日中文学文化研究学会通信 2 月号 原三七先生と文徳書房 中山時子

日中文学文化研究学会通信 2 月号
〒178-0063 東京都練馬区東大泉 6-34-21 大泉公館
2015 年 2 月 1 日
日中文学文化研究学会
電話&fax 03-5387-9081 Mail [email protected]
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原三七先生と文徳書房
中山時子
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原三七先生は明治 37 年のお生まれで、
「三七」というお名前もそこから来ているのです。
生年を名前にしていますがご兄弟はみな同じようにされているのです。一番上の兄が十六、
次が十九、四番目の兄が二十三(はたぞう)
、三七先生は 13 番目で、後に原家の養子にな
り原三七という名前になりました。山本五十六元帥はお父親上が 56 歳の男児だから「いそ
ろく」と名づけられたのですから、数字を使った命名はよく見られたのでしょうね。魯迅
の小説《風波》には生まれた時の体重で“七斤”とか“八斤”という名前の人物が出てい
ます。
明治 37 年は 1905 年、
今年は 2015 年ですから先生は 110 年前のお生まれになります。
原先生は、わたくしが北京大学に入学してはじめてお名前を知り、それ以降は先生が帰
国され、湯島聖堂で、今日でいうカルチャーセンターのようなさまざまな文化活動をされ
ましたが、わたくしはずっとお側でご指導をいただいてきました。
原先生のご実家である安達家は「華麗なる一族」という名に相応しい家族です。ご尊父
の安達松太郎は陸軍大学教官、長兄の安達十六は舞鶴要塞司令官を務め、陸軍少将にまで
なり、次兄の安達十九は陸軍中将、四番目の兄の安達二十三も陸軍中将でした。長兄の義
理の叔父様には陸軍大臣石本新六陸軍中将男爵がいらっしゃいます。このような軍人家族
から三七先生は原家のご養子になり、東京帝国大学に進まれ中国文学、とくに中国演劇の
研究をされました。塩谷温先生のご指導を受け、後年原先生が主編をされていた『中国菜』
にも恩師塩谷先生から寄稿をいただいています。また原先生の主たる研究をまとめた大著
『中国戯劇脚色研究史上の一断面――姚梅伯と王静安』 (1961 年)も塩谷先生のご指導によ
るものだと思われます。原先生は二松学舎の在任中にお亡くなりになりました。
「二松学舎
新聞」
(昭和 48 年 5 月 1 日付)には「昭和 48 年 4 月 19 日、…脳出血のため死去。68 歳。
秋田県に生まれ、東京帝国大学支那文学科を卒業。北京大学教授を経て昭和 24 年、本学助
教授、同 25 年教授となる」との訃報記事があることを教えていただきました。昭和 38 年
からは学校法人二松学舎評議員もされていたそうです。享年 68、まだまだでした。
帰国後の原先生は、世田谷桜新町の自宅が戦災に遭い、聖堂に住み込んで斯文会の仕事
を精力的に行い学会誌『斯文』を編集されていました。また一方で戦後の北京で行った事
業の経験を活かし、土曜日と日曜日に書籍書画骨董の委託販売をする書籍文物流通会を聖
堂で再開なさいました。書籍文物流通会では先生ご自身の研究書だけでなく、多くの本を
出されました。わたくしが水世嫦と一緒に編んだ『生活与会話』が初めての出版でした。
1
原先生は終身書籍文物流通会の社長でした。先生がお亡くなりになると、水先生も含め、
長年中国語を担当していたわたくしたちはみな聖堂を離れました。原先生が居られたので、
協力して講習会を続けていたのです。
原先生のご家蔵本は川路俊三さんが引き継ぎました。俊三さんが開設された文徳書房は
中野にある古書店で、今は奥様が後を継いでいらっしゃいます。俊三さんは、原先生の甥
にあたる方で、早稲田大学を中途退学し、京都大学で学ばれた方です。旧制成蹊高校を卒
業後の浪人中、夜は早稲田の第二文学部で独文を専攻し、当時旧制高校の浪人救済策とし
て臨時の編入試験があり、その試験に合格し京都大学文学部に入学されたという話です。
原先生のお姉さまが川路さんと結婚された縁で、俊三さんは書籍文物流通会の仕事を手伝
うことになったようです。原先生から、つまり社長からですね、
「朝早く八時ころから小一
時間叔父の原三七から社員一同長澤規矩也先生の『支那学入門書略解』で講義を受けた」
