いろは歌

いろは歌
いろは歌(いろはうた)は、すべての仮名文字を使って作られている歌で、
手習い歌の一つ。七五調四句の今様(いまよう)形式になっている。手習い歌
として最も著名なものであり、近代に至るまで長く使われた。そのため、すべ
ての仮名文字を使って作る歌の総称として使われる場合もある。また、そのか
なの配列順は「いろは順」として中世~近世の辞書類等に広く利用された。
歌謡の読み方
ひらがなでの表記 金光明最勝王経音義
中文翻譯
色は匂へど
以呂波耳本へ止
いろはにほへと
繁花盛開終須落
千利奴流乎和加
散りぬるを
ちりぬるを
我が世誰ぞ
わかよたれそ
良牟有為能於久
今日攀越有為山
常ならむ
つねならむ
耶万計不己衣天
不再醉生與夢死
有為の奥山
うゐのおくやま
今日越えて
けふこえて
浅き夢見じ
あさきゆめみし
酔ひもせず
ゑひもせす
餘多連曽津祢那
世間孰人能長久
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須
【密卷楊老師譯】
出自《涅槃経》:「諸行無常,是生滅法,生滅滅已,寂滅為楽。」
◎【外形】
古くから「いろは仮名 47文字」として知られており、「ゑひもせす」の末尾に「ん」は付けないのが正式であ
る。しかし、現代には「ん」という仮名があるため「すべての仮名を使って」という要請を満たさなくなっているた
め、便宜上つける人もいる。
末尾に「京」を加える場合もある。これをいろは順という。いろはかるたの最後の諺が「京の夢大坂の夢」
となっていることからもわかるように、むしろそちらの方が伝統的である。1287年成立の了尊『悉曇輪略図
抄』がその最古の例とされる。
歌謡の読み方は、17世紀の僧、観応(1650年-1710年)の『補忘記』によると、本来は最後の「ず」
以外すべて清音で読まれる。「ず」は新濁で、本来は清音で読まれるものだが習慣的に濁って読まれる。
◎【歴史】
文献上に最初に見出されるのは 1079年成立の『
金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうぎょ
うおんぎ)』であり、大為爾の歌で知られる97
0年成立の源為憲『口遊(くちずさみ)』には同じ手習い歌とし
てあめつちの歌については言及していても、いろは歌のことはまったく触れられていないことから、10世紀末~
1
11世紀中葉に成ったものと思われる。
◎【金光明最勝王経音義のいろは歌】
文献上の初出である『金光明最勝王経音義』は金光明最勝王経についての音義である。音義とは経典
での字義や発音を解説するもので、いろは歌は音訓の読みとして使われる仮名の一覧として使われてい
る。ここでの仮名は万葉仮名であり、7字区切りで、大きく書かれた1字に小さく書かれた同音の文字 1つ
か2つが添えられている。
【參照上表】
それぞれの文字には声点が朱で記されており、それぞれの字のアクセントが分かるようになっている。
小松英雄は各文字のアクセントの高低の配置を分析して、漢語の声調を暗記するための目的に使わ
れたのではないかと考察している。
◎【作者】
院政期以来、いろは歌は弘法大師空海作とされてきた。[
1]それが正しい可能性はほとんどない。空
海の活躍していた時代に今様形式の歌謡が存在しなかったということもあるが、何より最大の理由は、空
海の時代には存在したと考えられている上代特殊仮名遣の「こ」の甲乙の区別はもとより、「あ行のえ(
e)
」と
「や行のえ(
j
e)
」の区別もなされていないことである。[
2
]ただし、破格となっている2行目に「あ行のえ」があっ
た可能性(わがよたれそえ つねならむ)を指摘する説も出されている。
『いろはうた』
の著者、小松英雄はなぜ空海が創作者とされたかについて、書の三筆のひとりである、用
字上の制約のもとにこれほどすぐれた仏教的な内容をよみこめるのは空海のような天才にちがいない、さら
