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公益財団法人大林財団
奨励研究助成実施報告書
助成実施年度
2012 年度(平成 24 年度)
研究課題(タイトル)
Prescribed Suburban Life:Space, Lifestyle and Middle-Class
Home in Japan, 1900-1940.
(日本語タイトル:処方された郊外生活-戦前における生活文化と居
住スタイルの形成)
研究者名※
野澤 俊太郎
所属組織※
シェフィールド大学
研究種別
奨励研究
研究分野
その他
助成金額
30 万円
概要
本研究は、郊外に見られる居住形態をモダニティ(modernity)の
建築学部
博士課程
表れと見なし、1890 年代から第二次大戦までの 50 年間における空
間認識の転換(epistemological crisis)を考察するものである。社
会人類学や民族誌学の視点に立脚し、商品としての郊外の背後に潜
む生活文化にアプローチすることをその目的とする。著者はこの中
で、同時代を通じて中流家庭に強く認識されるようになった「ホー
ム」の概念に着目した。そして、そのような外来の思想が、日露戦
争後の知識人による主観的な試みによって、身体や行動様式と居住
空間との結びつきに関わる合理性の根拠となっていく過程を明らか
にした。
発表論文等
※研究者名、所属組織は申請当時の名称となります。
(
)は、報告書提出時所属先。
1 研究の目的
1-1 はじめに
著者は現在執筆中の博士論文を通じて、19 世紀最後の 10 年から第二次大戦に至るまで 50 年間に着目
し、身体と空間に関わる認識の変化と建築文化との関係を紐解いている。そして、居住の近代化、或いは
ライフスタイルの近代化の延長上に、郊外居住の誕生を見据えている。実際、建築史家の鈴木博之は、近
代とそれ以前の社会を分け隔てる都市建築現象の一つとして郊外住宅地の形成を挙げている 1)。本研究の
目的は、消費の対象として世俗的に見られがちな郊外の居住形態をモダニティ(modernity)の現れと見
なし、そこに潜む文化的価値を再評価することにある 2)。
著者が着目する半世紀は、急速な工業化、教育の普及、女性の社会進出、マスメディアの台頭、そして
「ホーム」の概念の浸透を目撃する時代であった。この家庭への愛着(domesticity)は、例えば 1880 年
代に『女学雑誌』の執筆者であった巌本善治などによってすでに紹介されていたが、後述するように、日
露戦争(1904-5)が経済的繁栄と中流階級の拡大をもたらすと同時に広く意識されるようになった 3)。し
かし、「ホーム」の概念は、近代的合理性の根源である 18 世紀の啓蒙運動(Enlightenment)を体感し
た西洋人のものであり、かつ合理性を家庭生活において円滑に機能させるための文化的フレームワークで
あった 4)。なぜ合理主義運動を経験していない日本人が「ホーム」を求めたのであろうか?「ホーム」が
やがて中流家庭のアイデンティティとなっていく過程とはどのようなものだったのか?5)
当時の中流家庭向けにデザインされた居住空間の特徴については、1)「ホーム」の概念を含む西洋から
の思想的影響、2) 科学的知識の普及、という2つの側面から説明されることが多い。前者は、家庭を重視
する考え方やプライベートな領域に対する意識の拡大が、家族の居室を衛生的に優れた南側に配置する住
宅プランを生み出したと主張する 6)。また、Jordan Sand は、居住に特化し、家族との時間のみが想定さ
れた郊外住宅地の発展に domesticity の思想を読み取っている 7)。一方、青木正夫や彼の後継者たちは、
そのような西洋思想の受容と同時に、合理的な家事労働や衛生的な室内環境を追求する潮流が存在したこ
とを明らかにし、それらが戦前の独立住宅に多く見られる中廊下形平面の理論的支柱になったと論じてい
る 8)。安野も同様、郊外居住の一般化を、衛生思想の普及、そして 19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけて
猛威を振るった伝染病や大気汚染に対する個人レベルでのセーフガード、という側面から説明している 9)。
