劇団道化 『知覧 ・ 青春~アイ ・ アム ・ ヒア!~』 を観劇 劇団道化 『知覧

No. 105(2009. 4)
国際児童青少年演劇協会
日本センター
〒102-0085
東京都千代田区六番町13-4
浅松ビル2A
T E L 03(5212)4773
F A X 03(5212)4772
Mail: [email protected]
Web: http://www.assitej-japan.jp/
<略称・アシテジ>
発行者 アシテジ日本センター
月
日「国際児童青少年演劇の日」
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童青少年の平和を願って
年パリで設立されました。
そういう意味からも、平和を
願って創られたこの作品を観る
ことに、非常に大きな意義があ
ると思います」と挨拶、観客席
からは多くの拍手が贈られた。
開演。
舞台の下から 本の大きな円
錐状のビニール袋が立ち上がっ
てきて、そこは天国である。
主人公の今日子が死んで天国
に来たのだ。昔の恋人である良
彦の行方を捜そうと、受付係の
生前は炭鉱夫であったという野
見山とのユーモラスな問答。
年 月の特攻
劇団道化『知覧・青春~アイ・アム・ヒア!~』を観劇
年演劇の日」を実施した。
会場は、両国の江戸東京博物
館ホール。 百人程度収容の客
席は、演劇公演には、うってつ
けのホールである。
時 分会場。受付では、ア
シ テ ジ 日 本 セ ン タ ー の 役 員 が、
観客一人ひとりに「本日は国際
児童青少年演劇の日です」と声
をかけながら、リーフレットを
手 渡 す 。「 へ ェ ー 、そ ん な 日 が
あったの」と観客。
観客席は、ほぼ満杯。
劇団代表の篠崎省吾氏の挨拶
の後、篠崎氏に紹介されて、内
木文英会長がステージに上がる。
内木会長の挨拶。
「 今 日 は 、国 際 児 童 青 少 年 演
劇の日です。世界各国でいろん
な催しが開かれています。
日本では、この『知覧・青春』
公演を皆さんで観ることにしま
した。アシテジは、世界中の児
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そして、昭和
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当日配布したリーフレット
絵・河野真理子(風の子東京)
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20
月 日 は 、「 国 際 児 童 青 少
年 演 劇 の 日 」、世 界 各 国 で 児 童
青少年演劇の各種の催しが開か
れている。
ア シ テ ジ 日 本 セ ン タ ー で は、
2005 年 に 、 ウ ォ ル フ ガ ン
グ・シュナイダー世界会長(ド
イツ)を招聘し講演会を開催。
2006年には、イギリスの
ジョナサン・ニーランズ博士の
「 幼 ・ 少 年 期 に お け る 演 劇 」と
題した講演会を開催した。
諸 般 の 事 情 が あ り 、一 昨 年 、
昨年と休んだ。
今年は、おりから「参加・体
験・感動!ふれあいこどもまつ
り 」( 同 実 行 委 員 会 ・ 東 京 都 他
主催)で、劇団道化の『知覧・
青 春 ~ ア イ・ア ム・ヒ ア ! ~』
(中 村 芳 子・篠 崎 省 吾 作 / 永 井
寛孝演出)公演があり、同劇団
(アシテジ日本センターの会員)
の 協 力 を 得 て 、「 国 際 児 童 青 少
基地、知覧へと舞台は変わる。
歳の特攻隊員の良彦と今日
子の純情な愛の交歓。
天国と昭和 年の知覧が交錯
する。
お国に命を捧げようとする若
者の一途な思いが胸を打つ。
それが爽やかに描かれている
だけに観客の涙を一層誘うのだ。
野見山のユーモラスな言動も
またまた笑いを誘う。
「アイ・
今日子の最後の台詞、
アム・ヒア!」に納得。
現代の中学生あたりに是非観
せたい作品である。
終演。
涙を湛えた観客が席を立つ。
満足そうな顔、顔、顔、
・・・。
「国 際 児 童 青 少 年 演 劇 の 日」
に相応しい作品であった。
(I)
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アシテジ日本センター
〈第 回定期総会〉のお知らせ
