二小体操会だより 119号 平成27年9月1日 発行 編集 河野 文治 8 日連続の「猛暑日」という、統計開始以来の記録を更新した東京。最初は体力の衰 えが暑さに耐え難くなったのではと悲観をしていたのですが老若関係なく地球全体が 暑かったとの報道に接し少しホッとしています。しかし下旬は長雨と肌寒に掛布団、長 袖シャツ、焼酎はロックからお湯割りと「早すぎる秋」に戸惑っています。 その中で朗報とも言えるのが 4 名の方が入会したことであります。この奇跡ともいえ る出会いに感謝し健康と親睦を目標に今まで以上の体操会になればと思っています。 ★8 月の消化行事 人数 2 2 (日) 第 54 回 1000 万人ラジオ体操・みんなの体操中央大会 金沢市 1 20 (金) 連盟事業部会 7 24(土) 夏休み後期小学生対象の普及活動(24~27 の4日間) () 3 29 (土)(土) 連盟役員会 7 29 (土) 連盟役員・各会役員合同懇親会 ★8 月の参加人数 月 8 累計 皆勤者 催行日数 休 延人数 最多人数 最少人数 平均人数 最高気温 27 4 1,044 49 9 38.7 28.1℃ 139 14 5,301 51 9 38.1 -6.7℃ 草水⑤、後藤③、小林(昌)①、齊藤③、佐藤③、鈴木(利)⑤,深沢③ C ★9 月の予定行事 1 (火) 市民みんなの祭りと市民伝言板掲載(後半)の申請 1 (火) おはようクラブ31号 編集会議 ()5 (土) 体操会場の草取り 26(土) 多摩支部主催 研修の集い 武蔵野総合体育館 ★新・再入会員のお知らせ (土) 新 NO.53 宮川 しめ子 新 座 市 栗 原 6-11-12-211 ☎090-2222-0690 再 NO.54 島田 章子 東久留米市 神宝町 1-15- 4 ☎042-470 -2352 新 NO.55 大塚 玲子 西東京市ひばりが丘北 2-8-7 ☎042-423 -8455 新 NO.56 佐田 俊一 東久留米市 浅間町 2- 7-17 ☎042-474 -8619 ★9 月のラジオ当番 週 番 1 担 当 体操の メニュー (31~6) 2 (7~13) 3(14~20) 4(21~27) 5 (28~4) 石川・辻本 大坪・船津 草水・齊藤 河野・河野 後藤・関根 のびのび体操 モーニング S モーニング S のびのび体操 モーニング S 益気功 前 段 後 段 益気功 前 段 ラジオ体操第1・第2 八 套 七 套 中国 R 体操 みんなの体操 八 套 七 套 野火止用水(Wikipedia:ウィキペディア) 野火止用水(のびどめようすい、のびとめようすい)は 、東京都立川市の玉川上水(小 平監視所)から埼玉県新座市を通り新河岸川(志木市)に続く用水路である 。 別名を 伊豆殿堀(いずどのぼり)という。 かつてはいろは樋(水路橋)を通って、旧宗岡村に も水を送った。 開削 多摩地域には関東ローム層の乾燥した武蔵野台地が広がり、生活用水に難渋する乏水 地帯の原野であったが、近世には江戸幕府開府に伴い用水確保のため江戸近郊の開発が 加速した。承応 2 年(1653 年)、幕府老中で上水道工事を取り仕切っていた川越藩主松 平信綱は、多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通す玉川上水を開削した。その後、玉川 上水から領内の野火止(新座市)への分水が許され、承応 4 年(1655 年)に家臣の安松 金右衛門と小畠助左衛門に補佐を命じ、野火止用水を作らせた。工期は 40 日、費用は 3000 両だった。玉川上水 7、野火止用水 3 の割合で分水した。主に飲料水や生活用水と して利用され、後に田用水としても利用されるようになった。 開削に前後して川越藩では農民や家臣を多数入植させ、大規模な新田開発を行った。野 火止用水の開削によって人々の生活が豊かになったことを信綱に感謝し、野火止用水を 信綱の官途名乗りである「伊豆守」にあやかって伊豆殿堀と呼ぶようになった。新座市 立野寺小学校の校歌には「めぐみの水よ 伊豆堀よ」という歌詞があるほか、他市立小 学校でも「智慧伊豆の流れを汲んで」と、信綱と安松らの功労者たちの人柄や向学心を 歌詞とした校歌が歌われている。 水質の劣化と改善 戦後に入り生活様式が変化すると野火止用水は次第に本来の役割を失い、生活排水が用 水に入るようになる。特に 1963 年から周辺の宅地化が進行したため水質汚染が激しく なった。1964 年、関東地方が旱魃に見舞われたために東京が水不足となり、分水が一時 中止される。1966 年、再度通水されるようになるが、水量が制限されたため水質汚染は 改善されず、1973 年には、東京都の水事情の悪化によりついに玉川上水からの取水が 停止されてしまう。それに伴い用水路の暗渠化が進んだ。埼玉県と新座市は文化的業績 の大きい野火止用水を滅ぼしてはならないと「野火止用水復原対策基本計画」を策定し て、用水路のしゅんせつや氾濫防止のための流末処理対策を実施し、東京都の「清流復 活事業」により 1984 年、高度処理水(下水処理水)を使用して水流が復活した。 流域 に住むボランティアによる清掃活動もしばしば行われる。そのため現在では鯉が泳ぐほ どの清らかな流れを保ち、流域住民の憩いの場となっている。 【河野追記 作家の故藤沢周平氏はS45~S51、現東久留米市金山町2―10―2 に居住し、執筆の合間に東久留米駅前の喫茶店、パチンコ、本屋を巡り、逆に野火止川 方面にも時々、足を延ばしたこともある旨の随筆集「周平独言」の中に題名「散歩する あたり」に記述があります。】
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