と思い出話を書いています。中国の書籍を扱うとなると、やはり勉強が必要だったのでし
ょう。俊三さんは大学出ですから古書店の主人としてはかなりの高学歴だったこともあり、
古書店組合の理事長にもなされた方です。組合を代表して弘文荘反町茂雄氏の初七日追悼
文を読まれた記録も残っています。
文徳書房はお茶の水の古書会館で開かれる古書市に出店するだけでなく、自宅にも本を
並べていたそうです。古書マニアの方が、ブログというのでしょうか、中野の文徳書房を
訪ねた文章を載せています。玄関から廊下まで中国古書がうずたかく積まれていたそうで
す。分かりますねぇ、目に浮かぶようです。これもまた原先生のご縁でしょうか、大学教
授の蔵書整理も引き受けられ、ご遺族からたいへん感謝されたそうです。
今は奥様も気弱になり、わたくしよりずっと若いのに、閉店したいとか言っているので
「元値、元値で蔵が建つ」というわたくしが信じる商売の極意を教えて、店を続けるよう
励ましています。幸い若い中国人のバイヤーも手伝ってくださっているようで、一安心し
ています。奥様といっても、わたくしの青山の後輩で、ハルビン育ちの彼女とは、聖堂で
始めて出会い、それから今まで変わりなくお付き合いをしています。俊三さんに紹介した
のもわたくしで、わたくしが“紅娘”(ホンニャン)になったのです。元曲の『西厢記』に
出てくる崔鶯鶯の侍女、鶯鶯と張生の仲を取り持った腰元です。大きく見れば、原先生へ
の恩返しになったのかもしれません。
原三七主要論文編著書――――――――――――――――――――――――――――――
論考 2 篇
「元曲」
『中国文学史の問題点』竹田復・倉石武四郎編 中央公論社 1957 年 6 月
「
『脚色』語義考稿」
『二松学舎大学創立八十周年記念論集』同刊行委員会 同年 10 月
編著書各 1 点
『今西博士蒐集朝鮮関係文献目録』書籍文物流通会
1961 年 2 月
『中国戯劇脚色研究史上の一断面』書籍文物流通会
同年 12 月
2
【編集部】
資料――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Ⅰ 書籍文物流通会設立説明
(1)昭和二十年八月,日本國は降伏した。その時,北平に居た私は,北京大學教授の職をそ
の日を以て返還し,一方,振出しに戻つて再起をはからざるを得ないのは當然のことであ
つた。
(
「書籍文物流通会会友募集」
)
(2)畏友今西春秋君は,戰時中,國立北京大學文學院に於ける余が同僚たり。君は史學科に
中國史學を,余は中國文學科に「日人之漢學研究的成績」を講じ,禹城にあつて共々支那
學を研鑽する因緣を有せり。
(
『今西博士蒐集朝鮮関係文献目録』跋文)
(3)北平の地に留用せられ,故都文物研究會の専門委員・世界科學社研究員であつた三箇年
は,科學社唐社長の勸進によつて,每週日曜日,元滿鐵公館であつた東城椿樹胡同の同社
に於て,書籍・書畫・骨董の即賣展觀を開き,書籍文物流通會と名付け殷盛を極めた。
(「書
籍文物流通会会友募集」
)
註:原三七氏の北京大学での所属は日文系と言われているがご本人は中文系と上記(2)に書
いている。戦後の北京での体験をそのまま湯島聖堂に移したのであろう。聖堂では中国古
書の販売も行われていて、これが川路俊三氏の文徳書房につながる。
Ⅱ 斯文会における原三七記述:
『財団法人斯文会八十年史』(斯文会 平成 10 年 4 月)より
(1)1948 年(昭和 23)の項
財団法人斯文会は、会長等の総辞任により、新しく理事を改選し、新しい理事会を組織
した。会長は、当分置かないこととし、理事長文学博士藤塚鄰が会を代表し、主宰するこ
ととなり、理事は、文学博士竹田復・文学博士加藤常賢・内田泉之助・佐藤文四良・布施
欣吾・和田正俊・小林信明・松井武男の八名。主事には、尾崎三郎、編輯には、原三七を
迎えた。
(545 頁)
(2)1974 年(昭和 49)の項
[中国語講座]北浦藤郎、賈鳳池、中山時子、太田愛子、加賀美嘉富、平松圭子、呉振民
の諸講師。
(776 頁)
(3)1975 年(昭和 50)の項
[中国語講座]土屋申一、鈴木達也、呉振民、蘇英哲の諸講師。
(780 頁)
(4)巻末の「財団法人斯文会歴代役員一覧」
昭和 23 年 1948 の編集委員に原三七とあり、昭和 35 年 1960 から編集人と職名は代わる
が、昭和 41 年 1966 まで原三七で変更がない。翌昭和 42 年 1967 より編集人が空欄にな
