平成28年度

信州
諏訪
平成 二十八丙申 年
諏訪大社
式年造営御柱大祭
長 野 県
無形民俗
文 化 財
ONBASHIRA
S U WA I N S H I N S H U
奥山 の大木、
下 りて 神 と な る。
SUWA IN SHINSHU
01
里に
七年に一度の
天下の大祭
諏訪大社は諏訪湖を中心に南北四宮か
らなる神社です。その創建は遥か古代神
話の時代にまで遡り、全国に一万余ある
諏訪神社の総本社です。
お諏訪さまは古来より風と水、そして
狩猟の神様とされ中世には軍神として信
仰もあり多くの武士からたいへん厚い崇
敬を受けられました。
年間多くの祭事を行っている諏訪大社
しきねんぞうえいみはしらたいさい
ですが、最も特殊なお祭りは七年に一度
行われる
﹁式年造営御柱大祭﹂
です。通称・
御柱祭と呼ばれるこのお祭は、十七メー
トルの高さを誇る樅の木を山から切り出
し、山から里そして各四社まで人の手だ
けで曳いてきて境内の四か所に建て、お
宮では御宝殿という建物を建て替えま
す。この御柱祭は諏訪の氏子の皆さんの
力で支えられて行われます。
その起源や由緒などは詳らかでありま
せんが古来より行われている諏訪大社の
最大にして最も重要な神事であると言え
るでしょう。
信濃國一之宮 総本社
諏 訪 大 社
ONBASHIRA
02
氏子みんな の
力を ひとつに
濵明行さん
諏訪大社大総代
上社御柱祭安全対策実行委員会 実行委員長
御柱祭で
心も つなが る
河西正裕さん
諏訪大社大総代会 議長
下社三地区連絡協議会 会長
03
SUWA IN SHINSHU
【特別対談】
で ひ と つ の 地 区 が 担 当 し ま す が、下
そ れ に、上 社 は 一 本 の 御 柱 を 最 後 ま
籤 で ど き ど き す る 心 配 は あ り ま せ ん。
識 し て い ま す。若 い カ ッ プ ル の 結 婚 式
な い で し ょ う か。御 柱 祭 を、み ん な 意
河 西 諏 訪 出 身 者 は 、御 柱 祭 に な る と 、
どこに暮らしていても血が騒ぐんじゃ
決 め ら れ て い ま す か ら、そ う い う 抽
柱 祭 で す が、上 社 と 下 社 と で は、運 営
社 で は、山 出 し と 里 曳 き で 担 当 が 変
約千二百年の伝統を持つ諏訪の御
の仕方に何か違いがあるのですか。
わ り ま す 。﹁ 秋 一 ﹂ と い う 大 き な 御 柱
濵 都 会 に 出 た 若 者 も、御 柱 祭 に な
ると、地元に戻ってきます。
濵
上 社 で は 、 大 総 代 名 に よ っ て
御柱祭に向けて実行委員会をつくり
ます。
は、必 ず、岡 谷・上 諏 訪・下 諏 訪 と、
だ っ て 、御 柱 の 年 は 、少 な く な り ま す 。
大 総 代 以 外 の 氏 子 た ち は、ど の よ
め ま す。い ろ い ろ な 森 林 管 理 署 を ま
柱の候補になる木を探すところから始
り と い う こ と に な り ま す ね。ま ず は 御
ち 上 が り ま す。本 番 に 向 け て 四 年 が か
河西 下社では綱をつくるために稲か
ら 育 て る と こ ろ も あ り ま す。コ ブ が で
綱を作っていきます。
て 縄 を つ く り、御 柱 を 曳 く た め の 太 い
ん ま で 、み ん な 一 緒 に な っ て 、藁 を よ っ
濵
冬 頃 か ら、各 地 区 で 綱 打 ち を や
る ん で す よ。小 さ な 子 供 か ら お 祖 父 さ
があって御柱祭は成り立っていると思
箒 で 道 を 掃 く 人、な ど そ れ ぞ れ に 分 担
濵
柱 メ ド デ コ に 乗 る 若 者 は 花 形 で
す が、綱 を 引 く 人、ゴ ミ を 拾 う 人、竹
その人数の多さに驚かれます。
河西 御柱祭は諏訪二十万人のお祭
り。そ れ を ほ か の 土 地 で 言 う と、皆、
うな準備をするのでしょう。
︱
うになっています。
それぞれの氏子たちが触れられるよ
御 柱 祭 の 準 備 は、い つ か ら 始 め る
河 西 下 社 で は、諏 訪 大 社 大 総 代 会 が
御柱祭の運営実行を仕切ります。
︱
のでしょう。
わ っ た り、役 場 や 区 長 さ ん に お 会 い し
き な い よ う に 、よ れ た り し な い よ う に 、
最後に今回の御柱祭についてメッ
抽 籤 会 は、二 月 十 五 日。ま ず 座 席 を
プ レ ッ シ ャ ー は 大 変 だ と 思 い ま す。
に と 神 社 に お 参 り し た り、精 神 的 な
ク ジ を 引 く 役 割 の 抽 籤 総 代 は 責
任 重 大 で す。太 い 柱 を 引 け ま す よ う
何 を 食 べ て も ら う か、献 立 づ く り に 悩
話 を す る 女 性 た ち は 、何 ヶ 月 も 前 か ら 、
ち 寄 る﹁お 宿﹂で す。ま か な い の お 世
氏 子 た ち が 休 憩 し た り、飲 み 食 い に 立
御 柱 街 道 沿 い の 家 は 、お 祭 り の 当 日 は 、
郷 土 料 理 で お 客 さ ま を も て な し ま す。
濵 私 た ち は、氏 子 の 皆 さ ん の お 力
をお借りして安全に御柱祭が終わるこ
思います。
力 で す。見 る だ け で も 自 慢 で き る と
ば ん 太 い ん で す。こ れ ま で に な い 迫
河西 上 社 も 下 社 も 、 過 去 の 記 録 を 見
る 限 り、今 回 は、柱 の 胴 回 り が い ち
セージをお聞かせください。
︱
と曳行出来ないと思います。
しっかりしているんですね。
諏 訪 人 の 地 域 力。人 と 人 の 絆 が
てお願いしたりします。
氏 子 た ち が つ く る 綱 は ま さ に 芸 術 品。
︱
河 西 下 社 の 場 合、御 柱 に な る 木 は あ
る 程 度 決 ま っ て い ま す。準 備 期 間 は、
女性たちの関わり方は?