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◆期日 二〇〇九年 月 日(日)午後 時〜
◆会場 西新宿「芸能花伝舎」
─
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で目下加盟の討議が進んで」い
るとあるから、落ち着いた時点
での発表、と考えていたと思わ
れる。
ところがである。会員名簿が
発表されるのが設立から約 年
半 後 の 『 ア シ テ ジ 』 のNO3
( 月 日)である。
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会員名簿発表が遅れた理由
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設立後
年半経過しているか
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石 坂 慎 二
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(アシテジ日本センター事務局長)
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アシ テ ジ 日 本 セ ン タ ー の
歴史を振り返る⑥
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何故そんなに遅れたか。私の
推測も入るが、全国おやこ劇場
子ども劇場の団体加盟を待って
いたふしがある。つまり、劇場
の全国連に気をつかっていたと
の「希望劇団」と比較してみる
ら、設立時から若干は増えてい
いうことである。
と、池袋小劇場・ジュヌパント
る 筈 で あ る が 、『 ア シ テ ジ 』
当時、おやこ劇場子ども劇場
ルが抜け、人形京芸・たんぽぽ・
号から当時の会員をみてみる。
は、日本中に燎原のごとく拡大
むすび座・RNCが新たに参加
し、いわゆる“飛ぶ鳥を落とす
団体A会員(AとB会員につ
している(劇団四季が参加して
いては次号で述べる。ここでは
勢い”であった。ゆえに多田さ
いることに注目して欲しい)
。
年会費がAが十万円、B会員が
んたちは当然巻き込みたかった
六万円、とだけ書いておくに留
はずである。
個 人 加 盟 は ど う か 。内 木 文
英 ・ 大 野 幸 則( と も し び )・ 荒
める)に、風の子・杉の子・前
当初はアシテジ日本センター
木 昭 夫( 人 形 京 芸 )・ 立 川 雄 三
進 座・関 西 芸 術 座・四 季・
の設立に積極的であった全国連
月・野ばら・ひまわり・ひとみ (未踏)・小崎せつ子(いちょう
だが、いつの間にか“アシテジ
・しかたしん(うりんこ)
・
に 頼 ら な く て も 、自 分 た ち で 、 座・人形京芸・たんぽぽの 劇 座)
井上ひさし・平井雅士・栗原一
団 。( 社 )日 本 児 童 演 劇 協 会 も
海外劇団の招聘ぐらいはでき
登 ・ 土 方 与 平( 青 年 劇 場 )・ 宮
る”
と思ってきていたのである。 A会員の筈だが、名簿から抜け
下俊樹・相羽源之助(東少)の
落ちているのは単なるミスとし
設立後 年を経て、シビレを
人。調べてみて、この当時か
て、 劇団と 団体で 団体。
切らした感じで『アシテジ』
ら、井上ひさしさん、土方与平
号 で の 発 表 と な っ た 感 が あ る。 団体B会員に、キオ・ちろり
さんの名があったことに、私自
ん・らくりん座・むすび座・R
したがってそこには全国連の名
身驚かされた。
NCの 劇団と、日本演劇教育
前はなく個人加盟もない。
連盟と少年演劇センターの 団 とにかく、かくして一九七九
設立当初の会員は
年 月 日、渋谷で設立総会が
体で 団体。
『児演協』 開かれたのである。
冒頭のしかたさんの
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─設立総会開催(設立当初の会員)
3
「中城まさお(新
個人加盟は、
劇団が参加を希望するも
芸 術 )・ し か た し ん( 劇 団 う り
・
ようやく、設立総会に辿りつ んこ)・荒木昭夫(人形京芸)
けそうである。
小 崎 せ つ 子( い ち ょ う 座 )・ 池
その前に、設立の約 ヶ月前 田久仁雄・高橋長明(共に新児
