林 つながる先をつくることの 林 幹士 学童保育 、つながる先、エピソード記 . に つながる先 と 内する ( 日( ) ) 保育 ッ のな ち ってきて、 が、 「 、 で になって本を ( 生)がクラ (学童保育 のこと)に でることが い よな。い い ぼうとしてる だけど、おれはいいよって る よ。な かいい けてきた。な ち また、な ち で 私は「 ことで には、 によると、 ないかな」と私に をか は「クラ で友 と にあそびたい だけどなあ」と、 にもらしているようであった。 のしたいことを てそれを を つのではないか」とな ち 「おれは、本を 私に にあそ に しでも友 と しくあそ で しいという思いがある。 にすることや、いつもとは うあそびに う に 手であそびに うことを 日 、 みた。 な ち をかけて は、 た。な ち は を、あの手この は、ときどきあそびに わるが、長く か でいるからいいよ」と本を み めるようだ。 でこれ を い けるのもあまりよくないのではとの思いから、 と きかけて しいと をかけてきた。私は ことから、 道サークルを してあそびに が 道サークルの会員である できるかもしれないと た。そこで、 の 道サークルを くことにした。 私は 道サークルの 内チラ を した。チラ には、日 ・場 ・ について いた。サークル会員と、 友 と か じている子ども のチラ を ・ ン ー にあそ でいる場面が ないと、保育者が し、その子どものロッ ーにはっていった。 (エピソード) を た子どもが、 「ただいま」と よく にクラ と ってくる。そして、ラン ドセルをしまおうとロッ ー と かう。 ロッ ーにはられたチラ を目にした子どもからは、 「あー、な かロッ ーについとる」 「あー、おれのとこ にもついとる」 「 ついていない」等と があがっていた。 -- ― 31 ― のとこには 私は ってくる子どもに「お りー」と をかけながら、 し らくすると の りを ちにしていた。 が ってきた。私が「お り」と をかける。 「ああ、う 」と いていた。そして、 は はランドセルをしまうために、 分のロッ ー と かった。 は、ロッ ーにはられたチラ にす に いた。 「 道サークル」と、 を して いていた。チラ を手にしてひ げると、 かれた 私は し れた から、 の 応を ていた。 は思わ をじっと つめている。 は「 道サークル 集会・・・」 とチラ を み めた。 「あー、 道サークルのことか」といった 子で、チラ の内 を しているようだ。 そして、サークル 。どの 道サークル会員よりも先に集 場 に ていたのは、 だった。 このエピソードでは、友 とあそびたい思いを ちながらも、 ら友 に「 い」と にいる 友 と を、 道サークル と 内することを示した。 にあそびたい だけどなあ」 と 保育者は にあそびた は「クラ で にもらしていた。 子どものこのような ちを、 としてはならない。 学童保育において、 あそびの に をしてあそ よいのかわから 、友 とあそび たくてもうまくあそ ていない子どもは なから いる。このような子どもをま に、保育者 として なアプローチを みながら日 の保育がなされている。筆者は、子ども同士のつな がりをつくりだすような学童保育 かかわりを して、 しい を して取り組 できた。それは、子どもに他者との をして しいからである。そして、ここでの の育ち いにつながっていくと つな 保育の 要性について、 ている。 は、子ども が とつながることを らであるとし、子どもをつな ときの イン として「つな ための 「つながる先の 保」の つをあげている 。また、 ことで、 関係が されていくのである。その 場を共有することは、 の が子ども同士 関係 りの は「 でいるか を がけること」と に や場を共有する で遊びを して、 を共有したり、 なのである」としている 。筆者が、これまでに 取り組 できた子ども同士のつながりをつくりだすような学童保育 の つが 道サークル である。 本研究では、つながる先としての 道サークルの学童保育 ことと、記 したエピソードからつながる先をつくることの 目 とする。 . () ールドの 要 -- ― 32 ― をエピソードとして記 する について していくことを 林 ールドである学童保育 では、 も け れている。 生から である 生までの児童を み のみの 用児童を めると 保育者の ( や によって なる)は、 の保育者で ()筆者の であった。ま となっていた。 ンにより、 のありかた した。そして、 道サークル会長 を している。 保育の の なこととして、 できるように 美子は「子どもが『共に』の る他者の存在です。