ように見えます。
い ま す。氏 子 の 心 が ひ と つ に な ら な い
上社では、どの御柱をどの地区が
ちゅうせん
︱
決 め る ク ジ、そ れ か ら 順 番 を 決 め る
と を 願 っ て い ま す。そ の う え で、観 光
濵 私 の 住 む 茅 野 市 は 寒 天 の 里 で
す。御 柱 料 理 は 天 よ せ、山 菜 料 理 な ど
ク ジ と 二 回 の 予 備 抽 籤 を や っ て、そ
んでいます。
︱
︵平成
年6月︶
本 日 は 、あ り が と う ご ざ い ま し た 。
の祭りとなれば幸いです。
客の皆さんにもご協力いただいて感動
れ か ら 本 番 の 抽 籤 に 入 り ま す。い ち
若い人たちにとっての御柱祭は?
ます。
ば ん 太 い 御 柱﹁本 一﹂を 引 く と 拍 手
喝 采 で す が、い ち ば ん 細 い 柱 を 引 く
︱
河 西 御 柱 貯 金 と 言 っ て、御 柱 祭 で の
出 費 に 備 え て、お 金 を 貯 め る 家 も あ り
濵
ます。
曳 く の か、抽 籤 で 決 め る と 聞 い て い
︱
三年間ですね。
御 柱 へ の 強 い 思 い が、つ な が っ て い る
濵
上 社 で は、前 回 の 御 柱 祭 が 終
わ っ て 四 年 も す れ ば、実 行 委 員 会 が 立
河 西 人 と 会 う 機 会 が 増 え て、地 域 の
コミュニケーションも深まります、
濵
若 い 人 を 含 め て、子 供、年 寄 り
ま で 、ひ と つ に な れ る の が 御 柱 祭 で す 。
31
下社の場合、あらかじめ順番で
と残念のため息です。
ONBASHIRA
04
︱
諏訪の心意気
河西
27
伝
諏訪大社大総代が語る御柱祭
絆
Photo /平林岳志 Text /菊池好純(インタビュー)
上
山出し【木落し・川越し】
4月2日(土)
・3日
(日)
・4日(月)
里曳き【建御柱】
5月3日(火)
・4日
(水)
・5日(木)
御
みや
柱祭は、7年に1度の天下の大
かみしゃほんみや
まえ
祭です。上社においては、その
2年前の9月、上社本宮︵4本︶と前
宮︵4本︶に建てる8本の柱の仮見立
てから始まります。古来より上社の社
有林である八ヶ岳山麓の御小屋山中の
木から選ぶのが通例となっていました
年6月の
が、近年は近隣の国有林から、選ばれ
そして御柱祭前年、平成
るようになりました。
本見立てで御柱となる木が正式に決定
氏子にとって重要なのが御柱抽籤式
されました。
です。上社の本宮と前宮合わせた8本
日に上社本宮の神前に
の御柱の曳行分担を決めるため、御柱
祭当年の2月
おいて、各地区の代表8人による抽選
本番が近づくと、いよいよ柱の伐採
が行われます。
です。神職の奉仕によって伐採の奉告
祭と安全祈願祭が行われ、古式のまま
に佁、鋸、なたなどが火入れ式で焼き
清められ、伐採に臨みます。
神林で伐採された御柱は八ヶ岳農場
前の綱置場へと曳き出されて、4月上
長野県茅野市宮川2030
27
旬、豪壮さを誇る山出しまで、ひっそ
諏訪大社上社前宮
6月15日(水)
宝殿遷座祭
15
諏訪大社上社本宮
りと静粛な時を過ごします。
長野県諏訪市中洲宮山 1
上 社御柱祭
諏訪
大社
05
SUWA IN SHINSHU
御柱を各神社の境内に建てることを
めどでこが外され、建御柱の儀
里曳きは華やかな祭典絵巻のような
曳きつけられた御柱はめどでこを外
﹁建 御 柱﹂と い い ま す。本 宮・前 宮 に
﹁お舟﹂御輿が、御柱を迎える
祭りです。御柱屋敷を出た御柱は、大
は 宮 司 や、﹁お 舟﹂と 呼 ば れ る 御 輿 を
が巻かれると御柱はゆっくりと立ち上
ロープを付け、掛け声に合わせて車地
冠落しが終わった御柱にワイヤーや
威儀を正します。
﹁冠 落 し﹂を 行 っ て、御 神 木 と し て の
し、柱の先端を三角錐状に切り落とす
勢 の 氏 子 と 見 物 客 の 中 を、各 社 に 向
かってゆっくりと優雅に進みます。
里曳きの1日目は、御柱屋敷を御柱
担いだ白丁姿の山作り衆らが行列をつ
が出発する時を同じくして、本宮から
くって御柱を迎えに出発します。先頭
がります。御柱の先端に乗る氏子の手
られます。この時、奥山のモミの大木
しゃ ち
の 本 宮 一 之 御 柱 は、 迎 え の 一 行 に 続 い
