市場シェア拡大に資する標準化教育における 標準化情報

論文
市場シェア拡大に資する標準化教育における
標準化情報の活用について
On Application of Standardization Information in Education on Standardization
contributing to market growth
平松
幸男
Yukio Hiramatsu
Abstract – This paper points out that standardization related information could be useful for
companies to put their products or services into market. Then, as an example, it evaluates the
correlation ratio between the market share in the network equipment field, and the number of
submitted contributions to the relevant working groups of the 3GPP.
Finally, it proposes the PBL
based education on standardization, using the standardization related information.
Keywords: Engineering Education, standardization, business, market, share
キーワード: 工学教育,標準化,ビジネス,市場,シェア
1.はじめに
を充実させる必要があると考える.
技術の標準化は特許とともに産業の発展に欠かせな
本稿では,標準化教育と特許教育とを同程度まで充
い要素である.特許は発明した技術の独占を一定期間
実される必要があるとの観点から,二つのことを提言
認めることをインセンティブとして,発明とその改善,
する.一つは標準化情報分析である.特許については
競争を促進することにより,産業の発展をうながす目
特許情報分析という分野が確立されており,関連の調
的がある.これに対して,技術の標準化は互いに競争
査をする多くの企業も活動している.しかし,標準化
関係にある企業同士が協力し,製品やサービスの仕様
については情報公開が特許ほど進んでいないため,標
をある程度合わせることにより,ユーザに利便性や安
準化情報分析という分野はまだ立ち上がってもいない.
全・安心を与え,その市場を拡大すること,コストや
しかし,企業にとって特許情報分析が欠かせないのと
料金を低減すること,公正な競争を促進することで産
同様に,標準化情報分析も欠かせないはずである.本
業の発展を促す目的がある.いずれも産業の発展とい
稿では,企業活動にとって,どのような標準化情報が
う目的は同じであるが,特許が基本的に競争相手を市
有用かという観点から現状入手できる標準化情報を分
場から排除する目的であるのに対して標準化は競争相
析する.また,企業による技術情報の入手という面か
手と協調することで市場を拡大し,自社のシェアを維
ら特許情報と標準化技術情報の比較を行う.もう一つ
持することにより収益を拡大することが目的であると
は標準化情報の統計的な分析である.特許についても
言える.企業は特許と標準化の両方に取り組むことに
特許の価値評価などを統計的な方法で研究する試みが
より,収益の最大化が可能となる 1),2).
あるが,本稿では同様に企業の標準化活動の市場にお
教育面から両者を考えると,特許については 2000
ける価値を評価するため,標準化活動と市場における
年初頭までは企業内の実務としての位置づけにとどま
シェアの関係について統計的な分析を加える.これを
っており,教育機関における本格的な教育の取り組み
特許,特に標準必須特許数と市場シェアとの関係と比
はなかったが,周知の通り,小泉元総理が 2001 年に施
較することにより,企業にとって標準必須特許の取得
政方針演説において知財立国宣言をし,翌年内閣府に
を含めた標準化活動を行うことが市場シェアの確保に
知的座財産戦略本部が設立されてから,知的財産専門
つながる可能性があることを示す.さらに,標準化情
職大学院の設立など,大学院・大学のような高等教育
報分析を大学院や大学等の高等教育機関における標準
機関における教育の取組が本格化した.以来現在まで
化教育に活用する方法について提言する.
10 年以上経過し,工学部や法学部,あるいは経営学部
2.標準化情報分析
に併設される知的財産専攻科が設立されるなど,教育
2.1
の広がりを見せている.一方,標準化についてはいま
標準化組織
技術の標準化は各種の標準化組織において進められ
だに本格的な教育がされているとは言いがたく,体系
る.主なものを示すと次の通りである.
的なプログラムが開講されている例はまだ少ない 3).
(1)
国際的に見ても我が国の標準化教育は諸外国に比べて
4)
国際標準化機関
ISO (International Organization for
決して進んでいるとは言えない .しかし,前述の通
Standardization),IEC (International
り,特許と標準化は産業を発展させる車の両輪であり,
Electrotechnical Commission),ITU (International
標準化についても少なくとも特許と同等の程度で教育
Telecommunication Union)の3つが国際標準化機関で
ある.このうち,ISO は全産業分野,IEC は電気分野,
り,グローバル大企業の場合は技術的な提案を行うこ
ITU は電気通信分野を扱う.組織横断的な共通関心事
とにより自社の製品やサービスを関連の規格などと整
項については適宜協力して進められる.特に,情報技
合させようとする.一方,中小企業の場合は資金や人
術 (IT) 分野については ISO と IEC の共同技術委員会
材リソースの制限から,技術的提案より情報収集に重
である JTC1 (Joint Technical Committee 1)において
点を置き,自社の製品やサービスを標準化動向に整合
標準化が進められている.近年,標準化の場が多様化
させようとする.このことから,全ての企業にとって
し多くの標準化課題が国際標準化機関ではなく,フォ
標準化情報の活用は欠かせない.表 2 に企業にとって
ーラム・コンソーシアム (Forum・Consortium)など他
有用な標準化情報の例と企業による活用例を示す 5).