その他者とは、子どもと を『共に』 わい、 しみ、子どもと し、その で、子どもと 内 は、筆者が に められるようにした。 道サークルが子ど も同士のつながる先となるように、可能な り子ども同士で て の児童 している。 くことを 生 である。ロー ー 筆者は、保育者として 道サークルの 会員となり に に、 の在 児童 は、 た、 学 の長 日 ・ つながる先をつくることの をつくり してい を『共に』して子どもの く を『共に』して子どもの く して『共に』の としている。これを ま 、筆者は共 した。 とし 他者 である」 をつくり していく共 他者としての保育者を を して を していっ た。 () について 本研究では、エピソード記 「 に による研究 を用いた。エピソード記 について、 されるものこそエピソード記 の になるもの」としている 。また、 は、 らが子どもを指 する場面での記 について、研究者 者が いう子ども の きかけによって生 される「子どもと共同で に れる する 」と「私の に れる する する「指 」と 」が、 「子どもの 」との結び目になっているとし、その結び目で にアプローチしていくとしている。本研 を記 していくことで、子どもの 究では、 道サークルの学童保育 は における子どもの を、エピソード記 により いた。 . 本 における 道サークルは、 に がいのある 生の あつき が、 してきたことをきっかけとして まった。あつき と保育者である私とのかかわりをつく ることを し、あつき の好きな 道をあそびに取り れることで は、あつき と筆者が の を いたり、 道の本を 等をしていた。そこ 、周囲にいる子どもが は、 の を ち、 に -- ― 33 ― だり、 っこあそび にあそ といった状況であった。 のエピソードをきっかけに、 る。 していった。 を目 に取り組 でい を して、子ども同士がつながっていく場面が られるようになった。子ども同士がつ ながるために、 』が 要」としている。本 は「な らかの『 における 道サークルである。これを ま て、子ども同士をつなげる学童保育 は、 ということを に取り組 でいった。 また、 は「 を れて を れて を ていくといった を てる に遊 だり、美しい したりしたとき、いつのまにか私と私を取り囲 をしたことがないだ うか。 れた がいつのまにか としている 。子どもにとって 道サークルが、 内 を工夫していきながら学童保育 いかに になれるのかが けている。 道サークル会員となる。それ て に と と とよ ことにしよう」 していった。あそびにおいて、子どもが ている。 道サークルは、 道好きな子どもを なかに を が のできるあそびとなるように、保育者 を であると との の では、このように してしまう。 このような が に を われたとき、あるいは に している。 道サークルは、 したい子どもは、 道サークル 会 の子どもは、その日、 あそびの を記 してみたいと思 、 会員とし している。 . エピソード 「 ー、おれ友 、おら 」 ( 日( ) ) 学 のため学 が みとなった 会長( 生までは、 日保育であった。 生もいないし、お みの会員も いし、 をするかも 会長にか した。 「じ あ、 日しようや」と するかも めてないからなー」と私。 「でも、 ー」と 会長。 会長で してないからなあ」 会長。 「う ー、 日か、でも、 を 夫じ う、そ そ した が じ 会長のサークルをしたいというあつい思いにこた ようと、 「う ー、わ かった、じ あ、とりあ 生)と に 生)が、 「 日サークルや 」と私に をかけてきた。私は「うー 、そうじ な ー、でも 日 と 生から 日のあいた に、 幹 会をしようか」と私は 会長( 生)と 会長 した。そして、 道サークル ( 幹 会でのことである。 (エピソード) 幹 会の ー は、 道サークルの の つである 道 の日程と の内 について、 を めていた。 なアイデアを していた。私が 内 についてであった。 それ れが 内 の つとして「友 と ラ)をするっていうのは、どうかな?」と した。 -- ― 34 ― 内 内 について、 ラ( 道のドン 林 すると、表 を ら た 会長が、 「 ー、おれ友 、おら 」と 私は「 ー、おるがー」と いながら、 くる」 と をは していた そして、 会長 会長 しながら、 会長の リと いた。す に、 の を指さし、 に「 イ に って 会長の っていたイ を指さし、 会長は「あー、そうか」といわ ( 会長 けてう 、う 、と く も つながる先をつくることの に私の をしてみ た。この と指を けた。 にあわ て、 と いて同じように いていた。すると、 かりの表 を か ていた。 ) 私が 道 内 の つとして、友 と をつなげるためのものである。友 という おら 」と いた。 ラをすることを した。これは子ども同士 にす に 応した 会長は「 ー、おれ友 、 会長は、友 がいないと思っているため、それが 道 わると るということだ う。このときの からは、 の内 に 会長にとって友 と思 るような が、学童保育 にいなかったことがうかが た。 私は、 会長のことを友 だと思っている がいることを、 それが、私の の るということを、 会長に ようと た。 となっている。これによって、 会長 や 会長が友 であ 会長に示すことができた。また、 会長 の と きなが らの表 からは、 は 会長のことを友 と思っているということが 会長に わってい た。 このエピソードからは、 ることがわかった。 かった 会長のようにつながっていることに 付いていない子どもがい に 道サークルの 会長。 「あー、そうか」といわ をしながらも、友 ということを かりの 会長の表 からは、 というものが らいだとともに、 っとしていることが てとれた。この 会長が友 の存在をか じることでうまれてきた。 会長は、 していな 会長 の友 は、 のことを友 だよと思っ ている が、周りにいることに 付くことができたのである。 エピソード ( 道サークル と集う 日( ) ) この日は、 びの に の 道サークル第 目の日である。 していた。 道サークルの 内チラ を、クラ は、おやつ の 内の 面に あそ に 示して いた。 学 の を た の 子をあたたかく てくれるのは、 おやつの 、 あつき 会長( 学 りにきてくれていた。 会長( 生)と 会長と 会長( 道サークル会長を めた)が、 道サークルを会長としてひっ っ 生)である。 会長が をあわ て、 「このあとは、 道サークルがありま す。やりたい は ひ てください」とおやつを -- ― 35 ― ている子ども と びかけていた。 にア ウン しておくことで、 つの を でも くの 者が てくれれ という思いがある。おや て、いよいよ 道サークルが まるときのことである。 (エピソード) 道サークル 分 。おやつの いるのかどうか、 し にア ウン したものの、 になった私は「 と に、 道サークルが まることをもう てきて」と 会長は「 ー」と をかけ、 」と に ー、どこおる、おーい で 場であそ でいる子どもに 会長に をかけた。すると、 場 と て った。 道サークル したい子どもが、 してくれる子どもが 会長を つけると「よし、いく が くにつれて、 道サークル と集まり めた。周囲にいた子どもは、 が まるのか の 子である。 道サークル 長と 会長と 。 道サークルの 会長の は、 会・ 「あつきたちに われたで」と さ 、 生の 場 には、 、 で を める。 場からクラ 、 、 の子どもの があった。 生の と の 内に って ってきた。 生の の 会 は、 生の は 道サークルの まりをい まや しと、 道サークルが く まらないかなといった表 を か ながら ってくれてい た。 道サークルの 場 に集まってきた子どもは、 が まるのかを しみに っていた。 子どもの表 からは、 ク クとした 道サークル 。この が私に わってきた。 を ていた ークルの のなかに ってきた。そして、 ( 生の が「 もやりたい」と、 道サ 会長からこの日の が会員たちに られ、 での 道サークルが まった。 ) このエピソードでは、 道サークル 子どもがどのようにして集うのかを示した。 ここでは、 の つによって、子どもが集っていることが示された。 つ目は、周囲にいる子どもが、 か しそうなことが まりそうな 囲 に き るということである。 道サークル ークルを に「 もやりたい」と する ー ルの周りに子どもが、 が られ してきた。サ と集まってくる 子を て思わ したくなったのである。これは、 か しそうなことが まりそうな 囲 が、 に わ ったからである。 つ目は、子ども が めるためのしかけを しなくてはならない。 道サークルの 内チラ を くことや、 道サークル ークル には、 これらのことで、 や関 をもつことである。ただ、保育者はこの のおやつの 会長と つ目は、子どもが子どもに われて に 示してお にア ウン をしておくことである。また、サ 会長に 道サークル の したい子どもの や関 を を びかけてもらった。 や関 を めることができた。 してくることである。ここでは、保育者が -- ― 36 ― 林 つながる先をつくることの に、子ども同士で をかけるように している。これは、子ども同士で いあうことを て しいという思いがあるからである。 がやってきた。 と 会長と 会長に われた と し の は「あつきたちに われたで」と しそうに いながら、 道サークル してきていた。 