によって長さ m の大御幣が打ち付け
里曳きでは、騎馬行列や長持ち、花
は ま さ し く 神 と な り ま す。翌 日 に は、
だいごへい
て本宮を目指します。
笠 踊 り、龍 神 の 舞 な ど が 繰 り 出 し て、
御柱の根元を大木
坂から川へ、息呑むクライマックス
柱 固 祭。こ う し て 仮 見 立 て か ら 2 年、
﹁めどでこ﹂に若衆がまたがる
御柱行列を盛り上げます。騎馬行列は
で叩いて固める御
江 戸 時 代 の 御 柱 警 護 が 始 ま り と さ れ、
度の木落し。
山出しから2ヶ月におよぶ上社の御柱
2日目の難所は、斜度
祭は宝殿遷座祭を経て厳粛に終わりを
㎞
往時の面影を色濃く残しています。長
告げることになります。
4 月 初 め の 3 日 間 を か け て、約
断崖上から御柱の先端が見えます。数
持唄や長持甚句が唄われる長持行列
なが
におよぶ御柱街道の山出し。綱置場か
も、その伝統的な美しさは圧巻です。
なが も ち じんく
万の大観衆を眼下にして﹁ここは木落
木 落 し を 過 ぎ る と、山 出 し 最 後 の 難
風情豊かに唄い、踊り、舞う。
華麗にして典雅。
もちうた
しお願いだー﹂の木遣りのひと声が響
1.5
ら、本宮一之御柱をはじめ8本の御柱
所、宮川の川越しです。御柱を雪解け
[ 建御柱 ]
が い よ い よ 動 き だ し ま す。﹁心 を そ ろ
ます。上社の御柱の特徴は柱から角の
水で洗い清める意味があるといわれて
ら一気に急坂を下ります。
よ う に 突 き 出 す﹁め ど で こ﹂。こ こ に
いの法被・腹掛け姿で太い綱を引き
鈴なりに乗る若者たち、おんべを振る
います。めどでこを左右に振りながら
川越しを終えた8本の御柱は、安国
がら川を渡ります。
一気に落ちる柱、皆ずぶ濡れになりな
静かに水に入る柱、水しぶきも豪快に
者、梃子棒で柱の方向を定める者、山
出しは厳粛かつ勇壮に始まります。
そして、大きく張り出した﹁めどで
こ﹂の先端が道の両側の民家の軒先に
触れそうなほど近づく第一の難所、穴
寺の御柱屋敷に曳き
えられ、一ヶ月
後、5月の里曳きまで待つことになり
上
27
山の大曲。木遣りの声を合図に、曳き
里
20
綱 を 引 き、一 気 に 木 落 し ま で 曳 か れ、
ます。
里曳 き
き渡ります。めどでこに大勢の若衆を
急坂を下り落ちる、川を越える。
豪快にして壮麗。
えてお願いだ﹂の木遣りが響き、氏子
[ 木落し・川越し ]
乗せたまま、御柱は、土煙を上げなが
山出し
たちは﹁ヨイサ、ヨイサ﹂と声を合せ、
上
1日目の行程を終えます。
ONBASHIRA
06
山
下
5月14日(土)
・15日
(日)
・16日
(月)
里曳き【建御柱】
下
社 の 御 柱 は、上 社 よ り さ ら に
早 く 御 柱 年 の 3 年 前 か ら、仮
見 立 て が 行 わ れ ま す。高 原 か ら 続 く
広大で豊かな森の中の国有林から巨
木 を 探 し 出 し、本 見 立 て が 行 わ れ る
の は 2 年 前。そ し て 1 年 前 木 遣 り
の 澄 み 渡 っ た 唄 が 響 き 渡 る 中、厳 粛
な儀式に則り、御柱が伐採されます。
8 本 の 御 柱 は、山 出 し 開 始 地 点 の
東 俣 川 の 渓 谷 沿 い の 棚 木 場 に 運 ば れ、
山 出 し を 待 ち ま す。伐 採 か ら 1 年 間
の 乾 燥 期 間 を 経 る た め、御 柱 の 重 さ
はるみや
あきみや
は上社よりもやや軽くなります。
下 社 で は、春 宮 と 秋 宮 そ れ ぞ れ 4
本ずつの御柱の伐採と曳行を担当す
る 地 区 が 決 め ら れ て い ま す。こ の た
諏訪大社下社春宮
5月13日(金)
宝殿遷座祭
4月8日(金)
・9日
(土)
・10日(日)
山出し【木落し】
め、上 社 の よ う な 抽 籤 式 は 行 わ れ ま
せ ん が、御 柱 祭 当 年 の 2 月 頃、下 社
秋宮前に下社の氏子たちは集合し受
け持ちを再確認して奉告する祭事を
行 い ま す。そ れ か ら 地 域 の 住 民 た ち
に よ り 御 柱 の 曳 綱 打 ち な ど、早 々 と
準 備 が 始 ま り ま す。作 り 上 げ ら れ た
曳 綱 を 長 持 式 に 組 み ま と め て、長 持
長野県諏訪郡下諏訪町193
