青森県立青森工業高等学校 建築科 かわら版 ARCHI LEAF vol.1 2015.6.1 contents 1.旧校舎解体工事 2.校章の変遷 3.校舎フォトギャラリー 4.編集後記 1.旧校舎解体工事 ◆青森駅西口から歩いて20分ほどの住宅 地・篠田地区に青森工業高校の旧校舎があ りました。 【旧校舎正面(H22 撮影)】 【プール】 【旧生徒玄関(H22 撮影)】 に解体され姿を消しました。3月中旬、第 などの各棟を渡り廊下で繋いでおり、迷っ 2体育館が解体されました。長い間、大き てしまう迷路のような建物です。現在、職 なスパンを支え続けた鉄骨のトラスが壊さ 員玄関に旧校舎の模型が飾られています。 れていきました。 今年の2月から解体作業が本格的に始まり、 柔道場、プールの更衣室、中部室などが次々 【旧校舎模型】 【柔道場】 【第2体育館】 この模型は1級建築模型士の瀧本暁さん ◆昭和43年に竣工した鉄筋コンクリート (昭和40年建築科卒)が製作したもので 構造3階建ての旧校舎は敷地面積 23765 ㎡ す。みなさんの大先輩になります。瀧本さ の中にA棟からD棟、機械工場、家庭科棟 んはなくなってしまうものを形として残し 青森県立青森工業高等学校 建築科 かわら版 ARCHI LEAF vol.1 2015.6.1 たいという思いから、これまでも廃校にな 選んで移設されたものです。今年、3年生 った小学校の模型など数多く製作してきま の課題研究の授業でこの場所に案内看板を した。縮尺150分の1で細部まで丁寧に 設置する計画が進んでいるそうです。頑張 作られています。木造校舎とともにこれか ってください! らも大事に末永く展示していきたいと思い ます。 【C棟】 【沖館川(H22 撮影)】 ◆体育で校舎外周を走ることをなぜ「どて らん」と呼ぶか知っていますか?以前は校 【体育館渡り廊下】 舎の裏手にある「沖館川」の土手を走って 【B棟】 いたため「土手ラン」と呼んでいました。 工業高校の春の風物詩ともいえる体力作 り。新校舎に移り、川も土手もなくなって しまいましたが、 「どてらん」という言葉 がいつまでも残ってほしいものです。 【青工会館の食堂(H22 撮影) 】 ◆3月下旬「青工会館」が解体されました。 旧校舎では食堂と合宿所を兼ね備えた生徒 【旧檞の森(H23 撮影) 】 会館がありました。昼休みは食堂を利用す ◆現在の第2体育館裏に「檞(かしわ)の る生徒達で賑わっていました。また、週末 森」があります。檞の葉は校章にもついて や夏休みは運動部の合宿が頻繁に行われて いる本校のシンボルです。檞は冬になって いました。新校舎では合宿所も食堂もない も葉が落ちず、じっと寒風に耐えます。辛 ので少し寂しい気がしますね。 抱強く耐え、頑張る 【機械工場】 姿が本校生徒にぴっ たり?ということか ら本校のシンボルと して使われています。 現在の「檞の森」は 創立百周年を記念して旧校舎から数本を 【F棟】 【青工会館】 ◆解体といってもただ壊すのではなく、コ ンクリート・木材・アルミ・鉄・石膏ボー ドなどに分類し再利用できるものは再び資 源として活用されるそうです。3月下旬か ら本格的に校舎内部の解体が進められてい ましたが、それぞれ種類ごとに分類されと てもきれいな現場でした。 【現在の檞の森(体育館裏)】 【B棟】 青森県立青森工業高等学校 建築科 かわら版 ARCHI LEAF vol.1 2.校章の変遷 ◆100 年の歴史の中で、いろいろな 2015.6.1 た。 「柏木」の葉を基盤に「青」と「工」 の文字を配して、青森県の工芸・工業 校章(帽章)が使われてきました。校 の理想の心情が表されたものとして、 章の移り変わりを紹介します。 全校職員の賛意を得て原型が作成され ました。 〈初代校章〉トンボが羽を広げた形に 「工」の字を配したもので、開校 6 年 【校門から玄関までの通路】 後の大正 8 年から使われました。トン ボは昔、武具の紋様としてよく使われ、 武運に通ずるということから、校運を 祈る意味で使われました。 【四代目校章 1928~1934】 【G棟】 【初代校章 1919~1923】 〈二代目校章〉大正 13 年から、 「木」 の文字を六角形に図案化したものに 「工芸」の「工」を配したものになり ました。 【A棟】 ◆4月中旬から5月にかけて校舎本体の 解体がピークを迎え、D棟以外の建物はす 〈五代目校章〉昭和 10 年、 「乙種」青 べてなくなってしましました。今後この場 森市立工芸学校から「甲種」青森市立 所は整地して約百軒分の住宅地として分 工業学校への改称に伴い改訂されまし 譲されるそうです。また、敷地内の植木や た。樫の三葉にドングリの実を配し、 玄関前の前庭は緑地として残されるそう 【二代目校章 1924~1925】 です。