エピソード ( に のお しみ 日( ) ) のため 場が 会長( 生)を つけた。先日、 ークル 、子どもは 育 であそ ことになった。 育 日を、 を、私が 第 会長を め、 と かう 幹 会において 日と めていた。これを 会長が 、 道サ ているのかどうか しようとしたときのことである。 (エピソード) 私が 会長の から「なあなあ、 のサークルの日いつか とる?」と をかけた。 会長が「うー 、 ーと、いつだったかな」とこた た。私はややがっかりしながら「 ー、 てない 、 は、 日、 と、 日だったかな」と するように き した。私が「 第 日って めたがあー、 を すように すると、 た。 会長は た。 会長は「 ー 日のも・く・よ・う・び、 よ」と のサークルの日と 日を、 に れた表 を か ながら「う 、でも、 たっ りになった 指 の に てくれた。そこには、 夫だって」と っ 会長に、私はやや きながら「 、そうな 、な で」と 会長は「う 、だって、それはさあ、ち の表 を か ながら 日、 夫、会長、 とるよな」と した。 き した。 と 日かは と ンダーに いてあるから」 てくれた。 会長の の くまで ったときのこと、 日の という を 会長が ンダーを の で囲み、その に 道サーク ルと いてあった。 ( ) ながら 会長は、 の 道サークル 私は しがっかりしてしまった。しかし「ち を いた 、私はとても しい 日を と ていなかった。 これについて、 ンダーに いてあるから」という ちになった。それは、 に の 道サークルをとても しみにしてくれていることが、私に わってきたからである。 ンダーに 道サークルと き、その日が いてくるのを 保育者として、 しい ちにしているのである。 を用 しておくことの さがわかる。学童保育 に てこれを したい、これをする日があるから学童保育 が しい、こ な うに思ってもら るような を、 しておかなけれ ならない。子どもの しみをつくるということが、保育者の -- ― 37 ― な役割の つである。 そのもの の るような に を ・関 は子どもによって なる。 し、それを でも くの子どもが しいと思 していくことが重要となる。そして、そのような が、 でもあれ 、子どもは、それを しみに日 過 すことができる。 エピソード いい ( のこと 日( ) ) 会員( 員のは 生)は、 道はもち のこと、仮面ライダーも好きである。そ な 会 だ が、遊 のあたりから私に けられた。このとき私は、サッ ーをしている子 どもの に っていた。 (エピソード) 「まあぼ(筆者の ら ) 、まあぼ、ちょっと て」とサッ ー ール にある遊 のあたりか 会員の 。 「 ?いま ール ー ーしているから、 がこっちに て」と私が をした。 すると、 会員が私のもと とやって た。私が「どうした 」と いた。 「あ なー、い ま 道サークルしとるじ ル」と 、で、それで、それで、それが わったら、仮面ライダーサーク 会員の が、 いよくは だ。 、 のことかわからなかったが、 道サーク ルと同じように、仮面ライダーを して、 かをしたいのだと思った。私は仮面ライダー好き な保育 ッ がいることを と思い し「あー、仮面ライダーサークルか、それも、いいな あ、あ、そうだ、まあぼの友 (仮面ライダー好きな保育 ッ のこと)に仮面ライダーの 好きな がいるから とくわ」とこた た。 、 日 していた仮面ライダーサークルについてな だけど、まあぼ の日。私が「 の友 にも といたよ」と学 から ってきた のことを ったじ ( う」と しそうな で 会員に をかけた。 「いやあー、いい 会員がすかさ こた てくれた。 ) このエピソードは 道サークルをきっかけとして、子どもから新たなあそびの たことを示している。 「あ なー、いま 道サークルしとるじ が わったら、仮面ライダーサークル」という 道サークルをしていくうちに、 会員の がなされ 、で、それで、それで、それ は、新たなあそびの 会員は仮面ライダーサークルをしてみたいと である。 た。仮 面ライダーサークルには、仮面ライダー好きな子どもが集まってくる。これによって子ども同 士の新たなつながりができていく。 それでは、仮面ライダーサークルを サークルで、友 と 表 し、それに 会員が できたのはな だ うか。それは、 道 にあそ ことの しさに 付いたからである。 分のしたいあそびを につきあってくれる他者を めている。 の日、 -- ― 38 ― 会員の を別の保 林 育 ッ に たじ たことを う」と、とても 会員に した。 つながる先をつくることの 会員は「いやあー、いい のことを っ した 子であった。