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 プレスリリース 2016 年 3 月 8 日 報道関係者各位 慶應義塾大学医学部 神経細胞が特定のタイプにのみ分化するメカニズムを解明 脳には多くのタイプの神経細胞が存在し、それぞれが異なる役割を分担して、機能しています。
しかし、その分化(注 1)のメカニズムの詳細はわかっていませんでした。慶應義塾大学医学部
解剖学教室の大石康二講師(非常勤)、仲嶋一範教授らの研究チームは、大脳皮質の神経細胞が、
特定のタイプの神経細胞のみに分化するメカニズムを明らかにしました。 神経系における情報処理の司令塔である大脳皮質(注 2)では、情報の入力、処理、出力が行
われます。これらは、大脳皮質に存在するさまざまなタイプの神経細胞にその役割が担われてい
ます。今回の研究では、大脳皮質外から情報を受け取る役割の神経細胞と、情報処理を行う役割
の神経細胞について着目し、①これらが性質の似通った未成熟な細胞から分化すること、②それ
ぞれの分化を促すプログラムが、もう一方の分化のプログラムを阻害することで、どちらか一方
のみのタイプが効果的に選択され、分化していくことを見出しました。 現在、さまざまな疾患に対して、iPS 細胞などから作り出した、治療に必要な特定の細胞を移
植して治療する細胞治療に期待が寄せられています。今回の研究結果は、その進展に大きく貢献
するものと考えます。 本研究成果は、3 月 7 日(米国東部時間)に米国総合学術雑誌「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」(米国科学アカデミー紀要)オンライ
ン版に掲載されました。 1.研究の背景
私たちの脳には、細胞の形態、他の神経細胞とのつながり方の違い(近くの神経細胞とつなが
るか、遠くの神経細胞とつながるか、などの連絡様式の違い)、特異的に発現しているタンパク
質分子の違いなど、性質が異なるさまざまな種類の神経細胞が無数に存在します。 大脳は、脳の中でも特に記憶や学習、感情等の高度な働きをしている部分です。大脳の表面に
ある大脳皮質では、神経細胞は脳の表面に平行な 6 層に分かれて並んで配置されています。各層
は脳表面に近い方から、第 1 層〜第 6 層と呼ばれています。これまでの研究では、大脳皮質外へ
出力する第 5-6 層の神経細胞については研究が進んでいましたが、神経情報の入力を外部から受
容する第 4 層、大脳皮質内での情報処理を主に担当する第 2-3 層の神経細胞が、どのように生み
出されるかについてはよくわかっていませんでした。 2.研究の概要と成果
本研究では、成熟した大脳皮質の第2-3層と第4層に、それぞれ特異的に発現するタンパク質分
子に着目しました。これまでの研究から、成熟した大脳皮質では、Brn2という転写因子が第2-3
層に、またRorbという転写因子が第4層に特異的に発現することが知られていました(図1、右)。
発生途中の未成熟な大脳皮質でこれらの転写因子の発現の様子を調べたところ、将来第2-4層の
神経細胞になる細胞群は、共通して全てBrn2を発現し、Rorbを発現していないことがわかりまし
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た(図1、左)。この結果から、第2-3層と第4層の神経細胞は、発生途中の未成熟な段階では似通
った特徴をもつことが示唆されました。 未成熟な大脳皮質
第 2-4 層
成熟した大脳皮質
Brn2 が Rorb の発現を阻害
Brn2 発現あり
Rorb 発現なし Rorb が Brn2 の発現を阻害
第 2-3 層
Brn2 のみ発現
第4層
Rorb のみ発現
第5層
第5層
第6層
第6層
Brn2: 第 2-3 層因子
Rorb: 第 4 層因子
図 1: 神 経 細 胞 の タ イ プ が 決 定 さ れ る 仕 組 み 次に、これらの神経細胞の成熟過程について調べました。第2-3層では成熟後にも継続してBrn2
の発現が強くみられました。一方で、成熟後の第4層ではBrn2の発現が減少し、代わりにRorbの
発現が上昇してくることがわかりました(図1)。この発現の状態から、これらの転写因子どうし
が影響しあう可能性が考えられました。すなわち、第4層ではRorbがBrn2の発現を阻害する可能
性、第2-3層ではBrn2がRorbの発現を阻害する可能性です。本研究では、この両方の可能性につ
いて、子宮内胎児脳電気穿孔法(注3)を用いた遺伝子の過剰発現実験および抑制実験を行い、
そのどちらも正しいということを明らかにしました(図1)。このBrn2とRorbの間の相互の阻害作
用は、これらの分子の発現量の少しの違いを増大させ、どちらか一方のみの発現を選択するのに
