フィナンシャルエンジニアリングレポート Vol.20 (2016/3) マイナス金利がデリバティブ商品に及ぼす影響について 1. はじめに 2016 年 1 月の日銀金融政策決定会合において、マイナス金利政策の導入が決定された。日銀当座預金 の一部に-0.1%の金利を適用するというものである。日銀はこの政策を通じて金利低下を促し、2%の「物価 安定の目標」の早期実現を図るとしている。本稿では、金利デリバティブに焦点を当て、マイナス金利が当 該商品に与える影響について整理する。 2. 金利スワップ 金利スワップとは、契約時点で決められた固定金利と変動金利を交換する取引であり、金利リスクのヘッ ジに使われる。例えば T 年間、想定元本 1 円で固定金利と変動金利を交換する取引のキャッシュフローは 図 1 の通りとなる。 δ1S δ2S δ 3S δ4S δTS ・・・ S:固定金利 0 1 2 3 4 T 利 ・・・ δ1L1 δ 2L 2 δ 3L 3 δ4L4 Li:時点 i-1 で決められる変動金 δTLT 図 1 金利スワップのキャッシュフロー この取引の現在価値(PV)の評価式は以下の通りとなる。 PV T DF S L i i i i 1 DFi : 時点iのディスカウントファクター 数式 1 i : 利払い間隔 : 固定金利受けなら1, 固定金利払いなら 1 現在価値を算出する場合、将来時点で決まる変動金利 Li およびディスカウントファクターDFi を現時点の イールドカーブから算出する。S の値がマイナスとなるような金利環境下になると、Li の値も負となることが 多いため、固定金利を受ける契約をした人が固定金利を払い、変動金利を受け取るという逆転現象が発生 する。ただし、時価評価という点から見ると、正負の符号が変わるだけなので、評価可能ということになる。 次項で取り上げる金利オプションは、これまで主流であった評価手法ではマイナス金利環境下での時価 評価ができない。 3. 金利オプション ここでは、代表的な金利オプションである金利スワップションについて取り上げる。金利スワップションと は、約定時点で決めたレートで、将来のある時点から金利スワップを行う権利を売買する商品のことである。 この商品の現在価値を算出するために一般的にはブラック・モデルが使われており、このモデルは対数正 規分布(Lognormal)を仮定している。T 年後から T’年間のスワップを開始する権利の価格をブラック・モデル で表すと次の通りとなる。 PV T T DF S i i T ,T N (d 1 ) KN (d 2 ) i T 1 DFi : 時点iのディスカウントファクター i : 利払い間隔 S T ,T : T年後先T 年間のフォワードスワップレート 数式 2 K : 権利行使価格 : ペイヤーズなら1, レシーバースなら 1 2 LN T 2 , LN T S T ,T log K d1 d 2 d1 LN T LN : Lognorm alボラティリティ N : 標準正規分布の累積分布関数 S T ,T マイナス金利環境下で問題となるのは、上式のうちの log K の部分である。ST,T’がマイナスとなった場 合、真数が負となり、計算不可となる。 従来、その分布形状からマイナス金利を許容しないことがこのブラック・モデルの利点として言われてきた。 それは金利というものは負値を取らないと広く考えられていたからである。しかしながらヨーロッパを皮切り に日本でも政策としてマイナス金利が導入され、イールドカーブは全体的に低下、短期ゾーンからマイナス 金利に突入した。これによりスワップション価格の算出に必要なフォワードスワップレートがマイナスとなる 事象が発生し、デリバティブ商品の登場以来長らく使われてきたブラック・モデルは上述の理由から使用不 可能な状態に陥っている。市場参加者が使う情報端末ではプレミアムから算出したブラック・モデルのボラ ティリティが提示されていたが、昨今の環境で提示できない年限も現れている。 この問題を解決するために、代替モデルに関する議論が活発に行われている。マイナス金利を許容する モデルとしては、Ho-Lee モデルや Hull-White モデルなど複数存在するが、既存モデルからの拡張が容易 かつモデルが比較的単純という理由から本稿では Shifted Lognormal モデルを紹介する。このモデルはブラ ック・モデルに金利の下限をパラメータとして追加し、対数正規分布をマイナス方向へ移動させたものであ る。 