著者はこれらの成果を踏まえ、身体や行動様式と居住空間とのつながりに関わる合理性、さらには倫理上
の規範が「ホーム」の概念を中心に形成される過程に着目している。
1-2
研究の視点
著者の関心は、近代化の過程で見られた空間認識の転換(epistemological crisis)である。著者はこれ
にアプローチする方法として、社会人類学や民族誌学の視点に立脚し、個人(individual)と空間の結び
つきが再定義されていくプロセスを個々の空間に対する意識の変化と見なしている。
近代的な社会の誕生は、合理的な諸現象への理解の産物として、個人を取り巻く、或いは個人に内在す
る問題と、年齢や性別などといった人間の本質的な特徴とを系統的に関連づけていくプロセスであったと
理解されている 10)。それは、19 世紀ヴィクトリア期のイギリス社会で見られたように、公私の分離や性別
による役割分担がより強調される傾向を生み出した 11)。一方、この過程で発達したマスメディアは、コミ
ュニティから分断された個人のライフスタイル、分離化した公共空間や私的領域のイメージを絶えず更新
し、拡散する役割を担うことになる 12)。Cynthia L. White によれば、19 世紀後半から 1910 年代に急激な
成長を遂げる英国の女性雑誌が伝え始めたことは、同じような生活を送る女性たちが欲するもの、そして
同じような問題に直面する主婦に対する望ましい家事のあり方についてであった 13)。
これらのメディアを通じて伝えられる生活のイメージは、消費を通じて認識、或いは実践され、個々の
アイデンティティとして定着する。社会学者の Don Slater は消費者として日々行う無数の選択こそアイデ
ンティティ形成のプロセスであると論じている 14)。家具の購入やインテリアのアレンジは、同様に自己イ
メージを物理的に表現する行為であり、女性雑誌のアドバイスを通じて、一般的に女性の役割であると見
なされるようになった 15)。但し、それはインテリアが女性の同一性そのものであることを意味するもので
はないと理解されている。なぜなら、社会人類学者の Daniel Miller が指摘しているように、家庭生活に
1
関わる消費は他の家族構成員のイメージを尊重した結果だからである 16)。久保は、大正期に発行された女
性雑誌の中で投稿記事や住宅デザインコンペという形で現れた中流家庭の主婦の声に着目し、彼女たちが
提示する家政上の問題点や提案が住空間の改良に与えた影響の大きさを指摘している 17)。言い換えれば、
それらは彼女たちの家計簿と家族のアイデンティティに基づいて表現されたものであり、雑誌の紙面で披
露されることによって中流家庭のイメージの一部を成し、やがて消費の対象となっていったのである。
一方、消費行動の背後には、あらゆる選択の結果が合理的であるための価値基準のフレームワークやあ
る種の「物語」のようなものが横たわっている。それらは、何を身につけ、どのように振舞うべきか、と
いう美的センスを超えた広義での審美眼、すなわちテイスト( taste)であり、社会学者の Pierre
Bourdieu はそれらに自他を明瞭に分け隔てる階層的な側面があることを明らかにしている 18)。実際、ヴ
ィクトリア期の英国社会では、新興中流家庭に対して良きテイストを身につけることが喚起されていた 19)。
そして、インテリアや住宅のマニュアル本は社会的に広く受け入れられるであろうテイストが十分に発揮
された際のいわば模範解答として機能した 20)。ゆえに、鉄道会社や土地会社によって開発された郊外住宅
を、中流家庭が求める―或いは彼らに処方された―生活に関わるアイデンティティとそれを包み込む「物
語」の現れ、と見なすことができるのである。
この「物語」こそ、すでに Sand が指摘したとおり「ホーム」の概念なのであるが、それはただ単に西
洋からの流入を経て自動的に受け入れたのではなく、積極的に必要とする認識論上の理由があった、とい
うのが著者の主張である。
2
研究の経過
本研究は著者の博士論文に含まれる5つの考察に該当するものである。助成期間中、それらすべての考
察に必要な史料の収集、および現地調査を行い、4つの考察に関わる史料の分析を終えた。