の 児 演 協 の 機 関 紙 『 児 演 協 』 童)」の六人である。
( 月 号 )か ら 、し か た し ん さ
設立時の会員名簿が遅れる
んの「アシテジ日本センタ ー 設
立へ準備すすむー劇団側打 ち 合
一九七九年 月 日に設立総
会が開かれるのだが、設立時の
わせ会開催」をみてみよう 。
会員名簿が見つからない。当時
まず「昨年十一月、児演 協 事
のことを知るには、
機関紙
『アシ
務局の方から各劇団へ参加 希 望
テジ』を頼るしかない
(アシテジ
の有無を照会したところ、 十 四
劇 団 よ り 参 加 希 望 が 寄 せ ら れ、 日本センターの資料があるのは、
私の前の事務局長阿部雅幸さん
五劇団より当面個人の資格 で 加
が就任してからのものである)
。
盟したいという希望が寄せ ら れ
機 関 紙 の 創 刊 号『 ア シ テ ジ 』
た」とある。
月 日付け発行にも、会員名
設立の約 ヶ月前のこの 時 点
簿がない。何故ないのか。
での参加希望の劇団をみてみ
る。団体加盟が「劇団 月 ・ 劇
『 ア シ テ ジ 』創 刊 号 に は 、事
務局長のしかたさんの「設立経
団 杉 の 子・関 西 芸 術 座・前 進
過」と題した文章がある。
座・劇団四季・劇団野ばら ・ 劇
「 現 在 、団 体 加 盟 を 終 っ た の
団ちろりん・劇団風の子・ 劇 団
が十七劇団と、演教連、日本児
ひまわり・人形劇団ひとみ 座 ・
童演劇協会。個人加盟は約十名
池袋小劇場・ジュヌパント ル ・
といった所です」とあり、さら
らくりん座・劇団キオ」の 十 四
に「児演協加盟の幾つかの劇団
劇団。
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行います。サダリメンバーにと
っ て は 、仕 込 ん で 、公 演 し て 、
バラシて、移動してなんて、初
めての経験だと思います。
めげたこともホームシックに
なったこともあったかもしれま
せん。しかし、彼らが、よく口
にしていた事があります、暑い
鹿児島、熱い皆さん、温かな気
持ち、美しい鹿児島。そしてお
いしい食べ物。
ステージが終わり、鹿児島
を 去 る と き 、「 別 れ で は な く ま
委 員 の 中 高 生 と 青 年 、そ し て 、 た す ぐ 会 え そ う な 気 が し ま す 。
運営委員のお母さん方が集ま
それまで、お元気で!」とお互
り、大きな歓迎会です。
いにいい交わしました。
全体を進めていくのは、青年
日本公演の千秋楽は福岡での
です。お母さんはまったくとい
ス テ ー ジ 。風 の 子 九 州 主 催 。
って良い位、表には出ません。
今までの手打ちと違う層のお客
歓迎会が終り、初日の公演会
さんが広がった公演でした。な
場に移動します。会場は、中学
んだか嬉しい公演でした。
校の体育館です。
「 時 計 が 止 ま っ た あ る 日 」の
テーマが、観客と舞台で共有で
会場に着くと、実行委員の中
高 生・青 年 が 出 迎 え て く れ ま
きたステージでした。
す。お母さん方は、謙虚にほほ
今年(2009年) 月 日
えんで迎えてくれます。
( 水 )に は 東 京 ・ 北 沢 タ ウ ン ホ
初 日 は 人 近 い 人 数 で し た。 ールで、 月 日(金)には岸和
週間前までは、目標に達して
田 の 浪 切 ホ ー ル で 公 演 し ま す。
いないのでどうしようといって
そ の 後 、「 キ ジ ム ナ ー フ ェ ス 」
いたのに、すごいことです。
に参加します。皆さんに、ぜひ
観てほしいと思います。
終演後、円陣を組んでの事後
の交流会。
私たち、風の子九州は、 月
釜 山 国 際 フ ェ ス・巨 済 島 フ ェ
ス・ソウルで公演予定です。
どんな、出会いが待っている
か楽しみです。
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300
▲公演終了後、舞台上での交流会
取 り 組 ん で ど う だ っ た の か。
今日の芝居は・・などなど。
もちろん劇団のメンバーも一
言ずつ話します。これは、毎回
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2
(劇団風の子九州)