子どものしたいことを、いかに していく のかが、保育者には められている。 エピソード 「あー、 ( なら、それで が、それでいこう」 日( ) ) 道サークルでは、 として を に する。好きな 表を っている。会員が好きな ー を び、いくつかの において する。クイ に正 した子どもが、段 ール そして、 の で ー にしたい」と くと、 「 たちの があがった。私が「じ あ、どこの と していく。 を った。私が「 道サーク た。 「やるやる」 「やりたい」と会員たち。 したようなか じでいい じ ない」と会員 や にする」と がいいよ」と 会員( 生) 。 「新幹 がいい じ ない」と がいい」と 会員( 生) 。私が「じ あ、どの にするかなかなか まらない。そこで、私が「じ あ、もう と 。 「そうじ な、そうしよう」と会員たちは いて、それ れの役割についての し い。この と会長。私が「はると、 と に新幹 を したい よな」と、この日クラ を 会長と ると「おれは、 手 会長( にする」と の この 日、私が 役の会員がクイ にお さ として ー に けての ー をやりたいかどうか」と会員たちに 私が「ど な 士役と がもら るというものである。 日に、 道サークル会員たちは、 ルの を段 ール 生) 。 「 手 る。 いに ら ど すり あ、 があ」 した 子。 のなかから新幹 を だ したい?」と くと「おれは、 本と でいた 本会長( に、 道サークル はる に 生)の名 をあげた。 ー の について、 本ひかる会長に ているときのことである。 (エピソード) 私が「ひかる、 日の し いは 幹 と 手 ー、 、 さ ー について めた よ。それで、 の つあって、そのなかでどれがしたい」と いた。すると 本会長は、 「あ はどれにすることにした 」と で、 ていた。 に けて、 「 本、 会長は 分の に をしてくれていた にしよう」と をかけるのかと思ったが、は かしそうに をつ で、 本会長と していたときに、み などれにするって れは、 本と 会長にすか 会長が「う 、おれは、新幹 をしようと思う」とこた る。このあと にしたいということを にするかを い に いた よ、そしたらそのとき、はるとは『お にしたい よな』って っとったでー」と 本会長に なら、それで だ。 られ にいるようだ。 そこで、私が「あ なー、ひかる、 日のことな じ けどな、どの ー、 が 手 と新 が、それでいこう」と、 -- ― 39 ― た。その 「あ をゆるま ながら 本会長の がは だ。その で、 ( 会長は しは かしそうに、はにか でいた。 ) このエピソードでは、 分の思いを相手に けることが 手な子どもの思いを、保育者であ る私が ていることを示した。このような子どもを他者とつな ためには、場 によっては 保育者が することも である。 会長の「おれは、 本と った 本会長。 日、 にしたい よな」という 会長の から び くそうにしていた。そ な思いに と 会長の 会長のこの くことはできなか て しかったのだが、 いた私は、 本会長 と にしたい よな」という められていた。私が を、 かしいのか 会長の思いを に た。 「 本 には、この じ なけれ だめだという思いが を ると、 本会長はとても しそうな表 を か ていた。 「あー、 なら、それで れでていた。それは、 が、それでいこう」という 本会長の からは、 しさが 会長から 要とされている思いが 本会長に わったからである。 エピソード 「あっ、 手」 ( 日( ) ) から 道サークルに ってきた 会員は あそびの 会員( 生) 。 道のことはあまり らない。 にな となく、手 ち さたな の をうめるかのように ている。このような子どものためにも、 しく過 し、子ども同士のつながる先を との思いから 道サークルを し したい している。 (エピソード) 「なあ、なあ、まあぼさ (筆者の に しようかどうか っている のことが好きじ なあという ) のことあ まり ら でも 」とこの日の 会員が をかけてきた。私が「う 、いいよ。 ちがあれ できるよ」とこた た。すると、 会員は の本を ラ ラとめくりながらし らく めていた。 「の みにしよう」と、 きたい を めた 会員。 「し ち っと じ がー、 会員は表 をゆるま ながら「の みにし のこと」と私。すると、 ( 会員のこと) 、 た」と を き めた。 会員が き めてし らくすると、 いている を指さした。私が「し ち 会長( 生)が「あっ、 手」と 、 手だって」と 会員に けた。このやりとりに、さらに「し ち 会長の 、うめーがー」と 会員の を、もう 会員( 「まあ、 手に いてな、てい いにな」と私。周囲の子どもから められた 生) 。 