Shifted Lognormal モデルを用いてスワップションの価格を表すと次の通りとなる。 T T PV DF S i i T ,T h N (d1 ) K h N (d 2 ) i T 1 2 S T ,T h SLN log T K h 2 d1 , SLN T d 2 d1 SLN T 数式 3 h : 金利の下限 SLN : ShiftedLognorm alボラティリティ 上式の通り、log の真数が S T ,T h K h となることから、このモデルで計算できる金利の下限は-h となる。また h=0 とした場合はブラック・モデルとなることから、ブラック・モデルは Shifted Lognormal モデルの一部という 見方もできる。 4. Shifted Lognormal モデルのリスク値 前項で取り上げた Shifted Lognormal モデルをブラック・モデルの代替として使う場合、シフト幅 h にどのよ うな値を入れるかは現状裁量の余地がある。シフト幅 h の決め方について、①固定値として運用する方法と ②マーケット情報から算出する方法が考えられる。①については、いったん h を決めてしまえばその値は変 動しないので、h の変動をリスクとして認識する必要がない一方、h よりも金利が低下した場合、再び計算不 可能になるといった問題がある。一方で②の場合、マーケット情報から h を算出するので、金利環境によっ て計算不可能に陥る問題はないものの、この h の変動リスクを管理する必要があるため、リスク要因が増 えるといった問題がある。またどのような計算手法で h を算出するのかにも議論が出るだろう。 以下にペイヤーズスワップションの例を挙げる。この例では、シフト幅 h を予め設定し、その値によってリ スク値がどう変化するかを比較した。ブラック・モデルとの比較を行うために、フォワードスワップレートはプ ラスの値を設定した。 取引条件 期間 5年 T T DFi アニュイティ i i T 1 フォワードスワップレート 5.0 0.5% 権利行使価格 0.5% プレミアム(想定元本に対して) 1.0% 上記取引条件を用いて、ブラック・モデルおよびシフト幅を 0.5%、1.0%、1.5%とした場合の Shifted Lognormal モデルのボラティリティを算出し、それを基に計量したリスク値は表 1 の通りとなった。また、各々 の確率密度関数を図 2 に示した。 表 1 リスク値の比較 ブラック・モデル(h=0) シフト幅(h) Shifted Lognormal モデル 0 0.5% 1.0% 1.5% ボラティリティ 47% 23% 15% 11% デルタ 3.5 3.0 2.8 2.8 ガンマ 332 381 390 394 ベガ 0.02 0.04 0.07 0.09 90 h=0 80 h=0.5% 70 h=1.0% 60 h=1.5% 50 40 30 20 10 0 -2.0% -1.0% 0.0% 1.0% 2.0% 3.0% 4.0% 5.0% 6.0% 図 2 確率密度関数 表 1 より、シフト幅を固定する場合、その値によって従来管理していたリスク値(デルタ、ガンマ、ベガ)が変わ るため、影響を事前に把握する必要がある。特にベガの値がシフト幅によって大きく変化することが見て取れ る。 5. 終わりに マイナス金利はデリバティブの中でもオプション性のある商品に影響があり、現在ブラック・モデルに代表 される対数正規分布をベースにしたモデルは使用不可能な状況に陥っている。本レポートでは、マイナス金 利に対応できるモデルの一つとして、Shifted Lognormal モデルを取り上げた。これは既存のブラック・モデ ルの枠組みに少しの修正を加えるだけでマイナス金利に対応出来るので、今後の主流になるのではない かと考えている。ただし、そのシフト幅によってリスク値が大きく異なるので、モデル変更がそれらに与える 影響を事前に十分に把握する必要があるだろう。今後の動向に注視していきたい。 (金融技術開発部 鈴木 恭平) 照会先:みずほ情報総研株式会社 金融技術開発部 東京都千代田区神田錦町 3-1 本レポートは当部の取引先配布資料として作成しております。本稿にありうる誤りはすべて筆者個人に属しま す。 レポートに掲載されているあらゆる内容の無断転載・複製を禁じます。全ての内容は日本の著作権法及び国際 条約により保護されています。
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