唄をうたいながら町内を練り回ると
諏訪大社下社秋宮
いう慣習も残されています。
長野県諏訪郡下諏訪町5828
下 社 御柱祭
諏訪
大社
07
SUWA IN SHINSHU
山出し
[ 木落し ]
35 度の坂を、一気に駆け下りる。
おのの
慄きと背中合わせの美。
朱塗りの御輿に江戸の息吹き
新緑がまぶしい5月の中旬、いよい
よ御柱祭の最後を飾る下社の里曳きが
始まります。萩倉口と春宮のほぼ中間
にある注連掛に眠っていた8本の御柱
が春宮へ向けて出発します。また秋宮
から春宮へは、朱塗りの御輿とともに
御柱行列が差し向けられます。春宮に
着 く と 御 柱 大 祭 が 行 わ れ、国 道 1 4 2
号から旧中山道へ入った御柱は、短い
ながらも急な坂を下って春宮境内へ曳
きつけられ、春宮一之御柱はその日の
うちに建てられます。
秋宮の4本の柱は春宮境内を経て下
下 社 の 山 出 し 祭 は、上 社 の 山 出 し か
し、観衆の緊張が最高潮に達した瞬間。
木 遣 り と と も に、御 柱 が 頭 を 突 き 出
騎馬行列や花笠踊り、長持行列などが
対 照 で 華 や か な 雰 囲 気 に 包 ま れ ま す。
男気を見せる七年一度の晴舞台
ら 4 日 後 に 行 わ れ ま す。﹁奥 山 の 大 木
御柱を引き止めていた綱が、振り降ろ
華麗な道中絵巻を繰り広げます。
渓谷右岸の山腹を約3キロ、萩倉の集
曳 行 の 道 順 は、棚 木 場 か ら 東 俣 川 の
されないよう必死の形相で御柱に乗り
する危険がある中、男たちは振り落と
坂を突き進んでいきます。左右に横転
たたび穏やかな表情に戻り、さらに1
里曳 き
[ 建御柱 ]
いにしえの日本に触れ、感動。
熱狂と静粛のフィナーレ。
下 社 の 里 曳 き は、豪 壮 な 山 出 し と 好
里へくだりて神となるヨーイサ﹂と響
された佁の鈍い音とともに切られま
馬橋の前で初日の曳行を終えます。
き渡る木遣りを合図に、山腹の棚木場
す。下社の御柱は、大木そのもの。土
落を抜けると、ふいに目の前が開けま
㎞程の道のりを下社注連掛の台上まで
下
煙をあげ轟音を響かせながら、猛然と
す。そこに世に名高い木落し坂が待ち
川の河原を埋め尽くした大観衆から一
曳 か れ て 行 き ま す。そ し て 一 ヶ 月 後、
転がりながら坂を落ちた御柱は、ふ
ら木落しお乗り 諏訪の男の度胸だめ
し﹂の唄があるほどです。
続 け ま す。﹁男 見 る な ら 七 年 一 度 諏
訪 の 木 落 し 坂 落 し﹂﹁ど う せ 乗 る な
受けています。
度、距
木 落 し 坂 は、勇 敢 な 男 た ち が 立 ち 向
かう最大の見せ場。最大斜度
斉にどよめきがわき起こります。御柱
離100m 。御柱が姿を見せると、砥
35
に跨った若衆が、緊張の面持ちでその
5月の里曳きを待ちます。
里
目を覚まします。
で一年間ひっそりと眠っていた御柱が
大木そのもの、むきだしの迫力
下
瞬間を待ちます。
大観衆の見守る中、神となる御柱
2 日 目 の 出 発 地 で あ る 下 馬 橋 は、
かつては殿様もかごや馬から下りた
と い う 神 域。そ の 神 聖 な 橋 を 出 た 秋
宮の御柱は下諏訪の町中をゆっくり
と 進 み、長 い 坂︵大 社 通 り︶を 登 っ
て 行 き ま す。こ う し て 御 柱 は 2 日 目
を 終 え、最 終 日 は、い よ い よ 秋 宮 の
建御柱です。
御 柱 の 先 端 を 三 角 錐 に 整 え る﹁冠
落し﹂の儀を行った後、何本ものロー
プ が 取 り 付 け ら れ、氏 子 た ち の 手 に
よ っ て 御 柱 は そ の 頭 を も た げ ま す。
乗 り 手 の 持 つ﹁お ん べ﹂が 力 強 く 振
ら れ、ゆ っ く り と 立 ち 上 が り、神 と
な る 御 柱。数 万 の 大 観 衆 か ら 歓 声 が
沸 き 起 こ り ま す。仮 見 立 て か ら 3 年、
山出しから2ヶ月にわたって繰り広
げ ら れ た 御 柱 祭 は、最 後 に 秋 宮 四 之
御 柱 が 建 て ら れ、つ い に 終 幕 を 迎 え
ます。
ONBASHIRA
08
山
諏訪大社御柱祭曳行ルートMAP
御柱に道あり、人に作法あり。
御柱祭は、伝統ある諏訪大社の神事です。
氏子たちがその日に向けて何年もかけ準備を整えます。