考察1では、1890 年代から第一次大戦開始までの時期を対象に、2つの女性雑誌『婦人画報』『婦人之
友』と9つの家事マニュアルを用いて、住まい方のイメージ、或いは視点の変化を描き出した。
考察2では、日露戦争後に活字メディアを賑わす「趣味」という言葉が「テイスト」と「娯楽」という
2つの意味を持つようになったレトリックの変化に着目し、同時期に推奨された家庭でのレクリエーショ
ンが持つ認識論上の役割を明らかにした。ここでは、1905 年から 1919 年までに発行された上記2つの雑
誌、3つの教育書に加え、劇作家の坪内逍遥をはじめとする良きテイストの普及を目指す文化人により発
行された雑誌『趣味』(1906-1910 年発行)を扱った。
考察3では、以上の2つの考察を踏まえ、1910 年代から関東大震災前後に見られる住宅改良運動に目を
向けた 21)。多くの建築史家によってすでに用いられた女性雑誌や家事マニュアル等を振り返ることにより、
身体や行動様式と空間との結びつきに関わる認識の変化とそれが住宅として空間を構成していく複雑なプ
ロセスについて再考を試みた。
考察4では、1924 年に発足した家庭電気普及会の雑誌『家庭の電気』(1924-1943 年発行、電気の文書
館所蔵)を用いて、燃料政策上の要求から発した戦間期における生活合理化キャンペーンと広く認識され
るようになった家庭生活のイメージとの関係について吟味した 22)。
現在分析中の考察5では、ケーススタディとして戦前の阪急電鉄による郊外住宅開発に焦点を当てる 23)。
上記4つの考察を踏まえ、身体と空間に関する認識の変化が同社の商業活動や住宅デザインに与えた影響
を明らかにする。ここで用いる資料は、同社によって発行された出版物やパンフレットであり、主なもの
として雑誌『山容水態』(1913-1917 年発行)、新聞『阪神毎朝新聞』(1926-1928 年発行)、池田室町
や武庫之荘をはじめとする 8 住宅地の分譲図や住宅カタログが挙げられる。これらは阪急文化財団池田文
庫及び尼崎市立地域研究史料館にて収集された。
3
研究の成果
著者はまず、工業化が進む 1890 年代から考察を始め、第一次大戦前夜にかけて家族構成員の生活が区
画化(compartmentalisation)される過程を描写した。19 世紀最後の 10 年は伝統的な家族システムの分
断を目撃した時代であったと言える。それまで、商人や職工の家庭では、家族全員で家業に従事するのが
2
一般的であった。しかし、この時期になる
と、職住分離と義務教育が一般化し、父親
と子供が終日家の外で暮らすようになり始
めた 24)。政策立案者や教育者たちは、日本
の家庭システムを維持するため、家に残さ
れた女性たちを家政の重要な担い手と意識
するようになる 25)。バラバラになった家族
を効率的な家事を通じて取りまとめるのが
母親の役割であり、その方法を伝授するの
が当時相次ぐ開設を見た高等女学校の目的
であった。時間厳守や家事の合間を見つけ
て自己修養に励むことが大いに喚起され、
合理的な家事労働は女性の社会的義務とな
り、それはまたモラルのあり方とも結び付
けられた 26)。1899 年に樺山質紀文相が口に
した「良妻賢母」はエリートたちの家庭に
対する認識を如実に反映している。
子供に対する意識も大きな変化を見た。
伝統的な家族システムの中では、子供も大
人と同様に生産者であった。しかし、当時
の家事マニュアルは、子供は大人とは違う
人生のステージにいることを強調した。個
人主義(individualism)の台頭である。育
児の本義は独立心を養うことであり、子供
を取り巻く環境は彼らの人格形成に大きな
影響を与えると考えられるようになった
図 1 独立的に生活する子供のイメージ
(図1)。
(『婦人之友』1911 年 6 月号より)
エリートたちが思い描く「近代的」な日
常生活のイメージは、同じ屋根の下であっ
ても、家族構成員が各々異なる活動に従事していることを前提としていた。間仕切りのないフレキシブル
な従来の日本家屋にとって、それは相性の悪いものであったことがわかる。
次に、著者は日露戦争後の社会に目を向けた。そこには、伝統的な芸術の廃頽を横目に「近代日本」が
未だ新しいアートの境地を開拓できずにいる状況を憂う知識人たちがいた。坪内逍遥や児童文学者の巌谷
