国立西洋美術館本館を 世界文化遺産に!

国立西洋美術館本館を 世界文化遺産に!
ル・コルビュジエの建築作品~近代建築運動への顕著な貢献~
国境を越えた文化遺産として、フランス、スイス、ベルギー、ドイツ、アルゼンチン、
インド及び日本の7か国が共同で世界文化遺産登録を目指しています。
ル・コルビュジエの
建築作品、
あなたは
いくつ知っていますか?
7 国立西洋美術館 1 ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸
1923 年
キュビズムアート収集家であったラ・
ロッシュ氏の住宅。隣接するジャンヌ
レ邸は現在ル・コルビュジエ財団事
務所、公開展示用に活用されている。
Maisons La Roche-Jeanneret, Paris
Photo : Olivier Martin-Gambier
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
1955 年
無限発展美術館のアイディアの具
現化。日本/アジアにおける影響を
示す。
5 カップ・マルタンの小屋1951 年
3 ユニテ・ダビタシオン
(マルセイユ) 1945 年
マルセイユの住宅対策という社会事
情の中で完成させた 20 世紀の大規模
集合住宅。
Unité d’habitation, Marseille
Photo : Paul Kozlowski
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
地中海を見下ろす斜面に建てられた
ル・コルビュジエの別荘。ル・コルビュ
ジエは 1965 年にこの沖で遊泳中に
水死した。
Musée National des Beaux-Arts de l’Occident,
Tokyo
Photo : Olivier Martin-Gambier
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
Cabanon de Le Corbusier, Roquebrune-CapMartin
Photo : Olivier Martin-Gambier
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
8 チャンディガールの
首都都市計画
2 サヴォア邸
1928 年
近代建築の象徴的存在と見なされる
住宅。ル・コルビュジエの建築思想を
最も良く現している。
Villa Savoye, Poissy
Photo : Paul Kozlowski
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
6 ラ・トゥーレットの修道院1953 年
4 ロンシャンの礼拝堂
9 レマン湖畔の小さな家 1923 年
! ぺサックの集合住宅
1924 年
" ギエット邸
1926 年
ル・コルビュジエの造形力を見せつ
けるコンクリートによる彫塑的建築。
Chapelle Notre-Dame-du-Haut, Ronchamp
Photo : Paul Kozlowski
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
21
# ヴァイセンホフ・ジードリング
の住宅
%
( クルチェット邸
1949 年
) フィルミニのレクリエーショ
ンセンター
4
1965 年
ドイツ
スイス
8
インド
1931 年
1946 年
ベルギー
フランス
% ナンジュセール・エ・コリ通り
& サン・ディエ工場
"& #
Couvent Sainte-Marie-de-la-Tourette, Eveux
Photo : Olivier Martin-Gambier
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
4
!
9
)
6 3 5$
1927 年
$ イムーブル・クラルテ 1930 年
のアパート
1950 年
ドミニコ派の修道院。丘の斜面を利用
し、自然と調和した静寂を極めた精神
性の高い傑作と見なされる宗教建築。
修道僧のための独房で宿泊可能。
アルゼンチン
7
日本
1952 年
1947 年にパキスタンと分割したパ
ンジャブ州の州都としてル・コルビュ
ジエが設計した新都市。全体計画のほ
か、高等裁判所、合同庁舎、議事堂な
どがある。
Complexe du Capitole, Chandigarh
Palais de l'Assemblée
Ⓒ FLC/ADAGP, 2015
世界遺産とは
「世界の文化遺産及び自然遺産の
保護に関する条約」
Convention Concerning the
Protection of the World Cultural
and Natural Heritage
に基づいて世界遺産リストに登録
された、遺跡、景観、自然など、人
類が共有すべき「顕著な普遍的価
値」を持つ物件のことで、条約では
世界中の顕著で普遍的な価値のあ
る文化遺産・自然遺産を人類共通
のたからものとして守り、次世代
に伝えていくことの大切さを唱え
ています。
(
5
国立西洋美術館ができ るまで
◉
国立西洋美術館の基礎となった「松方コレクション」
松方コレクションとは、株式会社川崎造船所(現在の川崎重工業)の初代
社長であった松方幸次郎(1865-1950)が、造船業で得た巨万の富を投じ
て 1916 ~ 28 年にかけてヨーロッパ各地で購入した美術品の総称で、そ
の一部は、第2次世界大戦中に敵国人の財産としてフランス政府に差し
押さえられていました。
第2次世界大戦で敗戦した日本は、1951 年、サンフランシスコ平和条約
締結の際に当時の吉田茂首相が松方コレクションの返還を持ちかけ、フ
ランス政府はコレクションを公開するための美術館を新設すること、当
時コレクションはすでにフランス政府の財産になっていたため返還では
なく寄贈とすることなどを条件にその交渉に応じました。
◉
ル・コルビュジエと国立西洋美術館建設
フランス政府が寄贈返還に応じたものの、フランス文化財でもある松方
コレクションを展覧するために専用の美術館を建設することを条件とし
たため、日本政府は上野恩賜公園の東側の一画である寛永寺子院凌雲院
の跡地を用意しました。
当時、名のある建築家であったル・コルビュジエに設計を依頼する経緯
は複雑な点が多いですが、外務省が中心となってル・コルビュジエに設
計を依頼し、文部省が日本の建築学会の同意を取り付け、1955 年 10 月
にル・コルビュジエが設計契約書に署名して正式に契約が締結されまし
た。契約書には「設計図に則って工事を実施させる日本人建築家」に既に
契約書作成時から協力していた坂倉準三、前川國男、吉阪隆正の3氏が
指名されています。
ル・コルビュジエって誰?