そして迎える御柱祭の当日、
上社下社それぞれのルートに、
多くの観光客が訪れ、
七年に一度、
日常にはない賑わいを見せます。
お祭りの主役である氏子と、
しっかりと見守る観覧者たち、
両者の呼吸が合わさった瞬間、
最高の御柱祭がそこに出現することでしょう。
注意
上4
木落し
御柱祭当日情報は御柱祭公式ウェブサイト等により事前にご確認ください。
交通規制や観覧できる場所の指定もございますので、ご注意ください。
2 日目の難所は、斜度 27 度の木
落し。
めどでこに大勢の若衆を乗
せたまま、御柱が一気に急坂を下
渋川
ると沸き起こる拍手と歓声。木落
しは、男たちの度胸の見せ場であ
ると同時に、元綱係や梃子衆の技
の見せどころ。大歓声の中、御柱は
技と度胸によって坂を下ります。
上社
上社山出し
4月2日・3日・4日
上社里曳き
5月3日・4日・5日
下社
下社山出し
4月8日・9日・10日
下社里曳き
5月14日・15日・16日
おおまがり
上2
難所
「穴山の大曲」
第一の難所、穴山の大曲。道
が狭い上に屈折しており、巨大
な御柱をうまく操ってスムーズ
に通過させるのは至難の業。木
遣りの声を合図に、男綱・女綱
と呼ばれる曳き綱を引き、梃子
棒をかませ、御柱はゆっくりと
この難所を通過していきます。
上3
上2
玉川小入口
ち
柳沢
上1
一番塚
はら
ねのかみまえ
前宮の御柱 12.6km
本宮の御柱 13.8km
196
むら
原村
子之神前
し
上社曳行ルート
全長曳行路
玉川郵便局 ●
の
茅野市
● 八ヶ岳中央農業実践大学校
上3
1 日目の行程を終えた御柱は、
子之神で一泊するのがならわし
でしたが、最近は一気に木落し
まで曳くことも多いようです。
上1
綱置場
甲高い木遣りが響き、御柱は
綱置場を出発します。
上社の御柱の特徴である「め
どでこ」に乗っておんべを振る
者、梃子棒で柱の方向を定める
者、取り巻く観衆。それぞれの
思いを乗せて上社の山出しが始
まります。
諏訪南IC
ふ
じ
み
まち
富士見町
20
SUWA IN SHINSHU
09
しも
す
わ
まち
下諏訪町
下3
下3
岡谷IC
木落し坂 河横
川
下社山出し最大の見せ場。最大斜
度 35 度。足がすくむほどの急斜面が
約 100m も続く木落し坂で、御柱は
じりじりと崖の上にせりだし、追掛
綱(おいかけづな)が佁取衆(よきと
りしゅう)
によって切られると、一気
に坂を滑り下ります。
木落しは、曳行
開始と同じ順番で行われ、最も太い
秋宮一の柱が最後を飾ります。
下1
下社曳行ルート
下4
た な こ ば
下1
棚木場
下諏訪町大平にある下社山出
しの開始地点。
「これより曳き出
し お願いだ」
、木遣りの一声で
氏子が心をひとつに曳行を開始
します。初日に春宮四、春宮三、
秋宮二の順で、2 日目は秋宮四、
春宮一、春宮二、秋宮三、秋宮一
の順で曳き出されます。
砥
川下5
下6
20
自
下4
動
注連掛
車
山出しの最終地点。坂を下った御柱
道
はその日のうちに、この地に曳きつけ
し め か け
大社通り
下諏訪駅
られます。そして注連掛祭が行われ、5
月の里曳きまで安置されます。
おか
や
下2
萩倉の大曲
大きいカーブのため全体が見渡
せない難所のポイント。
ここを一気
に通り抜けられるか、元綱係・梃子
衆・追掛綱係の腕の見せどころ。
し
岡谷市
下5
春宮の御柱 6.5km
秋宮の御柱 8.1km
全長曳行路
下2
諏
岡谷JCT
中
央
自
動
車
道
天
竜
川
訪
湖
下社春宮
下6
注連掛から 8 本の御柱が春宮
へ向かって出発します。春宮境
内東側の急斜面に着くと、その
狭い箇所から木落しが行われま
す。境内に曳きつけられた春宮
一∼四の柱は「冠落しの神事」が
行われ、その後「建御柱」が行わ
れます。
秋宮の 4 本の柱は、春宮
境内を経て下馬橋の前で初日の
曳行を終えます。
下社秋宮
里曳きの 2 日目、秋宮の御柱
は下馬橋から曳き出され、下諏
訪の町中をゆっくりと進みま
す。また神賑わいと呼ばれる「騎
馬行列」
「長持ち」なども必見。
最
終日は秋宮の建御柱。「冠落し」
が行われ、社殿の四隅に御柱が
建てられ、千秋楽です。
催し物パ
レードで通り沿いは人で埋めつ
くされます。
上
諏訪IC
上8
神宮寺
上8
上社本宮
前宮と同様、ここでも建御柱が
行われます。
上社では約一月後、建替えられ