り、原三七の名は「編集人」には見られないが、評議員には入っており、昭和 47 年 1972
まで続く。翌年の評議員には原三七の名が消える。
註:戦後の斯文会の再開時から原三七氏が加わっており、編集委員の要職にあったことが
知られる。中国語講座は新生斯文会の再開直後から開設され、北浦藤郎,中山時子両先生が
中心となり、設立は日中学院よりも早い。昭和 50 年台北ライオンズクラブから孔子像を贈
られた年に中国語講座の講師の入れ替えがあったことが見て取れる。
3
【編集部】
資料 Ⅲ書籍文物流通会出版目録:単行本 33 点と雑誌1点――――――――――――――
01 生活与会話
水世嫦・中山時子
1956 年 6 月
02 道教の基礎的研究(再版)
福井康順
1958 年
03 論語集注
朱熹
1959 年 4 月
04 東洋思想史研究
福井康順
1960 年 3 月
05 標準中国語
北浦藤郎
1960 年 3 月
06 中国語中級
加賀美嘉富
1960 年 4 月
07 今西博士蒐集朝鮮関係文献目録 原三七
1961 年 2 月
08 標準中国語作文
長谷川寛
1961 年 4 月
09 荀子思想論考
藤井専英
1961 年
10 中国戯劇脚色研究史上の一断面 原三七
1961 年 12 月
11 基礎中国語
加賀美嘉富
1962 年 4 月
12 現代中国文選
北浦藤郎・大山正春
1962 年 7 月
13 産語の研究 第1冊
神谷正男
1962 年 8 月
14 支那語を読む為の漢字典
山本書店との共同出版
1962 年 9 月
15 尚書標識
東条一堂[他]
1962 年 10 月
16 詩経標識
東条一堂
1962 年 10 月
17 左伝標識
東条一堂[他]
1963 年 6 月
18 中国料理の手引
書籍文物流通会
1964 年
19 周易標識
東条一堂[他]
1964 年 3 月
20 大学知言・中庸知言・孟子知言 東条一堂[他]
1964 年 11 月
21 論語知言
東条一堂[他]
1965 年 6 月
22 中国料理専門知識
顧中正
1966 年 11 月
23 標準中国語作文(改訂版)
長谷川寛
1967 年 3 月
24 新新中文
大山正春・猪熊文柄・平松圭子 1967 年 4 月
25 北宋に於ける儒学の展開
麓保孝
1967 年 5 月
26 標準中国語作文 続編
長谷川寛・張世国
1967 年 11 月
27 唐詩三百首新釈
塩谷温
1968 年
28 怎么说才好呢?―どういえばよいか― 長谷川寛
1969 年 6 月
29 注音現代中文
1969 年 9 月
加賀美嘉富
30 中国食品事典
1970 年 8 月
31 中国食経叢書
篠田統・田中静一
1972 年
32 基本中文
大山正春・猪熊文柄
1974 年 4 月
33 基本中文 改訂
大山正春・猪熊文柄
1982 年
単行本 33 点を分類すると、思想7点、文学7点、語学 13 点、料理4点、他2点。
中国菜(創刊) 1960 年 8 月から第 9 号 1967 年 3 月にて終刊
4
【編集部】
大会案内――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第 5 回平成 26 年度年次大会の開催案内
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日時 2015 年 3 月 7 日(土曜日)
場所 二松学舎大学(東京都千代田区三番町 6-16)九段キャンパス
地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線「九段下」駅下車
2 番出口より徒歩 8 分
大会総会会場:201 教室 懇親会会場:13 階ラウンジ
次第
12:00~12:30 理事会
12:30 受付開始(年会費をお願いいたします)
13:00~13:10 開会の辞:中山時子会長挨拶
13:10~16:50 研究発表 6 名
日中食文化(司会:木村春子)
13:10‐13:45 大塚秀明:中国における日本食文化の受容について
13:45‐14:20 草野美保:日本における中国食文化の研究の流れ
現代中国語中国文学(司会:武永尚子)
14:25‐15:00 伊藤華子:太平洋戦争期における日中文化交流
15:00‐15:35 大山 潔:北京語の特徴について
古典小説伝統芸能(司会:平松圭子)
15:40‐16:15 高橋 稔:中国の語り物とは何か?