の標準化組織で進められる傾向があるが,WTO (World
Trade Organization) の規定により,貿易の対象とす
る製品やサービスの規格,およびそれらの認証手続き
表 2 企業が活用するべき標準化情報例
標準化情報
内容
活用例
については国際標準やガイドを基本とするべきと定め
組織概要
目的
自社の目的との整合
られているため,これらの国際標準化機関における活
組織構成
WG 構成,頻度
要員数,稼働の見積
動は依然として企業にとって重要である.
会員規定
種別,権利・義務
自社の要求との整合
(2)
主要会員
参加企業
競合企業の確認
地域/国内標準化組織
欧州や米国,アジアなど地域,あるいは国家の標準
会費
会員種別の会費
自社の要求との整合
化組織は国際標準化機関の定める標準との整合を維持
新課題規定
承認手続
自社からの提案
しつつ,地域や国内の事情を考慮した標準化を進めて
標準化計画
標準化内容・時期
自社の要求との整合
いる.例を表 1 に示す.これらのうち,欧州は歴史的
提案文書
技術提案の内容
自社技術との整合
出力文書
種別,承認手続, 自社の要求との整合
な背景から標準化に最も力を入れており,国際標準化
機関との効率的な連携を目的とし,3 国際機関に対応
した地域組織,C3N, CENELEC, ETSI を擁している.
表 1 地域/国家標準化組織例
地域
標準化組織
欧州
CEN, CENELEC,
活動範囲
策定期間
役職者選任
選任手続き
役職者の輩出
IPR 調査義務
IPR 規定,標準必
指定期間内における
須特許調査義務
調査の可能性
声明書提出状況
ライセンス交渉
標準必須特許
ISO, IEC, ITU に対応
ETSI1
標準化組織によってはこれらの情報のいくつかは会
米国
ANSI, ATIS, TIA
ISO/IEC, ITU-T, ITU-R に対応
日本
JISC, TTC, ARIB
ISO/IEC, ITU-T, ITU-R に対応
会員になるために必要な情報,例えば組織概要,組織
中国
SAC, CCSA
ISO/IEC, ITU に対応
構成,会員規定,会費,その他主要手続きについては
員に限定して公開している場合もあるが,少なくとも
公開されているので企業はこれらの公開情報を基に標
(3)
産業界のフォーラム・コンソーシアム
準化活動に参加するか否かを決定できる.参加後はそ
技術開発スピードの加速化に伴い,グローバル企業
の他の情報を含めて入手可能となるので,表 2 の活用
の間のコンセンサスを基に,製品やサービスの業界標
例の欄に示すように活用し,当該市場における自社製
準を規定する動きが活発になってきた.これらの業界
品・サービスの市場拡大を目指すことになる.
標準は国際取引の観点から最終的には国際標準化機関
技術内容の開示の面から特許情報と標準化情報を比
に持ち込まれる傾向にある.例えば,スマートグリッ
較してみると表 3 の通りとなる.特許情報の文書様式
ドや環境分野,ITS (Intelligent Transport System) ,
と技術内容の開示形式が国際的に定型化されているの
クラウドコンピューティングや M2M
に対して,標準化技術情報については標準化組織によ
(Machine-to-Machine)通信 などの分野で世界的に多
って文書様式が異なり,技術内容の記述方法も定まっ
くの標準化組織が設立されている.
ていないなど利用しにくい面もあるが,次の 2 点につ
これらの組織はホームページなどで各種の情報を公
いてはむしろ特許情報よりも企業による利用の面から
開し,企業等の参加を促すとともに,標準の普及を図
望ましい性質を有すると言える.(i)情報の開示時期が
っている.次の節においてこれらの公開情報について
特許情報より早いこと,(ii)技術分野を特定しようと
企業から見た活用方法を考察する.
する場合,IPC に依存せざるを得ない特許情報に比べ
2.2
て,標準化技術情報の場合,標準化組織および作業グ
企業活動に有用な標準化情報
企業は自社が提供する製品やサービスを市場に普及
ループ毎に整理されているため,容易であること.こ
する目的で標準化活動を行う.活動の仕方は様々であ
れより,企業は特許情報に加えて標準化技術情報を利
用することにより,より確かな技術動向分析が可能に
CEN (欧州標準化委員会),CENELEC (欧州電気標準化委員
会),ETSI (欧州電気通信標準化機構)
1
なると思われる.
