2015年9月20日礼拝説教

群衆といやし
マルコの福音書6章53節~56節
2015年9月20日(日)礼拝説教
皆さん、お早うございます。
先週は、津波、先々週は、豪雨と、自然災害による話題が続いて、おりますが、そんな中で、好間は、どうに
か、守られて、おりますので、感謝です。
マルコの福音書の、連続講解説教、前回は、ガリラヤ湖で、逆風という、自然災害に、苦しんでいた、弟子た
ちが、イエスさまが、舟に乗り込んで、来て、くださると同時に、その逆風が治まって、しまったので、驚き、
呆れてしまった、という箇所を、学びました。
今日の箇所は、その後、弟子たちを乗せた舟が、その逆風に流されて、向かっていた方向とは、反対側に、漂
着してしまった後のことを、学びます。
最初に、ひとこと、お祈りさせて、いただきます。
父なる神さま、御子イエスさま、聖霊なる神さま。
次々と、私たちを、襲って来る、自然災害の中で、どうにか、私たちが守られ、こうして、あなたに、礼拝を
献げることをもって、新しい週の、スタートを、切ることが、出来ます、幸いを、心から、あなたに、感謝い
たします。
今日の、この礼拝、どうか、あなたが、私たちと共にいて下さり、私たちを、導き、祝福して下さい。感謝し
て、イエスさまの、尊い御名前によって、お祈り、いたします。
アーメン。
マルコの福音書6章53節。
彼らは湖を渡って、ゲネサレの地に着き、舟をつないだ。
ガリラヤ湖の、北東部にある、ベツサイダに、行くつもりであった弟子たちを、乗せた小舟は、逆風に、あお
られ、結局、湖の反対側、北西部の、ゲネサレの地、皆さんの、お手元にある聖書の、一番最後に、付いてい
る、聖書地図の中の、〝ガリラヤ伝道″の地図では、〝マグダラ″ と、記されている港の、すぐ、北に着い
てしまって、そこに、舟を、つなぐことに、なりました。
この、湖岸にある、グーエール平原は、南北に、6Km、内陸に向かって、4Km、広がって、おりまして、
パレスチナでは、最も、肥沃な土地の、ひとつと、なって、おります。
マルコの福音書6章54節。
そして、彼らが 舟から上がると、 人々は すぐにイエスだと 気が ついて、
イエスさまの、ご一行が、ゲネサレの地に、着くと、たちまち、イエスさまの 噂が、グーエール平原、一帯
に、広がりました。
〝人々は、すぐに、イエスだと、気がついて″という、表現は、〝噂の、イエスが、やって来た、という情報
が、広まって″ と、いうことを、示した、文章と、なって、おります。
マルコの福音書6章55節。
そのあたりをくまなく走り回り、イエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運んで来た。
マタイの福音書14章35節には、〝すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく、
知らせ″と、記されて、おります。税務署に勤務していた、マタイは、マルコが、ペテロから聞いていた内容
を、まとめた、〝マルコの福音書″をベースにして、それに、自分自身の経験を加味して、マタイの福音書を
記した、わけですが、ここで、マルコも、マタイも、二人共、〝くまなく″ という、言葉を、使っているこ
とに、注目してみたいと、存じます。
それは、グーエール平原全体に、イエスさまの到来を、告げ知らせたのは、癒しを求めていた、その地域の住
民たちだけではなく、イエスさまの、弟子たちの、くまなき、福音宣教活動の、一環でも、あったのだと、理
解することも、出来るからです。
〝運んで来た″ という、言葉から、自分では、来られなかった、人たち、寝たきりの人々や、ひきこもりの
人々などが、運ばれて来たことが、解ります。
〝床に″ とは、藁布団のことを、指しております。
60年前、よく干した藁を、ぎっしり、詰め込んだ、藁布団の上に、寝ると、健康に良いと、四倉では、言わ
れて、おりましたので、病気がちであった私は、藁布団に、寝かされたことがありました。藁布団は、干した
藁を詰め込んで、最初のうちは、ベッドのように、高いのですが、だんだん、低くなって行って、そのうち、
煎餅布団のようになってしまいます。でも、固くなって行くので、その、藁布団に寝かせたままで、病人を運
ぶことが、出来るように、なって、行くのです。
〝病人を″という言葉は、原文では、〝悪いものを持つ者を″と、なって、おりまして、病人に、限られては、
おりません。