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末 広 幸 子
のことを真正面からとらえた作
品だと思います。
重たいテーマにもかかわら
ず、その表現は無言で身体と音
と美術やアートの世界で、感性
に訴えるものとなっています。
深い人間と信頼とやさしさと
愛に包まれた俳優の表現が、観
る者の創造力を刺激し、深めて
いく作品になっています。
「こ の 作 品 を 今 の 子 ど も た ち
に伝えたい!」
』
上記のような感想を伝え、検
討した結果、
決定となりました。
公演前の 月、県内の各劇場
か ら の 代 表 人( 中 高 生 ・ 青
年・大人)が訪韓し、話し合い
やワークショップ等、感動的な
出会いでした。
月 日、メンバーは釜山か
ら船で福岡へ。そして新幹線と
車で鹿児島へ。鹿児島に到着し
て、夕方、劇場の事務所でささ
やかで温かい歓迎会。
片言の韓国語と日本語での会
話が飛び交います。お互い不安
と緊張と期待が入り交じった中、
あちこちで笑いがおこります。
サダリメンバーは、一生懸命
覚えてきた日本語での自己紹介。
その度に拍手がおこり、
一気に、
気持ちが和んだ事でしょう。
月 日・ 日リハーサルの
中、マスコミ関係を、係りのお
母さんと一緒に回りました。
日(土)は、県内から実行
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今、子どもたちに 伝 え た い 作 品
韓国・劇団サダリ
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『時計 が 止 ま っ た あ る 日 』
昨年(2008年) 月 日
から 月 日まで、韓国・ ソ ウ
ルの劇団サダリ「時計が止 ま っ
た あ る 日 」( 戦 争 を 題 材 に し た
創作劇)を、鹿児島県子ども劇場
「第 回 高 学 年 子 ど も 芸 術 祭 典
作品」として公演しました 。
日間 ステージの公演でし た 。
作・演出は、2003年 に 文
化 庁 の「 海 外 芸 術 家 招 聘 研 修 」
制度で、
(社)日本児童演劇協会
で ヶ月研修したキム・ミ ン ジ
ョンさん。この作品は「ソウル児
童 演 劇 賞 特 別 部 門 賞 企 画 賞」
「 2006 韓 国 文 化 芸 術 委 員 会
今年の芸術賞 演劇部門」を受
賞した評価の高い作品です。
風の子からは照明をみかみか
ん、風の子九州からあさのゆみ
こが、公演班の責任者として参
加しました。
この公演は、鹿児島県内すべ
ての子ども劇場の、中高生が中
心となっての取り組みです。
公演に至るまでの経緯を、簡
単にご報告させていただきます。
「高学年祭典」
に
風の子九州に
作品を、という依頼がきました。
劇団に高学年に相応しい作品が
なく、隣の韓国の作品はどうだ
ろうかということになり、風の
子 九 州 の 林 陽 一 の 推 薦 も あ り、
鹿児島県子ども劇場の藤英子さ
んと下見したのが、劇団サダリ
の
「時計が止まったある日」
です。
藤さんの感想をかなり要約し
て引用させていただきます。
『日 本 に な い 表 現 様 式 の 舞 台
です。今、子どもたちに本当に
伝えなきゃいけない戦争や平和
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松 林 ふき子
ソウ ル へ 行 っ て き ま し た
いて、ご一行様だった私たちも
特別な目で見られていたと思う。
今のソウルは、夜も明るく輝
いていて、キラビやかに変貌し
ていた。対日政策、文化交流あ
ってのことなのか、アシテジの
月の 日から 日の間、ア か さ れ て い た 、二 泊 三 日 の 旅 。 交流もその流れのひとつなのだ
シテジ韓国センター主催の「冬 覚悟して羽田へと急いだ。
ろうか。今回の同行の方々も交
の国際フェスティバル」が 開 か
流を深めているらしく、韓国の
行ってみると、初日と二日目
れると聞いて、ソウルへ行くこ は 快 晴 。「 エ ー ッ 、寒 く な い じ
方々との再会を楽しみにしてい
とにした。
ゃん」と言っていたが、三日目
るという。
今年で 回目という冬のフェ は明け方からの雪。十センチ以
観 劇 し た の は 、『 ハ ル マ ン 』
スティバルと聞いて、胸躍らせ 上積もり、北国らしくなった。
