーゼとの交渉役
の妹・小金井喜美子の証
をまかされた喜美子の夫
頼っていたわけでもな
れば好いでせう﹂といふ
30
で、﹁お世話にならなけ
から、﹁器用な位でどう
31
47
13
鴎外の妹・小金井喜美子=
「新潮日本文学アルバム」より
です。私は目を見張って
八日お帰りの晩に、お
驚きました。⋮
29
木版画 藤本宿
言が一級の資料になる。
鴎外は帰国するとすぐ
父にエリーゼが後から来
12
40
137
10
23
花繚乱の桜花をひとり占
33
ある。もう二十年以上前
第444号
2016年(平成28年)3月1日
1部 108円
(3)