た新しい宝殿に神霊をお遷しする
「宝殿遷座祭」の神事が厳かに執り
行われます。
上社では前宮に宝殿
が無い為、本宮でのみ行われ、御柱
祭の重要な祭事となっています。
わ
し
10
ONBASHIRA
長峰
諏訪市
中河原
● 茅野高
上6
152
宮川の川越し
木落しを過ぎると待ち受ける
のが、山出し最後の難所、宮川の
川越しです。御柱を宮川の雪解
け水で洗い清める意味があると
いわれ、水温 10 度以下の身を切
るような冷たい流れに、我先に
と飛びこむ姿は壮観です。
上社前宮
里曳きを彩る「長持ち」や踊りは神賑
わいと呼ばれ、歴史絵巻さながらに華
やかにくり広げられます。
御柱を各神社の境内に建てることを
建御柱といいます。前宮・本宮に曳き
つけられた御柱はめどでこを外し、柱
の先端を三角錐状に切り落とす「冠落
し」
を行って、御神木としての威儀を正
します。
冠落しが終わった御柱にワイヤーや
ロープを付け、掛け声に合わせて車地
(しゃち)が巻かれると御柱はゆっくり
と立ち上がり、やがて直立。先端に乗
る氏子の手によって長さ 1.5m の大御
幣が打ち付けられると奥山のモミの大
木は神となるのです。翌日に御柱の根
元を大木 で叩いて固める御柱固祭が
行われ、仮見立てから 2 年に及んだ柱
の曳き建てが幕を閉じます。
上4
上5
す
上5
上7
茅野駅
上7
御柱屋敷
上6
川越しを終わった 8 本の御柱は、安国寺の御柱屋敷に曳
き えられ、
5 月の里曳きまで安置されます。
そして山出しから一カ月。晴れの舞台を待っていた御柱
に、いよいよ華やかな里曳きの時がやってきます。御柱屋敷
を出た御柱は、
各社に向かってゆっくりと優雅に進みます。
O
U
SUWA IN S
IRA
HIN
SH
SH
A
B
N
温泉
SP RIN G
H OT
温泉郷。
全国屈指と言われる豊富な湯
諏訪湖東岸に広がる信州有数の大
方神は、出雲の国譲りを迫る建御雷神
大国主命の次男として生まれた建御名
おおくにぬしのみこと
日本各地に湧く温泉は優に三千以
と力比べの末、母の奴奈川姫、妻の八
場する開湯伝説がいくつか。その主人
まれてきた諏訪の温泉にも、神様が登
く あ り ま せ ん。〝神 の 湯〟と し て 親 し
変えてその穴に入り、身を隠したとさ
を掘り、神様たちはそれぞれ蛇に姿を
が大勢集まって彼らのために三つの穴
坂刀売神と共に、信濃国へ。地元の人々
たけみかづちのかみ
上。中でも古い歴史と伝統を有する温
公となるのが、諏訪大社に祀られてい
は 御 室︶﹂と 呼 ば れ る よ う に な り、や
がてそこで見つかったのが﹁蓼科三室
建御名方神とケンカを
や さ か と め の か み
れています。大変暖かく、快適だった
たけみなかたのかみ
︱
した八坂刀売神が諏訪大社上社から下
置いたところから湧いたのが下諏訪温
のが上諏訪温泉。下社に着いて湯玉を
途中、湯の雫が落ちたところに湧いた
れ て い ま す。何 千 年 と い う 時 を 経 て、
め の 天 然 温 泉 で﹁長 寿 湯﹂と も 呼 ば
な ん で 竜 の 口、流 れ 出 る の は 少 し 熱
湯﹂の 手 水 舎。湯 口 は 竜 神 伝 説 に ち
え て い る の は 全 国 で も 珍 し い﹁御 神
ち な み に、下 社 秋 宮 で 参 拝 者 を 迎
源泉﹂であると伝えられています。
泉 で、こ の 神 話 に 基 づ い て﹁綿 の 湯﹂
今も神話の世界に通じている諏訪の
ラエティに富んだ美術館や博物館が
あり、
立ち寄り湯だけでなく湖畔の散
策も楽しめます。
下諏訪温泉
交点として、
また温泉のある貴重な宿
江戸時代には中山道と甲州道中の
訪。
かつての本陣が残る街並には歴史
もちろん、
旅行者にも好評です。
蓼科温泉・奥蓼科温泉
古くから保養地として賑わってきた
標高1200mを越す高原に位置し、
蓼科温泉。一説には、武田信玄の隠し
湯だったとも伝えられています。泉
質は単純泉が主で、泉温は約30∼67
度ほど。リュウマチや胃腸病のほか、
肌がすべすべになって美容効果も期
待できるそうです。冬場はゲレンデ
帰りに利用する人も。
と清められるようです。
ち寄れる共同浴場も多く、
地元の人は
︱
場町として、その名を知られた下諏
湯 に つ か れ ば 身 も 心 も 温 ま り、自 然
と名付けられました。心の汚れた人が
に 含 ま せ、湯 玉 に し て 持 ち 帰 り ま す。