16:15‐16:50 稲田直樹:「西遊記」を深読みする
16:55~17:30 総会
議長選出
審議事項:内規承認
報告事項:庶務・会計[会計監査]・研究・紀要
役員選挙:内規に従い実施
審議事項:予算案
議長解任
17:30 閉会の辞
移動(13 階ラウンジ)
17:40 懇親会:会費 4,000 円(学生 1,000 円)立食
20:00 懇親会散会
5
発表概要―――――――――――――――――――――――――――――――――――
日中食文化部門
(1)大塚秀明:中国における日本食文化の受容について
――改革開放以降の新語を通して
外国語になった日本語、あるいは英語に入った日本語にはスシやラーメンな
どの料理名が多くみられる。中国語にも 2012 年刊行の《現代漢語詞典》第6版
には“寿司”
“刺身”などの和食料理名が収録された。また北京などの日本の牛
丼チェーン店などではソフトドリンクと一緒に牛丼が提供されるなど、その国
や地域に合わせた日本食の受容様式が見られる。食には保守的といわれる中国
にマクドナルドやケンタッキーなどの“快餐”
(fastfood)が浸透したことも和
食受容と関係があるのではないか。
本発表では料理名だけでなく、食べ方にも日本食文化の受容が見られるので
はないかということも“公筷”(取りばし)と“衛生筷子”(割りばし)などの
新語から論じる。また「割り勘」を意味する“AA制”という新語が誕生した
中国社会の変容についても考察をしてみたい。
(2)草野美保:日本における中国食文化の研究の流れ
初期の段階として、戦前の後藤朝太郎・井上紅梅などによる中国の食文化(食
風俗)の紹介、戦後は青木正兒・篠田統・田中静一らによる研究、あるいは中
山時子を中心とする研究会とともに発展してきた。20 世紀 80 年代、中国への往
来が自由になってからは、文化人類学、その他分野の研究者によるフィールド
ワークも行なわれ、アプローチの仕方、テーマもますます多彩になっているよ
うに見受けられる。
本発表では、特に戦後から現在まで、中国食文化研究はどのような分野・テ
ーマで取り組まれてきたのか。その流れを関連図書・論文を通して整理し、今
後の研究および研究会を考える上での材料としたい。
現代中国語中国文学部門
(3)伊藤華子:太平洋戦争期における日中文化交流
――老舎の作品に見る日本の作家像
老舎の『四世同堂』に登場する日本人作家“井田”は、白樺派の代表である
武者小路実篤ではないかとの説がある。当時、魯迅が『ある青年の夢』を翻訳
して以来、実篤は広く中国で知られる存在となっていた。その後、『大東亜戦
争私感』を発表すると中国文化界においてその地位が大きく失墜していくこと
となる。本発表では、太平洋戦争期における日中双方の文化交流と変化や、未
だ研究されていない『四世同堂』の井田モデルについて考察する。
6
(4)大山潔:北京語の特徴について――戯曲『駱駝祥子』を中心に
北京語は北方方言の一つであると同時に、北京語音は普通話の標準音になっ
ている。そのため、両者の間に共通点と相違点が存在することは言うまでもな
い。本発表は、1957 年以来連続上演されている『五幕六場話劇《駱駝祥子》』を
中心に、北京のローカル色の濃い劇団――北京人民芸術劇院の俳優たちの朗読
音源に基づき、発音、語彙、文法などの角度から北京語の特徴、特に普通話と
の相違点を考察するものである。
古典小説伝統芸能部門
(5)高橋稔:中国の語り物とは何か?