役立つと考えられます(図2)。さらに、これらはBrn2、Rorbという転写因子の発現だけでなく、
神経細胞の性質自体にも影響を及ぼすことがわかりました。すなわち、Brn2が強く発現した細胞
は第2-3層の神経細胞に特徴的な性質(連絡様式、形態、特異的に発現しているタンパク質分子
の種類)を示すようになり、逆にRorbを強く発現する細胞は第4層神経細胞に特徴的な性質を示
すようになることがわかりました。その結果、一つの細胞が第2-3層と第4層の両方の特徴を持っ
た神経細胞として分化することはなく、どちらか一方のみのタイプが選択されて分化するという
新しいメカニズムがわかりました。 阻害
Brn2 が優位
阻害
Brn2
Rorb
Brn2
Rorb
阻害
Brn2 のみ
阻害
Rorb のみ
阻害
Rorb が優位
阻害
Brn2
Rorb
図 2: 転 写 因 子 の 相 互 阻 害 に よ る 転 写 因 子 の 発 現 の 選 択 3.研究意義・今後の展開 今後の研究では、なぜ第 2-3 層では Brn2 が発現され続けるのか、なぜ第 4 層では Rorb の発現
が誘導されるのか、その分子メカニズムの解明が重要になると考えられます。 また、第 2-3 層と第 4 層は進化的に新しく大脳皮質に加わった神経細胞の集団であることがわ
かっているため、今後さらに分子メカニズムの解明を進めることによって、進化の過程でどのよ
うにして大脳皮質が発達したのかを知る手がかりとなることが期待されます。 現在、さまざまな疾患に対して、iPS 細胞などから作り出した、治療に必要な特定の細胞を移
植して治療する細胞治療が注目されています。今回の研究結果は、特定の役割をもつ神経細胞を
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試験管内で作り出し、治療に応用できる可能性があると考えられます。 4.特記事項 本研究は、主に MEXT/JSPS 科研費(15H02355, 25640039, 19700295, 21700356)、文部科学省
科学技術試験研究委託事業 脳科学研究戦略推進プログラムなどの助成により行われました。 5.論文について タイトル(和訳):“Mutually repressive interaction between Brn1/2 and Rorb contributes to the establishment of neocortical layer 2/3 and layer 4” (大脳皮質の発達過程において、転写因子 Brn1/2 と Rorb の相互抑制は、第
2-3 層と第 4 層の形成を制御する) 著者名:大石康二、荒巻道彦、仲嶋一範
掲載誌:「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」 【用語解説】 (注 1)分化 前駆細胞から変化して、それぞれ特有の形態や性質を獲得して別のタイプの細胞に変わっていく
ことを言います。 (注 2)大脳皮質 大脳の表面にあり、思考、記憶、推理、知覚、運動などの高度な機能を司る部位です。特徴的な
6 層の層構造で構成されており、表層側から深層側にかけて、第 1 層〜第 6 層と呼ばれています。
他の動物に比べてヒトで大きく発達することが特徴です。 (注 3)子宮内胎児脳電気穿孔法 本 研 究 チ ー ム に お い て 開 発 し た 、 生 体 内 遺 伝 子 導 入 技 術 で す (Tabata and Nakajima. Neuroscience, 103, 865-872 (2001))。妊娠マウスを麻酔した後に、子宮壁越しに胎児の脳に任
意の遺伝子を任意の場所と時期に導入することができます。 ※ご取材の際には、事前に下記までご一報くださいますようお願い申し上げます。
※本リリースは文部科学記者会、科学記者会、厚生労働記者会、厚生日比谷クラブ、各社科学部等に
送信しております。
【本発表資料のお問い合わせ先】
慶應義塾大学医学部 解剖学教室
教授 仲嶋 一範(なかじま かずのり) TEL:03-5363-3743 FAX:03-5379-1977
Email:[email protected]
http://plaza.umin.ac.jp/~Nakajima/
【本リリースの発信元】
慶應義塾大学
信濃町キャンパス総務課:谷口、吉岡
〒160-8582 東京都新宿区信濃町35
TEL 03-5363-3611 FAX 03-5363-3612
E-mail:[email protected] http://www.med.keio.ac.jp/
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