社へお移りになる際、化粧用の湯を綿
神代の昔
す。
その三つの穴はいつしか﹁三室︵古く
る建御名方神と妃神の八坂刀売神で
ぬ な か わ ひ め
泉には、神話に端を発するものが少な
泉、
塩化物泉、
単純温泉など。
気軽に立
こ の 湯 に 入 る と 湯 口 が 濁 る と 言 わ れ、
性単純温泉、炭酸水素塩泉など。温泉
また、蓼科温泉にはこんな神話が
ある旅館が軒を連ね、
昔ながらの風情
温 泉。神 様 と の ご 縁 を 感 じ な が ら お
量を誇り、
湖畔では足湯や間欠泉が楽
﹁湯 口 の 清 濁﹂と し て 下 社 の 七 不 思 議
しめます。泉質は単純温泉、アルカリ
のひとつにも数えられています。
街には大型ホテルや旅館をはじめ、
バ
神が導く湯、湯が導く縁
上諏訪温泉
を醸し出しています。泉質は硫黄塩
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SUWA IN SHINSHU
あげての祭りもそう。諏訪においては
のことを示します。もちろん、地域を
日常とは一線を画す大切な行事や慶事
酒=日本酒。ハレとは﹁晴れ﹂とも書き、
古来、ハレの日に欠かせなかったお
を介して親睦を深めるシーンがそこか
他所からの見物客らとも美味しいお酒
この日のために故郷へ帰ってきた人や
に お い て も 地 元 の 人 同 士 だ け で な く、
る絶好の機会となっています。御柱祭
してまた様々な人とお酒を酌み交わせ
なる精神状態になる、それにより神様
うことで意識が高揚し、平常時とは異
そう考えていました。また、お酒に酔
も霊力を分けていただける、昔の人は
に捧げたものを口にすることで自分に
加者へ振る舞われるのが習わし。神様
の席で食物等のご神饌と共に祭りの参
お神酒を供え、
神事を締めくくる﹁直会﹂
冷 で い て 自 然 豊 か な 風 土 も 相 ま っ て、
美山錦をはじめとする優良な酒米や寒
水は、酒造りの仕込み水に最適な軟水。
この地を潤す清涼な霧ケ峰高原の伏流
酒 党 の 心 を く す ぐ る 銘 柄 が 並 び ま す。
金﹂
﹁横笛﹂
﹁真澄﹂
﹁ダイヤ菊﹂と日本
﹁高天﹂﹁神渡﹂﹁御湖鶴﹂﹁舞姫﹂﹁麗人﹂﹁本
諏訪市、茅野市に計9つの蔵元があり、
ぞ 知 る 酒 ど こ ろ。岡 谷 市、下 諏 訪 町、
のあるお宅では毎月1日や15日、また
お祝い事のある時にお供えすること
も。
お供えしたお酒には神様の御霊が
こもるとされています。
きものですが、
諏訪地方では諏訪大社
酒蔵にお酒の神様を祀る神棚はつ
への日頃の感謝と祈念をこめ、
7年に1
度の御柱祭にあわせて独自に小宮を
設ける蔵元もあるそう。
銘酒
「真澄」
で
知られる宮坂醸造では敷地内のお稲
荷さんに御柱を建てています。
O
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七年に一度の御柱祭こそ、ハレの最た
の領域に近づける、そんな思いもあっ
上質な日本酒が育まれてきました。御
何と言っても、諏訪湖周辺は知る人
しこで見られます。
多くの祭りにおいては、まず神様に
るものと言えるでしょう。
たよう。つまり、お酒を飲むこと自体
柱祭に際しては各酒蔵が趣向を凝らし、
なおらい
が神事行為の一幕であり、神様とのコ
ONBASHIRA
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オリジナルの限定ボトルや特別セット
酒や一升瓶を神社へ奉納します。
神棚
などを発売するとのこと。それを目当
※工場敷地内にあり一般公開はされておりません。
ミュニケーション手段だったのです。
お神酒
(みき)
とは字の如く、
神様の
てに訪れる人も大勢いるようです。
酒蔵の小宮
祭 り は 神 聖 な も の で あ る と 同 時 に、
お酒。
祭りの際などには晴れやかな
大勢の人が集い、盛り上がれる場。そ
お神酒
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HIR
IN
S
SH
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お酒
SA K E
祭りどころに美酒あり
小
小宮の御柱
御柱に会いに
あの町へ、
この里へ
御柱祭、