1.「語り物」の定義について
論を起こすに当っては、先ず「語り物」の定義を明確にしておかなければな
らないが、この日本語は、現在広狭さまざまな意味で使われているので、取り
あえず、私の所論におけるこの言葉の定義を明確にする所から論を起こす。
2.今「語り物」を論ずることの必要について
先に述べる定義にも関連するが、現在よく論じられる「伝承説話」や「民間
伝承」などと違って、共通性よりも、独自性・特殊性を重んじるこの研究の特
徴を論ずる。
3.中国の「語り物」の研究について
先の 1・2 を踏まえた上で、中国の「語り物」の特徴と研究の必要を論ずる。
時間の許す限り具体的な事例をあげながら説明を加えたい。
(6)稲田直樹:「西遊記」を深読みする――虎を食べるか虎に喰われるか
「西遊記」第 13 回の中の三蔵の発言“就是餓死、也強如喂虎”をどう読むか。
語法の観点から現代中国語小説の類似の用例と比較検討すると同時に、食用に
供される動物の肉が日、英、中各国語でどう表現されるかも考察する。更に文
脈からも検討を加え、現行の翻訳と正反対の解釈を導き出す。
新入会員(敬称略)――――――――――――――――――――――――――――――
山川 豊
園池真知子
高 敬一
高 崇
塚田民枝
玄 次俊
木村泉水
呉 忠銘
(入会手続き順)
7
総会資料――――――――――――――――――――――――――――――
入退会に関する内規(会則第 5 条関連)
入退会を希望する者は、文書(電子メール可)で事務局にその旨を伝え、常任理
事会が審査し会費の納入完納を確認したのち入退会を認め、総会で報告するも
のとする。
会員資格停止に関する内規(会則第 5 条関連)
会費を 3 年滞納している会員に対して、以下の手続きを経て資格の停止を行う
ものとする。
第一期:前年度 3 月大会会場にて新年度の会費を徴収し、それができない会員
には紀要送付時に会費納入を依頼する。7 月通信発送時に滞納者への一回目の督
促通知を行い、12 月には二回目の督促通知を、年度末 2 月に大会開催通知発送
時に三回目の督促通知を行う。
第二期:大会終了後の紀要送付時:滞納者には紀要は発送せず四回目の督促通
知を行う。12 月に五回目の督促通知を、年度末 2 月に大会開催通知発送時に六
回目の督促通知を行う。
第三期:3 月大会時開催の理事会で審議決定し総会で退会者とは別に報告する。
賛助会員に関する内規(会則第 5 条関連)
本会の賛助会員は、個人賛助会員と団体賛助会員に分け、後者は総会での議決
権や第 6 条の諸権利を有しないが、前者は普通会員と同等の議決権や諸権利を
有するものとする。
会員の紀要配布に関する内規(会則第 6 条関連)
海外会員は、郵便物の受取り先を日本国内に定めるものとする。
会長・理事・会計監査の選出に関する内規(会則第 8 条関連)
会長は、総会の合議で選出されるものとする。また理事と会計監査は、会長の
指名で選出され、総会の承認を得るものとする。
総会会計報告に関する内規(会則第 10 条関連)
総会では、前年の大会開催日から本年の大会開催前日までの会計報告を行うも
のとする。
8
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楽しく学ぼう会の開催記録
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2013 年 10 月からは「日中文学文化を楽しむ会」という名称になっていますが、その前身
は「楽しく学ぼう会」でした。実施記録を残したいと思いましたが資料が見つかりません。
遺漏や誤記がありましたら事務局までお知らせくださるようお願い申し上げます。
(事務局)
