シリーズ わがまち港北 第 207 回 綱島地区 -地域の成り立ち、その 10- 港北区域の課題は何か、港北区はどのように形成 綱島の地名の語源は、①鶴見川と早渕川の合流点 され、これからどう変わろうとしているのか、そん に位置し洪水になりやすい地形から、湿地に浮かぶ な疑問は、毎年 1 月号の『広報よこはま』港北区版 島、津の島が転じたとする説が有力ですが、この他 が分かりやすく答えてくれます。今年の 1 月号では、 に、②かつてこの地を支配していた綱島三郎信照の 「港北区初夢 夢あふれる港北の未来」と題して、様 姓から名づけたとする説、③かつて馬を生産してい 々な計画が紹介されています。 たので馬に関係のある地名だろうとする説などもあ その中で、新たな施設の整備・企業の進出として つなしまさぶろうのぶてる ります。 じょうげん 4 件紹介されていますが、なんと綱島地区に 3 件も 綱島の地名の初出は鎌倉初期の 承 元3 年(1209 集中しています。①2016 年 3 月下旬地域子育て支援 年)と古く、室町時代の応永12 年(1405 年)には つ な し ま おうえい 拠点サテライトがオープン、②2018 年Tsunashimaサ 交通の利便のため、綱島に橋を架けた記録もありま スティナブル・スマートタウンの整備、③2019 年~ す。橋の場所は、大綱橋の少し下流、旧綱島街道(稲 つなしま いな げ みち 2020 年(仮称)新綱島駅の開業と区民文化センター 毛道)にかつて架けられていた綱島橋の辺りと思わ の整備です。綱島は今、大きく変貌しようとしてい れます。綱島橋のたもとには、鶴見川舟運の河岸も るのです。 ありましたので、古くから水陸の交通の 要 衝 とし し よう しょう 綱島地区は港北区の北部に位置し、東から北西に ひ よし みの わ ちょう ひ よしほんちょう たか かけては日吉、箕輪 町 、日吉本 町 に接し、西は高 た ひがし か はやぶちがわ しんよし だ ひがし 田 東 、早渕川、新吉田 東 に接しています。南側に おお そ ね たるまち は鶴見川が流れ、川を挟んで大曽根や樽町と接して て栄えていたことが窺われます。この辺りを鎌倉街 道が通っていたとの説もあります。綱島は温泉の発 見と東横線開通により栄えたと思われがちですが、 実は中世から地域の拠点であったのです。 さて、昨年 5 月に営業を休止した東京園の北側か います。 むさしのくにたちばなぐん とうしょう じ かつて、武蔵国橘樹郡綱島村と呼ばれていた地域 ら、綱島駅の下を通り、東 照 寺の前から三歩野橋へ とほぼ同じです。綱島村は、江戸時代中期に南綱島 抜ける道路があります。その道路の、東京園辺りか いけ 村と北綱島村に分かれました。南綱島村の名主が池 のや 谷家で、明治の末から昭和前期に地域で桃栽培を奨 いい だ ら綱島小学校南側辺りまでと、鶴見川に挟まれた地 域、そこに温泉旅館や商業施設が数多く造られたこ あざ 励しました。北綱島村の名主は飯田家で、明治から とから、やがて綱島温泉町、綱島温泉中町という字 大正期に天然氷の生産を奨励しました。共に港北区 名が付きました。現在、温泉は廃れましたが、綱島 域の経済発展に大きく尽力したことで知られていま 温泉町自治会の名称等にその名を留めています。こ す。 の辺りが、現在商業地域に指定されている場所です。 な さて、明治 5 年(1872 年)の綱島地区は、南北両 温泉旅館等の跡地は敷地面積が広いことから、昭 村合わせて戸数 155 戸、人口 906 人でした。明治 22 和 40 年代以降、綱島温泉が衰退すると、賃貸マンシ ま め ど しのはら きく 年(1889 年)、南北綱島村は大豆戸村、篠原村、菊 な ふと お おおつなむら 名村、大曽根村、太尾村、樽村と合併して大綱村と おおあざ ョンや大規模商業施設が多数建設されました。港北 区は市内でも民間の借家に住む世帯の比率が特に高 なり、大綱村大字南綱島・北綱島と呼ばれるように い区ですが、その中でも綱島地区の借家率が最も高 なりました。そして、横浜市に編入された昭和 2 年 いのは、そうした理由からです。 (1927 年)に南綱島町・北綱島町となりました。そ 開発が早かったことから、現在でも綱島駅発着の の後、昭和 22 年(1947 年)の耕地整理事業により バスが 19 路線もあるなど、交通の利便性が高いので つなしまかみちょう 早渕川の西側が綱島上 町 となりました。昭和 48 年 すが、その一方で、道路が狭く、歩道整備の遅れや (1973 年)には住居表示が施行されて、綱島公園や 駐輪場不足、老朽化した建物等が長年の課題でした。 つなしまだい 綱島市民の森がある台地が綱島台となり、東横線の 2019 年の相鉄・東急直通線新綱島駅(仮称)の開業 線路を境として綱島東一丁目~六丁目、綱島西一丁 に合わせて、こうした課題を解決しようと、綱島の 目~六丁目となりました。鉄道が、地域の結びつき 新たなまちづくりが始まっています。 を南北から東西へと変えたのです。今年 1 月 31 日現 在の人口は、20,454 世帯、41,714 人となっています。 記:平井 誠二(公益財団法人大倉精神文化研究所研究部長) 大倉山講演会「渋沢栄一の思想と公益的事業への貢献」 3 月 19 日(土)14:00~15:30 会場:大倉山記念館ホール 定員:先着 80 名 入場無料 当日直接会場へ 主催:公益財団法人大倉精神文化研究所 問合せ:045-834-6637 (楽・遊・学 平成28年3月号)6
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