南陵高・校長室通信 第 43 号 12月11日(木) 日本史の公開授業を参観(1) 授業の導入はテンポ良く~公開授業「豊臣政権の対外政策」を参観 12 月 11 日(木)2 時間目、鳥谷部先生が公開授業を行いました。 3 年 1 組の日本史Bの授業です。16 世紀、ヨーロッパ人が活発にアジアへ進出、日本では織田 信長・豊臣秀吉らが全国統一を進めます。本時は「豊臣政権の対外政策」の 2 時間目、 「秀吉の 対外政策と朝鮮侵略」を扱います。 3回に分けて授業の概要をお伝えします。 ※ ※ ※ 鳥谷部先生 「前の授業の復習です。ノートを見て下さい」 発問 秀吉の天下統一を支えたお金はどこから入っ てきたか? 答えは・・・直轄領からの税金だ。 この直轄領は室町時代には「御料所」、江戸時代には 「天領」と言った。では秀吉の時代には何と言っただ ろうか?」 (生徒から「蔵入り地(くらいりち)」の声あり) 発問 はい素晴らしい。それでは政治的に秀吉の晩 年をフォローしたのはどういう人たちか? (生徒から「五奉行と五大老」の声。すかさず、次の発問をする) 発問 『五奉行』と『五大老』ではどんな違いがあったか? それぞれ代表的人物をあげてほしい。 発問 『五奉行』とは昔から秀吉の家臣として実務を担う人たちだな。 代表的な人物は? (生徒は「石田三成」と答える) 発問 『五大老』とは? 秀吉に忠誠を誓った有力大名 だ。代表には徳川家康がいた。 発問 次は検地だ。秀吉以前の検地は『指出検地』と いって自己申告でごまかすことができた。しかし、 秀吉の検地は現地に行く。ごまかしようがない。さ て何と言っただろうか? 鳥谷部先生は机間巡視をして、ある生徒の前で立ち止まりました。生徒のノートを見て、 一緒に答えの言葉を探しています。 生徒の小声の答えにうなづきながら続けます。 「そうですね。 『天正の石直し』とも言ったし、『太閤検地』とも言ったな。」 以下次号 南陵高・校長室通信 第 44 号 12月11日(木) 日本史の公開授業を参観(2) 展開はあの手、この手で・・・・ 「それでは本題の秀吉の禁教政策と貿易、朝鮮出兵を扱います。資料集を見よう。」 ※ ※ 指示 資料集の 149 ページを開いて。 説明 朝鮮出兵、右側の「朝鮮侵略」の全体に印をつける。 「李舜臣」水軍を率いて秀吉軍と戦った英雄です。この 写真の銅像は 20 メートルもあって日本の九州地方をに らむように建っている。この人も印をつけよう。その右 下には亀甲船の写真がある。これには乗り移ることがで きない。何故なら表面には釘が出ているからだ。 説明 これは耳塚の写真。日本軍は朝鮮軍将兵の鼻や耳 を切って手柄として秀吉の元へ送った。秀吉は供養の ため京都の方広寺に耳塚、鼻塚を建てたと言われる。 説明 ところで、秀吉の対外政策のもう一つの柱は「キ リスト教禁止」にあった。このコピーを見てほしい。 当時の大名の中で信仰を捨てなかったとして尊敬され た。 高山右近だ。「バテレン追放令」の中で信仰を守 り、領地・財産を捨てた大名だ。 指示 では、教科書で確認しよう。104 ページ開 いて。重要語句を確認していく。(省略) 板 書 豊臣政権の対外政策 教 104 ページ 1.キリスト教禁止・・不徹底 指示 それでは、 「豊臣政権のキリスト教禁止 政策」から黒板にまとめよう。 ①大名のキリスト教信仰禁止 → 従わないので高山右近領地没収 ②バテレン(宣教師)追放令 1587 年 a 宣教師の国外追放、布教の禁止 b 貿易船は禁止せず c 海賊取締令・後期倭寇を禁止 1588 年 ③サン=フェリペ号事件→26 聖人殉教事件に発展 スペイン船 以下次号 1596 年 南陵高・校長室通信 第45号 12月11日(木) 日本史の公開授業を参観(3) 「板書はここまで」をきちんと伝える 説明 次に、秀吉の「朝鮮侵略」。(板書省略) 秀吉は遠く東アジア全体を支配下に置く野望を抱い ていた。「文禄の役」「慶長の役」それぞれ朝鮮では干支 にちなんだ呼び方をしていた。それも書いておこう。 「李舜臣」は「りしゅんしん」と読み仮名をふること。 指示 はい、今日は板書をするのはここまでです。 ここまで書いて下さい。2 分間です。 指示 書き終わった人は『演習ノート』52 ページをや ること。 後、2 分待ったら説明します。 指示 はい、2 分たった。一度鉛筆を置いて。顔を上げる。 発問 板書の「キリスト教禁止・不徹底」と書いた。なぜ不徹 底なのか? 生徒から「大名、宣教師だけ禁止だから」の声。 発問 そうだ。江戸時代はもっと徹底した。江戸 時代は一人一人に徹底した。一人一人に何を 踏ませた? 踏むから・・? (生徒から「踏み絵」の声) 説明 不徹底の理由は貿易を奨励していたから だ。ここが鎖国をやった江戸時代とは違って いる。そして宣教師追放令、2 回に及ぶ朝鮮 出兵と秀吉の病死で政権は衰退していく。 別メニューの課題にはスタンプを 授業終了の 3 分前、鳥谷部先生は「それでは『演 習ノート』52 ページを終えた人は手を上げて下 さい。スタンプ押せる人だよ。」と話す。 ザッと 9~10 人が手を挙げる。鳥谷部先生は一 人一人の『演習ノート』にスタンプを押していき ます。がんばる生徒への「鳥谷部流の激励術」。
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