会員は、 しそうな表 を か ながらの みを き けた。 「できた」と 会員。私は「し ち 、できた 、 日の 道サークルについて、どう -- ― 40 ― 林 だった」と 会員に いてみた。 私が「 が」と くと、 ( つながる先をつくることの 会員は「おもし かったけー」とこた た。さらに、 会員は「 くのが」と てくれた。 ) この日の いた私は に しようかどうか っている 会員に、この日の 道サークルの 道サークルに 会員が、 をかけてきた。この に してもらいたいと を た。それは、 することで、つながるきっかけをつくることができるからである。 そこで、できる り きじ なあという 会員が しやすいように、私は「う 、いいよ。 のことが好 ちがあれ できるよ」と をかけた。また「 っと じ がー、 こと」という かけは、 のことをあまり らない た。保育者がこのような場面で、子どもが 会員に、 したくなるような の を た ることができ かけを、いかに うかが なのである。 この日の は、 ひとりが好きな を く 別の であった。このような 別の においても、子ども同士をつな ことができる。それは、それ れの く こに会 が生まれるきっかけとなるからである。 ち 、うめーがー」と、思ったことを た。これに 会員は、 に 会長の「あっ、 手」や を して、そ 会長の「し 会員に けてくれているのが よかっ でこた ていた。周りの子どもが いのことを、よく ているの だなあとか じた。 会員の「おもし かったけー」 「 くのが」という からは、 会員 していることがわかる。そして、 分の いた が周りにいた子どもから も に と められた ことが、なにより しかったのである。 . のエピソードの くることの つ目の を ま 、 道サークルの学童保育 について つをあげる。 としては、 らの で他者とつながることが 手な子どもを、つながりやすく することである。このような子どもは、友 と があれ 、 分からあそびを もよい。 を して、つながる先をつ に かを めることは しい。つながる先 することや 分からあそびのグループに ることをしなくて されたあそびに 分の を くことができれ 、そこに してきている子ども 同士でつながっていくことができる。つながる先があることは、 らの でつながることが 手な子どもにとって、他者とつなが うとする を することになる。 また、つながりやすくするための要 としては、 分が わ うとしているあそびに、共 他者の存在が か ない。エピソード ・ ・ では、共 子どもは、 分 他者の重要性が示されていた。 を け めてくれる友 ・保育者がいることや -- ― 41 ― が 要とされる 等 を して、つながっていくことができるからである。 つ目の としては、保育の場に しそうな 囲 を生み すことである。エピソード では、 道サークルに子どもが集う に、周囲の子どもに しそうな 囲 が わっていた。 この しそうな 囲 に き られた子どもが し、新たなつながりを生み す。このよ うな 囲 を生み すには、子どもが ク クするようなあそびでなくてはならない。 つ目の としては、子どもに しみを 会長が、 に ていることである。エピソード では、 の 道サークルをとても しみにしてくれていたことがわかった。子ども同 士がつながるためには、子どもに しみだと思ってもら るようなあそびであることの重要性 がわかる。 あそびの いる。 、好きなあそびに している子どもは、 しいからそのあそびを で、 しいあそびを つけられない子どもは、その を で でな となく しい 思いで過 しているのかもしれない。このような子どもにとって、 道サークルが しみなあ そびとなるのである。 つ目の としては、友 と にあそ ことの しさに 付けることである。エピソー ド で示したように、 道サークルをきっかけとして、新たなつながる先をつくり そうと する子どもが れた。 道サークルを した子どもが、 分の好きな仮面ライダーあそびを でするのではなく、仮面ライダーサークルとして かと な は、 道サークルを して、友 と にしたいと にあそ ことの しさを た。このよう することによって 生まれたのである。つながる先が、他者と しく過 すことができ、その しさに 付く場と なっていることがわかる。 つ目の としては、あそびの が ることである。エピソード では、 道のこ とはあまり らない 会員が ようと思 るような があれ 、そこに わることができる。 を していた。 道サークルの 内 に、 つでもやってみ ールドとした研究において、須永美紀は「つながるための の段階として、 の他者を志向するのではなく、 過程には、 をもったことをしている友だちとその 『あそびそのもの』を『 分もやりたい』という『あそび志向』とでもいう き状 が られ た」と指摘している。