第 1 回 2010 年 9 月 19 日 田芳:李鴻章の玄孫張愛玲と先夫胡蘭成をめぐる物語り
第 2 回 10 月 24 日 大山潔:北京の庶民から愛され続けている老舎の戯曲『駱駝祥子』を
巡って
第 3 回 11 月 7 日 葉紅:陳丹燕著『X on the Bund』を訳し終えて
第 4 回 12 月 12 日 清水畏三:(1)満州旗人・老舎
(2)中国におけるキリスト教盛衰史
第 5 回 2011 年1月 16 日 岡晴夫:李漁という文人――その評価をめぐる問題
第 6 回 2 月 20 日 陳力衛:近代日中の翻訳語交流
第 7 回 3 月 20 日 門田昌子:私の心の故郷・北京
第 8 回 4 月 17 日 劉琦:今によみがえる千年の恋――不朽の名作 梁祝バイオリン協奏曲
第 9 回 5 月 22 日 駒蘭:古代の中国の版図から歴史を学ぶ
第 10 回 6 月 19 日 岸陽子:
『満洲国』の女性作家 梅嬢(メイニァン)の文学をめぐって
第 11 回 7 月 17 日 斉藤俊彦:時を越え今なお活きる人力車――人力車の歴史
第 12 回 9 月 18 日 小島麗逸:世界一になるのか、歪みが成長を拒むか
――中国経済のゆくえを展望する
第 13 回 10 月 16 日 遠藤織枝:中国の女文字――“女書”について
第 14 回 11 月 13 日 雨宮久美:文化研究の方法――牡丹研究を例として
第 15 回 12 月 11 日 高橋稔:中国の語り物――講演・録音鑑賞ならびに実演
第 16 回 2012 年 1 月 22 日 池上貞子:張愛玲と日本――1943~45 上海
第 17 回 2 月 19 日 田所竹彦:辛亥革命から 100 年を経た中国――発展と混乱はなお続く
第 18 回 4 月 15 日 永田慶介:厳復と「《富強》への指南書(マニュアル)
」
第 19 回 5 月 20 日 多田正子:日本語教師見聞録
第 20 回 7 月 15 日 平石淑子:蕭紅の生涯と作品世界
第 21 回 9 月 16 日 広岡今日子:楽しく歩こう大上海
第 22 回 10 月 28 日 菅原伸子:中国見たまま、聞いたまま
第 23 回 2013 年 2 月 17 日 田畑光永:歴史的に見た 2012 年の領土問題
第 24 回 4 月 21 日 市村保夫氏:私の歩み――対中物販輸出から日中人材育成へ
第 25 回 6 月 16 日 久保田博子:宋慶齢と日本
2013 年 10 月からは紀要№3 に記録があります。事務局住所は、〒178-0063 練馬区東大泉
6-34-21 大泉公館 日中文学文化研究学会です。ご示教お願い申し上げます。
9
研究会発表要旨―――――――――――――――――――――――――――――――――
一体何が中国の文化なのか
古田朱美
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葛兆光氏著の『何為中國? 疆域、民族、文化與歷史』
(牛津大學出版社 2014/3/1)の中で
以下の五項目は中国の独自の文化であると明確に論述している。私はこの五項目は中国の
文化であるかどうかを考察してみたい。
1.漢字の読み書きと漢字を用いた思考である。
2.古くから家族倫理と国家・社会と個人に関わる政治制度の位置づけ。
3.「三教(儒・仏・道)合一」の信仰世界。
4.宇宙を理解し解釈する「天人合一」思想、陰陽五行説、及びこの学説を基礎として
発展した知識・観念・技術である。
5.「天円地方」(天は丸く、地は方形)の宇宙論の影響を受けて形成された古代中国の
非常に特殊な天下観、およびこのような天下観から生まれた世界のイメージである。
本稿は、1項目:漢字の読み書きと漢字を用いた思考についての考察である。
何故漢字が中国の文化なのか?漢字とはいかなる文字か?漢字に隠された文化とは?