に、いろは歌は真言宗系統で学問的用途に使われていて、それが世間に流布したため、真言宗の高僧と
いえば空海であることから、といった理由を挙げている。
また、通俗書では後述の暗号説を根拠に柿本人麻呂がいろは歌の作者だとするものもあるが[
4
]、柿
本人麻呂は空海よりもさらに 100年ほど前の時代の人であり、空海と同様の理由でその可能性は退けら
れる。
◎【解釈】
表面的に読む限り、無常観を歌った歌と読むこともでき、多くの人々がそういう歌なのだと受け止めてき
た。
主として仏教の知識を持つ者は仏教的な内容の歌だと解釈した。例えば、新義真言宗の祖である覚
鑁(かくばん、1095年 7月 21日-1144年 1月 1
8日)は『密厳諸秘釈(みつごんしょひしゃく)』の中でいろ
は歌の注釈を記し、いろは歌は世に無常偈(
むじょうげ)として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常、是生滅
法、生滅滅已、寂滅為楽」の意であると説明した。
ただし、下で説明するように暗号が埋め込まれている可能性が指摘されるにつれ、表面上の文意にも異
なった意味が込められている可能性や、暗号とからめて二重三重の意味なども指摘されるようになってきて
いる。(ただし主に通俗書でのものが多い)
◎【暗号説】
古い文献では、歌の内容に添った七五調の句切り方ではなく、七文字ごとに区切って書かれていること
2
もある(七文字×六行+五文字)。前述の『金光明最勝王経音義』ですでにこの区切り方だった。この書
き方で区切りの最後の文字を続けて読むと「
とか(が)なくてしす(咎なくて死す)
」となる。これをもっていろは
歌の作者が埋め込んだ暗号だとする説がある。
いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく
やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵は、本来いろは(
仮名)47文字が赤穂浪士四十七士にかけられ、「
忠
臣蔵」は蔵いっぱいの(沢山の)忠臣の意味、または忠臣=内蔵助の意味とされているが、それは、この暗
号が広く知られていることを前提として書かれている、とする説をとなえる者がいる。
また、同じく五文字目を続けて読むと「
ほをつのこめ(
本を津の小女)」となる(本を津の己女、大津の小
女といった読み方もある)。つまり、「私は無実の罪で殺される。この本を津の妻へ届けてくれ」といった解釈
もできる。
いろはにほへと
あさきゆめみし
らむうゐのおく
ちりぬるをわか
ゑひもせす
やまけふこえて
よたれそつねな
いろはにほへと
あさきゆめみし
らむうゐのおく
ちりぬるをわか
ゑひもせす
やまけふこえて
よたれそつねな
◎ 鳥啼歌(とりなくうた)
また、明治 36年に万朝報という新聞で、新しいいろは歌(国音の歌)が募集された。通常のいろはに、
「ん」
を含んだ48文字という条件で作成されたものである。一位には、坂本百次郎の以下の歌が選ばれ、
「とりな順」として、戦前には「いろは順」とともに広く使用されていた。
とりなくこゑす ゆめさませ
そらいろはえて おきつへに
鳥啼く声す 夢覚ませ
空色栄えて 沖つ辺に
みよあけわたる ひんかしを
ほふねむれゐぬ もやのうち
見よ明け渡る 東を
帆船群れゐぬ 靄の中
いろは歌【引用自 http://archive.hp.infoseek.co.jp/iroha.html】
伊呂波歌(
いろはうた)
(十 色は匂えど散りぬるを
世紀後半成立)
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見し酔ひもせず
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
天地の詞(
あめつちのうた)天、地、星、空、
(平安時代初期成立) 山、川、峰、谷、
あめ、つち、ほし、そら、
やま、かは、みね、たに、