の約 1 年前の会議を選択した.今回の分析結果の分布
表3
情報種別
特許情報と標準化技術情報の比較
特許情報
標準化技術情報
文書等
特許文書(明細書等)
提案文書
文書の様式
国際的に標準化
組織毎に異なる
提出元組織
出願人 (企業等)
提出元 (企業等)
提出者
発明者
記載有または無
開示時期
出願から 18 月後
会合開催と同時
技術内容
請求項,詳細な説明, 定まった形式は
技術分野
図面 (定型化)
ない
国際的に標準化され
標準化組織と作
たコード (IPC)等に
業グループ (WG)
よる分類
により識別可能
図を図 1,図 2 に,過去の分析を含めた相関係数と検
定結果一覧を表 4 に示す3.
図 1 SA2 提案文書数と市場シェアの分布図
2.3
標準化情報の活用事例
表 2 に標準化情報毎の活用例を示したが,ここでは
複数の標準化情報を組み合せて活用する事例を 2 つ紹
介する.他にも多くの活用法があり得るが今後の課題
とする.
(1)企業が活動するべき標準化組織の選定
近年,スマートグリッドや環境等の産業分野横断的
な標準化課題が増えているため,同一/類似分野で多
くの標準化組織が設立される傾向が顕著になっている
ことは前述の通りである.このような場合,企業は中
心的に活動するべき標準化組織を見極めることが重要
図 2 RAN1 提案文書数と市場シェアの分布図
となる.このために有用と考えられる情報は,標準化
計画,主要会員,組織構成,提案文書,出力文書であ
表 4 相関係数と検定結果一覧
る.つまり,計画に沿った活動が市場の主要プレーヤ
提出先 WG 等
ーによって活発に行われているかどうかを分析するこ
相関係数
t値
p値
とにより,どの組織が目的の標準化にとって有用かが
SA2 (2013)
0.952
6.954
0.0009
判断できると思われる.標準化組織の側としてもこれ
必須特許声明
0.56
1.782
0.118
らの情報を開示することにより会員を募り,有効な活
SA2 (2009)
0.579
1.589
0.173
RAN1 (2009)
0.567
1.538
0.185
動にすることが求められる.
(2)標準化情報と市場シェアの関係
筆者の従来の研究において,ネットワーク機器市場
のシェア (2009 年) と 3GPP2における標準化活動の間
に相関が見られることを 2 例示した.まず,3GPP SA2
(Architecture)の連続 3 回の会議 (2013 年 4 月~7 月)
の提案文書数合計との間に 0.952 という極めて強い相
関があることを示した 6).また,同じ市場シェアデー
タと 3GPP の活動に関連して提出された標準必須特許
数との間に 0.56 という比較的強い相関があることを
示した 7).ここでは,これらの結果を検証するため,
同じ市場シェアデータと 3GPP RAN1 (Radio Layer 1)
と SA2 の連続 3 回会議に提出された提案文書数との相
以上の分析から極めて強い相関を示した SA2 (2013)
のみが P=0.05 の条件で有意であるが,他は比較的強い
相関を示したものの有意とは言えない結果になった.
このことから 2013 年の結果についても偶然であった
可能性が高いことがわかった.今後は市場データのサ
ンプル数を増やしてさらに検証する必要がある.また,
企業の所有特許数と市場シェアとの相関についても比
較検証することが考えられる.この結果,仮に企業の
所有特許より,標準提案文書数の方が市場シェアとの
相関が強いことが確認できれば,企業にとって標準化
活動への積極的な関与が重要と言える.
関を分析する.ただし,今回は市場データ (2010 年)
3
3rd Generation Partnership Project. 各 WG の提案文書,報
告書,標準などが全て公開されている.Available at
http://www.3gpp.org/specifications-groups/specifications-grou
ps (visited December 19, 2014)
2
相関検定については帰無仮説をたて,これを否定できる(す
なわち相関が 0 ではない)確率を t 分布により算出した,この
場合,t 値と p 値は標本サンプル数,相関係数により決まる.
表の p 値は帰無仮説が成立する(相関がない)確率を示す.通
常は p が 0.05 以下であれば相関関係が有意とされる.
3.標準化情報の教育への応用
3.1
標準化教育の現状と課題
4.あとがき
現状,我が国の標準化教育は主として大学院におい
3)
本稿では企業の製品やサービスの市場におけるシェ
て提供されており,その内容は多様である .いくつ
アを拡大するために標準化情報を活用することが重要
かの内容をあげれば,技術の標準化,ビジネス経営と
であることを述べた.また,その活用例として,市場
標準化,知的財産と標準化,標準化と交渉等となる.