漢字は殷代の甲骨文字以来、その姿を大きく変容を遂げて唐代までにはほぼ現在と同様
な楷書による表記体系の基礎が成立した。3千年に及ぶ長い歴史の中で漢字を根底に据え
る中国文明の本質を崩すような大きな文化的変革はこれまで一度もなかった。漢字の書体
の変遷は「甲骨文→金文→古文→篆書→隷書→楷書→行書→草書→簡体字[一部]」と変化
したものの、基本的な構造は全く変化していない、世界で現存の文字では漢字以外に象形
を基礎とする文字はほぼ使用されていない。このような長い歴史を持つ文字は漢民族の思
考と伝達の方法に計り知れない影響を与えたばかりでなく,中国周辺地域のいわゆる「漢
字文化圏」にも大きな影響を及ぼした。漢字の字源から中国人の思考を考える場合には中
国人の先祖である殷人と商人を比較するとよく理解できることがある。漢民族の祖先は殷
人と周人の衝突と同化で生まれたと言われている。殷人は商才に長けているため金銭や財
宝を重んじ、当時の貨幣である「貝貨」の貝を使用する文字が多く作られていた。例えば
財・寶・費・貢・貨などの漢字である。一方の遊牧民族の血を引く周人は天を拝み、大き
な羊を祀ることから美・善・義・犠・羨などの文字が生まれた。ここからも漢民族の血脈
に流れる物質主義と精神主義の二面性が見ることができる。
漢字の成り立ちについては『説文解字』では以下の六種類「六書」(指事・象形・形声・
会意・転注・仮借)に分類されているが基礎は「象形」である。多くの字の意味も象形文
字から生み出されたもので意味が字形や構造からも推測できる。
「会意文字」とは二つ以上
の字を組み合わせたものである。より複雑なかつ抽象的な意味を表すことができる。例え
ば「イ」人に「戈」という武器を持たせた形で「伐」となり、手を木の上にかざして「采」
となり、牛が囲いに入っていて「牢」となる。多は肉を二つ重ねた形が「多」である。
「多」
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とは祭祀の場で肉が二つ供えられていることを示す字で、犠牲の肉が通常よりもたくさん
あることから、一般に「ものが多くある」ことを示す字となった。「仮借」とは当て字のこ
とで、既成の文字がなく発音が別の字を借りその字を表す。
「我」は本来のこぎりのような
刃物を持った武器を象った象形と考えられるがこれを使って単に表音的に使用している。
漢字に見られる文化や思考を「拆字造語法」
(分解字)という特殊な造語法から見ること
ができる。李白の「春風吹古月」という詩があるが、ここの「古月」は古い月ではなく「胡
人」を指し、反乱起こした安禄山を意味することである。茅盾の『故郷雑記』には「一些
丘八我覚得好像些猪」(これらの丘八[兵隊]たちは私には豚に見える)とある。丘八は兵と
いう字を分解したのである。杭州西湖の竺仙庵の対聯に「三口白水茶」「二ケ山人庵」とあ
るが、これはそれぞれ「品泉茶」と「竺仙庵」の分解字である。食材の中でも「同音連想」
による漢字文化価値が見られる。例えば魚は裕(裕福)・糕は高(出世)・髪菜は発財(金
持ちになる)と同音の理由で慶事に必ず使用する食材である。反対に食材名を隠した料理
名、例えば炒黄菜・桂花肉糸・木樨湯などの卵料理には卵(蛋)は使用しない、なぜかと
いうと、蛋という字は侮辱語と見なされているからだ。人名を使った料理名も独特である。
例えば東坡肉・西施舌(とり貝の一種)
・胡適之魚・斯大林牛排などは他国では見られない
ネーミングであろう。さらに五(五官・五穀)・九(長久:一種の極限の数字)などの数字
には崇拝がみられ、数字のタブーには、二百五・十三点・三八(まぬけの意味)がある。
数字以外にタブーとされる言葉には、梨(離別)
・醋(嫉妬する)
・鐘(葬式を見送る)
・傘
(ちる)などがある。胡適も、中国人は文字を崇拝し、文字は思考に大きな影響をしてい
ると言っている。確かに三千年前の文字を依然と使い続けているという世界でも類例のな
い希有な現象なのである。
しかし、現代中国語の文字・語彙は大きく変化している。今日の中国語が蒙(モンゴル)
元・満清時代の口語に大きな影響を受けたことは言うまでもなく、五四新文化運動で白話
文を提唱したことによって伝統的な口頭言語が書面言語として使われるようになった。ま