3
雲、霧、室、苔、
人、犬、上、末、
硫黄、猿、生ふせよ、
榎の枝を、馴れ居て。
くも、きり、むろ、こけ、
ひと、いぬ、うへ、すゑ、
ゆわ、さる、おふせよ、
え(
ア行)
のえ(
ヤ行)
を、なれゐて。
細井広沢 作 「君臣歌
(
きみのまくらうた,
く
んしん
か)
」
君臣
親子夫婦に兄弟群れぬ
井鑿り田植へて末繁る
天地栄ゆ 世よ侘びそ
舟の櫓縄
きみのまくら
おやこいもせに えとむれぬ
ゐほりたうへて すゑしける
あめつちさかゆ よよわひそ
ふねのろはな
本居宣長 作 「雨降歌
(
あめふれうた)
」
雨降れば 井堰を越ゆる
水分けて 安く諸
下り立ち植ゑし 群苗
あめふれは ゐせきをこゆる
みつわけて やすくもろひと
おりたちうゑし むらなへ
その稲よ 真穂に栄えぬ
そのいねよ まほにさかえぬ
天地分き 神さふる
日本成りて 礼代を
大御嘗齋場 占設けぬ
これぞ絶えせぬ 末幾世
あめつちわき かみさふる
ひのもとなりて ゐやしろを
おほへゆには うらまけぬ
これそたえせぬ すゑいくよ
谷川士清 作 「天地歌
(
あめつちうた)
」
坂本百次郎 作 「鳥啼 鳥啼く声す 夢覚せ
歌(
とりなくうた)
」(1903年)見よ明け渡る 東を
空色栄えて 沖つ辺に
帆船群れ居ぬ 靄の中
とりなくこゑす ゆめさませ
みよあけわたる ひんがしを
そらいろはえて おきつべに
ほふねむれゐぬ もやのうち
堀田六林 作
はるころうゑし あいおゐの
ねまつゆくえ にほふなり
よわひをすへや かさぬらむ
きみもちとせそ めてたけれ
春ごろ植ゑし 相生の
根松行く方 にほふなり
齢を末や 重ぬらむ
君も千歳ぞ めでたけれ
「たゐに歌」(十世期末成 田居に出で 菜摘む我をぞ
立)
君召すと 漁り追ひゆく
山城の うち酔へる子ら
藻葉乾せよ え舟繋けぬ
4
たゐにいて なつむわれをそ
きみめすと あさりおひゆく
やましろの うちゑへるこら
もはほせよえ ふねかけぬ
荒城の月
詩は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。原題は『荒城月』である。
詩集への収録はない。
(一)春高楼(かうろう・こうろう)の花の宴(えん)巡る盃(さかづき)影さして
千代の松が枝(え)分け出(い)でし 昔の光今いづこ
(二)秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし 昔の光今いづこ
(三)今荒城の夜半(よは・よわ)の月 変わらぬ光誰(た)がためぞ
垣に残るはただ葛(かずら)松に歌ふ(うとう)はただ嵐
(四)天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月
大変美しい起承転結の構成である。
「千代」とは非常に長い年月を意味し、「千代木」(ちよき)が松の異名であることから、松には長い年月が
刻み込まれていると考えられている。その松の枝を分けて昔の「光」を探す情景は、憂いがあって美しい。な
お、この詩では「千代」を「
ちよ」とよんでいるが、伊達政宗が「千代」(せんだい)
を「仙台」(仙臺)と書き改
め、現在の仙台市につながっているため、仙台出身の土井晩翠が「仙台」を「千代」と書き、「ちよ」と読み
を替えて「仙台」のことを暗に示しているとも考えられる。
雁は、主に東北地方や北陸地方で越冬をする渡り鳥。
歌詞二番「秋陣営の…」は上杉謙信作と伝えられる「霜は軍営に満ちて秋気清し数行の過雁月三更」を
ふまえたものと思われる。
【http://ja.wikipedia.org/wiki/%E
8%8D%92%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%9C%88】より引用
*高楼=高く構えた建物。ここでは城
*花の宴=花見の宴会
*千代の松ヶ枝=千年も経つ程の古い松の枝
*植うるつるぎに照りそいし=突き立てた剣に月光が降りそそいでいた。