イエスさまは、それぞれの人が、持って来た、問題を、それぞれに、ふさわしく、解決して、くださる、御方
なのです。
マルコの福音書6章56節。
イエスが 入って 行かれると、村でも 町でも 部落でも、人々は 病人たちを 広場に寝かせ、そして、
せめて、イエスの 着物の 端にでもさわらせて くださる ようにと願った。 そして、さわった人々は み
な、いやされた。
ここには、当時のイスラエルの人々の、三種類の、居住地が、記されて、おります。
第一は、城壁のない町です。これは、〝村″と呼ばれております。
第二は、城壁のある町で、こちらは、
“町″と呼ばれております。
第三は、田舎の、野原にある、集落のことで、これは、
“部落″と、呼ばれて、おります。
“広場″は、その地域の、中心的な、会合場所で、社交や、取引のために、用いられて、おりました。
人々は、悪いものを抱えてしまって、自分では、歩くことも、ままならなく、なっていた人々″を、その、
“広
場″に、ズラリと、並べて、寝かせて、置いて、おいたの、でした。
〝せめて、さわらせて、くださる″すなわち、〝ただ、さわるだけ″。
イエスさまの時代には、病人が、健康な人に、直接、触れることは、その、健康な人に、病気の汚れを、及ぼ
すことに、なると、考えられて、おりました。
これは、一見、迷信的な、姿勢です。
ですから、
“せめて、イエスの着物の端にでも″という、姿勢は、癒しを願う人々の、控え目な、態度を、反映
して、おります。それとともに、当時の、イスラエルの人々の着物の、裾の四隅には、青い紐が、縫い付けて
ありまして、その、青い紐が、〝翼″と、呼ばれて、おりました。
旧約聖書の、一番、最後の頁、1568 ページの、マラキ書4章2節には、〝その翼には、いやしが、ある。″
と、記されて、おりますので、人々は、イエスさまの着物の端、すなわち、〝翼″に触れて、癒されようと、
したのです。
〝そして、さわった人々は、みな、いやされた。″
切迫した思いを持って、イエスさまのもとに、集まって来た人々の信仰を、イエスさまは、非難されることは、
ありませんでした。
〝願った人々″の信仰を、そのまま、受け止め、〝さわった人々は、みな、いやされた″のです。
イエスさまは、異なった価値観や、世界観に基づいて、イエスさまのもとに、近付いて来る人々を、そのまま、
受け入れて、くださる、御方なのです。
〝いやされた″とは、単に、病気が治った、という意味だけではありません。 〝救い出された″、〝回復さ
せられた″という意味も、含む、表現が、用いられて、おります。
〝自分は、心身ともに健康である″と、自負しておられるような方が、イエスさまの前に立っても、何も、起
こりません。心に、或いは、身体に、問題を抱え、ひとり歩きも、ままならない人々が、イエスさまの前に、
運び込まれて来る時、救いが、回復が、与えられるのです。それが、病める人が、イエスさまに触れる時に、
起きる、奇蹟なのです。その時、イエスさまから、或る力が、病める人に向かって、出て行くのです。
でも、同時に、病める人の側からも、イエスさまに向かって、伝わって、行くものが、あります。
それを、イエスさまは、身に受けられ、十字架に架けられ、十字架の血潮によって、聖めて、くださったので
す。その十字架の血潮、十字架の恵みによって、私たちの罪、弱さ、患いを、イエスさまが、癒して、くださ
ったのです。
罪と、弱さと、患いを、抱えた、私たち、ひとり、ひとりに、今も、イエスさまは、私たちが、イエスさまに
触れることを、許していて、くださるのです。
お祈りさせていただきます。
父なる神さま。御子イエスさま。聖霊なる神さま。御言葉を、ありがとうございました。
あなたの、ご栄光を、賛美いたします。
イエスさま。罪と、弱さと、患いとを、抱えている、私たち、ひとり、ひとりが、あなたに、触れることを、
どうぞ、お許し、ください。
あなたが、私たち、ひとり、ひとりの、罪と、弱さと、患いとを、引き取ってくださり、それを、あなたの、
十字架の血潮によって、聖めて、くださったことを、感謝いたします。
相変わらず、罪と、弱さと、患いの跡を残している、私たちでは、ありますが、その傷跡を、あなたの十字架
に、お委ねして、今週一週間も、あなたに在って、あなたから、プレゼントされている、永遠のいのちの道を、
歩み続けることが、出来ますように、弱い、私たち、ひとり、ひとりを、支えてください。
感謝して、イエスさまの、尊い、御名前によって、お祈り、いたします。
アーメン。