◉
実施設計
坂倉、前川、吉阪の3建築家が中心となってル・コルビュジエの基本計
画を検討、修正を求め、ル・コルビュジエから 1957 年6月までに3回
にわたり計 29 枚の図面(青焼きを含む。
)と付属説明書1枚が2部ずつ
送られてきました。しかしこれらの実施設計図面は、構造や設備を含ま
ない一般的な図面で、さらに1枚を除いて実際の寸法すら記載されてお
らず、とてもそのまま施工できる図面ではありませんでした。付属の説
明書には、美術館の設計方針が示されていること、これらの図面には読
み取ることを優先するため実際の寸法は書き入れていないこと、しかし
正確に製図されていることから、日本の建築家は、日本における慣例的
な方法で容易に寸法を記入することができるでしょうとさえ書かれてい
ました。このことは、日本とフランスでは「実施設計」という言葉が指す
業務内容が異なることが原因でしたが、日本側の関係者は驚いたことで
しょう。そこで、構造、設備は前川、建築は坂倉、吉阪が担当することに
し、新たに実施設計図を作成して設計が進められました。
◉
建設工事
工事については、詳細な記録がないので不明な部分も多いですが、工事
主任であった清水建設の森丘四郎は、ル・コルビュジエのこの「素朴な
設計」を「美術品を展示する素朴な箱といった感じのする美術館」として
表現し、この無骨とも思わせるシンプルな設計デザインに「几帳面な身
だしなみと多少の品位を与えることができないものか」と悩んだことを
後に語っています。
それらは外壁のプレキャスト・コンクリート製のパネルや型枠の姫子松
材の美しい木目が写ったコンクリート打ちっぱなしの丸柱など、日本の
大工たちの技巧を凝らした繊細な仕上げなどに見ることができます。
20 世紀を代表する建築家の一人で、
出身のスイスからパリに拠点を移
して活躍しました。建築のみならず
絵画、彫刻、家具などにも取り組み、
小住宅から国連ビルの原案まで幅
広い創作活動を展開しました。合理
的、機能的で明晰なデザイン原理を
絵画、建築、都市等において追及し、
20 世紀の建築、都市計画に大きな影
響を与えました。
ル・コルビュジエ
写真提供:国立西洋美術館
◉
基本設計
ル・コルビュジエが日本政府の招聘に応じて 1955 年 11 月に来日、7日
間の短い滞在の中で、美術館建設予定地を短い立ち寄りも含めて5回訪
れ、実地検分を行ったと言われています。その翌 1956 年8月に文部省に
送られてきた最初の基本設計図面3点には、美術館の他に、企画・巡回
展用パビリオンと演劇や音楽のホールが追加されていました。依頼内容
を超えたル・コルビュジエの提案に対する当時の日本側の困惑は相当大
きかったようです。後に坂倉が当時のことを振り返って「美術館の周辺
の総合計画も(日本側との契約外のことではあったが)、一応将来のため
の示唆として、基本計画の中に入れてもらうよう」ル・コルビュジエに
話したと語っています。
6
美しい木目が写ったコンクリート製丸柱の立つピロティ
写真提供:国立西洋美術館
このようにして造られた国立西洋美術館(本館)は、平成 19 年に重要文
化財(建造物)に指定され、フランス文化の交流の拠点として、多くの来
館者を集めています。
7
ル・コルビュジエの美術 館の夢
国立西洋美術館に見られるル・コルビュジエ建築の特徴を見ていきま
しょう。
国立西洋美術館で
◉「無限発展美術館」
出ていますが、かつ
てはプランターを置
き、屋上庭園として使
われていました。現
在は非公開です。
ル・コルビュジエの美術館設計の基本コンセプトは「無限発展美術館」
というものです。来館者はピロティから建物中央の 19 世紀ホールと呼
ばれる吹き抜けの展示室に入り、ジグザグのスロープを昇って2階の展
示室に進みます。2階の展示室はホールの周囲を正方形に囲むように構
成されており、来館者は作品を鑑賞しながらぐるりと1周することにな
ります。コレクションが増えれば、さらに外側に展示室を四角く螺旋状
に増床していくという将来を見据えた平面プランでした。
その後、この「無限発展美術館」のコンセプトはインドのアーメダバード
にあるサンスカル・ケンドラ美術館とチャンディガールの美術館でも採
用されました。
◉「モデュロール」
「Module(寸法)」と「Section d'or(黄金比)」を合わせたル・コルビュジ