子ども同士をつなげるために、ま は、子ども の」を「 分もやりたい」と思 るようなあそびを る。 が つ が「あそびそのも することが、保育者には められてい ただけなのだが、 道サークルでは、 内 に なものを取り れ ることができる。これによって、子どもが「あそびそのもの」を「 分もやりたい」という ちになる可能性をひ げることができる。 .おわりに -- ― 42 ― 林 本研究では、 道サークルの学童保育 て つながる先をつくることの を して、つながる先をつくることの につい してきた。保育者として、子ども同士をつないでいくにあたり、つながる先をつくるこ との重要性を することができた。 保育者が子どもをいかにして、つながる先 と 内するのかが である。子ども同士をつ な にあたり、子どもが「ちょっとやってみようかな」という思いになるように、ゆるやかに つながる先となるような工夫が 要である。保育者が子どもの「ちょっとやってみようかな」 という思いを き こすようなつながる先をつくることで、 子どもがつながる先 とつながり、 そして、子ども同士のつながりができていくのである。 注 1 『子どもも 2 3 も が る くりの 「 、遊びを うこととは」 『「遊び」の 究』生 道サークル会長とは、 道サークルを 道サークルの ライ 』学研 育 版、、SS。 ー ル、、SS。 にひっ っていく 道サークル会員のことである。会長は、 の つである 道サークル会長 において、 道サークル会員の 者のなかから れる。 は「共 他者との 会いによって、子どもたちは、 の相手と『共に』の に』の なかで』 ル 向のある子どもの育ちを が共 他者となり、そ )としている。 美子「『共 たもの」 『共 ―育ち う保育の 、、SS。 エピソード記 については、 ために』 をはじめる」( 1 をつくり すための を生み す共 ― は、 分たち ()を にした。 『エピソード記 ― と 研究の 学 版会、。 同 、S。 「 する『 」『 』第 号、 ル は「 学生くらいになると、ある程 ルールのある遊びや ー が が となるとしている。これらの は、 その となる が る 『 になるとし、 の場 は さ て子ども同士がつながっていくとしている。このために が ちのある くりの 』でなけれ いけない」としている。 ライ 』 ・ダン ・ ・手 ・ されている。 の し、 に 等を 『子どもも 、SS。 する生とは か―遊 子どもの この学童保育 内では、保 者を が を 、、SS。 と子どもがしっかりと結びついていなくてはならないとしている。また、そのためには、 が子どもにとって『学 も 1 』による 語りの 学』 ー 、2 、 12 。 表を っている。ここでは、子どもがけ している。この 表の つに 道サークルの には、 道サークルの 内 に ー の や 表 ー ・ 表の がもりこまれ る。 11 この学童保育 において、仮面ライダーサークル・ま がサークル・ ー サークル等の新たなつながる先 -- ― 43 ― としてのサークルが誕生していた。仮面ライダーサークルでは、筆者とは別の仮面ライダー好きな保育者と ともに、その周囲に仮面ライダー好きな子どもが集まっていた。つまり、新たなつながる先としての仮面ラ イダーサークルにおいて、新たな子ども同士のつながりができていたのである。 12須永は「『あそび志向』段階が、他者と『つながる』ための重要な役割を果たしているとし『あそびそのも のに』ひきつけられ、結果として、その場を共有した相手とのかかわりが生まれるという道すじが存在する 可能性が示唆される」としている。須永美紀「友だちとの関係構築過程における『あそび志向』段階の可能 性―相手と『つながる』ということに注目して」『保育学研究』第 巻、第 号、、SS。 13林は、ゆるやかにつながる先とは、子どもが「ちょっとやってみようかな」というような思いになるような ものであるとしている。遊び・取り組みをゆるやかにつながる先となるように工夫していくことの重要性を 指摘している。林幹士「学童保育における保育者は子ども同士をどのようにつなげようとしているのか?― 修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(0*7$)を用いた保育者の語り分析から―」日本保育学会 『保育学研究』第 巻、第 号、、SS。 (付記)筆者については、エピソード内において私やまあぼとして表記した。なお児童名・保育者名は匿名で あり、状況に応じて、会員・会長等の表記を用いている。 -- ― 44 ―
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