小波などロマン主義や自然主義文学に影響を受けた文化人は、それを個人(individual)の「趣味」(テ
イスト)の問題と捉えていた。彼らは個人の主観(subjectivity)を重視し、審美眼の養成が日本美術の復
興につながると訴えた。そして、良いテイストは「趣味」(レクリエーション)に積極的に関わることで
獲得できると主張した。このような考え方は当時の大部分の日本人にとってあまり馴染みのないものであ
った。なぜなら、寄席や歌舞伎といった古くからある娯楽とは受動的に関わるものであり、仕事のないと
きに癒しを得るための手段と認識されていたからである 27)。そこで、彼らは様々なアートを紹介するとと
もに、それらを自ら楽しむための視点の提供を試みた。雑誌『趣味』はそのための媒体であったが、「趣
味」の語が「テイスト」のみならず「娯楽」を意味するようになったのはこの頃からである 28)。
「趣味」の提唱者たちの主張は、当時の教育者や家政学者にも受け入れられた。彼らは戦争を期に急速
に富を得た新興中間層の成金「趣味」に違和感を感じていたのである。物質主義(materialism)に対す
る危機感は彼らを「ホーム」の概念へと目を向けさせる。新参者たちの旺盛な消費力を「ホーム」に振り
向けることで、中間層に位置する人々のアイデンティティを確立できると考えたのである。彼らは「ホー
ム」の概念の中心を成す家族団欒の発想に着目していた。そして、家族全員で食卓を囲みながら食事する
ことや音楽、読書、ガーデニング、郊外への散歩といった家族で楽しめるレクリエーションが新参者たち
3
の「趣味」(テイスト)を矯正するとともに、区画化され
た家族を結びつけるものと期待した(図2)。当時の女性
雑誌で「趣味」や郊外生活のすすめが盛んに説かれたのは、
このようなエリートたちの主観的な試みによるものであっ
た。それらは家族に対する認識を変えるとともに、ロマン
主義・自然主義的な発想を根底にしながら郊外居住を目指
す原動力となっていく。
住宅改良運動に焦点を当てた考察3では、科学的知識の
援用を通じて、区画化された家族生活とその枠組みとして
の「ホーム」の概念が中流住宅のデザインコードとして具
現化されていく過程を追った。家事マニュアルや女性雑誌
に描かれた茶の間のイメージは、家族に対する認識の変化
を最もよく表している。そこは、家事を取り仕切る主婦が
長時間過ごす場所であり、同時に家族全員が揃って食事を
し、食後の懇談や読書などを楽しむスペースと理解された。
そのイメージに従い、衛生学や家政学の専門家たちは、家
の中心となるべきそのような空間が南側の最も日当たりの
よい部屋である必要性を主張した。1910 年代に子供が独
立した部屋を持つことは少なかったが、子供部屋、或いは
「勉強部屋」と呼ばれる空間のあり方に関する記事も多く
見られた。その中で、子供は母親のいる部屋、すなわち茶
の間のすぐ横か、大きくなったら少し離れた南側の部屋、
或いは2階で過ごすことが良いとされた。母親に見守られ
図 2 教育書が描く家族団欒の光景
(大森万次郎
(1909)『家庭の趣味』博文館より)
ることを前提としつつ、そこには子供が「個人」として独
立的に生活することを望む新しい視点が介在して
いた。
このような家族の身体と行動様式、居住空間と
の結びつきに関するイメージは、専門家による提
案のみならず、女性雑誌の投稿記事や住宅デザイ
ンコンペを通じて彼らと中流家庭の女性たちが対
話することにより形成された。それは中流家庭の
アイデンティティを物質的に表現するプロセスで
あったと言える。その結果は、すでに多くの建築
史家が指摘しているように、生活導線を処理する
廊下が東西を走り、南側の生活空間と他のサービ
ス領域を分離する中廊下形 平面の完成を導いた
(図3)。家族構成員の区画化と科学的知識の普
及により宙に浮いた家族と空間のイメージは「ホ
ーム」の概念に基づき合理性を得たのである。
考察4で著者が目撃したのは、住宅改良運動を
経て確固たるものとなった「ホーム」のイメージ
図 3 住宅デザインコンペに見られる中廊下形平面
が戦間期を通じてテクノロジーに溢れた生活像に転
(『婦人之友』1914 年4月号より)
化される様子であった(図4)。1920 年代から 30
