今村嗣夫法律事務所

よる地鎮祭を行ったことは
けてきた。
今村嗣夫法律事務所
﹁デモクラシーのいのち﹂
元BC級戦犯訴訟の原告
であると今村さんは言う。
は、第二次大戦中に日本軍
を喪失したとして、何らの
補償も援護もせずに、その
て明治期に作られた招魂社
社︵靖国神社の地方版とし
た自衛官を山口県の護国神
ず、公務中に事故で殉職し
族が拒否したにも関わら
裁判の最も重要な役割は、
序を保つためでしょうか?
ると思いますか。国家の秩
﹁裁判とは、何のためにあ
個人の関係の根幹にあるの
そうした訴訟を数多く手が
を起こすのだ。今村さんは
合に、国を相手取り、訴訟
のです。そこにはもちろん、 を被った、というような場
国民の権利を守るというも
が、このプライバシーの権
とらなかったために不利益
るいは国がとるべき政策を
により不利益を被った、あ
ていく。しかし、その政策
かれ、事件の9割が5日以
﹁公判は2∼3日連続で開
終わらせるためのもの。
スコ講和条約後、日本国籍
が、政府は、サンフランシ
会に放り出された原告らだ
移管され、釈放後、日本社
処せられた。巣鴨刑務所に
裁かれ、死刑や有無期刑に
戦後も日本軍の戦犯として
ることが、個々の裁判員に
きり表現し主体的に議論す
対して、自分の意見をはっ
流れや裁判員の多数意見に
合は慣習に基づく、慣習も
政官布告は﹃法律がない場
考え、明治期に作られた太
たちはどう主張すべきかを
問題であるはずがない。私
からといって放置してよい
した。しかし、法律がない
本人の軍属として働かされ、 はないのだ、という対応で
ない場合は条理に基づいて
を下した。
とりにはあるのです﹂
いてもらう権利が、一人ひ
れでは、公判中に検察側の
も決定してしまいます。こ
集まって、
争点を確定、
証拠
だね、マイホーム主義、盆
画一的な価値観に自分をゆ
ルケの詩集を愛読している。
時には、自分で作詩もする。
えくぼのある蛇に出遭った。
蛙も恐がらなかった。
とぐろをまくなど
とんでもない。
する人に寛容ではなかった。 それで、
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■ マイノリティの権利、長いものに巻かれない権利のために⋮
今村嗣夫弁護士は、多く
の﹁声なき声﹂の代理人と
政教分離の原則に違反して
立体育館建築の際に神社に
して、法廷に立ち続けてき
た筋金入りの法曹人である。 いるとした﹁津地鎮祭違憲
訴訟﹂など、少数者とされ
る側に立ち、その声の代弁
存在を放置してきた。
第二次世界大戦後にBC
級戦犯として死刑や懲役刑
の軍属として徴用され、戦
﹁政府は、
韓国・朝鮮人の戦
法律で定めがないならば
後にBC級戦犯として処罰
犯への戦後補償の法律がな
が前身︶に合祀したことは
マイノリティの権利も含ま
利です。みんなと同じ、右
内と想定されています。集
は求められているのです﹂
者として、数々の大きな憲
法訴訟を手がけてきた。ま
された韓国・朝鮮人と遺族
いから、戦後補償の請求権
信教の自由の侵害だとした
にならえ、長いものに巻か
中審理を進めるために、検
を受けた韓国・朝鮮人が、
日
本政府に補償などを求めた
の計7人。植民地下で、日
﹁殉職自衛官合祀拒否訴訟﹂
、 れます﹂
れろ、という生き方をしな
条理に基づいて救済を
﹁元BC級戦犯訴訟﹂
、遺
民主主義国家は、様々な
さに、﹁闘う﹂弁護士である。
ことを多数決によって決め
あるいは、三重県津市が市 少数者の権利、自由こそ
くてよい。一人で放ってお
察、
裁判官、
弁護士が事前に
裁判に限らず、マスメデ
ィアの流す情報に同調し、
裁判する﹄と定めているこ
韓国・朝鮮人BC級戦犯者
立証に疑問点が浮かんでも、 暮れクリスマスのイベント
とに着目したのです。そし
は、この制度の﹁公判前整
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に興じ、みんなが同じよう
反証となる新たな証拠請求
補償法の成立に向けた取り
えの下で踏みにじられる少
て、諸外国の戦後補償の例
は原則できなくなりますし、 な笑顔を浮かべた社会を、
組みが始まったのです。原
数者の
﹁ノー﹂
という声。そ
に照らして条理はこれであ
今村さんは危惧する。今村
告らは高齢で、一人、また
そもそも、この整理手続き
る、これに基づいて補償す
一人と他界しています。早
て﹁速やかに立法化して救
済すべし﹂という付言判決
﹁現代国家における国家と
た裁判員と裁判官の間には、
落とし穴だと、今村さんの
い救済が必要なのです﹂
裁判所は、﹁立法を待たず
当初から情報の格差が生じ
言葉で気付かされた。
に国家補償を請求できる条
現代国家の根幹にある
てしまい、対等な評議が難
理はまだ存在しない﹂と原
一人でいる権利
多数意見に臆せずに
しくなるでしょう﹂
告側の主張を退けはしたも
主体的に意見を述べて
日本人は、
もともと、
村落
今村さんと、法律や裁判
のの、原告の受けた深刻か
年にスタートした裁判
共同体の中で、波風を立て
について話していたときに、
つ甚大な犠牲は日本の戦争
員裁判。施行前、今村さん
るのを嫌い、大きな流れに
のことについ鈍感になって
べきだと主張しました﹂
今村さんの口から、面白い
逆らって自分の判断を表現
さんは、高校時代より、リ
に伴うもので、何ら補償さ
言葉が飛び出してきた。
自由も正義もなかった。
のプロセスに関与しなかっ
れないことに不満を抱く原
﹁プロの裁判官の意向、マ
作 今村嗣夫
しまうのが、多数決社会の
理手続﹂の問題を指摘して
それは﹁長いものに巻か
告の心情は理解できるとし
れない権利﹂というものだ。 いた。これは、裁判員の負
スメディアの報じる大きな
多くがそれでよいと言っ
﹁これによって、台湾及び
ているのだから、という考
今村嗣夫弁護士
担を考慮して、裁判を早く
弁護士最前線
事務所の入口には、片山哲元首相直筆の憲
法前文が
DATA ‫ ؚ‬P132
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人権の砦として。
背筋の伸びたベテラン弁護士
法律事務所リポート