今週の週報 - 高知グレースチャペル

日本ホーリネス教団 高知グレースチャペル
週報
2016. 2.28
伊野キリスト教会
越知キリスト教会
〒781-2120
吾川郡いの町枝川2025-2
TEL 088-893-0222
FAX 088-813-0221
(緊急連絡用)090-2897-1090
〒781-1301
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TEL 0889-26-0349
主日礼拝
(Home Page)http://kgracech.org/
奏
《今月の御言》
わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも
奪われないように、自分の持っているものを
堅く守っていなさい。
(黙示録3:11 )
主に栄光あれ、誰も見たことのないことが、
賛美主ハレルヤ、御国をこの地(長)
牧
師
《今週の御言》
一同/起立
一
同
一同/着席
一
牧
一
牧
神の約束の実現のために
①古きを捨て去る(悔い改め)
②約束の実現(救いの確信)
③荒野に水砂漠に川を(御霊の充満)
《十年ビジョン御言》
見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、
あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。
(イザヤ43:19 )
(E-mail)[email protected]
楽 --姉 リ ー ド --兄
《Worship Time》10:10~
《主日礼拝》 10:30~
招
詞 Ⅱテモテ4:22
頌
栄 新聖歌 60番
交 読 文
8番 詩篇24
使徒信条/主の祈り
賛
美 新聖歌
7番
祈
祷
賛
美 新聖歌402番
聖書朗読 Ⅱテモテ4:9~22
説
教 「御国への終活」
賛
美 新聖歌510番
感謝祈祷
頌
栄 新聖歌 63番
祝
祷
《十年ビジョン目標》
同
師
同
師
主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、
天にある御国に救い入れて下さるであろう。
栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、
アァメン。
(Ⅱテモテ4:18)
一 同
--姉
起 立
牧 師
《今週のスケジュール》
29(月)
1(火)
2(水) 0945~ 越知祈祷会
3(木)
4(金)
5(土)
6(日) 1030~ 主日礼拝
2000~ 伊野祈祷会
礼拝で開かれる次週の御言
マタイ26:36~46
「ゲッセマネの苦祷」
次週の賛美
いのちの光、R21、主の教えを喜びとし、
R73、あがない主、Above all
新聖歌7、新聖歌402、新聖歌510
報
◇すでに受難節を迎えていますが、今年の受難週は3月20日~26日になります。
また、復活祭(イースター)は27日(日)になります。
《ビジョン》
新しいみわざの実現
① 霊的革新
② 宣教の前進
③ 新会堂を
告
◇四国教区の総会に備えた教区会が3月8日(火)に--教会で開かれます。新年
度に向けた教区へのご要望などがありましたら、お知らせ下さい。
礼拝説教要約
御国への終活
◎聖書箇所…Ⅱテモテ4:9~22
「就活、婚活、朝活、転活、妊活、保活、離活……。
「○+活」という造語が次々と登場しており、その勢いはとどまるところを知りません。いずれも、何かをするために努力
の伴った活動を短く略した造語です。特に、人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うこととして、本日は、パウロの最後の手紙となったテモテ第二の手紙の最
終章から、
「御国への終活」と題して御言をお取り次ぎいたします。
お役に立つ者となれるのです。過去においてどんなに失敗しても、それで終わりとい
1.パウロの周囲の人々
うことはありません。失敗しても希望があるのです。この人がマルコの福音書を書い
パウロの人生はまさに波瀾万丈という言葉が似合う人生でした。律法に精通した生
たマルコになりました。
粋のユダヤ人として、そしてまた、タルソ生まれのタルソ育ちで、ギリシャ文化にも
12節にはこれからエペソにいるテモテのもとに遣わされようとしているテキコの名
精通していました。教会が誕生してからは、キリスト教の大迫害者であったのに、復
が紹介されています。彼はコロサイの教会にもパウロの手紙を届けました(コロサイ
活のキリストとの出会いを通して、彼の人生は一変し、後には福音の大宣教者となり
4:7)
。大切な書簡を託されるテキコもパウロに信頼された人物でした。
ました。三回に渡って伝道旅行を行い、小アジヤのみならず、ローマ帝国全体に福音
そして、テモテが来る時には、トロアスで置いてきた上着と一緒に羊皮紙の書簡を
宣教を行いました。その働きはパウロだけにとどまらず、各地で救われた人々をはじ
持て来てほしいと頼んでいます。羊皮紙で書かれた書物は大切な文書か神聖な書物で
