贖教会献堂 50 周年記念礼拝説教 詩篇 119 篇 105,106 節 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 私は誓い、そして果たしてきました。あなたの義のさばきを守ることを。」 今日、あなたがたは心からの喜びと感謝を持って集まりました。一年以上の計画と祈りに満 ちた準備によってこの日、贖教会の献堂 50 周年記念礼拝の日を迎えることができました。 詩篇の作者とともにあなたがたは声を合わせて、「すべての国々よ。【主】をほめたたえよ。す べての民よ。主をほめ歌え。その恵みは私たちに大きく、【主】のまことはとこしえに。ハレル ヤ。」(詩篇 117:1、2)と歌います。 50 年の間、この教会で、主は福音を通してあなたがたを豊かに祝福されました。50 年にわ たってあなたがたの間に、神様はご自分の純粋な福音、その教えと恵みの手段の祝福を与 え、それを守られました。50 年にわたって主は次の約束を守られました。「わたしの名を覚え させるすべての所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福しよう。」(出エジプト記 20:24) 今までの忠実な信者たちと牧師たちとともにあなたがたは聖書の純粋な教えを守り、それを 教え、宣べ伝えることを世界と特に主の御前で再び約束することは大変相応しいことであり、 当然なことなのです。そういうわけですから、一つの感謝の捧げものとして神の純粋な御言 葉とその教えを守り、宣べ伝え続けることを今日一緒にもう一度約束しましょう。 詩篇の作者とともにあなたがた一人一人は、「私は誓い、そして果たしてきました。あなたの 義のさばきを守ることを。」と告白することが出来るでしょう。そのように詩篇の作者とすべて の信者たちとともに、あなたがたは神の言葉とその御教えを守り、従い、教えるように再び約 束します。詩篇の作者はどうしてそのように約束しますか。あなたがた一人一人、そしてあな たの牧師と LECC の皆さんにとって、そのようなことはどうして大変重要であり、実行したいこ となのでしょうか。 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」と作者は説明しています。今 日、多くの人々、またクリスチャンたちでさえも混乱しています。多くの人は真の神、その御 言葉、また神を喜ばすことを知りません。正しいことと悪いことをはっきり区別することができ ません。もちろん、人間は自分を責めたり、あるいは弁明したりする良心を持っていますが、 アダムとエバの最初の罪以来良心と自然の知識は罪によって曇らされ、曲げられました。そ ういうわけですから、現在人々の間では、正しいことと悪いこと、また天国へ行く方法につい て様々な意見が出回っています。しかし、あなたがたは大変豊かに祝福されました。生ける 神は純粋な恵みのゆえにご自分の御言葉をこの建物の中であなたがたに聞かせ与えられ ました。私たちは感謝の気持ちを込めて心から「あなたのみことばは、私の足のともしび、私 の道の光です。」と言うことができます。御言葉によって神はご自分の律法を与えられ、正し いことと悪いことをはっきりと教えておられます。悪いこと、つまり永遠の刑罰をもたらす結果 についてもはっきり警告しておられます。 十の戒めを一回読めば、誰でも自分がそれを守っていないし、今もなお不従順であることが 分かるでしょう。また、不従順に対する神の聖なるみ怒りが恐るべきことであることも分かるは ずです。十の戒めの要約を思い出せますか。イエス様は次のように言われました。「『心を尽 くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』『あなたの隣人をあな た自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」(マタイ 22:37、 39)また、「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。 これが律法であり預言者です。」(マタイ 7:12) あなたはそれを完全に守れましたか。如何 でしょうか。 大変悲しいことですが、私は守れていません。私はあなたと全ての人間と全く同じようでしょ う。神の律法を破った、また破っているので私は罪人です。それは非常に大きな問題であり、 死後の永遠の将来がどうなるのでしょうか。生ける真の神は聖なる、義なる神です。天地の 創造主として神は、人間とともに永遠の幸せのなかに住むために人間を創造 されましたが、 人間の罪はそれを悪化させ、妨げました。神は義なる神ですので、不従順、つまり罪を見逃 したりすることができません。ですから、神の律法というのは、律法の行いによる人々はすべ てのろいのもとにあるからです。聖書には「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守っ て実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」(ガラテヤ 3:10) と書いてあります。けれど も、私たち罪人を深く愛している救い主なる神はそのように私たちを警告し、罪の罰からの 救いの重要さと必要さについても強く教えておられます。教えてくれなければ、多くの人々 はそれに気がつかないので、罪の結果について教えることは大きな祝福です。 本日の記念の御言葉をもう一度聞きましょう。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の 道の光です。」私たちの不従順とその結果を表す律法だけではなく、神の御言葉は福音で す。福音は良き知らせであり、罪の報いから私たちを救う救い主とその行いについて教えて います。50 年の間、この建物で神はその良き知らせを聞かせてくだいました。けれども、福 音はただの知らせだけではありません。使徒パウロは、「私は福音を恥とは思いません。福 音は...信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ 1:16)と教えて います。