2015年12月13日礼拝説教

心さえも刺し貫く
ルカの福音書2章25節~35節
2015年12月13日(日)礼拝説教
皆さん、お早うございます。
いよいよ、来週は、クリスマス礼拝、再来週は、大晦日と元旦と、年の瀬も、押し迫って、まいりました。
毎年、この時期になりますと、私は、今まで、見たい、見たい、と思って録画して来た、テレビ・ドラマを、少しだけ、駒を先
に進めることが、多いのです。昨年、放映されていた、軍師官兵衛は、丁度、官兵衛が、洗礼を受けるところまで、見終
わっております。軍師官兵衛が、洗礼を受けた時の、クリスチャンネームは、シメオンであったと、紹介されております。
クリスチャンネームは、キリスト教国に生まれた赤ちゃんに両親が、聖書に登場する人物の中から、こうなって欲しいと
願う人物の、名前をつける、習慣です。軍師官兵衛に、シメオンという、クリスチャンネームがつけられた、ということは、
当時の、宣教師さんたちの目から見て、軍師官兵衛は、ルカの福音書に登場して来る、シメオンのような人物であった、
ためであるのかも、しれません。
では、その、シメオンとは、一体、どんな人物であったのか、ルカの福音書2章25節から、35節までを、紐解きながら、
ご一緒に学んで、まいりたいと、存じます。
最初に、ひとこと、お祈りさせて、いただきます。
父なる神さま。御子イエスさま。聖霊なる神さま。イエスさまの、ご降誕をお祝いする準備を行う、待降節第三主日礼拝に、
私たちを招いてくださったこと、心から感謝いたします。今日は、誕生されたイエスさまを抱き上げて、イエスさまの、十
字架と復活の預言を、聖霊なる神さまから託された、シメオンのことを、御言葉の中から、学びます。どうぞ、あなたさま
が、私たちの礼拝の、真ん中に立ってくださり、この礼拝を導き、祝福してください。感謝して、イエスさまの尊い、御名前
によってお祈りいたします。
アーメン。
ルカの福音書2章25節。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい敬虔な人で、イスラエルの慰められる
ことを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
‶そのとき″とは、一体、どんな時で、あったのでしょうか。イエスさまは、ベツレヘムで誕生された後、しばらく、エジプト
に避難しておられましたが、イエスさまの命を狙っていた悪名高いヘロデ大王が、死んだというニュースを聞いてガリラ
ヤのナザレ村に、戻って来て、おられました。
当時の、慣習に従って、イエスさまは、献児式を受けるために、ご両親に抱かれて、ナザレ村から、エルサレムに、上京
して来て、エルサレムの礼拝堂に、やってまいりました。そのときに起こったことを、ルカは、記している、わけなのです。
聖書の中で、‶正しい″という、言葉が、使われている時は、その意味は、必ず、‶神さまに在って歩んでいる人″という
意味です。
シメオンの、もう一つの特徴は、‶敬虔な人″であったと、記されて、おります。
‶敬虔な″というのは、もともとは、‶用心深い″とか‶注意深い″という意味の言葉で、信仰生活を継続して行く上で、必
要なこと、例えば、毎日、聖書を読むとか、礼拝に出席するとか、献金を行うとかいうことを、キチンと、励行している人、
という意味です。
‶イスラエルの慰められること″とは、当時のイスラエルの人々は、‶そのとき″から、およそ600年前、真の神さまに対
して、犯して来た、度重なる罪のために、とうとう、現在のイラク、当時のバビロンに、捕囚の憂き目に遭ってしまったこと
を悔み、二度と同じ過ちを繰り返すことを避けて、いつの日か、イザヤ書などに、預言されている通り、救い主が、イスラ
エルに、やって来て、くださる日を、待ち望んで、おりました。
‶彼の上に聖霊が、とどまって、おられた″シメオンの上には、いつでも、聖霊なる神さまが、臨在してくださって、おられ
たのだと、聖書は、証言いたして、おります。どうして、聖霊なる神さまが、いつでも、シメオンの上に、臨在していて、くだ
さって、おられたのでしょうか。それは、聖霊なる神さまが、シメオンに、御子イエスさまのことを啓示するためで、あった
のです。
ルカの福音書2章26節。
また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
‶お告げを受けていた″とは、一体、どんな意味なのでしょうか。その言葉は、もともとは‶必要なこと″ということを表現
する言葉です。すなわち、‶必要なことだから、人間が、それを実行します″という意味から発して、‶必要なことだから、
それについて、真の神さまが、答えを出してくださいます。真の神さまからのメッセージが、下って来ます″という意味を、
表現いたして、おります。つまり、イエスさまが、献児式のために、エルサレムの礼拝堂にやって来られますので、その
時に、イエスさまと、ご両親を祝福し、イエスさまについての預言を行うことが、必要なので、その時までは、シメオンは、