め、弟子たちなどにより、教会は異邦人社会に広がっていきました。しかし、ながら
あることが多いので、おそらく旧約聖書だったのではないかと考えられています。死
現在はローマの囚人として、鎖に繋がれながらも獄中からの手紙をもってなおも語り
を前にした彼は神のことばを読み、栄光の天の御国に思いを馳せたかったのでしょう。
続けているのです。実に神に用いられる人の姿がここにあります。
パウロ終活にとって大切なのは信仰を託す同労者だけでなく、聖書のお言葉であった
このような人の周囲には、多くの人が集まるものです。テモテに対する手紙を閉じ
のです。
るに当たって、パウロ周囲の人たちの事を書き記しています。それも自分自身の死期
2.過去を振り返るパウロ
が近いことを感じていたからです。誰でも、死が近づくと、いろんな人の事を思い出
パウロはその生涯の終わりに、自分に仕え、支えてくれた人たちばかりでなく、逆
しながら、何とかして会いたいと思うものです。パウロにとってテモテは家族以上に
に自分を苦しめた人たちの名前もあげながら過去を振り返っています。14節では、第
「わが子」
(Ⅰテモテ1:18)のような存在でした。だから、本日の短い箇所に2回も「
(急
三回伝道旅行で、エペソで起こった暴動の首謀者で、銅細工人のアレキサンデルはパ
いで)
(早く)
「きてほしい」
(9、21)とその思いを強く表しています。
ウロに激しく敵対しました。また、16節では、カイザリヤのペリクス総督の法廷で、
ところが、10節ではデマスという人は「この世を愛し、わたしを捨ててテサロニケ
誰一人として味方もなく、誰からも見捨てられたような辛い法廷での出来事を思い出
に行ってしまい」ました。ピレモン書24節を見ると、
「わたしの同労者たち」の中に
しています。
デマスの名が記されています。あれからわずか6~7年の間に、デマスは信仰から脱落
しかし、パウロはそのようなネガティブな過去の記憶に埋没すること無く、そのよ
してしまいました。最後まで信仰の道を走りぬくことができなかったのです。
「デマ
うな困難な中でも御言を宣べ伝えるために、助け力づけて下さった主を崇めています。
スはこの世を愛し」とあります。何があったのか分かりませんが、この世の快楽に心
「しかし、わたしが御言を余すところなく宣べ伝えて、すべての異邦人に聞かせるよ
を奪われてキリストの元から離れて行ってしまったのでしょうか。この言葉の中にパ
うに、主はわたしを助け、力づけて下さった。そして、わたしは、ししの口から救い
ウロの無念さがにじみ出ています。しかしながらそれは人ごとではありません。パウ
出されたのである」
(17)
。
ロの時代以上に現在は誘惑に満ちていますし、昨今多くの芸能人や有名人に薬物の魔
「ししの口から救い出された」という言葉は、おそらく詩篇22篇21節の御言の引用
の手が広がっているのも一例ですが、キリストの元から離れさせるこの世の様々な誘
と思われます。22篇は紀元前1000年頃イスラエルの王であり、預言者であったダビデ
惑によくよく警戒していないと、足をすくわれてしまいます。
が記したもので、絶望的とも思えるような苦しみの中から救ってくださる神を、賛美
クレスケンスとテトスはそれぞれガラテヤとダルマテヤに行きました。この「行っ
したものです。1節の「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」と
た」というのはデマスのようにパウロを見捨てて行ったということではなく、パウロ
に遣わされて行ったということです。なぜそこへ行ったのかはわかりませんが、テト
いう絶望の極限状態の叫びは、イエスさまの十字架上の言葉そのものです。人にあざ
スは次のテトスへの手紙の受取人ですから、彼はテモテと同じように、問題のある教
けられ、神からも見捨てられた救い主は、やがて救いを成就し、
「ししの口からも救
会に遣わされてその立て直しのために尽力したのでしょう。
い出された」のです。
そして11節には二人の名前が出てきます。一人はルカで、もう一人はマルコです。
どんなに人が私たちに敵対し、私たちから離れていったとしても、主は私たちを助
まずはルカについてですが、ここには、
「ただルカだけが、わたしのもとにいる」
(11)
けて下さいます。主イエスも言われました。
「わたしはあなたがたを捨てて孤児とは
とあります。ルカはパウロが捕らえられて囚人としてローマ行きが決まってから、片
しない」
(ヨハネ14:18)と。パウロは過去の試練の数々を思い起こしながらも、助
時も離れず行動を共にしていました。当時はこのように逮捕された囚人がローマで裁
け、力づけ、ししの口から助け出された主を仰いで、御国へと続く希望あふれる終活
判を受けるために送られるときには、二人の奴隷が同行することが許されていました
の中で神に感謝をささげているのです。
ので、その一人がルカ自身だったのです。すなわち、彼はローマの獄中にパウロに同
「主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さる