と『 い ひ ひ 、お ほ ほ 、う は は 』
たが、公演するのは 演目 だ と
パ ッ ク ツ ア ー と い う こ と で、 という韓国の 作品になった。
いう。プログラムによると、風 途中で〝みやげ店〟へ寄らされ
『 ハ ル マ ン 』は 済 州 島 の 伝 統
の子の『風の子バザール』を始 たため、パンフにあった『マッ
的な神話をもとにした話。子ど
め、 演目が海外のものだ。そ チ売りの少女』は、結局観るこ
もたちは演者と同じフロアーに
れが〝目玉〟なのか。
とができなかった。
いて、
舞台と客席が一緒だった。
私たちは、韓国の『ハルマン』
十数年前来た時は大変だっ
さらに公演を観るだけではな
とデンマークの『マッチ売りの た。あの頃は教科書問題もあり、 く、竹で作ったマラカスや笛な
少女』を観ることになっていた。 日本に抗議する民衆の盛りあが
ど、配られた楽器を手に音響効
「 冬 の ソ ウ ル は 寒 い よ 」と 脅 りもあり、街全体もピリピリして 果 に 参 加 し 、身 振 り を 模 倣 し 、
布で作られた雲や山や魚などを
再成したりの経験もしていた。
布を使っての海や風など、日
用品を使っての舞台装置。子ど
も た ち は 床 に 座 っ て い た の で、
布が上空を舞うと歓声をあげ
て 、跳 ん だ り 、さ わ っ た り で 、
裏方が子どもたちを静める姿も
ご愛嬌で、ご苦労さまと言葉を
重ねる場面もあった。
劇はテンポよく進行して、あ
れ こ れ と 工 夫 さ れ て い た の で、
五歳からという子どもたちも舞
台に引き込まれていた。
『いひひ、おほほ、うはは』は、
出演者が会場入り口に立ち、入
場者一人ひとりに「いひひ、お
ほほ、うはは」と声をかけ、そ
れに応じると入れるという形で
観客席についた。
母親が外出中のキッチンでの
話。彼女は友だちを呼んで、お
芝居をつくることを考えてい
る。家の道具は、芝居の道具。ウ
サギに勝とうとするカメ、カメ
とウサギの話をつくろうとする。
想像力あふれる不思議な世界。
楽器を奏で歌い踊り、熱意が
伝 わ る 舞 台 で 、指 人 形 、影 絵 、
シャボン玉もとび出した楽しい
舞台であった。
最後には、観客の子どもたち
との問答もあり、子どもたちも
それを楽しんでいた。
夜は二日間とも、ソウルの児
童青少年演劇人と懇談、酒を飲
み、食べ、大いに語り合った。
▲左から石川・松林・金有眞・加瀬部
▲『ハルマン』
海外公演情報
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■ 劇 団 風 の 子 九 州 は 、『 に っ こ
り ぽ っ か り 座 』( 中 島 研 作 ・ 構
成 演 出 )で 、 月 日 ~ 日 、
釜 山・光 州・ソ ウ ル な ど で、
「 2009韓 国 公 演 ツ ア ー 」 を
行う( 回公演予定)
。
■ 劇 団 道 化 は 、『 び き の コ ブ
タ』
で、 月 日~ 月 日、「中
国建国 周年記念国際児童演劇
祭」として、幼稚園など、北京
市内で公演する( 回公演)
。
■演劇集団遊玄社は、アシテジ
韓国センター主催「韓国サマー
フ ェ ス テ ィ バ ル2009 」 で 、
月 末 ~ 月 初 め 、『 イ ソ ッ プ
ラ ン ド の 動 物 た ち 』( 関 矢 幸 雄
構成・演出)を上演する。
■ オ ペ レ ッ タ 劇 団 と も し び は、
ラオス・カンボジア・ベトナム
の ヶ国で、 月 日~ 月
日 、『 シ ン プ ル プ レ イ び き
の こ ぶ た 』( 関 矢 幸 雄 構 成 ・ 演
出)を上演する。
■劇団影法師は、トルコ共和国
のイスタンブールほか 都市
で、来年(2010年) 月
日~ 月 日、スーパーカゲエ
『竹取物語』
(鵜山仁演出)を上
演する( 回公演)。
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【 編 集 委 員 】石 坂 慎 二 、上 保 節
子、菊田朋義、林 陽一、ふじ
たあさや
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▲『いひひ、おほほ、うはは』
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