ヨハネ第一の手紙は福音の良き知らせを次のように要約しています。「神はそのひ とり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神 の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私た ちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛 し合うべきです。」(I ヨハネ4:9-11) 刑罰を受けるべき不従順な子である私たちはイエス様とその行いのゆえに罪の報いから救 い出され、神の愛する子となります。神の国の国民権を持つだけでなく、神の愛する子ども の身分を頂きます。もちろん、それは私たちの価値や行いのゆえにではなく、イエス様にあ ってのみ与えられる神の恵みの賜物です。神の裁きの座の前に立つ私たちの罪だらけの一 生の行いの代わりに、私たちの身代わりとしてイエス様はご自分の聖い行いを捧げました。 また、ご自分の貴い血を捧げて、私たちが支払うべき罪のあがないの代価を完全に支払っ てくださいました。イエス様にあってあなたと私の罪は赦され、イエス様が勝ち取った祝福は あなたへの賜物です。毎日、あなたは神に近づき、「天にいます私たちの父よ」と、何につい ても祈ることができます。 それは恵み、つまり受けるに値いしない私たちへの神の愛の賜物です。私たちに加えるべき 刑罰の代わりにイエス様にあって神は、私たちに反対のもの、つまり罪の赦しと永遠のいの ちを与えてくださいます。私たちが頂く良いものすべては、イエス様にあって恵みのゆえに神 の手から来るのです。さらに、イエス様にあって、神は私たちのためにすべてのことを働かせ て益としてくださいます。イエス様は「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世 を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つた めである。」(ヨハネ 3:16)と約束しておられます。この素晴らしい平安と永遠のいのちを与え る約束をこの建物の中で聞かせてくださったので、この記念すべき祝福された日に、私たち は当然感謝し、詩篇の作者とともに、神様の純粋な約束を失わないように注意することと、 心から神に従い仕えることを再約束しましょう。 もちろん、イエス様は今日ここにおられます。多くの弟子が離れ去ったときに、イエス様が 12 弟子に「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう」と言われたように、今日イエ ス様は私たちにも尋ねておられるでしょう。私たちは 12 弟子とともに「主よ。私たちがだれの ところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。」とはっきり答え ましょう。または、詩篇の作者とともに「 私は誓い、そして果たしてきました。あなたの義のさ ばきを守ることを。」(詩篇 119:106) と言いましょう。 すなわち、献堂 50 周年記念の活動には次の意味があるはずです。これまでに頂いたすべ ての祝福を神に感謝しながら、神の恵みによってあなたがた一人一人が、今日この日からも 救い主に忠実に従い、純粋な御教えを大事にし、その御言葉通りに生活を行い、また福音 を分け与えるように約束しましょう。使徒パウロは「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神 のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れら れる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。こ の世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が 良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって 自分を変えなさい。」(ローマ 12:1、2) と勧めています。 あなたがた一人一人はイエス様から離れるつもりがないことをよく知っていますが、イエス様 とその聖い御教えから私たちを引き離すようにサタンは絶えず悪賢く働いています。私たち の罪深い心も小さなことででさえつまずきを受け、あるいは失礼やつまずきを与えがちでしょ う。または、ちょっとしたことで喧嘩する理由を見出し、互いに赦しを与えたくないがんこな気 持ちになりやすいでしょう。それらすべてはイエス様を悲しませ、平安を奪い、福音を分け与 える大事な務めを邪魔します。ですから、この記念日に、お互いに、牧師たち、そして教会と その大事な務めのために毎日祈るように約束しましょう。日毎におかす互いの罪、欠点と失 礼な行為などを心から赦し合い続けましょう。使徒パウロは「お互いに親切にし、心の優しい 人となり、神 がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさ い。」(エペソ4:32)と励ましています。 あなたは、今日この日からもあなたがたとともにおられる神の約束を持っています。あなたが たの教会とあなたがた一人一人に、ご家族に、また多くの周りの人々の祝福になるために救 い主イエス様は共におられ、祝福します。神の恵みの約束に頼りながら将来に向かって、い ろいろな計画をたてる贖教会の兄弟姉妹、また私たち皆にとって使徒パウロの励ましの言 葉は、今日の献堂記念礼拝の結びとしてぴったりな言葉でしょう。「神に感謝すべきです。 神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、 私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あ なたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(I コリ ント 15:58) アーメン。
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