シェアと標準化提案文書数の相関を分析した.その結
これらの分野では知識の体系化が十分に進んでいない
果,有意な相関を確認することはできなかったが,相
ため,主として標準化活動や関連研究の経験のある教
関係数の値によると比較的強い相関との結果が得られ
員が自らの経験に基づいて教えていると想定される.
たので,今後継続的に研究する価値は認められた.さ
教科書についても知られているものは少なく開発途上
らに,PBL を基本とし,標準化情報を活用した標準化
と言える.また,これらの分野では状況の進展が速く
教育方法を提案し,具体的に設定する問題例を示した.
実務的な側面が強いため,基本的な教科書を用いた知
この教育方法により,実際の標準化状況の進展に適応
識中心の教育では社会の要請に十分に応えられないと
できる実践的な能力の養成が可能になると考えられる.
思われる.特に,標準化教育において重要な要素は英
今後は提案した教育方法を実践し,その効果を確認す
語による,調査,分析,提案,議論等の能力であると
る必要がある.
考えられ,教育の中でこれらの能力も自然と身に付く
参考文献
ことが望まれる.
1)平松幸男,
「企業における技術標準化戦略の重要性」,
3.2
知財管理, Vol. 56, No.7,pp.997-1004,2006 年 7 月
PBL による標準化教育の提案
前節に示した標準化教育の現状を踏まえ,その課題
の解決に向けた標準化教育の方法として,PBL
4
2)平松幸男,
「情報通信分野における競争力の強化に向
けて」,
電子情報通信学会ソサエティ大会,TK-2-1,
2010
(Problem Based Learning) を基本とし,表 2 および表
年
3 に示した標準化情報を活用することを提案する.PBL
3)中西浩,松行輝昌,
「大学における国際標準化教育の
教育方法では教員が一方的に学生に対して講義する形
分析-開講形態と教育の位置づけ-」
,日本工学教育
態ではなく,教員が問題を設定し,学生がそれを解決
協会平成 26 年度工学教育研究講演会,2H23,2014
するために,調査,分析,考察を加え,さらに継続し
て学生自らが新たな問題を発見するなどの過程を経て,
年9月
4)松本充司,
「電子情報通信学会国際標準化教育委員会
深い知識と実社会において直面する問題へ対応する実
の活動について」
,画像電子学会 2013 年年次大会,
践力の養成を図る.
2013 年 6 月
提案する標準化教育の内容例と教育方法(問題設定
5)平松幸男,「ICT 分野における標準化教育の一手法
例)を表 5 に示す.問題への取組に際し,学生は標準
-標準化活動情報分析の提案-」
,日本工学教育協会平
化組織のホームページ等の英語情報にアクセスし,こ
成 26 年度工学教育研究講演会,2H21,2014 年 9 月
れを種々の方法で分析することにより,実践的な能力
6)平松幸男,
「マーケット獲得と標準化」
,ICT 分野に
を養うことが期待される.また,標準化組織の作業方
おける国際標準化と技術イノベーション時限研究専
法を調査した上で,英語による模擬国際会議に参加す
門委員会 (SIIT)第 2 種研究会 「ICT 標準化と技術
ることにより,交渉力を身に付けることが期待される.
イノベーション」
,2014 年 1 月
表 5 PBL による標準化教育
標準化教育内容例
技術の標準化
教育方法(問題設定例)
・特定技術の標準化動向
7)平松幸男,
「ICT 分野における標準化の戦略的な活用
について」
,電子情報通信学会ソサエティ大会,
BP-4-1,2014 年 9 月
・標準化組織の活動評価
ビジネス経営と標準化
・特定企業の標準化戦略
・市場シェアと標準化活動
知的財産と標準化
・特定企業の戦略
・標準必須特許問題
・パテントプール問題
標準化と交渉
・標準化作業方法
・模擬国際会議参加
PBL は医学教育分野ではじまった教育方法であるが,近年,
我が国においても政府の指導の下で注目が集まり多くの大学に
おいて進められている.Project Based learning という言い方
もあるが,その場合は何か成果物を作成する意味が含まれる.
4
著
者
紹
介
平松 幸男
1978 年 横浜国立大学大学院修士課程修
了(電気工学)
同年日本電信電話公社(現 NTT)入社,研
究所にてパケット交換システムの開発と
標準化,標準化と知的財産戦略等に従事
2005 年 4 月 大阪工業大学大学院知的財
産研究科 教授
電子情報通信学会,情報処理学会,IEEE,
日本知財学会会員