年代に見られた家庭電化キャンペーンは民生部門に
おける燃料使用の削減を目的とする安全保障政策の一部であったが、それは区画化された日常と「趣味」
に溢れた団欒の時間、という「近代的」な生活スタイルを踏襲しながら進められた。著者はそこに同時代
のヨーロッパやアメリカで見られたモダニスト運動との類似性を垣間見る。モダニスト建築家たちはアバ
4
ンギャルドな感性に自信を抱く一方、技術革新がも
たらす可能性を評価し、合理性と Enlightenment
の精神を捨て去ることはなかった 29)。同様に、家庭
電化に取り組む技術者や建築家たちは、合理的な生
活システムとして築かれた日本独自の「ホーム」を
前提とすることができた。先述のとおり、元来「ホ
ーム」の概念は Enlightenment を経験した西洋人
による、合理的な家庭生活を実現するための「物語」
であった。哲学者の Maclntyre によれば、合理的で
あることの根拠もまた伝統的な価値観からは切り離
せないようだ 30)。言い換えれば、合理性のあり方に
もまた地域性が存在するのである。Enlightenment
を経験していなくとも、戦間期日本には合理性の蒸
留物であるテクノロジーを家庭に導き入れるための
土壌がすでに存在していたのである。
4
今後の課題
最後に、本研究のメインテーマである郊外住宅
地の形成を扱う考察5について、史料収集を通じて
得られた知見を記すことで今後の課題に代えたい。
著者は、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気鉄道
が 1910 年代に行った住宅開発、またそれに関わる
一連の事業から、良き「趣味」の推奨、それを実現
する郊外生活というロジックを見出している。雑誌
『山容水態』はテイストやレクリエーションに関す
る話題を度々特集し、同社沿線で可能な「趣味」あ 図 4 効率的に家事をする主婦と電化製品のイメージ
(『拓けゆく電気』1936 年 1 月号より)
る郊外散策の数々を紹介してい
る。一方、沿線居住者のルポル
タージュや創業者の小林一三自
身が手がけたと思われる短編小
説では、区画化された家族関係
や「ホーム」の概念を彷彿させ
る郊外生活者の「趣味」に溢れ
た日常が描かれた。1910 年代
に同社が手がけた住宅の内部空
間は、どれも伝統的な家屋のモ
チーフによって彩られた。しか
し、それらの空間構成は『山容
水態』の「物語」に表れた「近
代的」な家庭生活を暗示させる
ものであった。
1920 年代から 30 年代に阪神
図 5 1930 年代に販売された阪急電鉄の住宅
急行電鉄となった同社が開発し
(阪神急行電鉄住宅カタログ『武庫之荘大住宅地大売出』より)
た住宅はその多くが中廊下形平
面を持つものであった。良き「趣味」(レクリエーション)の場としての庭、さらには郊外という環境そ
のものが区画化された家族を統合するメカニズムとして提供されたのである(図5)。同社は独自で照明
5
器具や調理用電熱を含む電化製品の開発に乗り出し、沿線の各所に電燈営業所を設置した。電化製品の販
売や電気工事等のサービスを通じて、これまで見てきた「近代的」な身体と空間の結合が提供されるよう
になったのである。「ホーム」という合理的な日常生活の枠組みが、このような消費の場を通じて定着し
ていくであろうことを、ここに目撃するのである。
謝辞
これまで頂戴した数多くの助力抜きに本研究の成果を語ることはできません。とりわけ、史料収集に際
して、尼崎市立地域研究史料館の西村豪氏、電気の文書館の狩野雄一氏、西山卯三記念すまい・まちづく
り文庫の渡辺恭彦氏には大変お世話になりました。この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうご
ざいました。
補注
1)
2)
3)
4)
5)
6)
7)
8)
9)
10)
11)
12)
13)
14)
15)
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17)
18)
19)
20)
21)
22)
23)
24)
25)
26)
27)
28)
29)
30)
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