第123号

共創・共育・共感
尾鷲市教育長だより
2015.5.1.(金)
第123号
落語にみる「知のパワー」「情の厚み」
“若い頃、口と教科書、チョーク一本だけで、何とかおもしろく・楽しく、わかる授業が
できるような、そういう“技”を身につけたい! まるで、落語家が、扇子と手ぬぐいを使
い、巧みな話術で人を引きつけるように…。”と思ったことがあります。
落語家が使う小道具は、扇子と手ぬぐいだけです。扇子は、 扇子そのものとして使われ
るときもあれば、箸、筆、キセル、大盃、銚子、お面、釣り竿、げんのう、小刀、槍など実
にさまざまなものになって使われます。手紙を書くような場面で文面としても使い、扇子を
広げて手紙を読んでいるように見立てたりするときもあります。先人が工夫をしてきた結果
が今のような形に表れているのです。一方、手ぬぐいの方は、本、煙草入れ、財布、鉢巻な
どとして使われたりもします。
落語家の間では、「扇子」は“かぜ”、「手ぬぐい」は“まんだら”、着ている羽織は「達磨
(だるま)」というのだそうです。
落語という芸能には、人の心に染み入るだけの“知のパワー”と“情の厚み”があります。
教師が、子どもたちを指導するときにも、知で語るときと情で語るときがあります。子ど
もたちの状況により、知と情をうまく駆使しながら、子どもたちを引きつけます。
落語の持つ「知のパワー」と「情の厚み」。ここには、学ぶべきことがたくさんあるよう
に思います。
知的な技によって、無邪気に笑わせるネタもあれば、腹の底で納得させるセリフによって
心を攻めるという情的な術を操って、クスッと笑わせるような噺もあります。とにかく、巧
みな話術により、疑似体験のおもしろさを理屈抜きで感じ取ることができます。
歴史も理屈も、何の予備知識も無しに、噺の世界に一瞬にして飛び込めるのはスゴイこと
です。巧みな話術によって人を引きつけ、集中できる世界を提供しながら、期待と反応をも
って、噺一点にさらに集中させ、想像(創造)の世界を広げていきます。世の中には、その
ようなこともあるよな!などと、妙に納得したりして、その世界の中で心を癒すこともでき
ます。こうした“技”に心を惹かれます。
「ルミネ the よしもと」で勉強になったこと
子どもたちと楽しくやりとりしながら指導を進める方法を考えるヒントは、落語やお笑い
の中にたくさんあるように思います。明石家さんまのトーク、タモリのトークなど、お笑い
芸人の蓄積され、洗練されたコミュニケーションの技を分析してみるのも一つの方法です。
東京のJR新宿駅南口すぐの「LUMINE 2」の7Fに「ルミネtheよしもと」という
演芸館があります。吉本興業の常設館の一つです。1年365日、漫才やコントなどのネタ
に加え、豪華なタレントたちによるスペシャルコメディなどが毎日上演されています。
東京に行ったときに、何度か演芸ライブを鑑賞したことがあります。舞台上の各演者は、
ストーリーに乗りながらも、ところどころで独自のボケの演技をし、そこにツッコミを入れ
たり、フォローをすることで、笑いが生まれます。
このルミネで勉強になったのは、座長の動きです。今田耕司、ホンコン、木村祐一など。
そこでは、座長が中心になって笑いが作られています。今田座長の新喜劇で、町のラーメン
屋が舞台の芝居がありました。ある兄妹が経営するラーメン屋にチンピラが嫌がらせに来ま
す。今田座長と山崎邦生が近所の喫茶店主の役で、チンピラからそのラーメン屋を守るため
に知恵をしぼるという筋書きです。
山崎がラーメン屋の店内で放心するシーンがありました。それに反応して客席の一部で、
まばらな笑いが起こりました。すると、全然違う方を見ていたはずの今田座長が、くるりと
山崎の方を振り向いて、「おい。もっと緊張せい!」と突っ込みます。すると、一部だけの
ものだった笑いが客席全体に広がりました。
実際に、座長の動きに焦点を当てて見ていますと、今田座長の神経の配り方は、いたると
ころに見られます。誰かが、ちょっとセリフを噛んだのを拾って笑いに持っていったり、掛
け合いの中で、主演者のそれぞれのボケを活かしていったりします。
座長の役目は、まさに劇の進行役です。吉本新喜劇の舞台上の芝居は、脚本によって組み
立てられ、稽古によって練り上げられるだけではないようです。観客との温かい雰囲気を生
み出すために、座長は「フォローの技」を駆使しているのです。
確かに脚本はあるけれど、舞台上の各演者は、その場の話の流れにノリながら、ところど
ころで演者独自のボケの演技をしています。そのボケの演技に対して、座長がツッコミを入
れたり、フォローしたりしているのです。そこに笑いが生まれるのです。こうした座長によ
る「フォローの技」を、子どもたちへの指導や支援の場面で、マネて駆使してもいいなと考
えながら演技を見ていたことが思い出されます。