た「資産」
「自由」などの西洋由来の新しい語彙が非常に多く混入したことが見られように
なった。元来の漢語とは語義が異なってしまった語彙も多く定着している。さらに「意識
形態(イデオロギー)
」
「E 時代(ネット時代)」
「下海(脱サラ)
」などの新しい語彙も用い
られるようになった。文盲をなくすための文字改革によって、旧来の字形とは違う簡体字
よる新しい文字文化が展開された。漢字は清末以後その「後進性」が強調され、その廃止
を主張するのもかなりあった。ITを中心とする新しい時代に,漢字は手書きから解放さ
れ、漢字の命脈を保ったのである。中国や日本ではまだ漢字を使い続けている。これはや
はり漢字の表意的優位性を生かす情報の伝達量があるからであろか?それともやはり漢字
に潜む文化思考のために結局中国人が「字」を捨てられなかったことに帰結するように思
われる。中国では最近看板などで繁体字少しが使われるようになり、若者も好んで繁体字
を取り入れている話題もよく聞かれる。若者にその理由を尋ねると簡体字の「爱」には心
がないからと答えた。
(後の四項目については次回に考察したい。)
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3 月の開催案内―――――――――――――――――――――――――――――――――
道教文化研究会
3 月 14 日(土) 10 時~12 時 練馬区民・産業プラザ 研修室 5
読み合わせ 『抱朴子』の輪読
連絡:石黒 080-6539-4564
紅楼夢研究会
3 月 14 日(土)13 時~15 時 日本大学通信教育部 8 階 学生ラウンジ
読み合わせ:
『紅楼夢』第 60 回
人と題:栗原順子:
『痴説四種』解説―――学会蔵書目録紹介
概要:学会が管理する『紅楼夢』関連資料を紹介する。その中でも特に「紅楼夢精義」等、
清代の『紅楼夢』に関する評論や題詠、酒令を収録した著作集「痴説四種」を取り上げ、
序文及び概要を解説し、旧紅学や清代評論研究の意義を指摘する。
連絡:前日までは水野 03-3793-8703、 当日は栗原 090-8119-6944
日中食文化研究会
3 月 14 日(土)14 時半~16 時半
練馬区民・産業プラザ 多目的室 2(12 時から使用できます。)
人と題:重森貝崙:
「桑基魚塘と広東地方における魚に関する文化」
概要:中国・広東省の珠江デルタでは、明代・600 年前の昔から、池を掘り、堤を築き、そ
の堤に桑の木を植え、桑の葉で蚕を育て、桑の葉や死んだ蚕などを餌に魚を養殖してきた。
これが桑基魚塘(そうきぎょとう)という自然生態に基づいた循環農法のシステムで、養蚕と
魚の養殖が、自然環境を保全しながら、同時並行的に行われてきたのである。ただ近年、
化学繊維の発達・消費拡大により、桑基魚塘はほとんど壊滅状態に瀕した。しかし、桑基
魚塘という優れた循環農法のシステムの保存と継承を目的として、個人で「桑基魚塘・シ
ルク博物館」を設立した人がいる。この博物館を拠点に映像「桑基魚塘 クワとサカナのも
のがたり」を制作したので、研究会で上映する。
連絡:重森 090-6001-3874
老舎を読む会
参加費 1,000 円
3 月 22 日(日)10 時~12 時 練馬区民・産業プラザ 研修室 5
3 月 29 日(日)10 時~12 時 練馬区民・産業プラザ多目的室 1
講師と教材:賀蘭 《老舎幽黙詩文集》
中国語表現研究会
参加費 2,000 円(学割あり)
3 月 22 日(日)13 時~15 時 練馬区民・産業プラザ 研修室 5
3 月 29 日(日)13 時~15 時 練馬区民・産業プラザ多目的室 1
講師:劉嘉蕙
浪乗り会
参加費
2,000 円(学割あり)
3 月 22 日・29 日(日)18 時~21 時 大泉公館
講師と教材:中山時子 『友情与橋梁』(『生活与会話』)
参加費 無料
連絡(上記 3 会とも)
:中山 03-5387-9081
詳しくは、学会ホームページを参照されるか、事務局あるいは各会の世話人まで電話で
お問合わせください。
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