死ぬことなく、生かされて、行くのですよと、聖霊なる神さまが、シメオンに、告げてきた、ということなのです。
ルカの福音書2章27節。
彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために
入って来た。
或る日のことでした。シメオンは、何となく、聖霊なる神さまの導きを感じて、家を出て、エルサレムの礼拝堂に、向かい
ました。そうして、礼拝堂に入った途端、何と、向こうから、イエスさまのお父さまのヨセフと、お母さまのマリヤと、マリヤ
に抱かれた、イエスさまとが、礼拝堂の中に、入って来るでは、ありませんか。
これは、シメオンの上に、とどまっておられた、聖霊なる神さまによる、特別な、導きで、あったのです。
献児式を受けるために、エルサレムの礼拝堂に入って来られたイエスさまと、ご両親とは、こうして、聖霊なる神さまによ
る特別な導きと、ご臨在とによって、シメオンと出会わせられたのです。
ルカの福音書2章28節。
すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
イエスさまを、腕に抱いた、シメオンは、神さまを、褒めたたえる賛美を、歌いました。この賛美は、ルカの福音書1章46
節から55節まで、記されている、‶マニフィカト″と呼ばれている、イエスさまの、お母さま、マリヤが、妊娠中に、叔母さ
んのエリサベツを訪ねてエルサレムの西方、8Kmほどの所にあった、アイン・カリムという、南ユダの町まで、ガリラヤ
のナザレ村から、およそ四日間の、道のりを、旅して、叔母さんのエリサベツと、エリサベツのお腹の中にいた、バプテ
スマのヨハネとに会った後、叔母さんの家に、三ヶ月滞在している時に、歌った、賛美とともに、二大・クリスマス・ソング
として有名な、‶ヌンク・ディミティス″(シメオンの賛歌)の賛美が次の、2章29節から、32節までに渡って記されており
ます。この賛美は、何百年間もの長い間、クリスマス・ソングとして、賛美され続けて、まいりました。
ルカの福音書2章29節。
「 主よ。 今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
‶主のキリストを見るまでは、決して死なない″と、聖霊の、お告げを受けて来た、シメオンにとって、とうとう、到来した、
約束の日。‶私の、この両目が、あなたの御救いを見たのです。″という、満足感に満ち溢れた、御言葉と、なっておりま
す。
‶主よ。″という呼びかけは、生殺与奪の権を持つ、ご主人さまに対する、男奴隷による、呼びかけの言葉と、なっており
ます。
‶あなたのしもべを″主という、絶対的な権威を持つ、あるじに対して、‶私は、あなたの、奴隷です。″と、従順を誓って
来た、奴隷としての、立場と言葉とが、ここに、あります。
‶今こそ、あなたは、みことばどおり、安らかに、去らせて、くださいます。″救い主である、イエスさまに、お会いするま
では、死んではならないと、これまで、見張り番の役割を果たして来たわけなのですが、今、その、お役目を、果たすこと
が出来ましたので、私は、安心して、天に召されて、まいります、という告白。
これで、お役目を、果たし終えましたので、囚人が牢獄から解放されるように、或いは、奴隷が、労働から解放されるよう
に、地上の人生から、解かれます。安心して、死ぬことが出来ます。
と、シメオンは、ここで、賛美しているわけなのです。
ルカの福音書2章30節。
私の 目があなたの 御救いを見た からです。
ここでは、わざわざ、‶私の両目が″と、賛美されております。これまで、ずっと、イエスさまの到来を、待ち続けて来たシ
メオン。そのシメオンが、赤ちゃんのイエスさまを抱きしめて、頬ずりした、その時の、感動は、いかばかりで、あった、こ
とでしょうか。‶あなたの御救い″とは、一体、どんな救いなのでしょうか。そして、一体、誰のための救いなのでしょう
か。
ルカの福音書2章31節。
御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、
ここで言われている、‶御救い″は、前の30節で賛美されている‶御救い″を、そのまま、受けて、それを、説明するか
たちと、なっております。すなわち、この御救いとは、‶あなたの御救い″のこと、つまり、‶イエスさまによる御救い″の
ことです。その、イエスさまの御救いは、‶万民の前に備えられたもので″と、歌われているのです。
イエスさまによる、十字架の血潮による、私たちを罪から救ってくださる、その救いは、世界中に住んでいる、人類全体
の救いなのだと、聖霊に満たされ、聖霊に導かれた、シメオンは、賛美し、預言している、わけなのです。
ルカの福音書2章32節。
異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。
この賛美を味わう時、私たちは、豊間の灯台のことを、思い浮かべて、みましょう。
豊間の灯台の周囲には、沖合を航行している、たくさんの船にとって、とても危険な、岩場や、浅瀬に満ちております。