行するために自分を奴隷として登録したのです。ルカはパウロから離れるよりもむし
であろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン」
(18)
。
ろ彼の奴隷となり、彼に仕えパウロの働きを支えたいと願ったのです。ルカは医者で
3.最後の挨拶と祝福
したから、パウロ抱える病気を看護していたのかもしれません。ルカは医師として自
19節以下は、主だった人々への最後の挨拶と祝福です。今はエペソにてテモテを助
分に与えられた賜物を活かして主に仕え、後には福音書と使徒行伝を書きました。パ
けているプリスカとアクラは、パウロが行くところどこにでも行って、パウロの働き
ウロはそのようなルカを「同労者」
(ピレモン24)として認めています。
を助けてくれた夫婦です。またオネシポロ(1:16)はローマにいたパウロを捜して
11節には、もう一人のよく知るマルコの名が刻まれています。このマルコについて
見つけ出し、パウロが鎖につながれていることなど何のその、恥とも思わず、パウロ
パウロは、
「マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つか
に仕え、パウロを励ましてくれた人物でした。コリントの町の収入役のエラスト(ロ
ら」
(11)とテモテに頼んでいます。
ーマ16:23~24)はパウロの働きをよく助けてくれた人物でした。病のためにミレト
しかし、マルコはパウロの第一次伝道旅行に同行しましたが、どういうわけか途中
に残してきたトロピモ。
で働きを止め、さっさと家に帰ってしまった人でした(使徒13:13)
。数年後にもう
彼らに対してパウロと共にいたユブロ、プデス、リノス、クラウデヤからもよろし
一度伝道旅行に出かけることになった時、バルナバはこのマルコを連れて行こうとし
くと伝えています。
ましたが、パウロは途中で仕事を投げ出してしまうような者は神の働きにふさわしく
そして、パウロの最後の言葉は、
「主が、あなたの霊と共にいますように。恵みが、
ないと、断固として反対したのです。そこでバルナバとパウロは激しい反目となり、
あなたがたと共にあるように」
(22)と祝祷で、臆する霊ではなく、力と愛と慎みと
結局バルナバはマルコを連れて、パウロはシラスを連れて出かけて行くことになり、
の霊があなたとともにありますように。人生におけるさまざま問題の中で、
、心が弱
彼らは別々の道を行くことになったのです。あの時は「役に立たない」と言ったパウ
くなり臆病になってしまいがちですが、力と愛と慎みとの霊が、あなたとともにあっ
ロですが、今は、
「役に立つ」から「連れて、一緒にきなさい」と言っているのです。
て、あなたの心が強められるように、そして神の恵みが共にあるようにと祈っている
これは私たちにとっても大きな励ましになります。かつては自分のわがままで働き
のです。人生の終活で、最後の最後まで大切な事は、聖霊と共にある事なのです。
を途中でやめてしまうような中途半端な者であったとしても、やがて立ち直って主の
祈祷会テキスト
《2016年標語》
「再び燃え立たせなさい」
①賜物を燃え立たせなさい
②福音を恥としない
③ゆだねられたものを守る
(御言により、御霊により)
《2016年の御言》
内にいただいた神の賜物を、
再び燃えたたせなさい。というのは、
神がわたしたちに下さったのは、
臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの
霊なのである。
(Ⅱテモテ1:6~7)
《2016年目標》
①
②
③
④
⑤
日常の霊的な生活(ディボーションを守る)
主の臨在を仰ぐ礼拝(霊とまことの礼拝)
主をあかしする生活
御言を模範に信仰と愛をもって使命に生きる
聖霊によって守られる使命
●聖書箇所…ルカ22:54~71(61~62)
主イエスの裁判
ペテロは主イエスを三度否定し、ユダは主イエスを裏切ります。弟子たちは主イエ
スの逮捕の際、クモの子を散らしたように逃げ、宗教的指導者たちは主イエスを殺そ
うと企みます。それぞれがバラバラに動き三者三様に十字架の前で様々な人の思いが
交錯します。でもそれも神の絶対的な主権の中で神の壮大なドラマを作り上げるため
の小さな役割をそれぞれが行っているにすぎず、神が全権を握って、十字架の出来事
へと向かわせていきます。宗教的指導者らは過越の祭の最中だけは騒動を避けようと
あれだけ警戒していたのにも関わらず、主イエスの十字架の出来事は、まるで過越し
●ペテロの弱さと主とエスの恵み
の祭りの中心であるかのように祭りの真っ最中に起こされていきました。
指導者たちは主イエスの命運は自分たちが握っていると信じ切って、自分たちの手
で厳粛なる裁きをしていると思い込んでいたことでしょう。でも事実は違います。す
べてのことが神の手に握られていたのです。この主の御手の中にあなたも私も握られ
ています。この幸いを感謝しつつ、御心の内に今日も生きようではありませんか。