実は諏訪大社だけではあり
ません。
諏訪地方各地にある諏訪大
社ゆかりの神社はもちろん、
直接関
係のない神社でも御柱を曳いたり、
建てたり。
夏の終わりから秋にかけ
て催される、
それら
「小宮の御柱」
は
地域色豊かで、
楽しさ満載です。
SUWA IN SHINSHU
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諏訪大社の御柱祭が終わると、今度は各
地 域 の 神 社 で 御 柱 祭=小 宮 祭 が 始 ま り ま
す。小 宮 と 呼 ば れ る の は 諏 訪 地 方 の 6 市 町
村︵岡 谷 市・諏 訪 市・茅 野 市・下 諏 訪 町・
富 士 見 町・原 村︶に 点 在 す る 大 小 様 々 な 神
社。諏 訪 大 社 に つ な が る 神 社 だ け で な く、
諏訪の神々とは全く無縁の氏神から八幡社
や 稲 荷 社、各 地 区 の 産 土 神、道 祖 神、個 人
の屋敷神にいたるまで、それぞれに御柱が
建てられます。
本家本元の御柱祭に比べると規模こそ小
度以上の急坂
さ い も の の、山 出 し、里 曳 き と い う 行 程 は
ほ ぼ 同 じ。中 に は 最 大 斜 度
を一斉に曳き上げて時間を競うもの、提灯
に照らされて夜間曳行するもの、石段を曳
き上げるもの、子供たちの木遣りや笠踊り、
仮装行列を伴うものなどもあり、実に多彩
ま た、霧 ヶ 峰 の 最 高 峰、車 山 の 山 頂 に 鎮
です。
座する車山神社でも小宮祭があり、大変珍
しい山頂ヘの御柱の曳き上げが行われま
す。3 6 0 度 の 大 パ ノ ラ マ の 中 に そ び え る
4 本 の﹁天 空 の 御 柱﹂は、登 山 者 の 安 全 を
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小宮の御柱祭は、早いところで8月下旬。
見守り続けるシンボルともなっています。
9 月 に 入 る と あ ち こ ち で 盛 ん に 催 さ れ、
月下旬まで行われています。幼い子供から
お年寄りまで地域の人々がこぞって参加し
て 大 い に 盛 り 上 が る〝お ら が 町〟の 御 柱
祭。諏 訪 大 社 の 御 柱 祭 だ け で な く、地 元 愛
がひしひしと伝わってくる小宮の御柱祭へ
も一度足を運んでみてはいかがでしょう。
ONBASHIRA
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40
上越新幹線
篠ノ井線
長野
長野
自動車道
北陸新幹線
信州
諏訪
中央自動車道
中央本線
東海北陸道
北陸自動車道
北陸本線
R152
約83km
諏訪地域
R142
約66km
信濃境
IC
富士見
佐久
東 京
約150km
すずらんの里
青 柳
茅 野
上諏訪
上信越
自動車道
中央自動車道
中央本線
IC
IC
IC
長野自動車道
約180km(名古屋から)
諏訪地方観光連盟 御柱祭観光情報センター
岡谷市・諏訪市・茅野市・下諏訪町・富士見町・原村
0266‐58‐1123
www.onbashira.jp
名古屋
大阪
飯田線
岡谷
約173km
関越自動車道
上信越自動車道
諏訪南
中央自動車道
IC
北陸自動車道
金沢
下 社
諏訪
約175km
名古屋
大 阪
名神高速
下諏訪
上 社
IC
岡谷
IC
約10分
諏訪
車
約171km
諏訪南
京
東
中央自動車道
中央本線
大糸線
下 社
岡 谷
約1時間45分
塩 尻
名古屋
大 阪
新幹線
中央西線
特急
岡 谷
上 社
約1時間10分
☎
下諏訪
上諏訪
茅 野
青 柳
すずらんの里
電車
富士見
約2時間
信濃境
小淵沢
新 宿
中央本線 特急
飯山線
上信越道
関越自動車道
信越本線
アクセス
東名高速道
名神高速道
御柱祭の詳しい情報は御柱祭ホームページ
www.onbashira.jp へ
※本書に記載しました曳行ルート、
行事内容、
行程等は、
前回
(平成22年)
御柱祭までの慣例、
および平成27年6月現在までの情報に
基づくものです。
平成28年御柱祭は、
今後その内容が検討・決定されていきますので、
本書の記載と異なる場合があります。※本書
に記載の文献・図版・写真の無断掲載を禁じます。
※この事業は平成27年度長野県地域発元気づくり支援金を活用しています。
東京