卒業生にとっては旧校舎を思い出す ことができる貴重な場所になりそうです。 (工藤啓太) その上に分割規と「青工」の二文字を 表したものです。 〈三代目校章〉大正 15 年から「青」 と「工」の文字を図案化したものにな りました。 【五代目校章 1935~1948】 【前庭(H22 撮影)】 【三代目校章 1926~1927】 工藤啓太先生には、今後も更地にな るまでを記録していただきたく、お願 〈四代目校章〉昭和 3 年、創立 15 周 【二代目校旗】 い申し上げます。 (奥) 年を記念して校旗・校章を制定しまし 昭和 10 年~27 年 青森県立青森工業高等学校 建築科 かわら版 ARCHI LEAF vol.1 〈六代目校章〉昭和 24 年、新制高 り、応援歌の歌詞も樫が使われてい 校発足にあたり、第五代の図案の「青 た。 ) 本来、樫の木は仙台以北には育 工」を「工高」に変えて表しました。 成しない樹木であり、本校のシンボル これが現在まで、青森工業高等学校の としてふさわしいのは柏の木であると 校章として使われております。 して、創立 80 周年記念事業の一環と 2015.6.1 して「檞(かしわ)の森」が作られま した。 3.校舎フォトギャラリー 【篠田校舎 1956 年】 【六代目校章 1949~現在】 【篠田校舎 D 棟完成 1963 年】 【莨町校舎設立 1913 年】 【篠田新校舎 1968 年】 【莨町新校舎 1917 年】 ◆柏・樫・槲・檞の木? 当時、四代目校章の図案を考えたの は松原貞嗣先生でした。 『柏木の葉は厳寒吹雪の長期間、寒 風に耐え、春の新葉の芽吹くまで枝か ら離れず、握り拳のように葉を巻きし 【馬屋尻新校舎 2011 年】 【浦町新校舎 1924 年】 4.編集後記 め、その色は赤黒く、大きく、吹雪の ARCHI LEAF 第 1 号を発行しまし 林野に散在林立、雪嵐の中に「がさが た。これまで建築科で発行してきた建 さ」風音をたてて耐える姿は、実に勇 築科かわら版の続編として編集しまし 壮な光景であり、素晴らしい極みであ た。第 1 号の特集として、旧校舎の解 ります。雪国に生まれ育つ人々の心身 体作業の様子を工藤啓太先生に原稿を にも似ている思いがします。それ故に お願いしました。この紙面を借りてお 柏木の葉こそが、我が校の旗印として 礼申し上げます。また、旧校舎を記憶 ふさわしいものと信じております。 』以 に残したく、校章と校舎の移り変わり 上が松原先生の手紙の原文です。 その原案がなぜ樫の葉の姿に変えた 【新築移転篠田校舎 1931 年】 も 100 周年記念の記録の一部を抜粋 して紹介しました。今後も「建築一葉」 のか、その真意は不明です。 (以前の校 としていろいろ紹介していきたいと思 歌は、4 番の歌詞が樫の森となってお っています。 (文責:奥谷 等) 青森県立青森工業高等学校 建築科 かわら版 ARCHI LEAF vol.2 2.続~さよなら篠田校舎 2015.11.13 ◆前号の最後にもお伝えしましたが、こ ◆篠田校舎解体の「その後」をお届けし の場所は約100軒分の住宅地として ます。6月中旬、最後までぽつんと残さ 生まれ変わります。ニュータウンの名は れていたD棟が解体されました。D棟は ずばり「リバーサイド篠田!」川の横だ 道路沿いに位置している建物で、当時は からリバーサイド。安易ですね。ほぼ完 1学年の教室・保健室、定時制の職員室 売だそうです。現在は歩道の拡張工事、 などがありました。最も古い棟であり、 宅地の造成・区画整理などの真最中です。 床板は今にも抜け落ちそうで、歩くたび に「ギシギシ」と 悲鳴を上げてい たのを思い出し ます。建築科の皆 さんであれば、壁 から梁が飛び出 【D棟解体の様子】 しているのがわ ◆突如、篠田にピラミッド出現! 篠田小学校との境界は「工橋」へつづく かるでしょうか?実は当初の計画では 6月下旬、体育館跡地には大きな砂山が 通路が整備されていました。これからは 東西方向にもっと建物が伸びるはずで できていました。解体したコンクリート したが、途中で設計変更されこのように はその場で巨大な破砕機を利用して粉 梁だけが残ってしまったと聞いていま 砕されているのです。この後の整地作業 す。こんなこともあるんですね。 などで使えるものは資源として再利用 【歩道の拡張】 するそうです。解体現場もさまざま環境 【D棟】 に配慮した取り組みをしているのです。 【篠小との境界】 近所のおばあちゃん達も遠回りせず沖 館温泉に行けますね。 (文:工藤啓太T) 【保健室】 【粉砕されたコンクリート】
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