エの造語で、設計する寸法を決める際に人体のサイズを基準とするルー
ルのことです。ル・コルビュジエは西洋人男性の身長 183 センチメート
ルを標準として、その手を伸ばした高さ 226 センチメートルを天井高に
設定しました。
ル・コルビュジエはこの人体サイズを基本に 1, 2, 3, 5, 8,・・・のよう
に先行する二つの数字の和となる数字を重ねていくフィボナッチ数列を
建築に応用しました。フィボナッチ数列は、隣り合う数字の比がもっと
も美しいとされる黄金比(1.618…)に収束していく数列であり、ル・コ
ルビュジエは国立西洋美術館の柱の間隔、天井の高さ、床の厚さや外壁
に至るまで、このモデュロールを採用しています。
◉
1
ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」
ピロティ
従 来 のように壁 に
図①
よって大きな建物を
支 えるの で は なく、
建物を柱で支えるこ
とによって地上階に
吹き抜け空間「ピロ
ティ」を作ります。空
間を遮っていた大き
な建物を地上から離
し、建物下を自由に
行き来することができ、
また、建物が屋根となった屋外空間となっています。
2
屋上庭園
三角の屋根ではなく、陸屋根と呼ばれる水平な屋上にすることにより建
物によって失われていたはずの平面を屋上庭園として利用できるように
なっています。
8
は、自然光を取り入
図②
れるための窓が突き
3
自由な平面
柱で支えた建物なの
で、その柱と柱をつ
なぐ壁により空間を
自由に仕切ることが
でき、多様な部屋を
生み出しています。
柱間に壁面を立てる
ことにより、螺旋状
の展示空間が構成さ
れています。
図③
4
横長の大きな窓(水平連続窓)
建物を支える壁の代
図④
わりに、窓を自由に
横長に連続して取り
付けることができる
よう に なり、部 屋 が
明るくなっています。
回廊となっている2
階展示室にある低い
天井の上の一列の長
いガラス張りの空間
は、かつて屋上からの自然採光を入れるための照明ギャラリー(窓)で
した。現在は、展示作品保護のため、蛍光灯が入っています。
5
自由なファサード(正面)
様式にこだわらず、
建物外壁を自由にデ
ザインすることが可
能です。表面に砂利
を埋め込んだ外壁材
とガラス窓は全てモ
デュロールによって
決められた寸法でデ
ザインされています。
図⑤
9
ル・コルビュジエと
日本の近代建築
ル・コルビュジエの時代は近代建築運動が世界を席巻し、日本の近代
建築にもル・コルビュジエの建築は大きな影響を及ぼしました。
神奈川県立近代美術館鎌倉館
1951 坂倉準三
鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮境内に建つ日本
で最初の公立近代美術館。八幡宮の歴史的
な環境と見事に調和したその建物は、日本
の近現代建築の代表として国際的にも有名
で、1999年には DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings,
sites and neighbourhoods of the Modern
Movement、モダン・ムーブメントにかか
わる建物と環境形成の記録調査及び保存の
(c)Norihiro Ueno
ための国際組織)が選定する日本の近代建
築 20 選にも選ばれました。
通年公開
日本住宅公団晴海アパート
1958 前川國男
高層住宅として試作されたのが晴海高層ア
パートです。3層6戸を 1 単位として将来
の規模変更を見越した大架構、スキップア
クセス、伝統的な寸法にとらわれない畳の
採用など数々の提案が盛り込まれました。
撮影者:平山忠治
東京文化会館 1961 前川國男
東京文化会館は、
「首都東京にオ
ペラやバレエもできる本格的な
音楽ホールを」という要望に応
え、東京都が開都 500 年事業と
して建設し、1961( 昭和 36) 年4
月にオープンしました。
大学セミナーハウス 1963 吉阪隆正
地面に三角形の楔を打ち込んだ
ような一種、異様なデザインが
特徴です。
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