そのことを、豊間の灯台が、光を発することによって、警告してくれるので、沖合の船の船長たちは、危険を避けて、舟を
航行させることが、出来ているのです。このことは、豊間の灯台にとっては、たいへん、名誉なことです。それが、豊間の
灯台の、生き甲斐と、なっているのです。この賛美の中で歌われている、‶異邦人″とは、丁度、この、豊間の灯台の沖
合を航行している、たくさんの船のようなものであり、それはまた、私たち、日本人のような、イスラエルにとっては、外国
の民であるにもかかわらず、イエスさまの福音の十字架の恵みに預かっている者たちを、指しているのです。一方、そ
んな、外国の民を照らしている光を発している、イエスさまの民、イスラエルの人々にとっては、たいへんに、光栄なこと
であるのだ、と賛美されている、わけなのです。
ルカの福音書2章33節。
父と母は、幼子についていろいろ語られることに驚いた。
シメオンは、自分の両目が、イエスさまによる救いを、確かに、見たことは、見たのですが、実は、そのイエスさまによる
救いは、シメオンが予想していたような、イスラエルの民を中心とした救いなのではなく、イエスさまを主また救い主とし
て受け入れる、世界中にいる、イエスさまの民のために、備えられ、整えられ、定められた、救いであったのだ、というこ
とを、聖霊に導かれて預言することによって、自分自身が、知らされました。
その、シメオンの預言を聞いて、イエスさまの、お父さまである、ヨセフと、お母さまである、マリヤとは、驚いてしまった
のだと、福音書の記者は、記しているのです。
ルカの福音書2章34節。
また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「 ご覧なさい。 この子は、イスラエルの多くの人が
倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
シメオンは、先ず、イエスさまの、ご両親を祝福する、お祈りを、祈りました。それから、シメオンは、イエスさまの、お母さ
まである、マリヤに向かって、宣言を、行っております。クリスマスの物語は、全体としては、たいへん明るい、嬉しい、喜
びの訪れを語っているのですが、このシメオンの宣言以降は、一変して、暗い、非常に厳しい宣言の言葉と、なっており
ます。
イエスさまは、つまずきの石、妨げの岩、迫害と、十字架による死刑のシンボルとして置かれ、据えられているのだ、と
いう宣言となって、いるのです。
さらに、イエスさまは、復活されて、今も、私たちの間で、生きて働いておられるのだ、ということが、定められているのだ、
という、宣言なのです。
‶イスラエルの多くの人″という表現となっておりますが、実は、これは、イエスさまを主また救い主として、心の中心に、
お迎えしている、世界中の、クリスチャン、イエスさまの民のことを、指し示している、言葉なのです。
‶倒れ″とは、イスラエルの多くの人々は、真の神さまを拒み、自分たち自身を、永遠のいのちの歩みには、ふさわしく
ない、かたちにしてしまったために、倒れて行きました。そこに、イエスさまの十字架が、あるのです。
‶反対を受けるしるし″とは、イエスさまに背を向けて歩みたくなってしまう、私たち人間の罪の性質の、しるしのことなの
です。‶立ち上がる″というみことばは、‶復活″をも指し示す御言葉です。
聖霊なる神さまが、とどまっておられた、シメオン。聖霊なる神さまの、お告げを受けていた、シメオン。聖霊なる神さま
に、感じていた、シメオン。その、シメオンの口から、復活のイエスさまのことが、預言されて、いたのです。
ルカの福音書2章35節。
剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現わされるためです。
‶剣″それは、後の日に、マリヤが、自分の目の前で、長男であるイエスさまが、十字架による死刑を執行されて、死ん
で行く姿を、目の当たりにしなければならない、という、苦悩の預言でした。
‶多くの人の心の思いが現れるため″それは、イエスさまが、十字架の上で、流してくださった血潮によって、私たちを罪
から救ってくださったことによって、世界中の人々の、民族的な偏見が、打破され、私たち外国人たちにも、そして、イス
ラエルの人々にも、福音の光がもたらされたのだ、ということの預言なのです。
お祈りさせていただきます。
父なる神さま。御子イエスさま。聖霊なる神さま。御言葉を、ありがとうございました。あなたの、ご栄光を賛美いたします。
あなたの、ご降誕を、お待ちする、アドベントの、第三主日礼拝で、このように、聖霊なる神さまが、シメオンに授けられ
た預言の御言葉を、学ぶことが出来ましたことを、心から、感謝いたします。
来週は、いよいよ、クリスマス礼拝です。あなたが、私たちの、この、好間教会のために、ベストのクリスマス礼拝を、備
えてください。感謝して、イエスさまの、尊い御名前によって、お祈りいたします。
アーメン。