剣を地中に突き立て取替えながら(刃こぼれするので)戦っていたが
篭城戦で力尽きた兵士が剣を土に突き立てたまま最後の時を向かえた。
(*この説もありました。攻め寄る敵から城を守るため、
つるぎを逆さに地中に立て、侵入を防いだ。その剣が照り輝いた)
植うる剣」とは、責め寄る敵から城を守るため、剣を逆さに地中に立てて、侵入を防ぐことだそうです。
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土井晩翠作詞 滝廉太郎 作曲 「荒城の月」
《歌詞のおよその意味 》
(1
)春には ここにあった城の高い櫓で花見の宴会が行われ、
酒を酌み交わした盃(さかずき)に月の光がさし込んでいたことだろう。
そして、松の古木の間から 月の光がさし込んでいたに違いない。
あの昔の面影はどこへいってしまったのだろうか。
(2
)秋には出陣に備えた陣営に霜が降り、
鳴きながら渡る雁の群れも見えたことだろう。
出陣を前に、立ち並ぶ剣 を月がひややかに照らしたこともあったであろう。
あの昔の光は、今はどこへいってしまったのだろう。
(3
)今、荒れ果てた城跡を真夜中の月が照らしている。
この月は昔とは変わっていないが、誰もいないところに光がさし込んでいる。
石垣には葛(かずら)が生い茂り、松の枝を鳴らす、わびしい風の音だけが聞こえる。
(4
)天上に出ている月の輝きは変わってはいないが、
人の世は興亡をくりかえしている。
こうした世の中の変化を今も写そうとしているのであろうか、
今、真夜中の月の光が荒れ果てた城址をこうこうと照らしている。
「荒城の月」の歌詞の解説は著書等によって随分違いがありますが、私は 「教科書に出てくる歌の言葉
図鑑・5年生の歌(ポプラ社」)」と教育芸術社「中学生の音楽2-3上」の記述を参考に自分の考えでま
とめました。
この曲が作曲された経緯については「花」
の項で述べた通りですが、この曲「荒城の月」は、もとは八分音
符に言葉の一音を配当した、一小節が|♪(は)♪(る)♪(こ)♪(う)♪(ろ)♪(う)‥の|のようになって
いたものを、後に山田耕筰が倍の4分音符を使い、16小節のメロディーに編曲して新しい伴奏を付けた時
に、原曲では「はるこうろうの はなのえ(
#)
んの「
え」の音を半音上げて歌っていたものを、ここのシャープをとっ
て演奏するようにしましたので、今では一般には、この編曲が使われるようになっています。しかし、このページ
の「
荒城の月」は原曲で歌っていただくようにしてあります。最近、この曲を原曲で歌う動きが出てきまして、
中学校の音楽教科書(教育芸術社)の鑑賞教材にも「荒城の月」の原曲が紹介されています。
【http://www.ne.jp/asahi/minako/watanabe/Mond.htm】より引用
中譯文
台語文
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春高樓兮花之宴
交杯換盞歡笑聲
千代松兮枝頭月
昔日影像何處尋
萬丈高樓花之宴
舉杯暢飲杯中月
長青松樹枝葉照
昔日繁華今何在
秋陣營兮霜之色
晴空萬里雁字影
鎧甲刀山劍樹閃
昔日光景何處尋
秋天陣營霜之色
乍現鳴空秋之雁
植地禦敵寒風劍
昔日榮光今何在
今夕荒城夜半月
月光依稀似往昔
無奈葛藤滿城垣
孤寂清風鳴松枝
今日荒城夜半月
為誰綻露昔日光
城垣空留僅荒草
松枝坐詠唯寒風
天地乾坤四時同
榮枯盛衰世之常
人生朝露明月映
嗚呼荒城夜半月
天上月影今不換
榮枯無常世之常
月換星移今猶現
悲嘆荒城夜半月
春天高樓賞月圓
做陣飲酒青春時
南風微微對面吹
想起昔日的代誌
孤單秋天照營內
看見雁鳥成雙對
雖知離開千里遠
懷念當初的代誌
荒城明月照人窗
月色無便這呢光
空思妄想歸暝恨
吐出大氣對松枝
【密卷楊老師譯】
7
百花滿山開
形影結相隨
風雨催好花
愈想心愈悲
霜色茫茫
飛來又飛去
不敢來忘記
哀怨目屎滴
思念你一人
思情心頭酸
面肉帶青黃
吟出斷腸詩